温かい涙
「俺が悪かった……」
「え?」
「お前にちゃんと伝えておくべきだった。俺は最初からお前しか妃に迎えるつもりは無かったという事を」
「ええっ?」
思いがけない言葉を聞き、フランチェスカは目を大きく見開いてレンブラントを見た。
レンブラントは苦しそうな表情をしながらも顔を赤く染めている。
レンブラントとは長い付き合いだが、彼のこんな顔を見たのは初めてである。
「レン様……?」
「お前に余計な心配を掛けたくなくて黙っていた事で却ってお前を傷付けた、本当にすまなかった」
そう言ってレンブラントはまたぎゅうっとフランチェスカを抱きしめた。
そしてフランチェスカを抱きしめたままレンブラントは話し出した。
立太子から少し経った頃から、妃候補を見直すべきだと各方面から圧が掛かり始めたという事。
生家から見放された妃候補など簡単にすげ替えられる、そんな態度で事ある毎に進言され、多くの身上書が寄せられ続けていたという事を。
「立太子してすぐ……という事は二年も前から?」
「ああ。だが俺は当然フランしか妃にするつもりは無かったから“必要なし”とずっと突っぱねて来たんだ」
「まぁ…そうでしたの……」
同じ王宮に居ながら全く知らなかった。
そんなに多くの臣下から言われていたのであれば多かれ少なかれフランチェスカの耳にも入ると思うのだが。
そのフランチェスカの疑問が伝わったのかレンブラントが言った。
「お前には絶対にその状況を知られたくなかったからな。良からぬ話がフランの耳に届かないようロナに注意をさせていた」
「ロナが……」
王太子となってからというもの、レンブラントには数多の重圧がのし掛かった。
次期国王としての器量と責任。
国の利となる妃を迎え、国民の誰もが納得するような後継を残す事。
フランチェスカでは力不足とずっと言われ続けて来たそうだ。
それにずっと否と答えてきたレンブラントだが、この半年前くらいから強制的にフランチェスカを排除しようと裏で画策されるようになってきたと暗部から報告を受けた。
そこまでするのであれば、奴らにフランチェスカがどれほど我が妃に相応しいか分からせてやろうと、レンブラントは算段したのだそうだ。
そしてそれを公明正大に行う為に、各家門が推す令嬢達にも公平にチャンスを与える事にしたのだという。
皆、同じラインで同列に並べ、そこから結果を出す。
もう二度と、フランチェスカが妃に相応しくはないとは言わせないと、レンブラントは勝負に出た。
勝算は……あるに決まっているだろう。
自分は妃に相応しくないという声が多く上がっていると聞き、フランチェスカは納得した。
「わたしが相応しくないというのは大いに理解できますわ。わたしでは無害であったとしても国益にはなりませんもの」
フランチェスカは大きく頷いて言った。
「ヤツらもそう言った。そして自分たちの家門の令嬢こそが相応しいと、頼んでもいないのに薦めてくるのだ」
「まぁ、推せ推せですわね。でも仕方ありませんわ、その方達の仰る事は尤もだとわたしも思いますもの」
――くすん、ですけどもね。
フランチェスカは心の中で呟く。
しかしレンブラントはきっぱりと言った。
「俺はそうは思わん」
「え?どうしてですの?」
「妃とは妻であり家族であり人生のパートナーだ。もちろん国王ともなれば好いた惚れただけでその相手を選ぶべきではないと分かっている。だが王になる者だからと言って必ずしも利害だけで結婚する必要は無いと思うんだ。父上は気が多いお方故、利となる妃からただ愛でたいだけの妃まで幅広く迎えておられるが俺はそんなのはご免だ。だからこそ心から愛しているたった一人と結ばれたいと思うんだ。そして俺にとってそのたった一人とはフラン、お前しかいない」
「…………」
――これはやはり幻聴なのかしら?さっきからわたしにとって嬉しい言葉しか聞こえて来ないわ。自分の都合よく脳内変換をしてしまっているのかもしれないわ……
「フラン、これは幻聴じゃないぞ。俺がお前に向けて声を発して伝えている真実だ」
「ほ、本当に?というかレン様、どうしてさっきからわたしの思っている事が分かりますの?」
「分かるさ。だってずっと一緒に生きてきたんだから。俺はずっと、フランだけを見てきたからな」
「レン様……」
「フラン、俺はお前が好きだ。子どもの頃からずっと好きだ。ライクじゃないぞ、ラブの方の“好き”だぞ?そこは絶対に間違えないで欲しい。俺がフランを、お前だけを愛しているという事をちゃんと分かっていて欲しい」
「レ、レンブラント様っ……!」
フランチェスカの視界の中でチカチカと眩い光が瞬いた。
驚きと嬉しさで胸がいっぱいになる。
そしてレンブラントはフランチェスカの瞳を一心に見て告げた。
「それに俺は、お前が妃として利が無いなんて少しも思わないぞ」
「え…でもそれは無いですわ。わたし、なんの力も持っていませんもの」
「フランにはフランの力があるだろう」
「わたしの力?でもわたし、握力も腕力も強くありませんわよ?」
「そういう物理的な強さじゃないさ。でもそうだな、予め言ってしまうと、お前は力み過ぎて本領を発揮出来ないタイプだからそれは追々話すよ。……だからフラン…一緒に王宮に戻ってくれるな?」
大好きな人にここまで言われて帰らないという選択はないだろう。
ましてや王太子という超多忙な身であるにも関わらず、ここまで迎えに来てくれたのだ。
フランチェスカは静かにこくんと頷いた。
その時に一粒、小さなガラス玉のような涙が零れた。
「レン様っ……好きっ……わたしだって子どもの頃からずっとレン様の事が好きですっ……もう許されないと思ったけど、レン様が良いと言ってくれるなら……ずっとお側に居たいっ、レン様と一緒に居たいっ……」
「フランっ……」
もう一度レンブラントが抱きしめてくれた。
温かくて優しくて安心出来る、フランチェスカの大好きな居場所。
じんわりと温まった心を表すように温かな涙がフランチェスカの頬を伝う。
それにレンブラントは唇を寄せた。
啄むように何度も頬に口づけをされる。
最後に眦に唇が触れたと思ったら、その後にゆっくりと、レンブラントの唇がフランチェスカの唇と重なった。
優しく触れるだけの口づけ。
ただ触れただけの口づけなのに、フランチェスカは全身の力が抜けた。
くったりとレンブラントの胸に頬を寄せる。
心の奥底から多幸感が湧き上がる。
嬉しくてくすぐったくて、大好きだと叫びたくなる。
初めての口づけを交わし、二人は今、心から幸せだと思った。
そうしてフランチェスカは二週間の出奔生活を終えてレンブラントと共に王宮へと戻った。
残してきたロナとメイドとアパートが心配だと告げたら、それはロナに任せておけと言われた。
そして戻ったその足ですぐ、フランチェスカは王宮内にある文書室へと連れて行かれた。
自国を問わず大陸中の古い文献や貴重な書物、そして歴史的貴重な資料が保管されている文書室。
中でも厳重に保管、管理されているのが王家が禁書と定めた古い本達である。
それは精霊文字で書かれている為、何が記されているのかは長く知られていなかった。
世界でも数名しかいないという精霊文字の翻訳家。
フランチェスカはその内の一人として、レンブラントにここへ連れて来られたのだ。
「フラン、さっそくで悪いが翻訳を進めて欲しい書があるんだ。禁書であるから当然持ち出しは不可。室長の居る時のみの室内使用および閲覧許可だが。頼めるか?」
「ええ……お任せ下さい…でも何故わたしに翻訳を?」
「この禁書に書かれた内容がいずれ我が国を救うかもしれないのだ。頼んだぞフラン」
なんだか不穏な言葉が聞こえたわと思っていたその時、
レンブラントにとある人物を紹介された。