エゾリスさんとシマエナガさん
真っ白な新雪に覆われた早朝の森で、エゾリスさんは枝の上からぼんやりと景色を眺めていました。昨夜来の寒さで朝靄は凍り、柔らかい朝日を反射してキラキラと光を放っています。
「おはよう」
わずかに枝が揺れ、エゾリスさんの隣にシマエナガさんが止まりました。エゾリスさんは景色を見つめたまま「おはよう」とあいさつを返します。
「今日は晴れみたいだね」
シマエナガさんはほっとしたように言いました。
「昨日は吹雪だったから、ずっと雪がやまないとどうしようかって思っちゃった」
エゾリスさんは腕を組んで大きくうなずきます。
「ずっと吹雪は確かに嫌だね」
シマエナガさんは大仰なエゾリスさんの仕草に少し笑ってしまいました。エゾリスさんもふふふと笑います。
「昨日はどうしていたの? 私は仲間と身を寄せ合っていたけれど」
寒い時にはそれくらいしか方法がないの、とシマエナガさんは言います。エゾリスさんは腕を組んだまま、昨夜のことを思い出しているように視線を上げました。
「僕は、かまくらを作って冒険家気分を楽しんでいたよ」
「前向きだね」
吹雪の夜にも楽しみを見つけるエゾリスさんに、シマエナガさんは尊敬のまなざしを向けました。
太陽は徐々にその光を強め、世界を鮮やかに照らし出します。凍えるような空気にもわずかに温かみが混じってきました。時折吹く強い風が新雪を巻き上げます。エゾリスさんとシマエナガさんは、なんとなくその場にとどまり、真っ白な世界に起こる一日の中の小さな変化を眺めているようです。
「ガーリーファッション、ってさ」
唐突にエゾリスさんが口を開きます。シマエナガさんはエゾリスさんに顔を向けました。
「おすし屋さんに行くときの服装、ってことかな?」
「そうだね」
シマエナガさんは迷いなくうなずきます。
「きっとそうに違いないよ」
力強いシマエナガさんの同意を得て、エゾリスさんはほっとしたように顔をほころばせました。
「どんな服だろうね?」
「格式高そうだね」
ガーリーファッションを想像して、ふたりはワクワクした顔を突き合わせました。
「男は束帯!」
「女は十二単!」
想像していたものがお互いに一致していたことが分かって、ふたりは同時に顔を上げて笑います。
「すごいなぁ」
「絶対に回らないおすしだね」
ひとしきり笑い合い、エゾリスさんは笑いを収めて遠い目をしました。
「憧れるなぁ、回らないおすし」
「憧れるね、回らないおすし」
ふたりはほう、と感嘆のため息を吐きます。吐息は白く煙り、風にさらわれて消えていきました。
太陽は一番高い場所に上り、その腕に抱かれた世界は温もりを思い出しているようです。凍えていた木々の枝からぽたり、ぽたりとしずくが落ちていきました。気温が暖かくなると、どこか心も温かくなるようです。エゾリスさんとシマエナガさんは、なんとなく、この場から立ち去りがたい様子で真白の世界の小さな変化に目を凝らせていました。
「おしゃれコーデ、ってさ」
再び唐突にエゾリスさんが口を開きます。
「頭蓋骨のことかな?」
「ほぼそういうことだね」
シマエナガさんは当然のことのように言いきりました。しかしエゾリスさんは「ほぼ」というところに引っかかったようです。
「ほぼってことは、正解じゃないってこと?」
シマエナガさんはうーんと難しい顔を作ると、小さくうなずきを返しました。
「おしゃれコーデにもいろいろあるからね。でもそれは、遺伝子で言うと一パーセント未満の違いでしかないよ」
エゾリスさんはシマエナガさんの言葉を自分なりにかみ砕こうと頭をひねります。
「おしゃれコーデは、ある程度の誤差はあるけど、おおむね頭蓋骨の範囲に収まる、ってこと?」
「そう言ってしまっていいと思う」
シマエナガさんの揺るがぬ同意を得て、エゾリスさんはほっとしたように顔をほころばせました。
「パンクだね」
「パンクだよね、おしゃれコーデ」
憧れを含んだ声音で互いにそう言い合って、ふたりは楽しそうに笑いました。
太陽は少しずつ高度を失い、白一色だった森に別の彩を加えていきます。少しずつ太陽の恩恵は遠ざかり、風が日没後の厳しい寒さを先取りしていきます。エゾリスさんとシマエナガさんは、なんとなく、お別れしたくないように、少しだけ互いの距離を縮めました。
「コアクマメイク、ってさ」
またも唐突にエゾリスさんが話題を振ります。本当はきっと、何の話題でもいいのでしょうけれど。
「クマをコンセプトの中心に据えた戦士のための化粧のことかな?」
「間違いないね」
シマエナガさんは即答です。何なら、エゾリスさんの質問を聞く前から肯定しそうな勢いです。
「クマはここらじゃ最強を誇る獣だからね。戦化粧ならクマをコンセプトの中心に据えることは少しもおかしくない」
シマエナガさんの自信たっぷりな様子に、エゾリスさんはほっとしたように表情を緩めました。
「クマを中心にするとして、他はどうするんだろうね?」
「右側にオオカミを、左側に鮭を配置します」
エゾリスさんはびっくりしたように目を丸くしました。
「何でも知ってるね」
シマエナガさんは照れたようにうつむきます。エゾリスさんはしかし、何か引っかかったように首をひねりました。
「鮭を配置したら、クマは食べちゃうんじゃない?」
「戦い続けるには補給が一番重要だからね」
シマエナガさんはエゾリスさんの着眼点に満足しているようです。エゾリスさんは「ああ」と納得の表情を浮かべました。
「長期戦の構えなんだね」
「備えは最初からしておかないとね」
感心しきりのエゾリスさんの様子に、シマエナガさんはくすぐったそうな笑みを浮かべました。
太陽はもうすぐ地平の彼方に消え、夜が世界を包む時間がもうすぐやってきます。わずかに残った光と温もりがふたりにお別れの時間を告げていました。互いにもう、帰るべき場所に帰らねばなりません。
「今日はありがとう」
エゾリスさんはシマエナガさんに向き直り、心からの感謝を込めて頭を下げました。
「僕の疑問に答えてくれて」
シマエナガさんは首を横に振ります。
「お役に立てたかい?」
とても、と言って、エゾリスさんは真剣な声音で言いました。
「実は人間の町でこんな言葉を見かけたんだ」
――この冬のワンランクアップおしゃれコーデ! ガーリーファッションにコアクマメイクで彼のハートを射抜いちゃおっ!
シマエナガさんはじゃっかん慄いた様子で言いました。
「今、人間界では、クマをコンセプトの中心に据えた戦士のための化粧をした男女が、頭蓋骨をあしらった束帯や十二単を着ておすし屋さんに殺到しているんだね」
エゾリスさんの表情もやや血の気を失っています。
「そうなるね」
シマエナガさんは目を伏せます。
「人間は、怖いね」
エゾリスさんはそっとシマエナガさんの背に前足を回し、優しく抱き寄せました。
「ここに人間は来ないよ。だから、大丈夫」
エゾリスさんの力強い断言にシマエナガさんは目を閉じ、小さくうなずきました。温もりと少しの勇気をもらって、シマエナガさんはそっとエゾリスさんの手を解きました。
「それじゃ」
エゾリスさんは笑顔で言葉を返します。
「それじゃ、また」
一瞬目を丸くして、柔らかく微笑んで、シマエナガさんはうなずきました。
「うん、また」
名残惜しそうにエゾリスさんの目を見つめた後、シマエナガさんは枝を蹴り、飛び立っていきました。去っていくシマエナガさんの姿をしばし見送り、エゾリスさんもまた、枝を伝って木を降り、自分の寝床へと帰っていったのでした。