2011年9月24日③ 陸前高田市(岩手県)
道の駅を出た私は、車を駐車スペースに置いたまま、周辺を少し歩いてみることにした。
海沿いを縦走する国道45号に沿って少し歩くと、元ホテルと思われる建物があった。
こちらは道の駅のような公共スペースとは異なるためか、周囲にロープが張られて立入禁止となっていた。
ロープぎりぎりの場所まで近づいてみる。雨が降ったか、はたまた津波の海水が乾ききっていないのか、足下の地面はひどくぬかるんでいた。
正面玄関(であったと思われる場所)の横の壁に、大きなピンクのカラースプレーで「4/24」と日付のようなものが書き込まれていた。何かの合図だろうか。
後から知ったのだが、これは被災地の捜索を行った自衛隊が「捜索済、遺体なし又は収容済み」の意味で建物や車両に捜索の日付を記入しているモノだとのことだった。
つまり、このホテルらしき建物は4月24日に捜索済、という訳だ。
ガラス張りの窓が破れ、中のレストランか喫茶室のものと思われるテーブルセット一式が、丸ごと外に投げ出されていた。
震災当日、誰かがここでティータイムを楽しんでいたものと推察された。テーブルの傍には割れたティーカップ、ソーサー、スプーンなどが一式まとめて散乱している。
地震さえ来なければ、この場所でさぞや優雅な午後を過ごしていたことだろう。
無事に避難できていれば良いのだが。
駐車スペースに戻って車に乗り込んだ私は、そのまま国道45号線を走った。
メディアで幾度となく報道されてきたこの街。TV等で見覚えのある建物(の残骸)も何度か目にした。しかし、TV画面を通じて見るのと、実際に目の当たりにするのとでは、全く異なる印象があった。うまく表現できないのだが、目に映る映像は同じであっても、受ける衝撃…インパクトが全く違う。
つい先日、この場所で、現実に起こった出来事。
紛れもないその事実を、これでもかというほど強く実感するのだった。
そうこうしているうちに、日が暮れてきた。津波で壊滅状態となったこの周辺には街灯の類もなく、周囲が目に見えて薄暗くなって行くのが分かった。
車のガソリン残量が残り少ないことに気付いた私は、給油所を探すことにした。
しかし…現実問題として、そもそも店がない。あらゆる店舗は破壊され、住民は避難を余儀なくされている状態。とても商売どころではないのだ。
営業している店すら見当たらないまま、みるみる日は暮れていった。
諦めかけた日没間際、前方にようやくガソリンスタンドらしき看板が見えた。出光のSSだった。
車を乗り入れ、従業員に営業時間を尋ねてみる。電気が復旧していないので、日没とともに閉店とのことだった。ボチボチ店じまいを…というところに、私が飛び込んできたらしい。恐縮しながらもレギュラー満タンを依頼すると、笑顔で快く給油してくれた。
窓も丁寧に拭いてもらった。照明がないので、一人の従業員がカンテラで手元を照らし、その明かりを頼りにもう一人の従業員が窓を拭いている。
支払いを済ませ、明細を見てみると、標準的なガソリン価格よりも10円/Lほど高い価格だった。やはり、仕入れるだけでもひと手間なのだろう。
そんな貴重なガソリンを、単なる通りすがりの私が使ってしまうことに、今更ながらいくらかの罪悪感を覚えた。が、こればかりは致しかたがない。
「今後もいろいろと大変だけれども、お互いに頑張りましょう」
従業員達と短い言葉を掛け合い、私はスタンドを出た。
破壊された街は、既に宵闇に覆われつつあった。
さまざまな思いを胸にしまい、私は陸前高田市を後にした。
(続く)