第十四話 神に愛されし少女の苦難と力の片鱗
美しい旋律のように鳴り響く神の声が、私にそっと囁きかける。
神の声の響きは実に独特で、初めて聞いた時には讃美歌を歌っているような錯覚を覚えた事は記憶に新しい。しかし何よりも驚いたのは、私だけしか聞こえないこの神の声が、本当に様々な事を教えてくれる事だった。
“右後方カラ危険ガセマッテイルヨ”
“距離ハマダ十分余裕ガアルヨ”
“悪意ニ満チタ視線ガアルヨ”
“君ヲ利用シヨウト見テイル奴等ガイルヨ”
――と。
これが私だけにしか聞こえない“唯一なる神の声”。
この世界に堕ちてきて目覚めた、私だけが持つ固有スキルの一つ。
私が神の声の警告を訊き続ける限り、誰一人として私に傷を負わす事はできない。この声は起こりえる全ての事象の宣告。他者から零れ出る本心の声の復唱。未来予知とも言える絶対的な神の声なのだから。
神の声を聞こえない者が、私に届く事はあり得ない。
「キシャアアアアアアアアッ!」
私の死角――右斜め後方から、私をその毒牙で引き裂かんと飛びかかってくる一体の魔獣が存在する。
敵の名前は<狒々蛇百足>。
アルテェルムの姿を簡単に表現すると、ムカデをベースにした合成魔獣、という言葉がイメージ的に一番似合うのではないだろうか。
混ざりあっている生き物は、分かるだけでも猿、ムカデ、人間の女性、大蛇の計四種類。
猿の顔の下に上半身裸の女性の体があり、腰から下が太い長い大蛇を彷彿とさせるヌメリ気のある胴体。大蛇に似た胴体の側面からは緑色の鱗が生えた人の腕のような脚が左右一対で約五十組程も生え、その腕を高速で動かす事で素早く移動している。
その動きは気持ちが悪い、の一言に尽きるというモノ。
そして全長は八メートルを軽く超え、緑色の鱗から滲み出るヌルヌルとした分泌液は強酸性。それにより地面には酸で溶かされた跡が幾つもあって、遠くの方ではアルテェルムをココまで運んだ鋼鉄製の檻の残骸が僅かばかりにある。
酸は意識的に分泌されるものらしく、此処に着いた瞬間目覚めたアルテェルムが溶かしてしまったのだ。
それから種族全体の魔獣ランクは七段階ある内の上から二番目にあたるロ級に分類されながら、この個体は時を重ね幾度もの脱皮を繰り返して力を蓄えたが故に、一つ上のイ級に達している高位魔獣の一体だという話である。
例え人間が大軍団で攻め立てようとも、損害度外視で当たってようやく倒せるかもしれない、というレベルの怪物。いや、怪物というよりも天災に近い存在だ。本来なら、断固回避すべき災厄。
このアルテェルムを捕獲する際、とある凄腕の傭兵を高額で雇って持ってこさせたらしいが、何も訓練でここまでの相手を用意させる必要はないのではないか、と思わずにはいられない。もし私がアルテェルムを倒す事ができなかった場合、まず間違いなくこの国は落ちる。
災害を自ら引き込むなんて、アルテェルムを私の特訓相手に選んだ国王は気が狂っているのではないだろうか? と思うのも仕方のない事ではないだろうか。
それに事実、国王は狂っていた。これは神の声を聞けるようになって、すぐに分かった事だった。
神の声によると、国王は異界から強制的にこんな世界に召喚した私を勇者と称え、その勇者を先兵に土地資源豊かな魔界を征服し、それから十分に力を蓄えてこの世界で最も文化が発達し、鉄壁の守りを誇る難攻不落の独立国家<アヴァロン>を攻めて手中に収めるつもりなのだそうだ。
更に詳しく声が教えてくれた限りでは、アヴァロンはこの世界――人間界魔界問わず――を牛耳っている国なのだとか。
アヴァロンは異様なまでに突出した魔学技術を誇り、本来なら相容れない人間と魔族が種族関係なく共生し、多くの優秀な人材を各国に輩出するばかりでなく、大昔から各国に浸透している傭兵業斡旋施設を隠れ蓑に国を形作る民衆の生活の深部にまで根を生やし、その気になれば国々の経済さえ自在に操れるのだそうだ。
だから国王は、アヴァロンという国家を吸収し、この国を――神光国家<オルブライト>を世界の覇者とする、という幻想に取りつかれている。まるで世界征服を夢見る少年だ。
この事を知った時、どれほど自制した事か、理解してほしい。
私は貴方の道具じゃないと、城ごと斬り捨てようかと思ったほどだ。
そのせいで最近はストレスが溜まり気味で……。
だからこのまま逃げて、この国が滅びるのを見るのもいいかもしれないと思う黒い私が居る。でも、黒い私を白い私が心の奥底に閉じ込めた。
友達になったフェルメリアや他の人たちが死ぬ所を見るのは嫌だと思えるようになれたし、帰る為にはどうしてもこの国の協力が必要――私では帰る方法が分からないから――になる。だから、この国はまだ滅びてもらっては困る。
そうなると、私はアルテェルムを殺すしか無くなり、残念ながら、私がアルテェルムに負けるなんて事はあり得ない。
私にとっては――今の化物のような私にとっては、路傍の石を蹴るかのように命を狩れる儚い生き物でしかないのだ。
勿論、精神的には生き物を殺したくない、という本音はある。
ある程度の大きさがある生き物を自分の手で殺すという事に、私は慣れていない。堕ちてきてから今日まで数度訓練のために捕獲されてきた魔獣を殺したけれど、これだけは、生き物を殺すという事だけは、慣れてはいけないものだと思う。
殺す事になれてしまっては、私は心身共に本当の化物になってしまうから……。
だが今は、嫌だけど、本当に嫌だけれど、殺さねばならない。私が生き残る道は、既にそれしかないから。
そうしないと、私が殺されるだけだから。
だから私は私に暗示をかける。繰り返し繰り返し、自らの精神を嘘で重ねて塗り潰す。
『私は、ただの機械。決められた事を行う機械でしか無い』
『決められた事を――敵を殺す事が当たり前なんだ』
『だから殺せ、殺せ、殺せ』
『躊躇うな躊躇うな躊躇うな……こんな所で躊躇ってはいけない』
『ただ、帰りたい……皆の所に、必ず帰ろう』
幾度も幾度も暗示を重ね、私の中でカチリ、と意識が変化した感覚がした。身体の震えは止まらないし、命を奪いたくは無い。
ただ、それでも私の覚悟は決まった。
命を背負う覚悟だけは、できた。と、思いこむ。
「ごめんなさい……それから、さようなら」
今から命を奪う相手に対して、私はそんな事を呟いた。これが自己満足以外の何物でもないという事は理解している。それでも、言ってしまう。
手にしたエクスカリバーの黄金の柄を、今一度力強く握り締めた。
直後、私が取った行動は実にシンプルだった。
振り返り、手にしたエクスカリバーの黄金の刃に溢れるほどある魔力を纏わせ、それにとあるイメージを付加させる。そしてそのまま、アルテェルムの肉体にエクスカリバーを振り落とした。
早い話が振り返って剣を振り落とす、という誰でもできる動作でしかない。
ただし、
それら一連の行動を、私は音速の三倍で行った。
ドチュンッ! という凄まじい轟音が炸裂した。
音が聞こえた時には、アルテェルムの重要な器官が集まっている人間の女性に酷似していた上半身部はあっさりと押し潰れていて、地面は余波を喰らって三メートル程の範囲が円状に陥没している。深さは四十センチほどで、穴の中には真っ赤な何かに満ちていたが、それもすぐに地面に吸われて水気が薄れていった。
陥没した地面のすぐ横では、私の一撃で潰れなかったアルテェルムの胴体がビチビチと跳ねて、先ほどまで生きていた事を周囲に知らせている。しかしそれも微かな間だけで、すぐに動く事を止めてしまった。
血に濡れた地面に転がる五メートル程の肉という有り様は、どこかシュールだった。
それを見下ろしながら、私は一人、日々怪物のようになっていく自分の境遇を呪った。それから自分で自分の肩を抱きしめて、微かに震える身体を押さえつける。
この震えはアルテェルムを殺したからでは、ない。命を背負う覚悟だけは、決まっている。
ならなぜ震えるのか、恐怖するのか。
本音を漏れせば、私は私が怖い。
凄く、怖い。
嫌だ、帰りたい、と今でも思うし、夜になると泣く事だってある。
けれど、ここで頑張るしか私が帰る道は無いのだ。帰るためには、こうやって自分の身は自分で守るだけ、強くならなくちゃいけない。
一刻も早く帰るには、そうするしかないのだから。
頬に付いた返り血を手の甲で拭いながら、私は蒼穹を見上げた。
数秒間だけ蒼穹を見上げ、自分に気合を入れる為に頬をパチンと叩いた。
それから先ほどアルテェルムの胴体を“斬る”のではなく“押し潰した”瞬間を振り返り、実戦で初めて使った魔力制御の考察を行った。
少しは前向きになろうと、思ったからだ。
「魔力の槌はイメージ通りにできた……次は、大きな剣、かな」
そう呟くと、脳裏に数日前の出来事が過った。
◆ ■ ◆
『セツナ、今から魔力の指向制御訓練をするわよ。大丈夫、私が一から教えてあげるから、すぐに魔力を扱えるようになるわ』
とフェルメリアに言われたのが、百着ものドレスを朝から試着し続け、結局予定していた時間よりも一時間以上経過して出向いたパーティーがあった翌日の事になる。
正確に言えば、今から三日程前の事。この世界に召喚されて、十日が過ぎた日の事だった。
『魔力の指向制御? 何故いきなりそんな事を?』
私はフェルメリアにそう訊き返した。
『貴方が無造作に巻き散らかす波の被害が、そろそろ収拾がつかないまでに大きくなっているからよ』
その言葉に、なるほどと納得する。
私が日々訓練というか、エクスカリバーを振り続けている錬鉄場は当初と比べて明らかに荒れていた。私が立つ場所を中心に地面が捲れて土が掘り返されているし、遠くにあった木箱なども度重なる波の影響で殆ど壊れていたりする。それに最近では、城壁も何かギシギシと不気味な音を微かに立てているようだったし……。
だからこのままではこの場所自体が壊れてしまうとでも思ったのだろうか。
たぶん、この考えは間違っていないと思う。
特に反論する要素が無かったので、渋々ながら、私はフェルメリアの教えのもとで魔力の制御方法を特訓する事になった。
これでまた自分が変わっていくのかと思うと、怖く思わなかったと言えば嘘になる。けれど、これも全ては私が元居た次元に戻る為の足がかりだと我慢した。
『いい、セツナ。魔力とは、生きているモノが……いいえ、この世界の万物が持つ特別な力なのですわ。魔力はそこらに転がっている石にも宿っていますし、貴方の手にしている宝剣にも宿っている。木々にも大地にも大気にも生物にも全てが全て、魔力を内包している。魔力の保有量の違いはあれど、魔力を持っている事に例外はあり得ませんわ。
そして魔力を原材料に発現する魔術とは、人間が編み出した至高の業ですの。この世界の神秘を紐解き、調べ、手懐け、変革し、広めた偉大なる御技。それを最も上手く操れるわたくしのような魔術師は世界を統べるに相応しい存在と言えるのではないでしょうか? ええ、もちろんセツナのように――――』
特訓の始まりに延々とこんな説明が入り、魔力とは魔術とは世界とは魔術師は凄いだと説明されたのだけれど、私はほんの少ししか理解できなかった。とりあえず、魔力は自分の身体の一部なのだから、一度感覚が掴めれば操るのは容易いという事と、フェルメリアが魔術師至上主義者だと言う事はキッチリと理解した。
それから説明の後は実技に移ったのだけれど、意外と言うかやっぱりというか、あっさりとできたとだけは言っておこうかな。というよりも、感覚だけは把握していて、説明されて初めてこれが魔力なのだと理解する事ができた、というほうが正しいとは思うのだけれど。
『自分の中にある魔力を感じる事から始めましょう』
『フェルメリア……魔力って、これ、だよね?』
元居た世界では感じなかった感覚を、私は堕ちて来たあの日からずっと感じていた。例えるなら、自分の中に新しい臓器がもう一つ追加されたような感じ、異物感と言ってもいいかもしれない。
心臓周辺から溢れだし、螺旋状に全身を駆け巡る温かく不思議な何かが、私の魔力なのだ。
今まではそれが何なのか分からなかったから放置していただけで、魔力の存在だけは私は初めから分かっていたらしい。
ただそれが何か理解していなかっただけで。
『素晴らしいですわセツナ! 流石ですわね、勇者というモノは。では、次のレッスンですわ。魔力とは自己の一部、腕や足のように自由自在に動かせるモノですの。魔力の操作が少し違うだけで魔術の効率化が変わったり、威力が変わったりしますので、魔力の操作は魔術師にとって基本にして奥義とっても過言ではない技術ですの。
本来なら魔力単体ではあまり意味が無いのですが、セツナ程の魔力があれば、それ単体で物質に干渉できるかもしれませんわね』
まあ、もしかしたらですが、とフェルメリアは付けたした。
そしてフェルメリアの言っていた事は、現実となってしまった。
私の規格外の魔力はそれ単体で物質に干渉できるらしく、エクスカリバーに魔力を集中させれば巨大な刃にも、巨大な槌にだってできるようになったのだ。アルテェルムの胴体を潰したのも、槌状に魔力の塊を形成したからにほかならない。
しかも魔術に変換された魔力ならともかく、何の変換もされていない魔力は普通見る事ができない。
無色透明で、敏感な人だけが何となくそこにあるような、ないような、と小首を傾げ違和感を覚える程度にしか感じられないモノなのだ。
それにより私は、実と虚がおり混ざった攻撃ができるようになった。
この変化は戦いという場では凄く役に立つというのは、言うまでも無い。
武器によって防御方法が変わるのは当然で、私はそれを欺けるのだから。
斬ると見せかけて潰す、かと見せかけて斬る事だってできる。
だから私の攻撃は、殆ど防がれるという事が無い。
でもそんなモノは、本当は些細な事なのだ。こんなモノに、私が怖いと思っているのではない。
私が恐れているのは、他ならない、私自身の肉体なのだから。
◆ ■ ◆
アルテェルムを屠った一撃を思い浮かべ、次の訓練ではどんな事を試そうかと何とか前向きに考えているそんな時だった。
神の声が、私だけに聞こえる神の声が響いたのは。
“来ルヨ来ルヨ”
“欲ニ捕ワレタ豚ガ来ルヨ”
“利用シヨウト思ッテル奴ガ来ルヨ”
声の警告に従って顔を上げて周囲を見る。
現在私が立っているのは、特殊な黒石を大量に使用した石壁に包囲されている円形闘技場の中心だ。闘技場の地面は土だけと簡素なもので、周囲を囲む石壁は五メートル程の高さがある。
そして闘技場であるが故に、壁の向こうには段差がある観客席がズラリと並んでいる。背もたれなどといったモノはなく、ただ長椅子が幾つも並んでいるだけだ。イメージとしてはローマのコロッセウムが一番近い。
そして観客席の中に、一際豪勢な一画が存在した。
そこには直射日光を避ける為の屋根が取り付けられ、闘技場全体が良く見渡せるように工夫が施されている。椅子には背もたれと長時間座りっぱなしでもいいようにクッションが取り付けられ、椅子のすぐ横に設置された机には果実や冷たい飲み物が置かれていた。そこは王族や一部の貴族が闘技場を見学する時に使う、特別な場所。
そして今、そこから私を見降ろしているのは、数名の王族貴族と護衛の聖典騎士達三十名。
国王を中心に、フェルメリアが座っている左手に軍関係の貴族が、王妃が座る右手に政治関係の貴族が座っている形である。
「ほほほほほ、流石勇者様といったところですな! 一体何が起こったのかワシには全く見えませんでしたぞ。それにあの凶悪な魔獣を意図も容易く殺してしまうとは、素晴らしいの一言に尽きまするな!」
そこから一人が、闘技場の隅々にまで聞こえる大声を上げた。興奮を隠しきれないというような声音ではあるのだけれど、それが演技であると私には分かる。
何時ものように、神の声が教えてくれるのだ。
演技をしているのは髪の毛が薄く、腹はでっぷりと前に突き出ている老人だった。指には煌びやかな宝石があしらわれた指輪が嵌められ、老人の財力を誇示している。一見するとただの成り金のような見た目なのだが、立ち居振る舞いは洗練された高貴さがある。
名前は何と言ったか忘れたけれど、一応、五大公爵家の当主の一人で主に経済面を担当している人だったような、そうじゃないような……。
どうやらどうでもいい事なので、忘れてしまっているらしい。
「そんな大したことではありません。私はただ、自分が成すべき事をしただけですから」
「またまたご謙遜を。それよりも、魔王討伐の旅に行く前に私の部下に指南してはくれませんかな? 勇者様から直接教えを越えるという機会など、人生に一度あるかないかというもの。ぜひお願いしたい」
にこにこと微笑んでくる老人は、しかし別の思惑があるという事を私は知っている。声が、絶え間なく教えてくれるからだ。
断ろう。老人が喋り出す前から、私の心はそう決まっていた。
「ティクテリア翁、勇者様から手ほどきを受けたいのは寧ろ我ら軍のほうですぞ。それを我慢しているのだから、翁も我慢して貰いたい。まあ、この国の為を思うなら、ですが……」
私が声を出す前に、老人とは反対側に立っていた男性がそう言ってくれた。
先ほどの老人とは違い、今度は誰であるかハッキリと覚えている人だ。
大柄の白人男性で、整った貌の彫りは深く、肩幅が広い。くすんだ銀色の長髪を後ろでたばね、口ひげとあごひげを短くたくわえている。
彼の名前はブリトロオス・ラファニエル・ヴァルシアン・ハイドランジア。
この国の軍を総括する将軍であると同時に、五大公爵家が一つ、ハイドランジア公爵家の当主である。卓越した戦技の持ち主で、召喚された当初は少しだけ剣術について手解きして貰った事がある男性だ。
ちなみに、私は彼の事を将軍と呼んでいる。
「その言い方は、私がまるで国の事を思っていないように聞こえるが、聞き違いかのう?」
将軍のどこか棘のある言葉に、老人――ティクテリアというらしい――は顔を赤らめて言い返した。
「ティクテリア翁が私の言い方でそう感じたというのなら、心のどこかではそんな考えがあるのかもしれませんな。まあ、そんな事は無いと思いますが」
「無論だ! 私はこの国を第一に考えているとも!」
「ならば、勇者セツナから指導していただくという事は我慢してほしい。彼女のこれから出向く先は熾烈を極める戦場。無用な事に気を取られれば、途中で倒れてしまうかもしれませんからな。そうなれば、この国の将来はどうなることか?
賢人と知られるティクテリア翁ならば、分かりまするな?」
「――ッ! ……了承した」
忌々しそうに将軍を睨んで、それだけ言うと老人が黙りこんだ。
将軍はなんでもないようにさらりとその視線を受け流し、セツナの方に視線を向ける。
とても優しく、慈しみに満ちた目だ。
日々成長していく愛娘を見る父親、という表現が一番近いのではないだうか。
「流石勇者セツナですな。まさかあの狒々蛇百足をただの一撃で殺してしますとは……これほどの武なれば、魔界から生きて帰る可能性は十分すぎるほどありましょう」
「とても素晴らしかったわ、セツナ!」
将軍がセツナを褒め称えると、将軍のすぐ横で腰掛けていた王女フェルメリアが向日葵の笑顔で称賛の声を上げる。それから二人はセツナに向けて拍手を送り、それを切っ掛けにして、周囲の王族貴族や聖典騎士達も拍手を送った。
割れんばかりの拍手だ。口笛を鳴らす騎士さえいる。それほど先ほどの光景は素晴らしく、圧倒的で、何よりも凄まじかった。
驚嘆の拍手を受け続ける間、セツナは軽く頭を下げてその場に佇む。
そして観客席の中央に設置された、一際豪奢な椅子に座っている国王オファニエルが手を軽く掲げると、一瞬で拍手は止み、国王の言葉を拝聴する為に雑音が消えた。
「真の勇者とは角も圧倒的なものか、万の言葉を尽くした所で表しきれるものではない。過去の勇者も素晴らしかったのであろうが、ただ私は此度の光景を見て確信した。我が国の未来の繁栄は勇者セツナによって約束されるだろう。過去の勇者よりも偉大なる功績を残す事によって。大いに期待しているぞ、勇者セツナ」
「畏まりました、オファニエル国王閣下」
うやうやしく頭を垂れてからセツナは背を向けて、足早に闘技場を後にした。
「――――何が未来だ。ふざけないでよ……ふざけないで……」
闘技場から姿を消す間際、セツナは耐えきれなくなってそう吐き捨てた。心の奥底で沈殿している怒りと憎しみと憤りに満ちた声は、誰にも聞かれる事無く溶けて消え去っていく。