おまじないスタンプ
「『おまじないスタンプ』?」
あたしは、占い館の一室で、オレンジジュースに突っ込まれたストローから口を離すと、目の前に座っている十代半ばの乙女二名が発した、耳慣れない名称をオウム返しした。
ここは、私『水晶占い師 ロゼ』の職場兼自宅である、占い館の一室。
相棒である水晶玉が座布団に鎮座したテーブルの向こうには、茶髪をお下げにしたカカシみたいな少女と、金髪をハーフアップにしたそばかす顔の少女が、同じくストローでオレンジジュースをすすっている。
三人入れば満員になるくらい狭い仕事部屋は、無駄に布や壁飾りが垂れ下がっているため、お客さんは連れがいれば、身を寄せ合うようにして椅子に座らねばならない。
花も恥じらう十代真っ盛りの彼女達は、ズゴゴと汚い音を立ててジュースを飲み干しながら、あたしの質問に、うんうん、と頷いた。
「はい。今、魔ガールの間では、結構話題なんですよ」
いち早くストローを離した、茶色の髪をお下げにした女の子ムーラン――だったかな? が、説明してくれる。
再び耳慣れない単語を出されたあたしは、首を捻った。
頭を動かしたことで視野が変わり、壁にかけてあった鏡が目に入る。そこには、波打つ長い黒髪と紫色の目をした、色の白い痩せた女が映っていた。
我ながら、相変わらず不健康な顔色だなあと感想を抱きつつ、血色のいいピンク色のほっぺたをした乙女二人に訊ねる。
「何その、『まがーる』って?」
「占いとかお呪いとかに詳しい女子たちのことですよ。ちなみに男子の場合は、魔ボーイ」
「へえ……」
なんだ、ただの遊びだったか。
実入りの少なそうな話題に、あたしは途端に眠気を覚えた。
最近の若い子は新しいものにめざといなあ、という感想を抱く。続いて、そういえば自分も二十歳になったばかりだったか。と十分若かった事を思い出した。
「まあロゼさんは、正真正銘の魔ガールですが」
今度は、もう一人の金髪碧眼の女の子コリッタ――だったっけ? が、声を弾ませ笑いかけてくる。
「違います」
あたしは速攻で否定した。
あたしのは趣味じゃなく仕事だ。そんなファンシーな呼ばれ方をしてたまるか、と。
二人の魔ガールが、ぷっと頬を膨らませる。
「でもロゼさん、占いで生計立ててるでしょ? クローエン様には御贔屓にされているし、魔ガールのぶっちぎり頂点ですよ」
「クローエン様に毎日のように会えるなんて、最高じゃないですか」
それじゃあ魔ガールではなく、ただのクローエンファンクラブじゃないか?
あたしは人差し指で眉間を叩きながら、乙女たちの夢を壊さぬよう、クローエンに対する個人的な酷評を飲み込んだ。
『赤碧のクローエン』
血のように赤い髪と瞳を持つ、大陸の英雄。
人間や精霊が住む地上界を統べる聖王エイドリアン直属の、聖騎士団に所属している数少ない竜騎士の隊長である。先の魔王討伐戦では、エイドリアンの左翼を守り抜き、魔王の正面まで導いた。
よって、地位および名声にいたっては、この国で十本の指に入る貴公子である。しかしその実態は、人使いが荒い上に財布の紐が異様に固い、出自不明の成りあがりだった。
普段は滅多に声を荒げる事が無く、好好爺の如く物腰柔らかだが、いざ戦いとなれば冷酷無比。敵と認識した相手には容赦なく、目的を達成するためなら手段を問わない。明晰な頭脳も、その冷徹さに一役買っていた。
乙女たちが、見る度に『キレイ』と頬を染めるその容姿は、言ってしまえば女顔の優男。私服で街を歩こうものなら、前からも後ろからも、『お嬢さん、一緒にお茶でもいかがですか』とお声がかかる。もちろん男から。
つまり、クローエンは評判と実体に、著しく差があった。
だから、あたしとしては、夢見る乙女たちの口から紡ぎだされる、クローエンについての讃美には甚だ同意しかねるものがあるのだ。
まあ、この娘たちの金払いが良ければ、的外れな讃美にも、もう少し付き合ってやろうと思えたのもしれないが――
あたしは、占いの依頼をせずにただお喋りをしに来ただけの乙女たちに、そろそろ午後の仕事が始まる時間であることを告げ、おひきとりを願った。
この子たちは、お菓子やジュースを持ちこんで、ただ喋って帰る時があるのだ。今日も、休み時間返上で付き合った報酬が、ボトル一本のオレンジジュース。一体何しに来たんだと、ため息が出そうになる。
「確かにあたしは占い師だけど、どっかの団体に属する気は無いし、こき使う割に出張料金を値切って来るようなシミッタレに憧れる予定も無いのよ。だからあなたたちのお仲間にはなれないわ。――はい、ごめんあそばせ!」
そう言いながらミッタだかラリッタだか、名前が定かではない二人を強制的に立たせ、入口へと押しやる。
乙女たちは、「ちょ、ちょっと待って待って!」と両脚をつっぱった。
「肝心な事がまだ話せてない!」
「私達は、ロゼさんにお願いがあって来たんです!」
お願い? つまり仕事?
あたしは少女たちの背中を押すのをやめた。
二人はホッとした顔を作ると、あたしに振り返った。
金髪碧眼の子――あれ? ロッテだったっけ? が、スカートのポケットから、掌で握りこんでしまえるくらいの、赤い筒状のものを取り出す。両端に、白いキャップのようなものがついている。判子のようだ。
「これがさっき言ってた、『おまじないスタンプ』です」
ロッテリアが片方のキャップを取って、その面をあたしに向けた。五本の指を大きく広げた掌のマークが刻まれている。
「このビンタ面を相手と自分の掌に押すと、お互い、二度と関わり合いにならない関係になります」
真剣な眼差しで、ロッタリアが説明する。
「へえ。便利じゃない」
あたしはクスリと笑った。クローエンや、大嫌いな姉達に押してやろうかしら、なんて考えがふと浮かんだのだ。
次にロッタリアは、反対側のキャップをとって私に見せた。今度は、とってつけたような唇マークが現れる。
「――で、こっちのリップマークの方を押すと、なんとぉ……」
ロッテリアが無駄に間を溜める。
正解は、魔ガール二人から同時に発表された。
「お互い絶対に離れられない関係になるんです!」」
あたしは、たっぷり数秒間沈黙した後、一気に爆笑した。
立っていられないほど笑いこけるあたしに、乙女たちは揃って憤慨する。
「笑ってる場合じゃないですよ! もしクローエン様の掌にリップマークがスタンプされたりしたらどうするんですか!」
「そうですよ。クローエン様を狙ってる女どもが、これを入手したら、大変なことになるじゃないですか!」
「大丈夫。ただの趣味の悪いハンコよ」
あたしは笑い過ぎて滲んできた涙を人差し指で拭いながら、魔ガールだかクローエンファンクラブだか分らない乙女二人を見上げた。
あー笑った笑った、と立ち上がり、ワイン色のドレスの裾を叩いて、乱れを直す。
本気で取り合おうとしないあたしに、二人は唇をとがらせた。
「でもこれ、パワーアイテムショップで売り出されてる商品なんですよ」
茶色い髪のルーナ……だったか? が、言った。
「パワーアイテムショップ?」
またまた新しい単語が出てきた。
魔道具屋の類か、と聞くと、二人はそんなものです、と頷く。魔道具屋とおもちゃ屋の真ん中のような店らしい。
「町はずれに沼があるでしょ? その傍の、『夜辻堂』っていう小さなお店です。最近できたんです」
と、茶髪のリーナ。
「そんなわけでロゼさん。これ差し上げますから」
金髪のリリエッタが、あたしの右手に判子を握りこませた。
「私にこのハンコをどうしろってゆーの?」
「クローエン様を守って下さい!」
リコリエッタが鼻息荒く言う。
「はあ?」
「だから、クローエン様にリップマークを押そうとしてくるフトドキ者に、ビンタマークをばしっと押して頂きたいんです!」
あたしは呆れた。また面倒くさい上に、ヤヤコシイ事を頼んでくれるものだ、と。
ほんの少し意地悪心が芽生えてしまったあたしは、至極真面目に返答を待っている乙女二人に、ニヤリと笑った。
「あたしを信用していいの? あたしがクローエンにリップマークを押すとは考えないわけ?」
「ロゼさんが判子を押すなら絶対、クローエン様よりもこの国一番のお金持ちを狙うでしょ」
茶髪のルールアが自信満々に返してきた。
仰る通りだ。あたしは承諾の印に頷いた。
「オッケー。クローエンには忠告しといてあげる。無報酬なんだから、それでいいでしょ? ラリアットーにルーレット」
納得してくれるだろうと思っていたら、二人はこれまでで一番のふくれっ面を作り、ギロリとあたしを睨みつけてきた。
「もう! あたし、リエッタ!」「私はルーラ! 友達なら、いい加減覚えてください!」
金髪碧眼の乙女に続いて、茶髪の娘も両手に腰をあてて憤る。
驚きのあまり、あたしは目を瞬いた。
え、あたし達、友達だったの!?
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