夜辻堂の店主
「おっかすぃーなー? これ、オモチャ同然のアイテムだで? 少々魔力もっちょる人間が使ったくらいじゃあ、効果なんざ殆ど出やせんちゃ。手が離れんなんつーこっちゃ、まんずもってぇ……」
「無いんだったら、これはどういう事なのか説明しなさい!」
あたしは左手で、カウンターを力いっぱい叩いた。右手は勿論、クローエンの左手と繋がっているので使用不可能である。
殴りこみ同然で『夜辻堂』に押し入ったあたしは、『らっしゃーい』とカウンターの向こうからのんびり声をかけてきた、店主らしき丸眼鏡をかけた痩せた男にむかって、『なんじゃこりゃあっ!』と件の判子を力いっぱい投げつけた。
『あうちっ!』
額で商品を受け止めた店主は、座っていた椅子から後ろ向きに転がり落ちた。
あたしは嫌々ついてくるクローエンを引きずるようにしながら、カウンターまで一直線に進むと、丸椅子の後ろで仰向けに倒れている店主に向かってこれまでの経緯をまくし立てた。
――で、苦情の原因である商品を調べた店主が最初に言った台詞が、先程の『おっかすぃーなー?』なのである。
あたしが怒るのも無理はないだろう。――まあ、店に入る前から既に激怒していたのだが。
「こんっなハタ迷惑な魔道具、店に並べんじゃないわよ! どうすんのよこの手! 慰謝料請求するわよ!?」
あたしは左手でカウンターを何度も叩きながら、右手を振り回して迷惑ぶりをアピールする。
クローエンが無言であたしを押しのけた。
あたしの横っ面を掴むようにして、あたしを後方へ下がらせたクローエンは、冷静に店主にかけあう。
「店主。まずは、この手を離れるようしてくれないか。方法はあるんでしょう?」
クローエンの声を聞いた店主が、目を丸くした。
「あんれまあ、おったまげぇ~っ! あんた男だったのぉ!」
「なにが言いたい」
穏やかな空気は、鳩が一鳴きするくらいの時間しかもたなかった。店主が地雷を踏んだお陰で、クローエンから発せられた殺気が店内に充満する。
百戦錬磨の聖騎士が放出した強烈な殺気は、周囲の生物の逃走本能をこれでもかというほど刺激した。
天井の隅で巣を張っていたクモは、蛾を捕食中だったにも関わらず梁の裏に身を隠し、店の隅でトリモチにかかっていたネズミは、モチをぶっちぎって壁の穴へ遁走した。
あたしと店主もバタバタとクローエンから離れようともがいたが、片手がくっついているあたしは勢い余って足を滑らし、店主はクローエンに首根っこを掴まれ、丸椅子に着席させられた。
「あんれえ? このメガネ、昔のだったかにゃあ?」
よく見えなかった、と言い逃れたいのだろう。眼鏡を外した店主は、わざとらしく首を傾げながら、あっちやこっちから眼鏡を観察しはじめる。しかし、口から出まかせなのはもろバレだった。なにせ、両脚がガタガタと震えていたのだから。
クローエンがため息をついた。
まだ怒りがおさまらないのか、目つきが若干鋭い。
仕方ないので、続きの交渉はあたしが引き継ぐことにした。
「で、手を離す方法はあるんでしょうね?」
一応、疑問形の催促で店主を急かしはしたが、『ない』という回答など許すつもりは毛頭無い。
眼鏡を装着した店主は、クイ、と中指一本で鼻にあたる部分を押し上げると、「あるにゃあ、あるんだけんちょもぉ……」と下まぶたを持ち上げて、あたしをじろじろと見てきた。
トカゲそっくりな顔だ。とあたしは思った。
というか、トカゲが眼鏡をかけたような男だ。いや、そもそも、こいつはトカゲだ。トカゲの魔物なんだ。
あたしは遅ればせながら、店主の正体に気付いた。よく見れば首や、袖口から覗いている手首から先の肌が、トカゲやワニのように凸凹している。
トカゲ店主は、下まぶたを持ち上げたまま、あたしに訊ねて来た。
「姉ちゃん、もしかして魔女け?」
「だから何。あんただって魔界出身の出稼ぎ人でしょうが」
身元にいちゃもんをつけられたと感じたあたしは、同郷のトカゲ男に喧嘩腰で言い返した。
二年前、聖王が魔王を討ち取ってからは、地上界と魔界の交流が盛んになった。商用ルートのようなものが公に確立されたからである。
魔界の生物である通称『魔物』の中には、いまだ魔王を崇拝して復活を望んでいたり、聖王の命を狙う者も少なくない。故に、検問は非常に厳しい。それでも、地上界への移住を希望する魔物は日々増加しているのだ。
その理由として、戦闘力が低い魔物にとっては、しぶとく現存している魔王軍の圧制から体よく逃げられる口実となる事。そして、新たな商売に進出できるチャンスである事が上げられる。
とはいえ、地上界への移住は、メリットばかりではない。
戦乱の繰り返しである両界の歴史上、魔物に対して暗い感情を抱いている者は多い。その上、魔王軍や一部の魔物は、地上界への移住者を『臆病者』や『うらぎりもの』とみなし、時には攻撃の対象にもする。その為、地上界で暮らす魔物の大半は正体を隠し、人間に化ける苦労を強いられていた。
「いやだから、ほれ。一応、中には石が入ってんだわさ」
人間に化けているにしては若干詰めの甘いトカゲ店主が『おまじないスタンプ』をきゅるきゅると回し、真ん中でぱかりと開いた。そこから、二つぶの小石がコロンと出て来る。
中心に継ぎ目がある事には気づいていたが、まさか二つに分裂するとは思っていなかったあたしは、思わず店主の手の中を覗き込んだ。
人間のものよりも肌が硬そうな掌の中にあったのは、ピンク色の小石と、真っ黒な小石。どちらとも、その辺に転がっている石コロとは違うようだったが――
「そのこんまい石コロがどうだってのよ」
こんな物がなんだというのだ、とあたしは店主をじろりと睨んだ。
「ただの石じゃねえべ。オニキスと、ローズクォーツだっぴゃ」
「オニキスとローズクォーツ……」
聞き覚えがあるなと思いながら復唱すると、クローエンが「地上界の奇石ですよ」と、さらりと答えを教えて来た。
「知ってるわよそれくらい」
あたしは膨れ面で見栄を張った。
店主がクローエンに、「んだ」と頷く。
「オニキスには厄除け作用。ローズクォーツは恋愛成就の力があるんだっぴゃ。きっと、姉ちゃんの強力な魔気さ浴び続けて、でかいパワー持っちまったんだなや。あっはっは!」
「あははじゃなかろうがぁーっ!」
トカゲ店主の能天気な対応に、あたしはブチ切れた。
うるさい。とクローエンが迷惑そうに顔をしかめる。
あたしは怒りに任せて店主の胸倉をつかむと、カウンターに引っぱり上げた。手首を捻って襟元を締めあげてから、額を寄せて恫喝する。
「この汚くて狭い店を廃業に追い込まれたくなければ、デタラメになまりまくった人語でのらりくらり欠陥商品の解説する前に0.1秒でも早くこの事態なんとかしなさい!」
「わーっとるでそう怒鳴るなや。おっかない娘っ子だなやぁ」
店主はあたしを押し返すと、店の奥へと入って行った。
次は日曜日に投稿出来ればと思います。