第十七話 過去と少女と少年と現在
「長かったような……短かったような……しかし遂にはここまで辿り着いてしまったか」
「経過日数は十三日ですか……。機竜を使えば一時間と掛からない距離なのですが、まあ、それなりに楽しい旅でしたねカナメ様。さくさくと目的を完遂して、国に返って業務に戻りませんとどうなっているか……ギルベルトが居るとはいえ、やはり心配です」
俺とポイズンリリーは現在、国と国の境目――つまりは国境のすぐ手前まで到達していた。帆馬車に揺られながら此処まで来たので、俺は帆馬車の中で感慨に耽っていた。ポイズンリリーの無粋極まりない小言は全く聞こえない。
俺が造り育ててきた独立国家<アヴァロン>が存在する星屑の樹海で四日を過ごし、星屑の樹海に一番近い小国アルテアを二日で横断し、それから街道上に存在する温泉の街アグバウアなどに泊まったり無駄に厄介事に巻き込まれたりヴァイスブルグ皇国軍を蹴散らしたりと、色々あったこの十三日にも及ぶ旅の末に、俺はようやくたどり着いた。
そう、神光国家<オルブライト>に。
今代の勇者を継承魔術<召喚門>で呼び出し、魔界の王――魔王を打ち取り人間界の覇者にならんと目論む国。そして俺の今回の旅の終着点。
と言っても、まだ領地に脚を踏み入れんとする直前の国境前なので、勇者が居るであろうオルブライトを治める王族が住まう地、聖都には国境からあと三日程進まねばならないのだが……。
「カナメ様、今だ昼過ぎです。今から急げば二つ先の街まで行けるかもしれませんが、どうしますか?」
「ん~、そうだな。さっさと今代の勇者にあって話す時間を多めに取りたいし、ちょっとばかし急ぐか。八割増しくらいで」
ポイズンリリーの提案に俺もすぐさま賛成し、今までよりも早い速度で突き進む事となった。
これで聖都までの三日の工程が、一日ほど早まった事だろう。
ちなみに、簡単に一日早く到着できる、と言っているわけであるが、本来なら此処から聖都までは五日は掛かる距離だ。それが二日で済む。この三日という差から、ラーさんの膂力と速度プラス俺製帆馬車の機能の凄まじさを改めて感じてもらいたいものである。
ちなみに、流石に八割増しというのは冗談だ。
「グルルルル……」
「気合いだラーさん。お前を造り変えた俺を信じろッ!」
ここまでほぼ全力で駆けてきたラーさんが、主である俺による冗談混じりの八割増し宣言に若干不安げな唸り声を上げた。疲れてはいないようだが、流石に今の速度の八割増しで走るのには無理があると、自分の肉体の事だけに十分すぎるほど理解しているのだろう。
馬鹿みたいにある体力はともかくとして、速度をこの状態で現状より上げれないのは俺も重々承知の上である。帆馬車が幾ら高機動に耐えられる軽く丈夫な造りをしているとはいえ、ラーさんに対して負荷はどうしてもあるのだし。
だがあえて言おう、まったく問題ないと。
ラーさんはただの百獣の王ではなく――精確に言えば獣ではなく魔獣だが――、俺が造り直したスペシャルなライオンなのだから。
ふふふ、と不敵な笑みをつくってラーさんを不安にさせつつ、俺は手を伸ばせば届く距離で左右に揺れている、ラーさんの尻尾の先を軽く掴んだ。
掴んだ瞬間、カチリ、ととある兵器のスイッチが入った音が鳴る。
「ガルルルルルルッ!!」
するとラーさんの目がカッと見開かれ、瞳が怪しくも妖艶な紅色を輝かせる。
これこそがラーさんに追加された俺選兵器の一つ――<躍動する野生の魂>である。兵器の効果は装着者――今回はラーさん――の肉体性能をニ倍にする事。反動もリスクもない、優れモノである。
この兵器が起動した今、ラーさんの肉体性能は戦車の砲撃を受けてもモノともせず、ただ一薙ぎで屠れるレベルと思ってくれて問題ないだろう。
そしてラーさんがレベルアップした事により、これで全然問題なく走破できるようになった。
スピードもこれまでの二倍出せるのだから。
「さぁ、ラーさん! 君の真価を見せてくれ!」
「ガルッ!!」
あいよ合点ですぜ大将! と勝手に脳内変換したラーさんの唸り声を聞きながら、俺はすぐ傍に固定されているソファを掴んで踏ん張った。
途端襲ってくる加速の衝撃を何とか耐え忍び、速度が落ち着いた所でゆったりとソファに座り直す。
「カナメ様、この速度ならば後一日で到着できるかと」
「え、マジで?」
「はい」
ポイズンリリーの言葉は正直意外だった。
確かに帆馬車から見えている風景が高速で後ろに消え去っているが、そこまで時間が短縮されようとは。
いや、俺が冗談交じりで八割増しって言ったから、ラーさんは俺の冗談を真に受けてそれに添おうと、忠実に頑張っているのだろうか。
――頑張っているのだろう。
思わず優秀で健気な部下を嬉しく思い、俺は一人涙した。これは演技ではない。
「ラーさん、付いたらご褒美をやるから頑張ってくれ」
「ガルッ」
元気のいい返事が返ってきた。今の速度は間違いなく百二十キロを超えているが、ラーさんから全然余裕だという感じが伝わってくる。
――あれ? 何でこんなに余裕があるんだ?
ふと、そんな疑問が脳裏に走る。
<躍動する野生の魂>は肉体性能を二倍にするだけのはずだが、それでもこんなに元気で余裕たっぷりな返事は返ってこないはず……いや、まて、これって二倍以上向上してないか? と俺は小首を傾げ、俺が持つレアスキル<断定者>でラーさんの情報を読み取ってみた。
すぐさま脳裏にラーさんの様々な情報が表示される。感覚としては、パソコンを使って誰かのプロフィールを探して読むような感じだ。
「あ……間違えてる」
そこで、俺は初めて自分の間違いに気が付いた。
俺がラーさんを造った時に取り付けたのは肉体性能を二倍に増加させる<躍動する野生の魂>ではなく、肉体性能を三倍にする<躍動する野生の魂>の発展向上型兵器、<浸食する悪魔の心臓>だったのである。
ラーさんを造った時は命のやり取りを終えた後だったので、精神的に摩耗し疲れていた俺は、どうやらうっかりと間違った兵器を搭載してしまったようだ。
「……まあいいか、ってことでラーさんに命じる。更に二割増しで進軍すべし」
「ガルッ」
問題ない、と脳内で勝手に変換されたが、そう言うって事は間違いないだろう。
再び加速する帆馬車の中で、俺は何事も無かったようにラーさんの頑張りを温かい目で見守るのであった。
「カナメ様を見ていて時々、本当はただの馬鹿ではないのか、と思う時があります」
「誰しも間違いはあるが、いい方向に転がった間違いは貶すべきじゃないぞ、リリー」
毒舌で手厳しい秘書兼護衛役のポイズンリリーをそう諭し、俺はラーさんに与えるご褒美は何にしようかと思案に耽ろうとした。
しかし、それは強制的に途切れる。
空が、遠い遠い、遠すぎる昔に見た、青と白、黒と紅蓮という色の違いはあれど、同じまだら模様を晒していたからだ。
◆ ■ ◆
血に染まった砂塵が吹き荒ぶ。
燃える風が天へと舞い上がり、空を黒と紅蓮のまだら模様に染め上げた。
歪んだ空の下に広がるのは、瓦礫と炎と死体に溢れた紅の荒れ地。
「くくく……くはははははははははははははッ!! アハははははハハははハハははははハッ!!」
その中心で、少年は手にした剣を手放すことなく、狂ったように笑い声を上げた。
腹部からはボタボタと止めどなく血が垂れ流れ、笑う度に中身が零れそうになっているが、しかしそれでも尚少年は笑い続ける。
それから数秒後、ピタリと笑い声は止まった。
そして少年の意思とは関係なしに力を失った膝が、主を支え切る事ができなくなってバタリと地面に倒れ込んだ。
少年は素人目でも分かるように、致命傷を受けている。
身体を保護していた黒く金属の鎧以上に頑丈なコートは度重なる攻撃によって無残に破壊され、その意味をなしていない。剥き出しとなっている腹部は大きく切り裂かれ、倒れた衝撃によって中身が外に若干飛び出してしまっている。
闇のように黒い髪は埃と血に塗れて汚れ、微かに幼さの残るその顔は涙と血によって化粧が施されていた。
最早あと数分と経たずに、少年は死ぬ事だろう。
――だが、
「…………死ね、ない。……死んで、たまるかッ」
今だ少年は諦めていなかった。
少年は激痛を耐え、刻一刻と薄れていく意識の中で、両の掌を合わせた。
それから、ただ念じ、ただ空想し、想像する。
この死の極地から脱する為の秘薬を、自分の命を繋ぎ止める為の命の水を。
「…………還るんだ。……絶対に、還るんだ……ッ!」
だが言葉と共に、苦い味が口の中に広がっていく。
血と砂が混じった中で確かに存在する、死の味が。
死の恐怖に寒気が走りつつも、今まで発揮した事のないような集中力で、鬼気迫る形相で、少年は創造し続ける。
その時、倒れ伏した状態で、少年はすぐ近くに転がっていたモノを見てしまった。
短い間だったとはいえ、姉のように思った人の無残な死体を。
少年が生きてきた中で、一番愛おしいと思えた人の成れの果てを。
少年が自分で造った剣によって、初めて斬り殺した少女の死に顔を。
活発で太陽のようだった少女の生気が跡形も無く消え失せた、虚ろな赤い瞳を見た時、倒れ伏した少年の中で、大切な何かが跡形も無く消失したような錯覚がした。
正気に戻った今、少年にはこの事実が何よりも重かったのだ。
少年には、そんな思いを抱く権利さえないというのに。
「――ッツ! ――うああああああああああああああッ!!」
少年の絶叫が荒れ地に響いた。
そしてそれと呼応するかのように、重ね合わせていた掌の隙間から目が眩む閃光が漏れ出す。
漏れ出す閃光は、少年が死の淵で創造していたものが、この世に産み落とされた事を知らせる光。
少年は最後の力を振り絞り、掌に感じる微かな重さの作品を手に取った。
手に取ったのは三角フラスコに近い形をした瓶で、蓋はない。
微かにチャプチャプと水の音がするので瓶の中には何か液体が入っているのだろうが、最早視界がぼやけてしまっている少年にはその液体が何かを判別する事は不可能だった。
だけれど、使い道は分かっている。分からないはずが、なかった。
刻一刻と薄れていく意識の中で生きる術を手にした少年は、ただ、無我夢中で瓶の中に入っている液体を口にした。
生きたいがために、口にした。
「――ッツ、アアッガ!」
飲んだ途端、朦朧として痛みさえも曖昧になってきていた少年の口から、痛みに耐える小さな悲鳴が上がった。
全身が燃えるような錯覚に襲われた少年はしかし、その場でのたうち回る事もできないため、歯を砕かんばかりに喰いしばる。
口からは血が零れ出し、砕けた白い破片が地面に転がった。
痛みというよりも、身が焦げるような熱がどれだけ続いたかは少年には分からなかったが、身体の奥底から生じる熱によって気絶する事もできない生き地獄はしばらくの間続いた。
まるで少年の罪を咎めるかのように。
そしてその後、ようやく身を焦がすような熱が引いてから、少年は眠るようにして意識を失った。
意識が途切れる直前に見たのは、少年が初めて殺した少女の死に顔と、無造作に転がされた瓦礫の山と、灼熱の輝き、それから黒と紅蓮のまだら模様に染め上がった空だった。
◆ ■ ◆
(あれからもう、五百年……か)
遠い遠い、遠すぎる思い出を振り返り、俺は特に感慨に耽るでもなく、ボーッと、あの日と色違いの空を見上げ続ける。
それから太陽が沈んで夜に変わるまでの数時間の間、俺はあの日と同じ空を見ながら、一人話し続けた。
声に出さず、心の中でだが。
(俺があの時、今ぐらい強かったら、もっとマシな未来があったのかもな……お前はどう思うよ、リリティア)
返ってくるはずのない返事を期待している事に気が付いて、馬鹿馬鹿しいと自嘲気味に笑った。
それから、改めて実感した。
自分が初めて殺した彼女の事は、他の記憶が摩耗し削れていったとしても、けして忘れる事はできないだろう、と。
(まあ今更意味のない、“もしも”の話しなんてしてる俺を見れば、お前は笑いながら俺を罵倒してついでにゲンコツでもプレゼントしてきそうだな)
「先ほどから黙って何をニタニタしているのですが気持ち悪い。もう直ぐ街に着くんですから、妄想に勤しむのはお止めください。部下として恥ずかしいです」
人が折角雰囲気に浸っていたというのに、横から無粋極まりない声が乱入してきた。
当然、誰が乱入してきたかなんて分かり切っている。今現在帆馬車の中には俺を除いて、ポイズンリリーしかいないのだから、犯人は必然的にポイズンリリーただ一人のみ。
「お前は少し、空気を読めと言いたい!」
折角の初シリアスが台無しである。
「はっ。寝言は寝て言うのが常識ですよカナメ様。というか、ほら、もう街に着いたのですからさっさと降りてください。ラーさんを預ける交渉は、それなりに面倒なのですから余計な事で煩わせないで下さい。
それともなんですか? カナメ様が交渉してくれるとでも? 言っておきますが、意外と丸めこむのは面倒ですよ?」
「や、そんなことを言っている訳じゃ……」
ラーさんを街の中に入れるのは、東に行けば行くほど困難になっていくのはカナメも重々承知している事だった。
魔獣が世界一多く住んでいる<星屑の樹海>に一番近い牙壁都市<メサイティウス>では苦も無くラーさんを連れ込めたものの、それから東に進むにつれて、そう簡単に行かないのが現状だ。
単純に、魔獣を飼い馴らすという考えが人間の間では少数派だからだ。
魔獣=忌避すべき生き物、という考えがあるため、簡単に調教できる馬などが主流なこの人間界。
無論大きな傭兵団では魔獣――ラーさんのように高位ではなく、下位の魔獣ではあるが――を使っているモノの、その場合は大抵、暴れても被害が周囲に広がりにくい街の外で街を警備している人間が預かるのが通例となっている。
だが、ラーさんが俺からあまり離れたがらないのでそうもいかない。寧ろ離した方が被害が出るくらいだ。
その為ラーさんを街に入れるように交渉しているのだが、話しからも分かる通り簡単な事じゃない。
そうだな、イメージ的には、街という家に、鎖に繋がれてないライオンを入れるような様子を想像してくれればいい。
俺達がしているのはそういう事だ。
そりゃマトモな精神構造と、狭い常識に捕われた人間にラーさんを街に入れさせる交渉を通すのには、面倒極まりない事である。
だから俺は全てポイズンリリーに任せきりにしているのだが、このまま行けば俺が面倒な交渉をせねばならん事になる。それは避けたい。
無論交渉を押し通す事ができないからしたくない、という事ではない。百年も生きていない小童の人心掌握など、俺からすれば造作も無い事だ。
それでも避けたいのは、ただ単純に面倒だからしたくないのだ。
「分かった、分かった俺が悪かった。降りるから、ラーさんの事は任せるぞ」
「畏まりました」
返事だけは本当にいいポイズンリリーに若干頭を抱えたが、まあ、今日くらいはいいかと思い直した。
今日はそんな気分なのだ。
(まったく、お前は何時まで経ってもどんなになっても変わらないな)
「何か仰いましたか?」
「いや、何も」
ポイズンリリーの追及を回避すべく帆馬車から降りた俺は、空に輝く星に気が付いた。
俺は星が好きだ。
夜空を装飾する天然の芸術品、雲のない日だけに見られる絶対に手に入らない宝石だと思うから。
ただ、リリティアの好きだった星座が見えない事だけは、少し残念に思った。
「ペルセウス座が見えないのは、少々残念ですねカナメ様」
再びポイズンリリーの声が思考に割り込んできたが、今度は気になる事は無く、俺も同意していた。
「そうだな……」
そう返事して、俺達は今日泊まる宿を求め、聖地にほど近い場所にあるだけに今まで通ってきた幾つかの街の中でも最大級の大きさを誇る街に踏み込んだのであった。