過去編 ライホウシャ
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一年前
三月も下旬に差し掛かり、四季美島が最も美しい衣をまとう季節。
春休みを利用して観光客が増大し観光業者を中心に様々な店舗が忙しなく稼動する中。
「恋、業者への発注は終わってるか」
「とっくに。ユースケの注文書どおり二日前には搬入するって。本当に格安だったよ」
「そうか。愛、割引カードの準備はどうだ」
「明日には完成します」
「なら明日挨拶ついでに渡しに行くぞ」
「ほーい」
「わかりました」
島の中心に位置する定食屋は閉店中でも稼働中。
日々平穏。
長年島の住民に愛され、通な観光客に人気の定食屋だが昨年の暮れに店主の上條喜三郎が、一月後には妻のイチ子が後を追うように他界したことで閉店してしまった。
しかし一度消えてしまった厨房の火が再び点される。
今春より高校生になる優介を店主に、恋と愛を従業員として三人の新たな日々平穏が来月から始まる。
春休みに入るなり優介と恋は高等部に、愛も今年から中等部に編入する準備の合間を利用しての開店準備だったが朝から夜まで動き回ったお蔭で予定通り着々と進んでいた。
「ユースケ、予算チェック終わったよ」
「優介さま、清掃業者へ提出する書類の確認終了です」
「ご苦労。そろそろ飯にするぞ」
「お昼は何のメニューにしたの?」
「朝の続きで定食だ。焼肉、天ぷら、ハンバーグ。好きなのを選べ」
「あたし焼肉!」
「ハンバーグでお願いします」
手を止めてテーブル席に着く恋と愛の前にリクエスト通りの料理が置かれ、優介も残った天ぷら定食を手に同じ席に。
合間の食事も大事な開店準備の一つ。
これから提供するメニューを朝食、昼食、夕食で作り、お客に出しても問題ない味か三人で食べて確認していた。
「ん~! 美味しい~!」
「大変美味しいです」
「……お前ら美味いしか言ってねぇぞ」
だが料理オンチな恋と料理歴一月の愛ではいまいち確認にならず優介からため息が漏れてしまう。
まあこの二人にとっては優介の料理なら何でも美味しく感じてしまうのかもしれないが、もちろんそれだけではない。
「でもさ、美味しいのが分かればいいんでしょ? 少なくともあたしは他のお店の料理に負けてないと思う」
「私も研究として島の飲食店を周りましたが、優介さまの作るハンバーグより美味し物を提供するお店はありませんでした」
喜三郎の死後、学園に通う時間以外の全てを料理修行に当てていた努力で優介の腕前は二人の言うように他の料理店と比べて何の遜色もない。
「…………なら良いが」
だがそれ以上に二人が嘘を言うはずもないと信頼しているので優介も納得、改めて箸を運ぶ。
「でも……本当に再開するんだ、日々平穏」
だが恋の呟きに箸の動きが止まる。
「正直さ、最初は無茶なことって呆れてた」
学生のみ、しかも優介はこのお店を一千万の借金をして買い取るなど無茶苦茶な条件の運営、恋の気持ちはもっともだ。
「だけど準備は忙しいけどお祭り前みたいで楽しかったし、なによりこれから始まるお祭りはずっと続く。お爺ちゃんとお婆ちゃんに変わってあたし達がだよ? すっごく楽しみ!」
「……気楽なもんだ」
笑顔を向ける恋に優介はため息を返すも表情は柔らかい。
祖母の遺言に背いた運営。
返済できるか保証のない多額の借金。
誰かが望んでくれたわけじゃない、自分勝手な我がままと決して良い始まりではなかった。
それでも開店準備を始めれば日々平穏の復活に喜んでくれた島の住民は数多く、仕入れ業者はコストギリギリの契約を結んでくれて、差し入れや『頑張れ』と声をかけてくれて、内装の痛んだ箇所をボランティアで直してくれる者もいた。
まだ未熟者でしかない、喜三郎よりはるかに劣る味しか出せない自分勝手な我がままに協力してくれた。
お人好しな島の民、しかしそんなみんなにだからこそ優介は改めて思う。
ここを笑顔の耐えない場所に、そして――喜三郎とイチ子を自分の料理で喜んでもらえるように。
いつかここを再開してよかったと笑えるように精進すると。
「残念だが稼げねぇと祭りは終わるぞ。故に死に物狂いで働け、以上」
だがこの気持ちは言葉にする必要がないと普段通りの不機嫌顔で釘を刺した。
「あんたねぇ……こんな時くらい感傷に浸ろうと思わないの?」
「浸る暇なんかねぇよ」
「はぁ……ねぇ愛。あんたも楽しみにならない?」
「……恋の言葉に賛同するのは吐き気がします」
黙々と食事をしていた愛に無表情で否定されて恋はうな垂れてしまう。
「ですが、楽しみかといえばウキウキです」
「なら素直にウキウキしてなさいよ……でもやっぱ――」
「優介さまと私、夫婦二人で織り成す新たな日々平穏……楽しみです」
得意気に微笑む恋にウットリとした愛の発言。
「……てぇ! あたしもいるし!」
「忘れてました。ペットの泥棒犬がいましたね。温かな夫婦にペットはお約束ですが、どうしてこのようなウザいワンコを飼わねば……」
「誰が泥棒犬か! そもそも……誰と誰が夫婦よ!」
「何度も言っているでしょう。私と優介さまです」
「何度も否定してるよね!」
「キャンキャンうるさいですね……仕方なく仲間に入れてあげているのにいい加減主人の仲を認めなさい」
「最初に雇われたのはあたしですー! 愛こそ仲間に入れてあげたんだから少しは言葉をわきまえたらどうよ!」
「くっ……優介さまの最初を奪うなんてこの発情犬……っ」
「何の話っ? そもそも奪うって何よ!」
「そもそも恋は――!」
「だいたい愛は――!」
「…………うぜぇ」
ついには立ち上がり言い争いを始めてしまう恋と愛に優介は顔をしかめる。
愛がこの島に来てからというもの、何度も繰り返されるこの言い争いは再開前の日々平穏の名物となり、二人を知る者は恋愛コンビとの愛称で呼ばれるようになっている。
味ではなく言い争いが再開前の名物、店主を無視して叫び続けるので優介のストレスになっていた。
そして今回も優介がキレて叫び(これもまた隠れた名物だったりする)不毛な争いを終えるハズだったが――
「ホッホッホ、賑やかじゃのう」
突然店の引き戸が開かれ、愉快げな声に恋愛コンビだけでなく優介も驚き視線を向ける。
「それにええ匂いじゃ……賑やかで美味い匂い、これぞ日々平穏」
三人の視線に気づいても知らぬ顔で店内に入る一人の老人。
背が高く腰も曲がっておらず、白髪に少々痩せているが温和な顔つき。しかし丸メガネと高級そうだが黄色と派手なコートを羽織った実に奇妙な老人だ。
この島に住み始めてまだ間もない愛は仕方ないとしても、先代の日々平穏で二年も働いていた優介と恋ですら見覚えがない。
「……誰だ、あんた」
突然の来客、しかも少々奇抜な老人に口をパクパクさせる恋と愛だがそこは優介、すぐさま心を落ち着けて不適な対応。
「ふむ……その極道面、お前さんが鷲沢優介じゃな」
「極道……面」
しかし見知らぬ老人に名前を呼ばれて驚くよりも落ち込んでしまった。
「そっちのめんこいお嬢ちゃんらが恋愛コンビか。どっちが恋ちゃんで愛ちゃんなのかのう?」
「「恋愛コンビ言わないでください!」」
そして同じく驚くよりも同時に否定する恋愛コンビに老人は笑う。
「好子ちゃんは居らんようじゃな」
「お姉さまは取材で留守に……あの、お姉さまを知っているのですか?」
「ふむ……実に残念。好子ちゃんのめんこい顔を久々に拝めると楽しみに……ほう? これは美味そうじゃ。どれ」
愛の問いかけに答えず肩を落としていた老人だが、テーブルの上にある天ぷらに気づき指で掴んでほお張ってしまう。
「テメェ……俺のイモ天食うんじゃねぇ!」
行儀悪さと勝手な行動に優介が立ち上がるが、やはり老人は臆することなく咀嚼。
ただでさえ苛ついていた所に謎の老人の勝手放題な行動、これには優介も我慢の限界で。
「ほむほむ……ふむ。さすがはあの能力を喜三郎から受け継ぐほどの弟子だけあるわ」
「「「…………っ」」」
しかし老人の感想に優介だけでなく恋と愛も目を丸くする。
味の感想よりも最後の台詞。
優介が喜三郎と師弟関係なのは島の住民なら知っている。
だが老人は確かにあの能力を受け継ぐと言った。
あの能力――それはココロノレシピの他ない。
相手の目を見るだけで、思い出の料理のレシピを知り、同時に作り手の込められた心をも読み取り、完璧に再現できるだけでなく、料理に込められた想いを食す者に伝えることが出来る不思議で優しい料理。
先代の日々平穏の裏メニューのお客なら知る者もいるかもしれない。
だがその能力を優介が受け継いでいると知るのは恋、愛、好子、孝太、十郎太と秘書の荒川のみだ。
なのにこの見知らぬ老人は知っている。
「ちそうになった。おお言い忘れとった、ワシは花谷と言う者」
手を合わせていた老人は驚く三人に今更な自己紹介。
「お前さんの師、喜三郎とは……まあ悪友と呼ぶ仲じゃ」
更に驚愕することを口にした。
◇
花谷は四季美島に産まれ喜三郎と十郎太、そして一つ年下のイチ子と青春時代を過ごした後、上京してからは連絡を取り合わなかったものの、十朗太の四季美島観光計画の一つとして島を訪れ再会。
その時、喜三郎のココロノレシピによって救われ、以来交流を深めていたと言う。
いったい何があり、どう救われたかまでは教えてくれなかったが、観光計画に関わった理由は教えてくれた。
「こう見えても昔は舞台役者じゃった。一部の役者からは魂の役者として恐れられとったわ」
つまり島興しの一環として開かれた舞台で呼ばれたらしいが、豪快に笑う花谷を三人は意外そうに見つめる。
「ふむ? 信じておらんのか……ならばここでワシの魂の演技を――」
「「……遠慮します」」
立ち上がる花谷を恋と愛が首を振って制す。
正直な話、ただでさえ通る声(うるさいとも言う)で演技をされては外を歩く人に何事かと思われてしまう。
「そうかのう? 残念じゃ」
再び腰を下ろししょんぼりする花谷に元気な老人だと呆れてしまう。
「ほんに……残念じゃ」
だがその声音がこれまでの明るさが嘘のように弱々しくなり。
「喜三郎とイチ子さんはほんに残念じゃった……ワシも葬儀に顔を出したかったが……忙しくてのう」
言葉を紡ぐ時、花谷の瞳からから涙が一筋落ちる。
先立ってしまった友への悲しみか怒りか。
それとも寂しさか。
「喜三郎から聞いておる。ここ三年ほど顔は合わせておらんかったが連絡はしとったからのう」
涙を拭い、花谷は優介に視線を向けた。
「最後の……死ぬ前にも、テメェの全てを引き継げる生涯唯一の弟子に巡りあえた……ともな」
「……そうか。あの爺さんにしては殊勝な言葉だ」
「いやいや、しかし十郎太からお前さんが日々平穏を再開させると聞いたときはさすがに驚いたわ。まさか能力だけでなく店までも引き継ぐとは、お前さんまだ学生じゃろうて。大変じゃないかのう?」
「その程度で音を上げるようじゃ、あの爺さんの弟子はつとまらねぇよ」
「違いない」
優介と花谷は顔を見合わせ苦笑する。
年季は違えど喜三郎と関わる者同士の意思共通するものがあるのか。
「さて、ではそろそろ目的を果たすことにしようかのう」
と、花谷が立ち上がるので優介は首を傾げてしまう。
「二人に挨拶しに来たんじゃねぇのか」
「ホッホッホ。喜三郎とイチ子さんには申し訳ないが、わざわざ写真に挨拶せずともワシも老いぼれの身、どうせ近々会えるじゃろうて……ごほごほ」
「「…………」」
ワザとらしく咳き込む花谷に恋と愛はずいぶん先の話だと申し訳なくも思ってしまう。まあこれまでの印象だと仕方がない。
「……じゃあ何しに来た」
対し優介が小さく首を振り面倒げに問いかければ花谷は盛大なため息一つ。
「定食屋に服を買いに来たと思うか?」
「あん?」
「飯を食いにじゃよ。喜三郎の弟子がどれほどのものか、悪友としてちーと気になってのう」
「まだ再開前だ」
「店は開いてなくとも飯は作れるじゃろ。師匠の友へ特別サービスくらいしても罰は当たらんぞ」
「俺は誰だろうと客を特別扱いしねぇ」
「やれやれ……頭の固い男じゃ」
断固拒否を崩さない姿勢に花谷は肩を落とす。
「ねぇユースケ――」
「あの優介さま――」
その姿が可哀想で恋と愛が同時に説得しようと口を開くが
「……だが、爺さんの言葉を届けてくれた客をタダで返すわけにもいかねぇな」
「「え?」」
ため息交じりの声にキョトンとなる中、優介は立ち上がり。
「せっかくだ、昼飯でも食っていけ。もちろん御代はいらねぇ」
一人厨房に向かう姿に恋と愛は笑顔を浮かべ、花谷は呆れたように苦笑する。
「捻くれたところも喜三郎そっくりじゃ」
「一緒にするな。で、何が食いたいんだ?」
厨房で包丁を布で拭きつつ居間の花谷に尋ねる優介だったが。
「では、妻のおはぎを所望する」
「……なんだと?」
口にしたメニューにその手が止まり、表情も険しくなるが花谷は構わず続けた。
「妻が得意とした料理でワシの好物じゃった。だが三〇年前に流行り病で亡くなってのう……もうここでしか味わえんのじゃ」
「あんた……俺に使えと言ってんのか?」
「他に再現出来る方法があるなら別じゃが」
「……ちっ」
惚け顔で首を傾げられ優介は舌打ち。
亡くなった者、しかもレシピが分からない料理を完璧に再現出来る方法などココロノレシピ以外にない。
つまり花谷は最初から優介にココロノレシピを使わせるつもりでここに来たことになる。
「優介さま……お気持ちは察しますが」
「奥さんの料理が食べたいって花谷さんの気持ちも……ね」
不快を露にする優介に愛が、続いて恋が口添えをした。
優介はこの能力を快く思っていない。
まだ料理における大切な心を軽視していた優介は、この能力により自分の愚かさを知った。
師、喜三郎の最後の教えとして受け継がれた能力は、恐らく過去の自分に対する十字架のようなものかもしれない。
恋と愛も理解しているが、それでも妻の料理を食したいと思う花谷の気持ちも理解してしまう。
二人の視線を受けて優介は不快を吐き出すように小さく息を吐き、花谷と目を合わせもう一度問いかける。
「…………何が食いたい」
「妻のおはぎを頼む」
読み取り、入ってくる。
おはぎの材料、料理工程、調味料。
そして花谷の妻がどんな想いで料理をしていたか。
膨大な知識と心を瞬時に読み取り優介は背を向けた。
「少し待て」
◇
優介が厨房に立つ間、店内のテーブルで恋と愛は花谷と会話を交わしていた。
「ほほう。あの力をココロノレシピと呼んでおるのか」
「はい……名前がないと不便だからあたしが考えて……」
花谷の知る昔の喜三郎とイチ子がどんな人だったか興味はある。しかしそれ以上にココロノレシピについて質問していた。
優介のココロノレシピ。
愛のレシピノキオク。
二人は喜三郎とイチ子からそれぞれ能力を受け継いだ。
能力について何も教わってないのに、二人は不思議と全てを理解している。
だが実のところ名前すら分からない。
先代がこの世を去り、そして二人ともっとも交流の深い十朗太にも訊ねたが能力の存在は知っていてもやはり謎のままだった。
「あの、お爺ちゃんから何か聞いてませんでしたか?」
「喜三郎は名前なんぞ付けておらんよ。せいぜいワシのとっておき、とかのう」
故に花谷が何か知っているか期待するもやはり謎のまま。
「では……お婆さまの能力の名も知らないのですか?」
「イチ子さん? ああ、あの幻想のことかな」
「やはり知っているのですね。私が受け継いでいるのですが……その、失礼ながらやはり呼称がないと不便なのでレシピノキオク、と私は命名しています」
「残念じゃが喜三郎のとっておき……今はココロノレシピじゃったな。その能力以上に分からん。せいぜい料理の記憶や心を何らかの形で表現する、くらいじゃ」
「そうですか……」
「しかしココロノレシピとレシピノキオク……良い名じゃ。美味い料理と愉快な時間、そして温かな思い出を提供する日々平穏に相応しい」
落胆する二人に花谷がしみじみ呟く。
美味しい料理、楽しい時間は恋と愛も知る日々平穏。
しかし自分達の知らない新しい日々平穏を知れたことは充分な収穫なのかもしれない。
これから優介と共に喜三郎とイチ子が愛したこの日々平穏を引き継ぐ為の教えとして、二人は真摯に受け止めていた。
「して、優介が喜三郎の跡を継ぐのなら、イチ子さんの……つまり彼のパートナーはどちらかのう?」
「「――――っ!」」
……受け止めていたのに花谷の疑問に二人の目の色が変わった。
「私です私に決まっています優介さまのパートナは妻である私以外ありえません」
「捲くし立てるな! ユースケのパートナーならあたし以外いるわけない!」
「はっ。私はお婆さまよりレシピノキオクを受け継いでいます。ならば私でしょう」
「あたしだってお婆ちゃんに接客とか教わってる。あたしはお婆ちゃんの弟子、ユースケはお爺ちゃんの弟子、弟子同士がパートナーじゃないの!」
「弟子なら能力を受け継いだ私です!」
「お店の仕事を教わったあたし!」
「そもそも恋は――!」
「だいたい愛は――!」
「ホッホッホ」
ついには立ち上がり言い争う恋愛コンビに花谷は笑っていた。
「これぞ聞きしに勝る新たな日々平穏名物恋愛コンビ、実に愉快。イチ子さんとは違えど、二人とも立派な跡継ぎじゃ。そして――」
口を閉じて神妙な視線を厨房に向け。
「喜三郎の弟子は、どのようにしてワシを楽しませてくれるのか、楽しみじゃ」
「…………俺を一緒にするなと言ったハズだ」
厨房から更を手に優介が苛立ちを露に出てきた。
「それはどちらに対してじゃ?」
「どうでもいいことだ……出来たぞ」
花谷の問いかけを交わし優介がテーブルに皿を置く。
皿の上には三色の丸いおはぎが三つ。
餡子、茶葉、黄粉と味を分けた物だ。
「美味しそう!」
「三色の色分けも鮮やかで……美しいです」
言い争いを止めておはぎに注目する恋愛コンビを無視して優介が三人とは別のテーブルに座ると、花谷から感嘆の息が漏れた。
「ほぅ……これぞ妻のおはぎ。懐かしいのう」
そして餡子のおはぎと手に取り一口。
ゆっくりと咀嚼し、続いて茶葉、黄粉と一口ずつ。
「味も変わらず……ほんに懐かしい」
漏れた感想にやはり完璧に再現できたと恋と愛が安堵する中――
「ごちそうさま。美味かったぞ」
「「…………え?」」
なぜか花谷は手を合わせて席を立つので首を傾げてしまう。
さらに椅子にかけていたコートを羽織り、帰り支度を終えて。
「今日は無理を言ってすまなかったのう。では――」
「……待て」
お店を出ようとした所を優介が止めた。
「もう食わないのか」
「うむ。懐かしい味を楽しめたからのう」
「……なら最後まで味わったらどうだ」
振り返る花谷は笑み、だが優介は険しい表情で続けた。
「そもそもあれだけ食いたがっていた料理をなぜ残す」
皿に残った三つのおはぎはそれぞれ一口ずつ齧った跡のみ。
思い出の料理、しかも日々平穏でしか――今では優介にしか作れない妻の味を一口だけしか食べなかった花谷への疑問だった。
それは恋と愛も同じなのか理由を知りたいと注目する中、花谷は小さくため息を吐いた。
「やれやれ……二代目はずいぶんと傲慢な料理人じゃ」
「なんだと?」
「お前さんは客に不完全な料理を残さず食えというのか?」
「「「なっ?」」」
その言葉に優介、恋、愛は驚愕するが花谷は構わず続けた。
「確かに今、日々平穏は開店しとらんからワシは店の客ではない。じゃがお前さんは二人に手を合わせた客じゃと言うたな? ならばワシは店のでなくともお前さんの客、同じ客なら出された料理が不完全なら不満を持っても構わんじゃろ」
「俺の料理が……不完全だと?」
「で、でも! ちゃんと再現できてたんですよねっ?」
「そうです! 花谷さまも味は変わらない、懐かしいとおっしゃたではありませんか!」
呆然と立ち尽くす優介に変わり恋と愛が詰め寄れば花谷はアッサリと肯定した。
「完璧に再現されておる。見た目、香り、味……懐かしい妻のおはぎじゃった」
「じゃあ――」
「では――」
「しかし全てではない。そうじゃな……温もりのみが不完全じゃ」
更に問いかけようとした二人だったが、否定の言葉に口を閉じた。
「そのおはぎからは全く温もりが感じられん」
「……温もり」
そんな中、優介はおはぎを手に取る。
伝わる感覚は作り立ての温かなもので。
「どこが……だ?」
「…………お前さんは美味い飯を作れる料理人じゃ」
混乱する優介に近寄り、花谷は諭すように言葉を紡ぐ。
「先ほどの天ぷら、正直恐れ入った。サツマイモの柔らかな食感にサクッとした衣、素材の味を引き出す絶妙な味付け。その若さであれほどの料理を作る技量ならどのような料理店にも引っ張りだこじゃろうて」
そして虚ろな表情を向ける優介に、花谷は寂しげな瞳を向けハッキリと告げた。
「じゃが今のお前さんを喜三郎は日々平穏の厨房に立たせんよ」
「――っ」
衝撃を受けて優介の腕が力なく落ちる。
その痛々しい姿に恋と愛も反論することも出来ずただ視線を外すことしか出来ない。
日々平穏の料理人になれない――優介に対しこれほど酷な言葉は他にない。
「突然押しかけ無礼な発言、お詫びする。しかしのう……喜三郎の悪友として、言わずにはおれんかった」
無言の三人に花谷は頭を下げ出口に向かい。
「……鷲沢優介、ココロノレシピはただ便利な能力ではないんじゃよ」
最後に忠告染みた言葉を残し店を後にした。
静まり返る店内で恋も愛も声を出せなかった。
これまで誰もが認めていた優介の料理を否定されて、またこれほどハッキリ気落ちしている姿は始めてでかける言葉が見つからない。
いつまでも続くと思われた無言の時間を破ったのは――優介だった。
「今日はもう終いだ。俺は部屋に戻る」
おはぎの皿を手に厨房に入っていく優介に歩み寄ろうとした恋と愛だが
「明日からまた準備だ…………すまない」
「……うん」
「……わかりました」
謝罪の言葉に思いとどまり、頷くしかなかった。
◇
翌日、再び開店に向けた準備が始まった。
心配していた優介は一晩でいつもの自分を取り戻し、仕事の指示や挨拶回りとミスなくこなしていた。
「明日は清掃業者が入る。立会いついでにこれまでの伝票を整理を俺がするので二人は休んでろ、以上」
更に三日後、メニュー試食を兼ねた夕食を終えて予定を確認すると優介は先に自室へ入ってしまう。
一五才の若さで一店主となる風格か、あのようなことがあっても顔色変えず仕事に専念する精神力はさすが。
だがまだ一五才。
「……ケチャップの量が多かったのかな。お米がもっそりしてた」
「タコさんの足、長さが疎らでした。サラダのドレッシングも……酸味が強すぎる気がします」
「なら、どうして食べてる時指摘しなかったのよ」
「聞かれていないので。あなたこそ文句があるのならば食事中に言いなさい」
「文句じゃなくて、ちょっとした疑問だから言わなかったの」
「なんですか、それは」
テーブルに座ったまま恋と愛は同時にため息を吐く。
平然としている優介だが顔には出さないだけで明らかに動揺していた。
その証拠に顔ではなく料理に出ている。
あれ以来、料理に変化が起きているのだ。
変化と言っても微妙に味が濃かったり薄かったり、皿にソースの水滴が落ちていたりと些細なもの。
一流の料理人でもミスは付き物と深く考えないようにしていたが、優介はただの料理人ではない。
心を大切にする、いわば心の料理人だ。
心に迷いがあるとそれはもう彼の料理ではない。
理由は分かっている。
先日花谷に言われた事を引きずっているのだろう。
恋や愛にとっても日々平穏は大切な場所。
だがそれ以上に日々平穏に対する思い入れは優介のほうが強い。
なのに誰も疑わなかった日々平穏の厨房に立つことを否定されてはいくら優介と言えど心が乱れて当然だ。
分かっているのに二人は何も言えない。
料理に対して知識も技術も浅く、ココロノレシピに付いては優介以上に何も分からないので助言が出来ない。
しかし先ほどの半熟オムライスとタコさんのお子様ランチには目を背くことは出来ない。このメニューは日々平穏を再開させると決めた際、取り入れた新メニューだ。
二人の好物で、二人がもっとも優介の料理で思い入れがあり、これから訪れる新しい日々平穏のお客さまにも食べてもらいたいと二人がお願いした。
だからこそ他の料理以上に大きな違和感を感じてしまう。
このままでいいのかと――疑問を持ってしまう。
「……ねぇ、愛」
「なんです」
「あたし達ってもうすぐここで、ユースケと一緒に働くんだよね」
「もう働いています。優介さまと、不快ですがあなたと一緒に」
「あたしも不快だから安心して」
「いい機会なので言っておきます。初めて会った時から私はあなたが嫌いです」
「あたしも最初っからあんたが大嫌い」
いつものような憎まれ口を言い合うも、目も合わさず淡々とした口調で恋と愛は互いを否定する。
「だいたい何で愛なんかと働かなきゃいけないのよ」
「そもそもどうして恋のような泥棒犬と職務を共にすることになるのでしょう」
「でもさ。愛がいないとユースケ以外に料理作れる従業員がいないから困るよね」
「ですが。恋のような体力バカがいないと急な買出しに困ります」
「……ふ~ん。あんたも分かってんじゃない」
「あなた以上に。私とあなたでは役割が違います」
「それとユースケの仕事もね」
そして二人は同時に目を合わせ
「ですが、あなたと協力なんてまっぴらゴメンです」
「上等。どうせあたしとあんたが勝手に働いたところで、目的一緒なら問題なし」
同時に微笑んだ。
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