第二話 空から行けば良かったな
困った事に災難や試練といったトラブルはそこいらに落ちているもので、俺はその災難やら試練を吸い取っていく掃除機のような運命にあるらしい。
そこに災難があるから引き寄せてしまい、溜め込める限度を超えても尚吸い続けようと頑張ってしまう掃除機が俺という事だ。まったく遺憾ながら。
ところで、例えで掃除機を用いたわけだが、城でポイズンリリーが壊した掃除機のような最期にならない事を切に願う。
あんなスクラップになる未来なんぞ御免だ。
「ああ、すっかり忘れていたさ。壁という国境の先は、人骸魔狂であると」
人骸魔狂――正確には人外魔境なのだが、ここは人は骸になり、魔でさえ狂うとされている場所なので、あながち間違いとも言えなくもない。
そんなとてつもなくおっかない場所に居る訳で。
五百年前に自作の神酒を飲んだ事によって怪我どころか不老不死に近い化物的な再生能力を有する肉体はともかく、薄氷の如く繊細で脆い俺の精神は悲鳴を上げるのは時間の問題かもしれない。いや、かもしれないじゃなくて確定だ。
いや、本当に。四六時中神経を張り巡らせるのはきついです。
「……せめて森の外までは空から行けば良かったな」
ため息とともに愚痴が零れる。自分でもそんなものには意味など無いとは分かっているのだが、どうしても言わずには居られなかった。
どうしてか? と問われれば、現在進行形で襲われているからだと答えよう。
俺に襲いかかってくるのは、元の世界の百獣の王と呼ばれるライオンに酷似したまったく別の生物だ。
胴体は金色に輝くその獅子のそれなのだが、その筋肉の隆起した背中にはカラスを彷彿とさせる二対の黒翼が生え、真っ赤に燃えるような輝きを見せる双眼は忙しなく周囲を見回し、白く鋭利で大きな歯がびっしりと生えそろった口腔内からは、紫色の炎がちょろちょろと漏れ出している。
しかしなんといっても一番注目してしまうのは、その長く伸びる十本の爪だろうか。鋭く伸びた白い爪は名剣の如き切れ味で、まるで何も無いかのごとく太い大樹をばっさばっさと薙ぎ払うのだから恐ろしい。
見ているだけで確信できるが、俺の軟な肉体は触れた先から千切れ飛んで死ぬだろう。
まあ、千切れ飛んでも俺の肉体はきっと死なないはずだ。それほどまでに俺の肉体は不死性に特化している。だから死ぬのは俺の精神。肉体をバラバラにされて正気を保てというほうが無茶だ。喰らったら、俺は精神的に死ぬ。
煌めく十本の爪には、俺の精神に対して確実に死が宿っている。
だが俺もそうそう簡単に死ぬわけにはいかない。痛いのは大嫌いだ。
俺は五百年も生き延びてきた経験を活かし、不格好ながらものらりくらりとそれを回避して、一瞬の隙と機会を窺っている状態にある。時には後ろに飛びずさり、時には木を壁にして身を隠し、時に蹴りあげた石で敵に目を狙い注意を逸らす。
身体のすぐ脇で振りぬかれる鋭爪が生み出す風に肝を冷やしつつも、俺は湧き上がってくる興奮を押し殺しながら自分を落ち着かせ、今まで培ってきた経験を投入して生き延びる活路を見出し続けた。
前にも言ったように、俺の肉体性能は再生力を除いてあくまでも一般人レベル程度しかない。目の前のライオン型魔獣の体重は五百キロ近いと推測するが、そんなのどうしろというのだ。
しかも元々後方支援型の能力に目覚めた俺にできる近接格闘など高が知れている。
襲い来るライオン型魔獣など、軍の中隊と正面から肉弾戦で勝負して勝てるスペックを持っているはずだ。肉体面で勝てとか、無理なものは無理だ。
それなのに、未だに俺が死んでいないのには理由がある。
それはたった一つだけの理由にして、最大の原因。
俺の能力ではどうにもできない時の為に、必死に身に付けた唯一の戦闘技法。
それは簡単に言って、“敵を見続ける事”。
一見簡単な事かと聞こえるかもしれないが、誰にでもできて、誰にでもできないことだと思う。
敵の僅かな挙動、視線の先、呼吸、筋肉の動き、感情、思考、敵の肉体的スペックに僅かな癖などありとあらゆる動きを見落とさない事だけが俺の使える近接格闘の技術の全てだ。殴る蹴るといった単純な格闘技法さえ俺は俺が造った武器に頼っている事から見ても、嘘ではないと分かってほしい。
無論、俺が知覚できない速さには無効だが、まだ、この程度の速さならば経験の御蔭で回避はできる! その分精神的に疲れてしまうんだけどね! いやもう、精神的に一杯一杯です!
相手が襲い、俺が避ける。その余りにも一方的に見える攻防は、実に一分間も続いただろうか。
致死の一撃が舞うその一分間は、数瞬にも数時間にも感じた。今までこれと同じような状況に立たされたが、幾度経験しようとも怖いものは怖いのだ。人間は死に対して根本からは恐怖を失う事はできない。
背中には冷や汗が流れ、呼吸は次第に速くなる。鼓動はドクドクと加速して、一瞬の判断ミスは即死に繋がる。そんな中を俺はただ必死に動き続けた。
そして、俺は避け切り敵は避け切られた。
その差はそのまま勝敗を決するに足る要因。
やっと、絶好のタイミングは訪れた。
俺が待っていたのは、一瞬で殺せる一撃必殺のタイミング!
大きく後方に飛んだ俺の真っ正面から弾丸のように迫りくるライオン型の魔獣の頭部辺りに狙いを定め、金色の毛がびっしりと敷きつめられた剛腕と剣のような鋭爪が俺の身体を捉える前に、手にしている、この銃さえ存在していない世界に在ってはならない軽機関銃の銃爪を引いた。
手にした軽機関銃の全長は一メートル以上。歩兵が長期間徒歩で移動しても影響の無いレベルに調節されたアサルトライフルとは違う、さらに大型の銃だ。百五十発から二百発は入りそうなボックスマガジンを備えた、対人と言うよりも対魔獣・対陣地制圧に用いられるようなシロモノだった。
ドガガガガガガガガガッ!! ――空気を切り裂くような銃声が連続で鳴り響く。
瞬間煌めくマズルフラッシュは鬱蒼と生い茂る樹海の隙間を縫うようにして、紅蓮を纏う破壊の息吹を巻き散らかした。
狙い違わず放たれた弾丸はある一定の距離を進むと分裂し、中に内包された五ミリ強の弾丸を巻き散らかす。
連続で射出しているというのに、見た目も性能的にも軽機関銃であるというのに、それが吐きだしたのは散弾銃の弾丸だった。手にした物体は軽機関銃ではなく、正確に言えば軽機関散弾銃と呼んだ方が正しいだろう。黒く重苦しい見た目とも相まって、それはまるで防御と機動性をかなぐり捨て、破壊力のみを追求した存在に見える。
だが、その重苦しい見た目とは裏腹に軽機関散弾銃には殆ど重量というものが存在しなかった。子供でさえ軽々と扱える事だろう。反動さえも感じないようになっているので、狙いがぶれるという事さえ無い。
接近戦では明らかにハンデとなるだろう見た目はあくまでフェイクであり、その差異が敵を欺く。そして敵の油断を誘ってから放たれる弾丸を、回避できるはずがない。
装填された弾丸一つに二十発の散弾が込められている。今放たれたのは感覚からして十発。
空気を切り裂き獣ですら回避不可能な速さを以て、計二百発もの散弾がライオン型魔獣の鋼鉄のように硬い外皮と剛毛に覆われた頭部に殺到し、肉に喰い込み、骨を磨り潰し、進行方向にある全てを弾き飛ばし、頭部を爆裂させ、その肉を食い散らかした。
その光景は風穴が空く、という表現では済まないし、済ませられない。
――例えるならば、風船が割れた時のような錯覚に近いだろうか。
内側から膨れて弾け飛んだライオン型魔獣は既にどう見ても生命活動をする事が不可能であり、その雄々しく強靭な肉体は音を立てながら地面に崩れ落ちた。
ライオン型魔獣が崩れ落ちる姿を最後まで見届ける事はせず、次なる獲物に狙いを定め――
「遅い決着でしたね、カナメ様。近年は城に籠られていたので、腕が鈍ったのではありませんか? 全く、SMなどに力を注ぐからそうなるのです」
――既に戦闘は終了した事を悟った。
両手首からは高速で回転する鋸を、両肘からは紫色の毒々しい片刃の剣を、両肩からは様々な弾丸を打ち出すマシンガンを、両膝からは高速振動する四本の鞭を展開した機玩具人形――ポイズンリリーは全身を真っ赤な返り血で濡らしながら、何時ものように毒を吐いてきた。無論、俺はSMなどに勤しんではいない。断じて。
真紅に染まりながらもその美貌は一切損なわれていないばかりか、逆にその神秘性と美しさを引き上げているポイズンリリーの姿には思わず魅入ってしまいそうになる。といっても彼女の主である俺にとっては見慣れたもので、今更見惚れる事などありはしない。
軽機関散弾銃を肩に担ぎ直し、問う。
「そうか。で、今回の魔獣共のクラスと数は?」
「ニ級が五体に、ホ級が十二体。ハ級が二体で御座います。なかなか、上物が揃っていますね」
俺の視界の中で現在動いているのはポイズンリリーのみで、その周囲には十九の肉の残骸が無造作に散りばめられていた。
肉の残骸は俺が軽機関散弾銃で仕留めた頭が消しとんだライオン型魔獣や、真っ二つに両断されたオオカミ型魔獣などだ。俺が狩った魔獣はホ級のキツネ型魔獣二体と、ハ級のライオン型魔獣二体のみで、残りは全てポイズンリリーが殺した事になる。
(相変わらず、接近戦では負けなしか……その性能を俺に向けるのが玉に瑕過ぎる)
そんな事を思いつつも、俺は魔獣の後始末をのそのそと開始した。
「んじゃまあ、“頂きます”」
合掌を一つ。
これから俺の糧となってもらう元魔獣達だった肉塊にささやかな祈りを捧げ、俺は大きく口を広げた。言っておくが、顔にある口ではない。
瞬間、“空間が削り取られる”ような錯覚を覚える光景が展開される。
俺が両手を翳した延長線上約五メートルが、肉塊や木や土を問わず抉り取られていく。俺が窓を拭くように手を動かすだけで、十九もの肉塊と大樹の根元が削り取られた。支えを失った大樹が何本か俺達に向かって落ちてきたが、先ほどと同じように俺が手をかざせば先ほどと同じように何もないかのように消え去った。
実際、ここに何も知らない第三者が居たならば、その余りの不可思議な光景に茫然としてしまう事だろう。
“俺の掌が翳された方向の全てが一瞬で消えていく”その様子は、一度や二度見た所で理解できるはずもない。時間にしてニ秒にも満たない僅かな時間で十九体の魔獣達の痕跡は無くなった。
ああ、しかし今更ながら、俺の能力ってなんて理不尽なのだろうか、と余りのチートっぷりに軽く震えてみたり。
演技だけどね。
「カナメ様。丁度いい素体が手に入ったのですから、それを使って早速何か造ってください。主に乗り物を」
「ん〜、そうだな。良い威嚇にもなるだろうし、ハ級のライオンさんをベースに造ってみるか」
そうと決まれば、再び合掌を一つ。合掌は一種の俺の癖だ。
目を瞑り、脳内で夢想し構築されるのは先ほど喰い消したライオン型魔獣の雄々しき姿。見たばかりなので、細部にわたってその想像は精確だ。
「素体はライオン型に固定、追加材料は灼鋼に飛翔金。全身各部位に俺選兵器を追加して……っと、ま、こんなものかな」
脳内で三次元的に構築された基本設計を元に、俺好みなオプションを組み込んでいく。それを元に重ねた掌の間では着々と物質化した作品が出来上がっていく。
今回は素体を見た直後だし取り込んで間も無かったので、初めて造ったにしては比較的速く完成できた。
これで俺が合掌を止めれば、それは完全に世界に出現する。
というわけで、俺は合掌を止めた。構築も完全にできた事だし。
途端、閃光と共にそれは姿を現した。
「グルルルルルルル」
輝く黄金色だった体毛は赤みを帯びた金色に変化し、カラスを思わせた二対の黒翼はニ回りも巨大化している。この二つの変化は俺が手を加えた結果で、そのせいで生前よりも迫力が増した、元ライオン型魔獣の姿がそこにはあった。
「ふむ、こいつは乗るよりも馬車ならぬ魔車を引かせた方がよさそうだな」
「そうで御座いますね。ではそちらのほうもささっと」
「……手伝おうとはしないのか?」
「適材適所というものです。私は前衛兼身の回りのお世話、カナメ様は様々な魔器神器機器の製造で御座います。私が手伝う事など、いえ手伝える事などありはしないのは明らかです」
「まあ、そうだけどな、せめてフリくらいしろよ」
はあ、とため息を一つ。
ポイズンリリーの言い分が正しいのは分かっているが、何となく吐きだしたくなった。
「っと、完成だな」
先ほど取りこんだ大樹とストックしていた鉱石を使ってライオンが引く魔車を精製、脳内構築から五秒で完了した。イメージ的にはドラゴンなクエストの幌馬車だ。それか最後のファンタジーのクリスタルなクロニクルの幌馬車といったところか。
所々は鉱石で補強・発展強化した幌馬車というのも、なかなか味があった。
ちなみにライオンは俺に忠実なように構築したので、俺が何も言わなくても幌馬車を牽引する拘束具がある先頭まで移動している。
それをポイズンリリーが手早く装着させ、俺達は幌馬車に乗り込んだ。
なぜか俺よりも先にポイズンリリーが乗り込んだ。
「……」
「そのように覇気が微塵も無い顔はお止めください。まるで浮浪者のように惨めですよ? クス……」
最早何も言うまいと心に決め、俺はごろりと寝転んだ。
無論寝る為に。
「街に着いたら起こせ」
「畏まりました」
久しぶりに殺し合いをしてすり減らされた精神を落ち着かせるのは寝るのが一番効率がいいし、疲れも相まって、体力回復の為にも休むべきだと判断した。
だがこのような危険極りない森で無防備に寝るなど馬鹿のする事に思えるかもしれないが、心配する事なかれ。
小心者である俺はこの幌馬車にありとあらゆる保護と防御装置を取り付けたので、俺が寝ても殺される心配は皆無に近い! 寧ろ襲ってきた輩が可哀そうになるくらいのエゲツナイ装置を取り付けている。恐らく肉片一つ残りはしないだろう。
恐ろしや恐ろしや、と思ってみたり。
しかし樹海の外に続く獣道は全然舗装されていないのだが、サスペンションの御蔭で揺れも殆ど無く、快適に寝られそうだった。次回の為に道を作ってみるのも悪くは無いかと思ったが、今はそれよりも早く寝たくなったので思考を止めた。
寝転んで数秒で意識に靄がかかり出した。想像以上に疲れていたようだ。
「私の前で寝るなんて……カナメ様は私に襲えと言っているのでしょうか?」
眠りに落ちる直前、とても不吉なフレーズが聞こえた気がしたが、俺は眠気に逆らえずにマドロミに落ちて行った。
ああ、何か間違いを犯してしまったのかもしれない……。
それでも俺は眠りを我慢することはできなかった。