フランの功績
作中、伝染病にて人が亡くなる事に触れる箇所があります。
苦手な方は自衛をお願いいたします。
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あの時、王宮中が悲しみに包まれていた。
いや、王宮だけではない、国中が悲しみで溢れていた。
レンブラントの兄である前王太子を含む数多の人間が、三年前の流行病で亡くなった。
その悲しみは今も多くの人の中にあり、失った大切な人への憐憫と特効薬の無い病への恐怖を抱きながら日々を生きている……。
そんな中、一人の王宮魔法薬剤師が王太子レンブラントに目通りを願い出た。
一介の薬剤師が何用かと問われる事もなく、その薬剤師は王太子の執務室へと通される。
執務室へと入って来た薬剤師に王太子は声をかけた。
「自ら謁見を願い出ておいて、どうしてそんな鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているのだ?」
「も、申し訳ございません……私のようなただの薬剤師の申し出を直ぐにお聞き入れ頂けるとは思いも寄りませんでしたから……」
レンブラントは少しだけ笑みを浮かべて言った。
「丁度空き時間がありタイミングが良かったのもあるが、王宮魔法薬剤師がわざわざ王太子に話が有ると言うのだ。何か重要な事なのだろうと思い、目通りを許すのは当然であろう?」
「殿下よりも下の者は、それを当然と思われないようですが……」
「だから直接王太子に直談判か。中々豪胆な女性だ」
レンブラントが自分の話をきちんと聞くつもりであると理解した王宮魔法薬剤師が、居ずまい正し礼を執った。
「申し訳ございません。ご挨拶が遅れました、王宮魔法薬剤師リズム=バーディンと申します」
「それで、私に話とは?」
「殿下のお血筋を遥かに遡られ、アトラス王家の祖にあたられるお方は精霊人だとお聞きしたのですが、それは真にございますか?」
「やはり豪胆な者だな。いきなりに祖先の事を聞くのか」
「大切な事でございます故……」
「如何にも。我が祖は、確かに精霊王と人間の間に生まれた精霊人だと聞き及んでいるが」
「では……罪に問われる覚悟でお聞き致します、禁書とされる王家所蔵の書物の中に、その精霊人が書いた物があるというのは本当でございますか?」
その言葉を聞き、レンブラントは直ぐには答えずリズム=バーディンなる薬剤師の顔を見つめた。
「……何故その事を知っている?」
どこの王家にも禁書の一冊や二冊、所有しているのは当たり前の事だ。
しかしこの者はその禁書の中に先祖が書いた物があると知っているのだ。
文書室を任される室長クラスの者しか知り得ない事を一介の魔法薬剤師が何故……。
リズム=バーディンは一心にレンブラントの目を見て告げた。
「私の養母の知り合いに、大賢者の弟子を昔から知る方がおります。その方が、賢者の弟子から聞かされたそうです。アトラス王家の禁書の中に、あの恐ろしい流行り病から民を守る術が記されている書物があるかもしれないという事を……!」
「何っ?」
レンブラントの顔つきが変わる。
三年前の大流行から今も、国を挙げてあの病に対抗する手段を探し続けているのだ。
その問題解決の糸口になるやもしれない発言を聞き、冷静ではいられないだろう。
「数百年前に一度だけその書物を見た事があると大賢者イグリードが言っていたと、賢者の弟子が言っていたそうです」
「では大賢者はその書物の内容を覚えておられるのか?」
「いえ。なんでも「薬について書いていたと思うけど、ちゃんと読まなかったから忘れちゃった☆」と仰ったようで……」
「…………」
大賢者ともあろう者がそんな軽いノリで言ったというのは俄には信じ難いが、この際それは問題ではないだろう。
レンブラントは言った。
「……その禁書は精霊文字で書かれている為に安易には読めない」
「もし、許可して頂けるのであれば、養母を通して賢者の弟子に翻訳を願い出てみます……!」
「その話を信じる以前に、禁書の持ち出しを許せる訳がなかろう」
「ですがっ……「しかし」
リズム=バーディンの言葉を遮ってレンブラントは言う。
「しかし、あの病を何とか出来るかもしれないという可能性を安易に一蹴する気には到底なれん。禁書の翻訳は私が心より信頼する者に任せる。その上で、もし本当にそなたの言う事が正しかったのならその時はこの国の為に尽力してくれるな?」
「も、もちろんでございますっ!」
「よし、丁度よい。まさに好機だ。彼女に手柄を立てさせたいと思案していたのだ。その話、しばらく預からせてくれ」
「は、はい……承知いたしました……彼女?手柄……?」
「ふふふ……」
レンブラントがなんとも言えない表情で微笑む。
フランチェスカが王太子妃に相応しく無いという声を黙らせ、一掃出来るチャンスをずっと窺っていた。
そのフランチェスカに、ケチのつけようもない功績を立てさせる算段がどうやら付きそうだ。
予てより考えていた計画を推し進める時がきたのだとレンブラントは思った。
まさか後日、そのフランチェスカに王宮を出て行かれるとも知らずに……。
◇◇◇◇◇
「皆にここで重大な発表がある」
レンブラントが会場中の者に聞こえるように大きな声で告げた。
「本当は夜会の最後に発表しようと思っていた事があるのだが、折角の夜会であるのにも関わらず二つの家門の断罪により興が削がれた。その詫びとして、今この場で発表する事とした」
相次いで高位な家の罪が明らかとなり、それを目の当たりにした人々により騒然としていた会場内がレンブラントの言によって鎮まりを見せた。
皆の意識が等しくこちらへ集中した事を確認し、レンブラントはより一層声を高くして告げる。
「三年前に度々大陸の至る所で蔓延しては多く人間の命を奪う流行り病がこの国で猛威を振るった事は、まだ皆の記憶にも新しかろう。あの時の流行で私の兄であった前王太子も犠牲となった……」
王家を含む、皆の心に当時の悲しみが蘇る。
王太子だけではない、今ここにいる者の多くがあの時かけがえのない人を失ったのだ。
「かの病は感染源が解らず、強い感染力であるにも関わらず未だ特効薬もない、まさに厄災と呼べるレベルの忌まわしいものである……が、それがとうとう過去のものになる転機が訪れたっ!」
そしてレンブラントは小さく鷹揚な声でフランチェスカを呼びせた。
「フラン、ここへ」
レンブラントに差し出された手を取り、フランチェスカは彼の隣に並び立つ。
「皆の者よく聞け、ここに居るロング侯爵令嬢の尽力により、かの流行り病の特効薬が発見、開発されたのだ!」
その言葉が発せられた直後、会場中が再び騒然とした。
それに構わずレンブラントは続ける。
「我が王家に伝わる精霊薬が書かれた書を、精霊文字に精通しているロング侯爵令嬢が翻訳し、その中に流行り病によく似た症例の薬を、彼女が見つけ出した」
会場中が響めきの声で溢れ返る。
「ロング侯爵令嬢がっ……?」
「精霊文字は大陸の中でも数名しか翻訳が出来ない難しい言語だと聞くぞ」
「その話が本当ならもうあの病に怯えなくて済むようになる」
「これ以上、大切な人を失わずに済むのか……?」
様々な声が会場中で上がっている。
「翻訳により発見された薬の処方箋は既に我が国の王宮魔法薬剤師達により調剤され、既に魔術による治験も済んでいる。確実にこの精霊薬をかの病の特効薬として皆に提供出来る運びとなったのだっ!」
その後もレンブラントは皆に語った。
王家の祖がかつて流行り病に似た病気に罹った妻の為にその薬を調剤した事。
その後その薬の需要はなくなったが、いつかまたこの病で苦しむ者が出てはいけないと、処方箋を後世に残すべく書物として認められた事。
そして特効薬の薬材は精霊界ではどこにでも自生している植物であるという事を皆に説明した。
そこである貴族男性がレンブラントに質問をした。
「殿下、一つ宜しいでしょうか?その精霊界の植物を、どうやって手に入れるのですか?」
レンブラントはそれに答える。
「精霊界の植物は、ここにいる王宮魔法薬剤師のリズム=バーディン女史の(養母の友人の夫の)仲介により、大賢者イグリードの弟子として高名なコルベール卿が定期的に仕入れてくれる事となった。この薬の処方箋を我が国が独占するのではなく、大陸中の国々と共用する事を条件として。私は陛下の了承を経て、もちろんこの条件を呑んだ」
がめつい者の中には、この処方箋を国の財源として各国に高値で売り付けるべきだという声も上がるだろう。
しかしレンブラントはもとよりそれをするつもりはなかった。
かの病はどの国も頭を抱える問題である。その弱みに付け入るようにして利を得たとしても何の意味もないのだ。
むしろ国家間での信頼を失う事になる。
レンブラントはこの先の他国との関係性も踏まえてこの条件を呑んだのだった。
「そしてこの処方箋の発見に至る翻訳をしたロング侯爵令嬢の功績を踏まえた上で妃候補者序列一位とし、我が妃として迎える事としたのだ。それについて異論のある者はいないか?あるなら今のうちに言え。この後どれほど騒ぎ立てても聞く耳は持たぬぞ」
それを聞き、おそらくリーグかソレムの家門の者であろう、壮年の貴族男性が挙手をして質問してきた。
「畏れながら殿下。まだ年若いご令嬢であるロング侯爵令嬢があの精霊文字を翻訳したと言われましても俄には信じられませぬ。誰か手助けをした者がいるのであればそれはご令嬢一人の功績とはなりますまい。ロング侯爵令嬢が自らの力で翻訳したと証明出来る者は誰か居られぬのでございましょうか?」
「その疑念は当然だ。では証人に発言を許そう。文書室室長であり、妃選定議員の一人であるイド=カメリオ伯爵。前へ」
「は……」
いつも文書室でセンベイをバリバリ食べていたカメ室長が、レンブラントの要請により皆の前へ進み出た。
そして皆の前で言う。
「まず最初に申し上げておくが……妃選定議員としても、禁書を含む機密文書を預かる文書室の室長としても、某には国と交わした誓約魔法が施術させられておる。それにより、どのような些細な嘘も吐く事が許されぬ身である事をご承知おき頂いた上で証言しよう。今回の精霊文字の翻訳は紛う事なくフランチェスカ嬢が一字一句全てお一人で訳されたという事を」
「まさかっ……?」
質問した貴族男性だけではない、多くの人間がその事実に驚愕した。
しかし誓約魔法がどのような魔法であるかは、貴族であれば誰もが知るところである。
一度誓約を破ればたちまちに舌は灼かれ二度と喋れなくなり、文字に記そうとすれば瞬時に指が腐り落ちるという途轍もなく恐ろしい魔術なのだ。
魔法律にて厳しく定め、管理された禁術に近い魔術、それが誓約魔法なのである。
その誓約魔法を施されている身であるイド=カメリオ伯爵の証言は、正当な大陸裁判であったとしても認められるほどの信頼性のあるものという事だ。
カメリオ伯爵が証言した事により、もう誰もフランチェスカが不正をしたと否を唱える者はいなくなった。
――勝ったな。
その瞬間、レンブラントは思った。
フランチェスカの腰を抱いて引き寄せる。
そしてその場を締める為に、国王が玉座から立ち上がり、皆に告げた。
「今宵この場を以て宣言する。我が息子でありこの国の王太子であるレンブラントの妃を、ロング侯爵令嬢フランチェスカと定める事を。この国を、いや大陸全ての人間の救世主となったこの者以外に相応しい者は居らぬであろう。皆、心より祝福してやってくれ」
国王の発言の後、直ぐに会場中から割れんばかりの拍手が沸き起こった。
特効薬の開発により流行り病を恐れずともよくなるという朗報。
そして何より、自国の王太子妃となる女性がそれに尽力したという事。
二つの喜びが皆の胸を熱くした。
その光景を会場の隅から見守っていたロナが呟いた。
「悔しいけど、ヘタレ王太子の狙い通りになったわね……フランチェスカ様の敵を一掃し、ついでに目の上のタンコブだった門閥のトップのすげ替えも可能になった。そして何より、全ての者にフランチェスカ様を認めさせた。これでもう二度と、フランチェスカ様では力不足だと言う者は出て来ないでしょう……ホントに腹立たしいほどにやってのけたわね、あのヘタレ王太子め……」
遠くにいるフランチェスカはぱちぱちと瞬きを繰り返して驚いている。
本人にしてみれば楽しく趣味の延長として翻訳をしたという認識である。
それがこのような結果を生み出し、驚くしかないのだろう。
「えっと……レン様?なんだか凄い事になってますわね……?」
フランチェスカが自分の腰をガッチリ抱きながら隣に立つレンブラントに話しかける。
「だから言っただろ?夜会の日に素晴らしい贈り物をすると」
「この拍手が贈り物ですの?」
「いや?誰もが認める王太子妃フランチェスカの誕生、それが贈り物だ。嬉しいだろ?一生、俺を独占出来る権利を手に入れたんだぞ?」
「まぁ……それは確かに……嬉しいですわね!」
「俺もだ」
レンブラントはそう言って、満足そうにフランチェスカのこめかみにキスを落とした。
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存在が薄いぞ、主人公フランチェスカ。
次回、最終話です。