第十一話 眠り姫と反乱軍と幽霊
「ばか……な。なんで……生きてんだよ……」
静まり返ったその場で、最初に声を出したのはカナメの首を斬り裂いた巨体の男だった。
男の声はまるで亡霊を見た時のように震えており――実際男からすれば亡霊にしか見えなかった――さらにあり得ない死んだはずだ、と小さく呟いて後ずさる。
男の身体は小刻みに震え、何度も何度も目の前の現実を否定するかのように頭を左右に振った。
その姿は歴戦の傭兵であろう男が、まるで見えない幽霊に怯えるか弱い子供のようだ。
しかしそれも、自分の手で首に流れる頸静脈や頸動脈といった重要な血管や神経どころか、頸椎まで鋭角に斬り裂き、確実に殺したと思っていた相手が、なんともないように笑いながら立ちあがって、自分自身の手で頭を元の位置に戻す光景を見れば、恐怖を抱いても何ら不思議な事ではなかった。寧ろ不思議じゃない方が可笑しい。
しかもその上、カナメの首が目に見える速さで治っていく様を見れば嫌でも恐怖を抱いてしまうというものだろうか。例え人間の数倍肉体が強靭な魔族であろうとも、ここまでの速さで怪我――というよりも致命傷を――治癒できる存在は、それこそ魔族の王である魔王クラスに類するレベルだけだ。
そんな存在には人間が会う事など殆ど無い。
だというのに、現にこうして目の前で治癒されているのだからタチが悪い。男たちにしたら、冗談であって欲しいだろう。間違いなく、桁が違う。
首を斬っても死なない存在に、どうしろと言うのだ。
「しかし、何で馬車に乗ってんのが金に一番近い銀クラスの傭兵なんだ?」
首を斬られたカナメは、小首を傾げて目の前で冷や汗を流している男達を見る。
完全に油断していたとはいえ、自分が首を斬られるまで気が付けなかった相手の事を、カナメはよく知っていた。彼らの出身地から年齢、名前、身長、体重から果てはどのような戦闘スタイルをするのか、幾つのスキルを保有しているのかまで知っている。
しかしそこまで知っていても、カナメが彼らと直接逢うのは今日が初めての事だった。
それなのにそこまで知っているのには、実に簡単な理由がある。
理由と言っても込み入った話ではなく、彼らが既にカナメ自身が考え運営している国際事業――つまりは傭兵業斡旋施設に登録されているからだった。無論、流石のカナメであったとしても万を軽く超える登録者全員の事を覚えている訳ではない。
それでも知っていたのは、彼らの高い実力によるものに起因する。
彼らはギルドランクの最高ランクに分類されている金に次ぐ、銀の最高位ランクに達している豪傑だったからだ。それも彼らはあと幾つかで金に昇格できるという所まで来ていたので、カナメはそこの事を記憶の片隅にメモしていたのだった。
報告で最近とある依頼を個人的に受けたと聞いていたが、まさかこれがその依頼なのか、とカナメは一人納得する。
依頼人は十中八九、ヴァイスブルグ皇国の人間だろう。
「……貴方は一体何者なんですか?」
長身の男は、油断なく細剣を構えながらカナメに問いかけた。
その事が気に喰わなかったのか、一瞬だけポイズンリリーが身を乗り出したが、カナメの視線によってぐっと堪えて押し黙る。
ポイズンリリーは普段の態度からカナメの言う事を聞かないと思われがちだが、決してそんなことはない。カナメの命令には絶対服従だ。まあ、概ね、とだけ付けたしておかねばならないかもしれないが。
「何者……ねぇ? まあ、とりあえず、剣を納めたまえ。話はそれからだ」
完全に治った首の点検でもするかのように、グルグルと頭を大きく回しているカナメが、敵意のない笑顔で朗らかに語りかけた。脅迫するような声音でもなく、媚びるような声音でもないその声を、二人の男は黙って聞いた。
何かの罠でもあるのかと注意深くカナメを探る男たちだったが、カナメからはそのような気配は微塵も感じられない。ただ話そう。カナメはそう言っているだけだった。
「剣を納めれば……私達の命は助かるのですか?」
「もちろん。信じられないなら、こちらから証拠を見せよう。ほら、リリー。マッドポイズンとか、そんな物騒な代物はさっさと収納しろ」
「畏まりました」
カナメの命令で、ポイズンリリーは<狂い神の毒刀>を取り出した時同様、一瞬だけ両手首を展開し、二振りの毒刀を収納した。それから素早くカナメの後方に移動して、もし何かあればすぐに動く、と言外に男達を威圧する。
だが、それでも、男達が動かなければポイズンリリーも動く事は無い。ポイズンリリーは先ほどの失態があるので、かなり珍しい事ではあるが、真剣そのもので命令を忠実に守っている。
その姿に、カナメは苦笑いを洩らした。
「貴方の言葉を……信じたほうがいいようですね。ほら、お前もさっさと納めろ。死にたくなかったらな」
油断なくカナメを観察していた長身の男は、今選べる選択肢から最善のモノを選び、剣を納める事にした。音も無く細剣を鞘に納め、隣で棒立ちになっている相棒の腹を肘で小突く。
それにビクリと反応した巨体の男は長身の男に習い、カナメの血に濡れている剣を納めた。
それを見て、カナメはうんうんと頷く。
「いやー良かった良かった。もし剣を納めないって選択されたら、残念だけど殺してた所だよ。これがお互いにベストな選択だったね、俺は自分の利益を守れて、君達は自分の命を守った。これ以上いいものは選べなかっただろうね」
あははははは、と朗らかに笑うカナメの姿を見て、男達は全身から冷や汗が一気に噴き出した。カナメの言う事が、嘘でも冗談でもなく、本気だと分かったからだ。
もし彼らが戦う事を選んでいたら、後ろに控えたポイズンリリーは一切の躊躇なく彼らの胸を穿っていただろう。そうなったら全ては終わりだ。人間死んだらただの物質に成り果てるだけなのだから。
近頃ようやくランクが金に達しようかという所まで来ていた彼らは、やはり、強かに謙虚に生きる事が傭兵としての大事な心構えなのだと理解し、改めて初心に返ったというのは、またどうでもいい話である。
「んじゃまあ、こんな所で立ち話するのも何だし、君達には話す前に一つ手伝ってもらおうか」
「「手伝い?」」
カナメの言葉に、二人の傭兵の声が重なった。
「俺らの周りでくたばっている盗賊――もといヴァイスブルグ反乱軍全員を、俺達の帆馬車に担ぎこむ手伝いさ。勿論、殺したら君達も殺すからな」
カナメはそう言って、長身の男の肩……を叩きたかったが、そこまでが高過ぎたので、お腹をポスンと押したのであった。
内心で舌打ちをしたカナメは、無言でさっさとしろと催促した。
催促したのは、やつあたりである。
◆ ■ ◆
ズキン……と後頭部に感じた鈍い痛みで目が覚めた。
目覚めて最初に見たのは、見知らぬ天上。どこかの家の天井というよりも、野営する為のテントのような布でできた天上だった。木と金属で構成された無骨なアーチ状の骨組みを覆い隠す様に張り巡らされた分厚い布を、私は寝転んだ状態で見上げている。
良く見てみれば白い布の内側には、一センチ程度の紐のようなモノが網目状に張り巡らされていて、外からの攻撃に対しての防御的な効果が発揮されるのだと予想ができる。多分、この白い布は矢程度では穴一つ開けられないのではないだろうか。
でも、そんな事よりも私はある事が不思議でならなかった。
「生きて……いるの?」
ボーとする頭で今の状況を探ろうとしてみても、まだハッキリとしない意識では現状がよく分からない。ただ、寝転んでいるというのだけはこんな頭でも理解できる。それも、今まで感じた事のないような柔らかい何かを背中に感じるのだ。
ふかふかで、柔らかすぎず硬すぎない、絶妙な感触。心地よくて、このまま寝てしまいそうだった。
「う……ん……」
ボーっとするままに寝てしまいそうになるのを、すぐ近くで聞こえた声が妨げる。
何だろうか……と思って左側に首を傾けたら、そこには見知った顔があった。二十代後半か三十代前後であろう男の顔だ。ざんばらに斬られた赤茶の髪に、顎に生える無精髭。今は閉じられている瞼の下には、髪と同じ赤茶の瞳があるはずだ。
てっきり死んでいたと思っていた男――バジル・ホーキンスは、私の視線の先で静かに寝息を立てている。
バジルは腕を伸ばせば届くきそうな距離で私と同じように寝かされており、その向こう側を見てみると、バジルと同じように死んだと思っていた私の仲間が全員寝かされていた。
自分がまだ死んでいないという事に驚き、仲間全員も生きている事に安堵した。
しかし、不思議でならない。疑問は絶えず、理解できない事があまりにも多すぎる。
私達は何者かの攻撃によって倒れた。作戦が成功する今一歩の所で、呆気なく倒された。あの時は殺されるものとばかり思っていたが、どうやら単に気絶させられただけらしい。
敵は一体何が目的だったのだろうか? 再び疑問が私の中で浮かんだ。
もしや奴隷にするつもり――現在祖国であるヴァイドブルグ皇国では、憎きイグザルタ皇帝によってこれまで禁止されていた奴隷制度が解禁となり、今まで平和に暮らしていた一般市民が奴隷の身分に落とされるという事が多発している――なのかとも思ったが、逃走予防の手錠や足枷などは一切無い。
分からない。
なんでこんな状況になっているのか……。
普段の数倍重く感じる身体を何とか起こして、もう一度ここがどこなのか見渡した。
寝ていたのは、帆馬車の中だ。前後に光りが差しこむ出入り口があり、人が十人一緒に寝ても狭く感じないだけの広さがある。どうやらかなり大型の帆馬車のようだった。それから、走る時に発生する振動は感じないので、どこかに止まっているのだろう。
しかし何故、私だけがこのような特別な処遇を受けているのだろうか?
「なんで私だけ、ソファに寝かされているの?」
私が寝ているのは、帆馬車にはあまりにも不釣り合いで、大きさは少々小さいながらも、明らかに高級品と分かるソファだった。柔らか過ぎず、硬過ぎない絶妙な柔らかさ。このソファの今まで感じた事も無い感触を、無意識の内に手で触って堪能してしまったとしても、私は決して攻められないはずだ、と自分で自分に言い聞かせた。
しばしその感触を堪能し、ハッとなって我に返る。それからボーっとする自分に気合を入れるように、バチン! と音が出る程強く自分で自分の頬を叩いた。
力加減を間違えて、本気で頬が痛い。痛みで涙が滲み、ヒリヒリと頬が私に『やりすぎだ』と訴えかけてくる。少しだけ後悔をしたけど、これでボーっとしていた頭はようやく正常に戻ったようだ。
気だるさはまだあるけれど、動くだけなら問題は無いだろう。
と自分の状態を整えていた、そんな時だった。
周囲に染み込むような独特の響きがある、若い男の人の声が聞こえたのは。
「おお、嬢ちゃんの御目覚めだ。気分は上々?」
私は声がした方向を反射的に見た。
そこに居たのは、明らかに私よりも年下であろう男の子だった。この辺りではなかなか見ない独特な顔付で、少々身長は低い。平均よりも下だろう。
声だけ聞けば二十歳すぎの男の人かとも思ったが、青年になる手前の少年といった所だろうか。
だと言うのに、彼は、私の事を嬢ちゃんと呼んだ。別に気にする事でもないのかもしれないけれど、流石にこんな男の子に『嬢ちゃん』と呼ばれるのには抵抗がある。
だから、ついつい言い返した。
「嬢ちゃん、なんて呼び方はしないで下さい。これでも私は二十三歳です。貴方の様に十代半ばか後半程度の子供に、慣れ慣れしく嬢ちゃんなんて呼ばれたくはありません」
少々棘のある言い方だとは自覚している。
でもここは、ハッキリと言っていい所ではないだろうか。
「二十三歳、ねえ。俺にとっては人間なんて赤ちゃんレベルだから君の場合は嬢ちゃん、と気を利かせたつもりだったんだけど……まあ、慣れ慣れしいというのも納得できる。んじゃ、自己紹介でもしようか。俺はカナメ。君の命の恩人というか、君達の邪魔をしたら結果的に助けた事になったと言うか……まあ、それは置いといてだ。君の名前は?」
男の子――カナメがとても気になる事を言った。
どう言う事だ、と思うが、この子は私が名前を言わない限り話を進めないだろうとは何となく予想ができる。
カナメをしばし観察して、私は口を開いた。
「……サニラ。サニラ・ヴィラネリアよ。仲間内じゃ……サラヴィラって呼ばれているわ」
一瞬『姉さん』と呼ばれていると言いそうになったが、何となくその事は伏せた。恥ずかしいというかなんというか、言い辛い。
「サラヴィラね……。んじゃサラヴィラ、簡単な事情を説明するから、黙って聞くように」
暴れないでね、と前置きをしてからカナメはどうしてこんな状況になっているのか説明してくれた。
「サラヴィラ達を気絶させたのは、君の目の前に居る俺なんだよね」
「……は?」
すっとんきょうな声が、私の口から零れ出た。