第十三話 温泉の街と魅了する毒の美女 後編
「……は?」
呆けた顔を見せる彼女――サラヴィラにカナメは思わず苦笑いを見せた。
「繰り返すけど、最初から説明するから、落ち着いて聞いて、暴れないように」
カナメはそう前置き、どうしてこんな状況になったのかを説明し出した。
とある目的があって旅をしている途中、ココまで来たんだから道なりにある有名な温泉の街<アグバウア>で宿でも取ろうかと向かっている最中、街道で襲撃者――詳しく言えばヴァイスブルグ反乱軍<正当なる秩序>だが――に襲われている馬車を発見、馬車の外装から相当な身分の人間が入っていると推測し、助けた場合のあれやこれやと様々な打算により、襲われている馬車を助ける事となった。
だが、流石に何故自分達が死んだかさえ理解できないだろう襲撃者の事を思うと、何となく不憫に感じてしまった。人が死ぬ時は、せめてどんな理由で死ぬか知っておくべきだと思うからだ。というか一定の条件を満たしていない抹殺対象外なので、元から殺すという選択肢がなかったというほうが正しいだろう。
その為非致死性の攻撃を遠くから仕掛ける事にし、その攻撃は知っての通り見事成功。襲撃者全員はゴム弾を頭部に撃ち込まれ、当たった時の痛烈な衝撃と同時に迸った高圧電流によって気絶した。
脅威を無力化するのは十数秒もあれば事足りたのである。
――さて、本題は此処からだ。
馬車の中で怯えているだろう要人と対面する為に馬車の扉を開けると、何と中に居たのは予想に反して二人の男で、彼らは凄腕の傭兵だった。
傭兵は助けた筈の此方を襲ってきた――アチラとしては助けられたとは思っていないようだが――ので、てんやわんやあった末に屈服させる事に成功し、対話という交渉のテーブルにつくこととなった。
彼らの話を聞くと、どうやらヴァイスブルグ皇国の上層部から極秘の依頼を受け、本来ならこの馬車に乗る予定だった人物と入れ替わりで乗っていたらしい。
その内容は流れから分かると思うが、馬車の襲撃者――つまりは<正当なる秩序>を皆殺しにして欲しいとの事。その後は亡骸を皇都ヴェルメルニアに持ち帰り、依頼は完遂となる。
もしあのまま自分が君達を気絶させていなかったら間違いなく殺されていただろうね、と簡潔にカナメは経緯を述べた。ついでに「死体を持ちかえるように言われていたのは、見せしめに使う予定だったんだろう」と補足した。
その説明にいまいち信用ができないとサラヴィラは無言の訴えを送ると、カナメは「ならちょっと待ってろ」と言い残して帆馬車の外に出ていった。
それから数秒後、言葉通りすぐにカナメは戻ってきた。だがカナメ一人ではない。その隣に、もう一人見た事の無い男の姿がある。
細く猛禽類を思わせる鋭い眼光に、ほっそりとした端正な顔立ち。冷たい氷で出来た鋭利な剣のような雰囲気を纏い、初見では気安く話しかけにくいタイプ。無骨な金属製の鎧を着込み、腰には先端がふっくらとした奇妙な剣形の細剣を差した長身の男だ。
その姿を見て、サラヴィラはすぐに彼が何者なのか分かった。
――傭兵だ。
それも相当腕の経つ傭兵。最高位の金か、それに近いか実力は絶対に持っている古強者。
サラヴィラが一つだけ持つレアスキル<測定者>がそう教えてくれた。
しかしサーチャーはつい先日獲得したばかりなので人物の深い部分までは読み取れる事ができず、傭兵、強い、二五歳などといった程度しか分からなかった。だが、それでも、カナメが言っていた傭兵の一人は彼なのだと理解できた。
――なるほど、確かに彼が相手では私達では抗えない。それに、逃げる事も出来なかったでしょうね。
サラヴィラはゴクリ、と溢れて来た唾を飲み込んだ。
じわじわと滲み出て来た冷や汗が、頬を伝って顎まで達し、そのまま重力に引かれて床に落ちた。普段なら不快感から汗を拭っている所だが、サラヴィラは少しも身動ぎせずに傭兵の動向に注視している。
彼の仕事はサラヴィラ達を殺す事だと聞いているのだ。
いまだにカナメの言う事を信じ切ってはいないサラヴィラは、カナメ自身にも油断しておらず、油断するはずが無い。もしやこのまま殺されてしまうのではない? といった不安が心の中からじわじわと滲み出てくる。
不安というものは際限が無いから厄介だ。
サラヴィラは様々な不安に焦がされている。
このまま衣服を剥がれて、目の前の男達のいいようにされるのではないか?
もしかしたらバジル達の目の前で辱め、私の精神をズタズタにする気かもしれない。
それとも、実は二人はグルで、自分達を生きたまま連行しているのではないか?
心臓の鼓動が激し過ぎて、このまま破裂してしまうのではないか。
といった、実に様々な不安だ。その中でも一番最悪なのは、連行されているかもしれないという不安だった。勿論犯されるというのも断固として断わるが、生きたままあのような暴君に差し出されるというのは、もっと最悪だ。何をされるか分かったものではない。
そんな不安をサラヴィラが抱えていると言うのに――。
「サラヴィラ、彼が本来なら君達を殺していた死神だ」
「カナメ殿、本当の事だから否定はしないが、もう少し言い方と言うモノがあると思うんだが?」
「黙ってなさい。お前は黙って肯定してればいいんです。了解?」
「――了解した」
それなのに、何なのだろうかこの緊張感がないやり取りは。
もしこのままこんなふざけた奴に殺されたら、死んでも死にきれない。殺されるくらいなら、いっそ手傷を加えて死んでやる。小さな魔術の火でも、眼に喰らえば一溜まりもないはずだ。
そう本心から思っていたサラヴィラに対して、カナメは再び苦笑いを向けた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だって。コイツ等は俺に負けた時点で依頼は失敗しているから、わざわざ金に成らない殺しはしない。まあ、手を出したら俺がコイツを殺すって脅しているわけだが」
「あれが……脅しで済むものですかね? 絶対に命令だと思いますが……っと、そんなに恐がらないで下さい。私達はもう依頼は諦めましたから、今さら無駄な事はしませんよ。それにカナメ殿と敵対するなんて、ゾッとする」
「は、はあ……」
予想に反してフレンドリーな長身の男の言葉に、サラヴィラは気の抜けた声を返した。
それでも警戒しているサラヴィラに長身の男は苦笑いを見せ、カナメに向き直した。
「さて、カナメ殿。これで最早我々の用は済んだと思うのだが、失礼してもいいかな?」
「そうだな、サラヴィラが俺の言っている事信じてくれると頷いてくれたら、用は終わりだけど……どうだ、サラヴィラ? 俺の言う事を信じてくれるか?」
じっと自分を見つめるカナメの視線に押されて、サラヴィラはゆっくりと頷いた。
それを見て、よかった、これで解放される……と長身の男が安堵の息を吐く。
心底よかったと顔を綻ばす姿に、無意識の内にサラヴィラはくすりと笑っていた。
そしてサラヴィラが笑った瞬間、新たなる人物が帆馬車の中に飛び込んできた。いや、人物と言うよりも、飛び込んできたのは黒いハイヒールを履いた綺麗な足だった。
「とーう」
「ごはっ!」
気の抜けるような声と共にハイヒールの踵がカナメの腰椎に蹴り込まれた。
ほぼ水平に近い角度で速度の乗った一撃だ。腰に痛烈なる一撃を貰い、カナメの上半身は大きく仰け反りながら声を吐きだした。
見た目通り相当重い一撃のようで、うっすらと紅い血のようなモノがカナメの口から飛び出してしまっている。
あれはもしかしたら、刺さっているかもしれない。
「ナンパとはいい御身分ですねカナメ様。従順なる下僕の私が隣で座るむさ苦しい男の体臭に耐え忍び、せっせとラーさんの舵を取っていたというのに、主であるカナメ様はそんな私を労う所か存在そのものを忘れ去っているというのは、どういう事かと」
うつ伏せに倒れ伏したカナメの後方で、美しい女性が荒々しい声とは裏腹に無表情で一括した。
言うまでも無く、ポイズンリリー嬢である。ちなみにラーさんとはライオンさんの事である。
「ちょ……リリー。これは……やりすぎだ」
「何を言いますかカナメ様。高々数センチの穴が腰に出来たくらいで弱音など、不死身のカナメ様には大した事などないはずですが?」
「いや……これ、腰椎貫通して寧ろ砕いてる……から」
「それでも大丈夫です。痛みとはつまり生きている証拠ですから。それにカナメ様ならその程度の傷、五秒もあれば回復できる範疇です」
「その五秒が……永遠なんだ……」
それだけを言い残し、カナメは動くのを止めた。あと数秒後に迎える完治を動かずに迎えるつもりなのだ。
カナメの腰に穿たれた傷口が、目に見える速さで修復していく。
程なくして、穴は綺麗さっぱり無くなった。
「あ~、久しぶりに効いたわ」
「……カナメ殿、一つ質問だが、首を斬られてもなんともなさそうだったのに、先ほどの痛がりようは矛盾しているようなのだが?」
「ん? ああ、あれね。あれは痛いとかそういうレベル越えてたから、寧ろ初めての感覚に脳内麻薬が大量に分泌されて痛みとか消し飛んでたし。視界が逆さまになった風景って新鮮なんだぜ? ついでに言えば綺麗に斬られてたのも要因ではある」
「――なるほど」
話の内容がいまいち掴めないサラヴィラを放置して会話する二人。
それを横で見ていたポイズンリリーは普段通りの無表情ながらも、どこかイラついているような雰囲気を纏った。
それを何となく感じ取ったのか、長身の男は軽く身震いし、そそくさと立ちあがって帆馬車の出口まで移動して、一度カナメ達に振り向いた。
「では、我々はこれで」
そう言い残し、軽やかに出ていった。
カナメ達は手を振って彼を見送り、それから改めてサラヴィラと向き合った。
帆馬車の中には、この帆馬車の主であるカナメと従者兼護衛であるポイズンリリー、それからサラヴィラとバジル含む九人の男達だけである。
「さて、サラヴィラはこれからどうするんだ?」
唐突にカナメがそんな事を問いかける。
その言葉に、サラヴィラは咄嗟的にどんな反応をしてらいいのか困惑してしまった。
要領を得ないのだ。
「どうする、とは?」
「言葉通りだよ。そこで眠ってる役立たず共を叩き起こして自分達の家に帰るもよし、このまま俺達の帆馬車に揺られて国から逃げるもよし。サラヴィラのしたい事をすればいい。ちなみに、ここからだと一番近い町でもニ時間は歩く事になる」
「それは、もちろん、仲間の所に帰るつもりだけど……」
「ちなみに、お勧めは適当な国まで俺達の帆馬車で揺られる、だ。何故かって? サラヴィラの仲間には裏切り者がいる可能性があるから。もし居たとすれば、君だけでなく反乱軍全体は内部から喰い殺されるかもしれない。とても危険だよ」
「そんな事はッ!」
カナメの発言に、サラヴィラは思わず声を荒げた。何かを言いかけるサラヴィラに合わせる形で、カナメは更に言葉を紡ぐ。
「無いとでも? 現にサラヴィラ達が行った奇襲作戦が失敗したんだぞ? 罠を張られる形で。しかも当初の予定では傭兵が乗るんじゃなく、本当に皇女が乗る予定だったそうだが? それをどう思う?」
「――っ! 情報自体が」
「嘘だったという可能性は確かにある。寧ろ高い。だけど、裏切り者が居る可能性は否定できない。情報操作は内部からの方が楽だしね。ちなみに何でこんな事を言ってるかというと、俺はサラヴィラが死ぬのは嫌だから、忠告しているんだ」
「――――」
ぐっと何かを堪えるようにサラヴィラは押し黙る。深く俯き、その表情はカナメ達から見る事は出来ない。
その姿を見ながら、カナメはふう、とため息を漏らした。
裏切り者云々はカナメにとってはどうでもいい話だし、反乱軍がどうなろうとも本音を言えば知った事ではない。だけどサラヴィラに死んでほしくないというのはカナメの本心の言葉だった。
カナメは女性に甘い。
凄く甘い。
口先では何か言う事もあるが敵対しなければ大抵の事は何となくやってしまうほどに甘い。
しかも美人であればあるほど甘くなっていく性質を持っている。そしてサラヴィラは十分に条件をクリアしている女性だ。彼女の身を心配するのは、カナメにとって当然の事なのである。
だから彼女には別の生き方をして欲しくて、忠告したのだが、どうやら、余計な御世話であったらしい。
「裏切り者が居るというのは、前々から何となく噂されています。時々私達の拠点に皇国軍が攻めてくる時もありますから……だけど、私はそれでも戻ります! 仲間達と一緒に国が変えられるというのなら、私は自分の命でさえ惜しくない! 愛した彼と一緒なら、尚更です!」
サラヴィラはそう言って、カナメの気遣いを真正面から突っぱねた。
決意に満ちた緑色の瞳が、カナメをしかと捉える。彼女の言葉に嘘は無いと、それだけで分かった。
「あ~も~そう言うと分かってましたとも。ほんと良い女だね、サラヴィラは。彼氏も誇りに思うだろうさ。だから今回はサービスだ、一か所だけ何処だろうとも送って行こう」
「ほ、本当ですか! ありがとうございます」
嬉々とした表情を浮かべるサラヴィラ。
それに対してあ~あ~負けた負けた負けました、とカナメは肩を竦めた。
本音を言えばますますサラヴィラを口説きたくなったカナメだが、彼女にはウィリアムという彼氏が居る。
サラヴィラが持つレアスキル<測定者>よりも更に優れたレアスキル<断定者>を持つカナメには、彼女に関する膨大な情報が脳裏に浮かぶのだ。名前や職業といった断片的な事しか分からない<測定者>とは違い、<断定者>はサラヴィラが昨日何をして何を喰ったかまで知る事ができる。
だからこそ、彼氏の事を深く思っている彼女の気持ちが読み取れたし、そのあり方は尊重したくなった。
いいね、愛。これこそ人間だよ、とカナメは一人思う。
「いい年してニタニタしないで下さいカナメ様。部下としてそのような腑抜けというか、間抜け面を恥ずかしげも無く見せる主をどうにかしなければと思ってしまいます」
「痛いってリリー。ラップは顔に巻き付けるモノじゃないぞ! ちょ……本当に止めろ! 息が、息がッ!!」
そんなじゃれ合いをしばし眺めていたサラヴィラは、何処に行くか決めたようだ。
「カナメさん達には迷惑をかけましたし、あまり旅の邪魔したくはありません。だから、私達の目的にも一応繋がっている場所にお願いします」
「そこの名前は?」
「温泉の街<アグバウア>まで、お願いします」
◆ ■ ◆
そう、自分は女に甘い。もちろん敵対していない女性限定で。付け加えておくが女好きという訳ではなく、紳士だからだ。俺のように長い人生を過ごしていると、どうしても異性との触れ合いによる癒しは大きい。
だから余計に厄介事に巻き込まれる。女性関係のトラブルなんてそこら辺に転がっているモノだ。
その度に思う。深く反省すると共に、どうしても治せない自分が面倒極まりないと。どうにかする方法を探して、結局見つからず、五百年経過した今でも改善されていないというのは何の冗談なのだろうか。
トラブルを回避したくとも、不運補正が邪魔をする。もうやだこれ、本気で取り除きたい。
「どうしたんだカナメ? 頭を抱えて悶えるなんて」
「バジルには関係ありません。黙っていてください」
「他人行儀な返事はすんなやー。壁を感じて御兄さんいじけちゃうぜい?」
「だれが御兄さんだ、誰が。人を見た目で判断してると痛い目見るぞ」
「へいへーい。で、カナメはリリーちゃんとは何処で出会ったん?」
魔術をかける事は止めたが、質問は再開されたようだ。
鬱陶しいので沈黙を守ったが、それに構わず質問してくるバジルが邪魔くさいので、一瞬で小さな麻酔針を手の中で造り出し、ブスリと首筋に撃ち込んだ。
刺された一瞬だけはびくりとバジルの身体が震えたが、すぐに身体が動かなくなった。
しばらくしたら解毒してやるか、と思いつつ、温泉を思いっきり堪能してからでいいかと思い直す。
ああ、いい湯だな~。
そういってカナメは、考える事を放棄した。