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オモイデレシピ  作者: 澤中雅
レシピ2 ハジマリレシピ
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スナオチョコ4/4

アクセスありがとうございます!



 海里は屋上にいた。


 沈痛な面持ちで、手すりに何度も頭をぶつけていた。

 どうしても自分を抑えきれなかった。

 花織が優介にチョコレートを渡している所を見た瞬間、何か大切なものが壊れてしまったみたいで、頭が真っ白になった。

 だから呼び出された屋上に花織がいたとき、昔と変わらない笑顔を向けられても、その笑顔はもう自分のモノではないと悟ってしまって我慢できなかった。

 だからと言って泣かせる必要はない。

 海里の心には嫉妬と後悔と、自分に対する憎悪でいっぱいだった。


「くそっ!」


 悔しさで吐き出した言葉はドアが開く音にかき消された。


「はぁ……はぁ……」


 いつも憎らしいほど冷静で、落ち着いている優介が息を切らせて立っていた。

 手には花織が持っていたハズの箱、それを見た海里はまた醜い気持ちが心に溢れる――なのに口は開かない。花織にしたように、酷く醜い叫びを上げられなかった。

 海里は恐怖していた。

 優介の眼光が、全身を氷のように固まらせる。

 今まで向けられたことのない怒りに、声どころか指一本さえ動かせない。


「俺は料理を粗末にする奴が嫌いだ……」


 一歩、優介が歩み寄る。


「だがそれ以上に……心を冒涜する奴が嫌いだ」


 底冷えする声音と共に、一歩ずつ海里に歩み寄る。


「俺が花織の代弁をするわけにはいかねぇ」


 近づきながら右手を箱に沿えた。


「心で作る料理には料理人の心が宿る。故にこれは……花織の心だ」


 優介の呟きに呼応するように、右手が淡いオレンジ色の光に包まれる。


「呼び起こしてやるよ、花織の心を」


 震えることも出来ず立ちすくむ海里の前で立ち止まり――


「テメェが冒涜した花織の心を見せてやる。そしてもう一度言う、考えろ」


 光に包まれた右手で海里の顔を掴んだ。


「テメェにとって花織がどのような存在か」


 瞬間、海里はオレンジの輝きに包まれた。




『――よし、頑張るぞー』


「……な」


 聞きなれた声に海里は目を開け――息を呑む。

 視界に映るのは見慣れた九重家の台所で、エプロン姿の花織が料理をしていた。


『えっと……まずはチョコを湯煎して』


「なんで……なんで花織が?」


 しかし海里の声が聞こえていないのか、チョコレートを包丁で刻む花織の表情は自分でも見たことがないほど真剣で。

『海ちゃん……喜んでくれるかな?』

 とろける様な笑顔で、自分のために料理を続けていた。

 何が起こっているのかも忘れて海里は彼女を見守っていた。

 チョコクリームを味見して微笑む花織。

 シュー皮の生地を一生懸命こねる花織。

 オーブンの前で生地が膨らむか見守る花織。


『いつも勉強を教えてくれてありがとう』


 無言で調理する花織なのに、海里の耳に――いや、心に彼女の声が聞こえてくる。


『取り得も何もない私と一緒にいてくれてありがとう』


 花織の心の声が――海里の心に響く。


 小学校に入って間もなく、海里は友人に花織との関係を冷やかされた。

 いつも一緒にいることを冷やかされた。

 それが恥ずかしくて海里は花織と距離をおいた。

 人前で彼女といることが恥ずかしくなった。

 でも花織が悲しそうにするので、誰もいない時だけ一緒にいた。

 気づけばそれが当たり前になり、二人の自然な関係になり、海里はそれでいいと思っていた。


『でも、もっと海ちゃんと一緒にいたいな』


 どんな関係でも花織がいるならそれでいい――そう思っていた。


『もっと海ちゃんとお話したいな』


 花織もそう思ってくれていると思っていた。

 でもそれがどれほど傲慢で、最低な思い込みかを知った。


『誰の目も気にせず、一緒にいたい。お家だけじゃなく、学校でも』


 花織の寂しそうな心の声が。


『一緒に登校して、一緒にお昼にお弁当食べて』


 ちっぽけな、本当にちっぽけな望みを。


『一緒に帰って。また明日一緒に学校行こうねって……約束したい』


 語ってくれたから。


「花織……」


 霞む世界で花織は料理を続けていた。

 一生懸命、自分のことを想いながら……心を込めて。

 出来上がったのはシュークリーム。

 少し焦げ目がある、ちょっとだけチョコクリームが皮に付いたシュークリームを完成させて、笑顔になった。


『だって私は海ちゃんが――』


 瞬間、世界がオレンジの光に弾けた。



「うそ……だろ? じゃあ俺は……ただ……」


 海里は力なく膝を突く。

 コンクリートの冷たさも気にならないくらい愕然とした。

 勘違いしていただけ。

 優介のことも、それ以前の花織に対する関係も、全てが自分の勘違いだった。

 花織はいつも自分のことを思ってくれていた。

 自分と一緒にいることを望んでいた。

 そんな花織を泣かせてしまった。

 嫉妬で自分を忘れて、酷いことを言って一生懸命作ったチョコシュークリームを投げ返してしまった。

 どうすればいいか、どう謝罪すればいいか分からない。


「――おい」


 愕然とする海里を見下ろし、優介が口を開く。


「後悔よりも前にすることがあるだろう」

「鷲沢……」


 言いたいことは分かっている。

 勘違いで泣かせてしまった花織のもとに行くべきだ。


「でも……いまさら、どうすればいいか……」


 そうするべきなのに、怖くて体が動かない。

 花織に嫌われることが怖かった。


「ふざけんじゃねぇ!」


 怯える海里の胸倉を掴み、優介が睨みつける。


「どうするも何もねぇんだよ! 花織は勇気を見せた、ならテメェがすることは一つしかねぇだろ!」


 一喝し、優介は箱を海里の手に乗せて、優しくその背を押す。


「さっさと行け」

「鷲沢……お前……」


 唖然としたまま動かない海里に大きくため息を吐き、優介は小さく笑った。


「今度こそ、ちゃんと捕まえておけ」

「…………そうするよ。鷲沢、サンキューな!」


 その小さな笑みに海里は頷き、駆け出した。


「まったく……」


 海里の背を見送った優介は小さく息を吐き


「世話の……やける……やつ……だ…………」


 意識を失った。


 ◇


 どれだけ時間が経過したか分からないが、ずいぶんと寒さがましている。

 なのに頭に温かなぬくもりと感触。

 不思議に思い優介はゆっくりと目を覚ます。


「――やっと起きた」


 夕暮れの空に、恋の安堵する顔が重なっていた。


「もうすぐ下校時間よ。ほんと、このまま起きなかったらどうしようかと思ったわ」

「恋……何してんだ」

「ん? 膝枕だけど」


 確かに首をかしげる恋の顔は反転していて、頭に感じるぬくもりと感触は恋の膝なのだろう。


「そうじゃない。なんでお前がこんな所にいると聞いている」

「だって屋上に来てみればユースケが大の字になって寝てんだもん。頭痛そうで仕方なくよ」

「だからと言って――」

「それに重くて運べないし。かと言って、誰か呼んで運んでもらうワケにもいかない。そんなことすればあんた絶対に怒るでしょ?」

「……よく分かったな」

「そりゃあね」


 反論する前に正論を返され眉をひそめる優介に、恋は笑顔を浮かべた。


「動けそう?」

「問題ない」

「そう……でも、もう少しこうしてなさい」


 強がりを言う優介の髪を恋は優しく撫でる。

 きっとまだ立つことも出来ないだろう。

 能力を使用して気を失い倒れている姿を誰にも見られたくないように、膝枕という優介には屈辱的な行為にも素直にされるがままなのがいい証拠だ。


「日向くん来てくれたよ。花織のところに」


 だから気が紛れるように、恋は意識を失っている間のことを語り始めた。


「教室で花織を慰めてたらね、いきなり飛び込んできてさ。どうしたと思う?」

「さあな。謝罪でもしたか」

「半分正解。いきなり花織の前で土下座してさ、ごめんって。酷いこと言って、今まで周りを気にして一緒にいなくてごめんって……謝ってた」

「なら正解だろ」

「で、その後にね……ほんとにビックリしたんだけど……どうしたと思う?」

「……いちいち聞くな。さっさと言え」


 苛立ちを見せる優介に、何故か恋は頬を染め――


「告白した」


『今更こんなこと言っても遅いかもしれないけど、でも俺は花織に嫌われたくないんだ! 俺は……花織が好きだから!』


「あたしがいるのにいきなりね。花織もあたしがいるの忘れて喜んで、自分の気持ちを伝えちゃうからなんかもうお邪魔虫じゃない? だからさっさと退散してユースケの様子見に来たってワケ」

「……恥ずかしいヤツだ」

「ほんとにね」


 同意しつつも喜んでいる恋を見つめていた優介は、ゆっくりと身体を起こした。


「もう平気?」

「ああ」


 立ち上がる優介はまだ足元が頼りないが恋は手を貸さない。

 これ以上気を使っても喜ばないことを知っているから。


「よかったね、花織の想いがちゃんと伝わって。これもユースケのお陰だよ」


 故に花織の友人として、最後まで協力してくれた感謝の言葉を口にした。


 だが――


「……何がよかっただ」

「ユースケ?」

「情けなくて反吐が出る」


 背を向けたまま苛ただしく吐き捨てる優介は何も言わない。

 だが恋は彼が何に怒りを感じているか気づいていた。

 廊下で悲しむ花織からシュークリームの箱を手に優介が駆け出した時、恋も知らないほど怒りをあらわにしていた。

 その怒りは勘違いでも花織の心の料理を冒涜した海里に向けたもの。


 同時に海里を勘違いさせてしまった自分自身へのものだった。


 ココロノレシピは読み取った心を料理に込めて再現する能力――故に相手に直接読み取った心を伝えると優介も極度の疲労で気を失ってしまう。

 現に喜三郎から能力を受け継いだ後、このやり方を一度試した時も急に倒れて恋は慌てたものだ。

 ただ疲労以前にこれは意味の無いことだと優介自ら禁忌とした。

 料理人の心は料理に込めて伝えることこそ意味があると。

 にも関わらずシュークリームに込めた心を読み取る為に味見として食した香織から読み取り、海里に禁忌の方法で伝えたのが何よりの証拠で。

 結果として花織と海里の想いは通じ合った。

 だがそれでは満足できない。

 その過程で花織が悲しんだと、自分の配慮のなさに後悔している。

 優介は優しい。

 だが自分自身には誰よりも厳しい。

 故に自分の心内を見せようとしない。

 自分の弱い部分を誰にも見せない。

 だからこうして一人で罪を背負う。

 一人で心を痛めている。


 本当にどこまで自分に厳しく――悲しいんだろう。


「…………ねえユースケ」


 慰めたところで優介の心は癒されない。自分が納得できるまで、満足できるまで自分を戒め続ける俺様主義なのだ。

 でもこうして二人でいるのに――一人でなんて恋は許さない。

 だからと言って一緒に後悔なんてまっぴらごめんだ。


「今日ってバレンタインだよね」


 後悔も悲しみも共に分かち合うのではなく、吹っ飛ばしていつも笑いあう。

 それが鷲沢優介に恋をする、宮辺恋の恋愛のあり方だった。


「どうしてバレンタインのチョコってさ、溶かして固めただけなのに手作りなんだろうね?」

「……なんだ、いきなり」


 意図の分からない質問に優介は呆れたように振り返る。


「だって気になって。別にカカオから育てろって言わないけどさ、溶かして固めただけで、調味料加えないなら味も変わんない。形を変えるだけのチョコなら工作みたいなものじゃない」

「工作か……なるほど、恋にしては的を得た表現だ」


 苦笑しながらも優介はバカにしたようなため息を吐いた。


「だがな、例え溶かして固めるだけでも、その手間は相手を思う心からくる。心がこもっているなら立派な料理だ」

「ふ~ん」

「そして調味料を加えなくても味は変わる。バレンタインに手作りをして渡すような女の心が宿るからこそ、バレンタインのチョコレートは何よりも甘いんだよ」

「納得。じゃあ――はい」


 頷き、恋はカバンから透明の包みを取り出した。


「ユースケにバレンタインの手作りチョコレート。でも、はたして甘いだけかな?」

「どういう意味だ」

「だって溶かして固めただけでも、ユースケのこと思いながら作ったから……あたしの心がこもってるからね」

「……ふん」


 包みの中にある小さく少し歪なハートの形をしたチョコレートを優介は一つ摘んで口に放り込む。

 ゆっくりと咀嚼して……徐々に表情をゆがませた。


「……苦いな」

「そーいうこと。女の心は甘いだけじゃないのよ」


 本当は火にかけすぎて少し焦がしてしまっただけ。

 だがこれでいいと思った。

 初めて手作りしたチョコレートが苦くなったなら、それは今の自分の精一杯だ。

 なにより初めて心を込めた手作りチョコレートを作り直す気になれなかった。


「なるほど、勉強になった」


 失敗に気づいているはずの優介もあえて否定しない。


「だが……これはこれで悪くない。いい味だ」

「当然ね」


 変わりに少しだけ笑顔を浮かべたので、恋も一緒に笑った。


「だってそのチョコは――(あたし)の気持ちが詰まってるんだから」


 ◇


 一月後――三月一四日。


 バレンタインに贈り物をされた女性に男性がお返しをする日でもあるホワイトデー。

 もちろん優介もお返しをした。

 マシュマロとキャンディ、ホワイトチョコのクッキーと自身の腕を余すことなく、心を込めて手作りをした。


『ありがとうございます優介さま。一生大切にします』

『いや食べなさいよ。ありがとね、ユースケ』


 お返しに愛は感涙し、恋は平静を装いながらも表情が緩んでいる。

 その後どちらのお返しが大きいかと言い争う相変わらずの恋愛コンビ。


 そして――


「やばっ! すっごく美味しい~!」

「マシュマロの中にホイップクリーム入ってる!」

「フルーツキャンディの中に練乳が入っててカキ氷みたい!」

「クッキーもサクサクで、なのにしっとりとしたクリームが絶妙で……幸せ~!」

「ホワイトデーは三倍返しにちなんで、三種類のお菓子を用意するなんてさっすが鷲沢くん!」


 同じくお返しされたお菓子大好き女子生徒が至高の料理に満足し、その味と心遣いは学園中に広まっていた。


「……こりゃあ来年のバレンタインはもっと貰えそうだな」

「構わん。増えた分だけ作るまでだ、菓子作りは嫌いじゃない」

「いや、お前は料理が好きなだけだろ」


 教室内で色めきだつ女子らに呆れる孝太と、どこか誇らしげな優介を見つめ――


「……ライバルが増えていく」


 甘くて苦い恋愛事情にガックリうな垂れる恋だった。


次回の更新から『フタリノハジマリ』全二話が始まります。

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また感想もぜひ!

読んでいただき、ありがとうございました!

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