ヌクモリマンマ1/3
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一〇月下旬。
四季美島の山間も紅葉という秋の衣で覆われ、穏やかな風と清々しい気候に変わっている。
しかし季節が変わろうと日々平穏は相変わらずで、日曜日も店主の優介を中心に恋と愛が店内を動き回っていた。
午後の営業を始めて三〇分ほど。まだ店内のテーブルは半分も埋まってないが、一時間もすれば仕事を終えた住民や部活動に勤しむ撫子学園の生徒たちで増えてくる。
故に空いた時間も優介は仕込みのチェック、恋は備品やつり銭の確認、愛は洗い物と客数関係なく忙しい。
にも関わらず――
「この子はチカちゃん。恵美の親友なんだ」
「あ、あの……はじめまして……鈴野千香子、です……」
カウンター席で恵美が紹介したチカちゃんこと鈴野千香子は小さく頭を下げた。
駒村恵美は今年の四月、この日々平穏へ訪れ数少ない裏メニューを食したお客さま。
そして自称優介のお嫁さんとして週に一度は父親の祐樹と食事に来る常連客でもある。
しかし今日は父親ではなく友人を連れてきたのだが、忙しい中に食事ではなく世間話をしにきたことで優介の機嫌はすこぶる悪い。
「鈴野……もしかしてあなたのお父様はお花屋さんでは?」
「え? ど、どうして知ってるの?」
「あなたのお父様がよくここで食事をしているのですよ」
さすがは愛と言うべきか常連客の苗字を覚えていたようで、優介と恋も特徴を聞き思い出していく。
「それでね、ゆーすけ。今日はチカちゃんのことでお願いがあるんだ」
「あん?」
「ひっ!」
面倒げに優介が顔を上げた瞬間、千香子の口から悲鳴が漏れた。
「あーもうゆーすけ! チカちゃんは怖がりなんだから怯えさせないの!」
「…………俺は何もしてないぞ」
恵美の注意に首をかしげ、優介は千香子に視線を向け――
「う……」
途端に千香子は体を震わせ、下がった目じりに涙をためてしまう。
「なんだ……? まあいい。で、俺に何のようだ?」
「あう……」
「さっさと言え。こっちは仕事中で忙しいんだ」
「うう……」
「ゆーすけ! だから怯えさせないの!」
「だから俺は何もしてねぇ」
恵美の注意に優介が苛ただしく答えた瞬間――
「う……ぐす……」
千香子は泣き出してしまった。
◇
「どうかな、落ち着いたかな?」
「うん……ごめんなさい、泣いちゃって……」
一〇分後、テーブル席に移動した千香子は恋に頭を下げていた。
急に泣き出した千香子に怒る恵美に、優介もわけが分からず戸惑っていたが、すぐさま恋が移動させて慰めた。
更には二人にオレンジジュースも用意するところはさすがの手際だった。
「いいのいいの。あたしも迂闊だったわ」
チラリと厨房に視線を向ければどことなく優介が落ち込んでいる。
根は優しいが目つきも口調も悪い優介は、千香子ほどの女の子にはやはり怖い大人に映るのだろう。実際、彼が子供に泣かれたのは一度や二度では済まない。
その度にこの店で一番愛想のいい恋がフォローを入れるのだが、恵美の友達と言うことで同じタイプだと油断してしまった。
「それで千香子ちゃん……だっけ? ユースケになにかお願いがあるんだよね、よかったらお姉ちゃんにも話してくれないかな」
結局、そのまま恋が訪ねると千香子は小さく頷き
「あのね、ご飯……作ってほしいの」
「ご飯? もちろんいいよ。ここは定食屋だから」
「そうじゃなくて……レオの……」
「……れお?」
誰のことかわからない恋に恵美が補足する。
「レオはね、チカちゃんの家で飼ってるワンちゃんだよ」
「……つまり、ユースケに犬のご飯を作ってほしいの?」
「うん!」
元気よく頷く恵美だが恋は『なぜ?』と首を傾げてしまう。
「チカちゃん最近落ち込んでたからどうしたのって聞いたの。そうしたらレオがぜんぜんご飯食べてくれなくて元気なくて、チカちゃんも元気がなくなってたの」
「まるほど。でもどうしてユースケに?」
「ほら、ゆーすけってヤンキーみたいだけどすっごく美味しいご飯作るじゃない」
「……ヤンキー」
更に落ち込む優介を無視して恵美は身を乗り出し笑顔を浮かべる。
「だからゆーすけにご飯作ってもらおうってつれて来たの。恵美のお願いだったら聞いてくれるもんね。だってゆーすけは恵美のお婿さんだもん」
「ははは。そーだね、ユースケは美味しいご飯作れるもんね。恵美ちゃんのお婿さんじゃないけどね」
笑いを漏らすも恋の目は全く笑ってないのだが、やはり恵美は無視して厨房にいる優介に視線を移し。
「ねぇゆーすけ! レオのご飯作ってよ!」
「断る」
即答だった。
「なんでよー! 可愛いお嫁さんのお願いが聞けないのっ?」
「……嫁じゃねぇだろ」
とりあえず否定すると優介はため息一つ。
「そもそも俺は料理人だ。犬公の元気がねぇなら獣医にでもいけ」
「行ったもん! でもお医者さんは病気じゃないって、とにかくご飯いっぱい食べれば元気になるよって言ったの。だから、レオがいっぱい食べるような美味しいご飯作って!」
「断る」
再び即答だった。
「とにかく、俺は動物の飯は専門外だ。分かったら帰れ、そろそろ忙しくなるんだよ」
「もー!」
膨れる恵美だが優介は無視して仕込みを再開してしまう。
そんな中、今までほとんど恵美に任せていた千香子が突然立ち上がり、震えながらもカウンター席に向かった。
「あの……」
「なんだ?」
優介に声をかけると睨まれ(本人は普通に接しているつもりだが)、小さな悲鳴を漏らす。
「レオにご飯、作ってくだ……さい」
だが、たどたどしく言い切ると頭を下げた。
「さっきの話を聞いてなかったのか。俺は――」
と、面倒げに答えていた優介だが、頭を上げた千香子に口を閉じた。
千香子は目にいっぱい涙をためて、震えているがちゃんと優介の眼を見詰めている。
こういった誠意ある行動に、義理堅い優介は弱く――
「…………次の定休日に学校が終わったらお前の家に行ってやる。それでいいだろ」
ため息混じりに続ければ、千香子の瞳に期待の色が浮かんでいた。
「ただし、さっきも言ったが俺は人間相手に商売している料理人だ。食わなくても文句は言うなよ」
「はい! あの、ありがとうございます!」
先ほどよりも千香子は深く頭を下げた。
「よかったね、チカちゃん!」
「うん!」
恵美に抱きつかれ、千香子の表情に始めて笑顔が浮かんでいた。
◇
三日後の水曜、放課後になると約束通り優介は商業区に向かうバスに乗っていた。
千香子の家は住居区から近く、歩いていくよりバスを利用したほうが早かったからだ。
そして恋と愛も。二人は関係ないのだが昨日居合わせたので、気になるのだろうと優介も文句は言わない。
「……で、お前は何故ついてくる?」
だが、当然のようについて来た孝太にはしっかりと文句を言った。
「ん? だって鷲沢が犬にどんな料理作るのか気になるじゃん」
「気にするな。いつもお前に作ってるのと似たようなもんだ」
「どういう意味だよ!」
「うるせぇぞ犬以下」
「ひどいっ!」
突っこみを入れるも相変わらずの扱いなので慣れたもの。孝太はすぐさま立ち直る。
「それにしても、わざわざ家に行くなんてな。やっぱ未来のお嫁さんのお友達には優しくするのか」
「誰が……」
「未来の嫁、と……?」
「すんませんっした!」
同時に振り返った恋愛コンビの笑みに孝太はすかさず頭を下げた。
そんなやり取りもいつものことと、優介は気にせず息を吐く。
「ウチは定食屋だ。犬公つれてこられちゃ迷惑なんだよ」
「なるほどね」
「納得したなら黙ってろ」
「へいへいっと」
頷きつつも黙っているわけもなく、孝太が無駄にしゃべり、それに恋と愛が適当に相槌を打ち、優介がため息を吐くこと一五分。
「――あ、来た! ゆーすけ~!」
バスを降りて歩いて間もなく、赤い屋根の一軒家の前にいた恵美が四人の姿を見るなり大きく手を振り、その隣りでは千香子が何度も頭を下げている。
小等部の方が授業も短いので先に帰って待っていたようだ。
熱烈な歓迎にも優介は表情を歪めるのみだった。
◇
初見の孝太と千香子の自己紹介を済ませ、なぜか恵美の先導で優介たちはアイボリーの門扉をくぐり、玄関前から左側の通路へ。
建物の左側に面した庭は芝が敷き詰められキャッチボールが出来そうなほど広く、レンガで仕切られた花壇まであった。さすが花屋を営む両親だけに手入れも行き届いている。
そして花壇から少し奥に離れた場所に真新しい犬小屋と、リールに繋がれた柴犬が寝そべっていた。
「あの……レオ、です……」
「へぇ、可愛いね」
「でしょっ?」
「ふふふ。あなたは世界一幸せなワンワンですよ。優介さまに料理を振舞ってもらうのですから」
千香子の紹介に恋と恵美、愛が歩み寄り頭を撫でた。
大人しいのか、それともやはり元気が無いからかレオは寝そべったまま撫でられるのみ。
「ちょっと痩せてるっぽいな」
「うん……毎日ちゃんとご飯上げてるんだけど、いつもちょっとだけ食べて残しちゃうの……」
「ふ~ん。で、鷲沢?」
悲しげに呟く千香子に心配そうにレオを撫でていた孝太が振り返った。
「……なんだ」
「なんでお前、そんなところで突っ立ってんの?」
「どこに居ようが俺の勝手だ」
みんながレオの側に居る中、一人庭の出入り口にいたまま優介は言い返す。
「でも容態とか見た方がいいんじゃね?」
「俺は獣医じゃない。よって必要ない」
「いや、まあそうだけどさ……?」
ふてぶてしい態度はいつものこと、しかし何処か様子のおかしい優介に孝太だけでなく恋と愛も首を傾げてしまう。
「ゆーすけもレオ撫でてあげようよ! ほらレオも、ゆーすけにご飯作ってってお願いしよ?」
そんな空気に気づかず恵美がリードを手に取り、のそりとレオが立ち上がった瞬間――
「近づけるんじゃねぇ!」
『…………は?』
必死の叫びに一同がキョトンとなる。
「いいか? 少しでも俺に近づけばこの話はなしだ!」
更に続く必死な忠告に、ある予想を行き着いた孝太が問いかける。
「鷲沢……もしかしてお前、犬苦手なのか?」
「苦手じゃねぇ!」
即座に否定するも、その必死さが逆にうそ臭い。
「ふ~ん。ゆーすけってばワンちゃん怖いんだ」
俺様主義の優介の意外な弱点に恵美はニンマリ、レオを近づけていく。
「だから怖くねぇ!」
否定しながらレオの歩数分、優介は後ずさっている。
「……意外ちゃ意外だな。付き合い長いけど知らなかったぞ」
面白がってリードを引く恵美に、後退する優介を見詰めながら孝太が呟くと恋も頷いた。
「だよね~。でも友達の間でペット飼ってる子いなかったから知らなくても仕方ないか」
「優介さまが……あのような……」
「なに愛、もしかして幻滅したの?」
「なんて可愛い……ワンワンに怯える優介さま……はぁ、素敵です……」
「……あんた何でもアリね」
恍惚な表情の愛に恋はうな垂れた。
「あの……レオのご飯……」
そんな中、千香子が申し訳なさそうに口を開けば、壁際まで追い詰められていた優介が真っ先に反応した。
「ああそうだ。おい恵美、犬公の飯を作るのは誰だ? 分かったらさっさと従え」
「ちえ、面白かったのにな~。うん……でも、今はレオのご飯が大事だもんね」
大人気ない発言にも恵美は言う事を聞きレオを犬小屋に繋ぐ。
「…………さて。まずは千香子、普段この犬公に何を食わせてるか見せてみろ」
「うん、ちょっと待ってて」
何ともいえない空気の中、やはり俺様態度で優介が指示すると千香子は窓から室内に入り、一分も経たずドッグフードの缶詰を手に戻ってきた。
「市販の物だな。あの犬公はこのくらいの年齢か」
ウェットタイプの味はともかく、ラベルに書いてある高齢犬用の文字を優介が見つめる。
今も寝そべっているレオは多少痩せているが体格がよく、毛並みもいいので高齢の文字が意外で。
「うん……わたしが生まれてから飼いはじめたって聞いたから、お店の人に選んでもらったの」
「聞いた……?」
その千香子の言い回しに優介は違和感を覚える。
「とりあえず食うかどうか試してみるか」
だが他の者は気にした様子もないようで、孝太の提案で千香子は赤い器を用意してドッグフードを移し変えた。
「レオ、ご飯だよ」
『…………』
一同が見守る中、千香子がレオの前に器を置く。
ちなみに優介のみ三メートルほど距離をキープしている。
だが期待も空しくレオは一口食べるも、途端に興味をなくした様に再び寝そべってしまった。
「ほんとに食べないね……」
「美味しくないからかな? ねぇこーた、食べてみてよ」
「俺は犬じゃないんだけどっ?」
「そうですよ。孝太さんは犬以下なのですから」
「だから違うよっ?」
各々が落胆する中、器を手に取り千香子は肩を落とす。
「やっぱり食べてくれない……どうしてかな?」
「だ、だいじょーぶだよチカちゃん! ゆーすけが美味しいご飯作ってくれるから」
元気付けながら恵美が期待の眼差しで振り返り、続いて恋と愛、孝太も優介に視線を向ける。
これまで彼の料理に救われてきた人は多い。
専門外でも料理は料理、なら優介が何とかする。
そんな期待が集まる中――
「……なるほど、そういうことか」
顔に手を当てていた優介は苛ただしくはき捨てた。
「なに? なにか美味しいの思いついた?」
「おい、その犬公は誰から貰い受けた」
期待を胸に詰め寄る恵美ではなく、優介は千香子に問いかける。
「え……? あの、お婆ちゃん……です」
「それは最近のことだな」
「うん……でも、どうして分かったの?」
「……お前が生まれて飼い始めたのを親から聞いたにしては妙な言い方だったからな。それと、犬小屋や器が新しいのも理由だ」
「お前……料理人じゃなくて探偵か?」
見事な推理に孝太が呆れるも優介は無視。
「で、その婆さんはどうした」
優介の問いかけに千香子は俯き、ぼそぼそと語り始める。
レオはもともと鈴野家ではなく、本土で一人暮らしをしていた母方の祖母が飼っていたという。
だがその祖母が二週間前に亡くなり、残されたレオを引き取ったのが千香子の母親だった。
「わたし、長いお休みでしか会えなかったけど、お婆ちゃん大好きで……お婆ちゃん死んじゃって……レオ、一人ぼっちになっちゃったから……」
言葉は最後まで続くことなく、泣き出してしまう千香子を恵美は抱きしめ、恋も優しく頭を撫でた。
「そっか……千香子ちゃんはお婆ちゃんが大好きで、レオのことも大好きなんだ」
「……うん」
「お辛かったでしょう。ですが安心してください。きっと優介さまがレオを元気にしてくださいます」
愛も肩に手を置き慰めると千香子は少しだけ元気を取り戻し
「だから……レオのご飯、作ってください」
改めて優介に頭を下げた。
だが――
「帰るぞ」
突然、優介は踵を返し言葉通り玄関へと歩いていく。
その行動に唖然となる中、最初に動いたのは恵美だった。
「ちょ、ちょっとゆーすけ! なんで帰っちゃうの? まだご飯作ってないよ?」
「作る気が無い。だから帰る」
恵美が腕を掴むも優介は歩を緩めようとしない。
「なんで? なんで作ってくれないの? 恵美が怒らせちゃったから?」
「違う」
「じゃあ作ってよ!」
「……無理だな」
「なんで? ねえどうして無理なの?」
必死の懇願に優介はようやく立ち止まり、レオを睨みつけ――
「俺があの犬公を気に入らないからだ」
冷たく言い放った。
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