エピローグ 不用品令嬢ではなかった王太子妃のお話
最終話です。
よろしくお願いします!
「フランちゃん!」
実年齢より若い、鈴を転がすような可愛らしい声で名を呼ばれたフランチェスカ。
振り向くと向こうから急ぎ足でやって来るレンブラントの実母、現国王の第四側妃であるオレリアの姿があった。
本人は急ぎ足のつもりだろうがちっとも急ぎ足になってはいないのだが。
もうすぐ四十とは思えないほど愛らしいレンブラントの母親。
フランチェスカが王宮入りした時から娘のように可愛がってくれる人だ。
「側妃様……!」
オレリアのちょこちょこ急ぎ足ではなかなか距離が縮まらないので、フランチェスカの方が駆け寄ってひしと手を握り合った。
「会いたかったわフランちゃんっ、本当に寂しかったのよ」
「わたしもお会いしとうございました。こうやってようやくお会い出来て嬉しいです」
「ああ……フランちゃん!」
感極まった様子でオレリアが抱きしめてきた。
「お疲れ様、フランちゃん。よく頑張ったわね。レンブラントのお嫁さんがフランちゃん以外の令嬢になるかもしれないと聞いた時の私のショックは、とても筆舌に尽くし難いものがあったのよ!本当に良かったわ、本当に嬉しい、頑張ってくれてありがとうフランちゃん……!」
「そんな……わたし、自分が何かしたとは思っていないのです。ただマニアックな書を翻訳出来て楽しいなぁと。文書室で過ごす時間が楽しいなぁとそれくらいの事しか思っていませんでしたから、全てはレン様のおかげですわ」
「レンがフランちゃんを守るのは当然の事よ。あの子は昔からフランちゃんにメロメロなんだから」
「メ、メロメロ……」
恥ずかしい単語を投げかけられて、フランチェスカは思わず頬を赤らめる。
その時ふいに後ろからレンブラントの声がした。
「母上、恥ずかしい事を言わないで下さい」
フランチェスカの真後ろに現れた息子を見上げながらオレリアは言い返した。
「アラ、だって本当の事じゃない」
「それはそうですが、他にも言い様があるでしょう。見て下さいフランが真っ赤になってます」
「……」
湯気が出そうなほどに顔を赤らめているフランチェスカを見てオレリアは破顔する。
「アラアラまぁまぁ可愛らしいこと!相変わらずウブウブね。もうすぐ花嫁になるのに」
レンブラントは自分の腕の中にフランチェスカを囲い込み、母親から遠ざけた。
「そこまでですよ。もう既にフランがいっぱいいっぱいになってます」
「ふふ、ホントに可愛い♡初々しいスレてないお嫁さんで良かったわねレン」
「……はい」
この無邪気の塊の母親に何を言っても無駄だと思い、レンブラントは諦めた。
父王が可愛がってずっと甘やかし続けているから母はいつまで経っても少女のような人なのだ。
……自分もきっとそうやってフランチェスカを甘やかしてゆくのだと予想出来るので、あまり偉そうな事は言わない方がいいと思っているレンブラントであった。
フランチェスカに事後報告があるからと言って連れ出す。
二人で庭園を散歩しながらレンブラントは夜会の後の事を色々と話してくれた。
まずリーグ公爵家だが、なんとか取り潰しは免れたようだ。
レンブラントが優秀だと認めるリーグの傍流の子息を当主とする事になり、ヴェロニカの父である前当主は保有していた爵位を全て返上、王都のタウンハウスで生涯謹慎の身となった。
庶子である娘を王家に嫁がせようとした罪以外にも公金の不正利用なども発覚し、その分の処罰も上乗せされての事だ。
娘のヴェロニカは直接的な罪状はないとはいえ、ソレムが自分を襲うようにと誘導した事で修道院送りとなった。
数年後、修道院の責任者の判断で更正したと見做されれば還俗を許され、然るべき相手になら嫁ぐ事も可能としている。
筆頭公爵家故に秩序を正す意味でもリーグ公爵とヴェロニカには厳しい処分を下したが、それでも処罰の重さはソレム家の比ではない。
ソレム辺境伯家は爵位取り上げ、お家断絶の取り潰しとなった。
コリンヌの父は北の牢獄にて痛罰刑付きの懲役が決まり、コリンヌもまた投獄され、父と同じく痛罰を与えられた後服役する身となった。
いずれも期間は無期限。
上位貴族であるが故に厳しい罰則をするのだという見せしめ的な意味もあった。
他家の令嬢を害しようと企てた罪もさる事ながら、やはり純潔を偽り違法とされる医療魔術行為を強要した事、そしてその術者殺害未遂という幾重にも罪を重ねた結果である。
今までソレム家が治めていた辺境伯領と辺境騎士団は、辺境騎士団の団長として国境警備を担い続けて来た前ソレム辺境伯の遠縁の者がそのまま受け継ぐ事になりそうだ。
今はまだ彼は騎士爵しか持たない身だがその真面目で誠実な人柄を買い、いずれ辺境伯として叙爵させようとレンブラントは考えている。
以上が断罪の後始末(の一部)と言ったところだと、レンブラントが聞かせてくれた。
「そうですか……」
アンジェリックのお茶会で元気に嫌味の応酬をしていたのはつい先日の事なのに。
今の二人の状況を見れば人の人生などいつどう変わるか分からないものだとフランチェスカは思った。
そしてヴィゾネット侯爵家のアンジェリックは、夜会の翌々日には王宮を辞して領地へと帰って行った。
次に王宮に上がるのは、王太子妃の腹心としてだと満面の笑みを浮かべながら。
「だけど何か有事がありましたら直ぐに王宮にお呼び寄せ下さいませ。直ぐにどの様な応急も出来ますわ、王宮なだけに……ぷっ」
「ぷっ……ふふふ、よろしくお願いしますわアンジェリック様」
聡明で判断力も的確なアンジェリックがフランチェスカの側に居てくれるなら安心だとレンブラントは思った。
レンブラントは近々、アンジェリックの実弟を近習の一人として王宮に召し抱える事にしている。
他にも数名、ヴィゾネット家門の優秀な若者を引き上げるつもりだ。
フランチェスカの生家、ロング侯爵家の当主代行であるフランの異母弟の伯父が何度か目通りを申し入れて来たが、そちらは門前払いをしている。
――しかし優しいフランが弟の行く末を心配している。
彼の成長を待って為人を見てからその後の対応を決めても良いか……
レンブラントは密かにそう考えていたのだった。
リズム女史は変わらず王宮の医務室で魔法薬剤師として勤めている。
今は流行り病の特効薬の調剤で大忙しのようだ。
もう文書室で会う事はなくなったが、時折カメ室長と共にフランチェスカの自室に招いてお茶を飲んでいるらしい。
もちろん、お茶請けはセンベイだそうだ。
様々な事が大きく変わった王宮で、フランチェスカは変わらない生活を送っている。
半年後に差し迫った結婚式の準備などで忙しくはしているが、それ以外は静かで穏やかな日々だ。
他の妃候補者を王宮に上げる以前のように、レンブラントは空き時間を作ってはフランチェスカの元へとやって来る。
忙殺されている自身の英気を、フランチェスカの膝枕で養っているのだとか。
しかし正式な婚約者となってからは膝枕だけで済まない過剰なスキンシップに、フランチェスカは翻弄されていた。
いつも際どいところでロナが部屋に戻ってストッパーになってくれているので助かっているのだが……。
その際のロナのレンブラントに対して暴言とも捉えられかねない毒舌に、不敬罪にならないかフランチェスカの方が心配になってしまうのだが、当のレンブラントもロナもどちらも悪びれる様子もなくシレッとしているから大丈夫なのだろう。
そんな日々を送りながら、とうとうレンブラントとの結婚式当日となった。
朝から全身を磨き上げられ、既に一年以上前から用意されていたというウェディングドレスに身を包む。
レンブラントと母親であるオレリアが選んでくれたというウェディングドレスはフランチェスカにとてもよく似合っていた。
式のひと月前から王太子妃の腹心として王宮勤めとなったアンジェリックとロナが、この世の全ての賛辞を尽くして褒め称えてくれた。
ロナに至ってはこの後フランチェスカの花嫁姿を見たレンブラントがどの様な言葉を用いても二番煎じとなるようにとの魂胆があったそうだが。
しかしレンブラントはそんなロナの企てを察していたのか同じ土俵に立つつもりが無いだけなのかは知らないが、花嫁姿のフランチェスカを見てただ一言、「愛してるよ。美しい俺だけの花嫁」とだけ告げてフランチェスカをそっと抱きしめたのであった。
どこかでロナの「ち」という舌打ちが聞こえた気がするのは気のせいだろうか。
そして式が始まる。
父を亡くしているフランチェスカを慮り、レンブラントと二人で大司教の立つ祭壇の前まで歩いて行く事となった。
そんな細かい事にまで気を配ってくれるレンブラントに改めてキュンとするフランチェスカである。
神と大司教と参列した皆の前で永遠の愛を誓う。
その最中に感涙に咽び泣くトーマスの嗚咽が漏れ出していたのはご愛嬌だ。
誰よりも近くでフランチェスカとレンブラントの事を見守って来てくれたトーマス。
感極まって泣く権利は誰よりもあるとフランチェスカは思った。
そして誓いの口づけを交わした後に大聖堂中に拍手と歓声が湧き上がる。
多くの国民がレンブラントとフランチェスカを祝福して大騒ぎになっているという。
アトラス王太子の慶事を国民の誰もが喜び、誰もが祝福した素晴らしい結婚式であったと、大陸中に報じられたそうだ。
フランチェスカとレンブラントはその日間違いなく、世界で一番幸せな夫婦であった。
「………と、そうして自分が不用品令嬢だと思っていた女の子は、幸せな花嫁になりましたとさ。めでたしめでたし」
膝に甘えて座っていた愛しい我が子に、フランチェスカは言った。
今年で五歳になる長男にねだられて、昔の話をおとぎ話風に語って聞かせていたようだ。
フランチェスカが王太子妃となって六年が過ぎた。
結婚して直ぐにフランチェスカは懐妊し、無事に後継である嫡男と相次いで次男を産み、王太子の唯一の妃として盤石の地位を築いている。
そのおかげで誰もレンブラントに側妃を娶れと進言してくる者はいないという。
まぁやはりフランチェスカ本人にとっては、愛しい夫との間に可愛い子どもをもうけただけの感覚のようだが。
そして現在、お腹の中には新たな命が宿っている。
乳母に子ども達を預け、フランチェスカは少し散歩をする事にした。
安定期に入り、なるべく歩くようにと侍医に言われているためだ。
子どもの頃から幾度となく歩いている庭園をゆっくりと散歩する。
すると後ろから大好きな声が聞こえた。
「フラン」
フランチェスカは嬉しい気持ちを包み隠さず笑顔にのせて振り返る。
「レン様」
政務の合間かレンブラントがフランチェスカの元へと歩いて来た。
「散歩をする時は声を掛けろと言っただろう」
「だってレン様はご政務でお忙しいでしょう?」
「愛する妻の散歩に付き合えないほど忙殺されているわけではない」
「ロナやアンジェリックが側に居てくれるし、転んだりなんかしないから大丈夫よ」
「俺がフランと一緒に歩きたいんだよ」
「まぁ、ふふふ。それじゃあお付き合い頂こうかしら」
「かしこまりました。では奥様、お手をどうぞ」
レンブラントは恭しくそう言って、フランチェスカに手を差し出す。
「ありがとう」
フランチェスカはにっこりと微笑んでその手を取った。
すると気を利かせてか、トーマスがニヤけ顔で「ご夫婦水入らずでごゆっくり」と言って去って行った。
ちゃっかり自分も妻であるアンジェリックの肩を抱いて。
王太子夫妻の仲の良さは国民の誰もが知るところである。
幼い頃から共にあり、紆余曲折を経て結ばれた二人の物語はロイヤルラブロマンスとして小説にもなっているらしい。
とかく民衆は王子様やお姫様の恋物語が好きなのだとか。
どのように書かれているのか……恥ずかしいけど一度は読んでみたいとフランチェスカは思っている。
こんな日が来るなんて。
この庭園で他の妃候補の令嬢とレンブラントが歩いている姿を見た時は想像もつかなかった。
寂しくて悲しくて自分はもう必要のない人間なのだと王宮を飛び出した。
一瞬だけ市井で暮らした日々は楽しい思い出として今も胸の中にあるけれども、やはりレンブラントとの別れは辛かった。
あの時の自分に教えてあげたい。
初恋は実り、幸せな日々が待っているのだという事を。
感慨深く、遠くを見つめながらそんな事を考えていたフランチェスカにレンブラントは話しかける。
「フラン、何を考えていた?」
「ふふふ。幸せだなぁと思っておりました」
「ああ。俺もだ」
レンブラントはそう言ってフランチェスカを抱き寄せた。
「これからもずっと俺の側にいてくれ」
「はい。もちろんです」
「……一度は捨てられたがな」
「ふふふ。多分、二度とありませんわ」
「多分て……まぁいい。そうならないように頑張るさ」
「はい」
レンブラントがフランチェスカにキスをしようとしたその時、
「あ」
突然フランチェスカが声を発した。
「なんだ?どうした?」
「今、赤ちゃんにお腹を蹴られましたわ」
フランチェスカとレンブラント、二人にとって幸せがまたひとつ訪れようとしていた。
お終い
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これにて完結です。
沢山の方にお読み頂き、そして感想をお寄せ下さり感謝の念に堪えません!
本当にありがとうございました。
今作は書籍化作品の加筆作業と並行で行った為にいつもよりさらにサクサク進行で完結を迎えました。
その書籍化の方ですが一作品の方のラストスパートを掛けたいと思っております。
もう一つのお話はコミカライズで、まだ余裕があるので引き続き次回作も加筆と並行で投稿を始めますが、今までにない小刻みな投稿になりそうです。
文字数少なめで投稿を増やすか、文字数が溜まった上でどーんと投稿するか……迷いに迷ったんですが、少ない文字数で投稿数を増やす!に決めました。
文字数が少ないと誤字脱字も少ない……はず☆
新しいお話のタイトルは……
『妻と夫と元妻と』です。
妻が大好きな夫が復縁を迫ってくる元妻と戦うお話です。
主人公は今妻ですよ。
年末年始でモヤリ臭のするお話を投下いたします。(異臭注意、公害案件)
でも軽めのお読みものになると思います♪
もしよろしければお付き合い頂けると光栄です。
投稿は明日からとなります。
よろしくお願いいたします♡
さて、読者さま皆さま、
フランチェスカとレンブラントのお話にお付き合い頂き誠にありがとうございました!
主人公二人になり代わり、お礼を申し上げます。
心から感謝をこめて……本当にありがとうございました!
誤字脱字報告ありがとうございました!