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神族の王子が帰る時

「『転移』は厄介な技だが、防ぐのは簡単だ。技を使う暇も無いくらい絶え間なく攻撃を仕掛ければいい。――違うか?」


 聖王の言葉に合わせ、騎士たちが一斉に剣や槍、斧の切っ先を三人に向ける。


 ウルスラは腕を組んだまま、エイドリアンと睨み合う。

 暫く膠着状態が続いていたが、視線を下げたウルスラが、つい、とあたし達に背を向けた。


「いいわ。ここは一回退いてあげる」


 そう言って、イデットとマルルーの腰に手を当てて「行きましょう」と促す。


「でもウルスラ」


 マルルーが逆らえないまま、あたしに振り向く。イデットも不満そうにこちらに顔を向けている。

 ウルスラは「いいのよ。今回はね」とマルルーに言い聞かせてから、魔物たちに撤退命令を下した。


 ウルスラの命令通り、空を埋めていた魔物が、地上で暴れていた魔物が、魔界へ通じる門が存在する境界山(きょうかいざん)へ向かって撤退してゆく。


 去り際、ウルスラはあたしに顔半分振り返り、薄い笑みを浮かべた。


「ああ、そうそう。ランはプレゼントよ。楽しんでね」


 ★


 あたしとエイドリアンが城へ駆けつけた時には、戦いは終わっていた。


 綺麗に整えられていたかつての前庭は、生垣が潰れ、芝生がえぐられ、惨状と化していた。

 

 飛竜が一頭、首筋を噛みちぎられた状態で横たわっており、その近くに腰を抜かしたように蹲るアミリアと、聖女ミラがいた。

 二人の視線の先には、各々の武器を手に飛行獣から降りたリュークと、アダンにユウリ。そして、三人に囲まれて座りこんでいる二つの人影があった。


 人影は、人型に戻ったランを腕に抱いているクローエンだった。

 クローエンは全身傷ついていたが、それよりも、ランの腹の傷が致命的だった。


 誰がこの致命傷を与えたのかは分らない。リュークの大槍も、アダンの斧も、ユウリの手槍も、クローエンの傍に落ちている細身の槍も、全ての刃が魔物のどす黒い血で染まっていた。

 

 蛇の体では歩けないので、あたしはクローエンとランの傍まで飛んで、土埃を上げないよう慎重に着陸した。


 クローエンの横顔は赤い前髪に隠されていたが、僅かに覗き見えた顎からは、涙が滴っていた。

 

 ランスロット――


 かつての教え子の名を震える声で呼んだクローエンは、ランの頬についた血を左の親指でぬぐった。


 ランは浅い呼吸を繰り返しながら、自分の頬に触れたクローエンの手を握った。左の目尻から一筋、涙をこぼす。


「サー。マンクト アンクト メ ヘル テン メ セクト テン《先生。あなたと一緒に帰りたかった》」


 掠れる小声で告げたランは、ゆっくりと目を閉じ、その後、呼吸を止めた。クローエンの左手を握っていた小さな手が、ぱたりと地面に落ちる。


 ランを地面に寝かせ、胸の上に両手を組ませたクローエンは、自分の右手の指先に口づけると、その指先をランの額にあてる。


「バク セクト ネフル 《良き魂の解放を》……」


 神語で祈りの呪文を紡ぎ、愛おしむようにランの頭を撫で、黒い血で汚れた胸に掌を置いた。


 聖女ミラがアミリアに支えられながらランに近づき、胸の上で握られた手を、彼女の白い手で包み込む。


 顔を伏せた聖女は両の目を閉じ、死者に対して幾度も繰り返してきた地上界の祈りを捧げる。


「どうぞ、自由になった御魂(みたま)が、彼の家へ帰れますように。彼の御霊が、心が、温かな光と安らぎで満たされますように。この世に戻ってきた暁には、愛する人との再会を果たせますように。神々よ。どうぞ、この子をお導きください……」


「敬意を持って彼を送ろう。神族の王子に相応しい葬儀を」


 胸に右手をあてたエイドリアンが、跪いて頭を垂れた。それに続いて、武器を置いたリューク達も同じように跪き、神族の王子の最後に哀悼の意を表す。


 クローエンが空を仰ぎ、涙で濡れた目を眩しそうに細めた。



明日が最終話です。

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