5話 奴隷紋 後編 改稿
奴隷商人の館 二階
笑顔とは、コミュニケーションの一つであり、相手に敵意や害意がない事を示す、交渉術だ。
それは使う者の年齢、性別、容姿、相手との関係性、様々な要因で効果の大小を変化させるものである。
金髪の少年に笑顔で伝えると、彼は早速、準備に入った。
スカイブルーの少女は、初めて見せた俺の笑顔に言葉がなくなったらしく、もう知らないと言いその場を離れる。
「おまえは脱出しないのか？」
大部屋の窓から警備を確認するように中庭を見下ろす少年が、不意に尋ねてきた。
「…俺は臆病だから」
嘘をつく。
「まあ、あいつらよりマシか…」
少年が視線で示した先には、他の奴隷達の姿が確認できた。
皆、関わりたくないようで、こちらを見ようともしないのだ。
「それで、どう手伝ってくれるんだ？」
「外の壁を登るのに、俺を踏み台にすればいいさ」
「ああ…いや、あのくらいの壁なら、俺一人で越えられる」
もともと一人でもやろうとしてたのだから、そうなのだろう。
「なら、上から見張って、もしもの時は引きつけて時間を稼ぐよ」
「そうか、ならその時は頼むぜ」
そう言うと、少年は大部屋を出た。
俺もその後に続く。
——自分が嫌なやつだとは思わない
人気のない廊下に出ると、屋根に続く無防備な二階の窓を、二人でくぐる。
外は相変わらずの大雨で地面を叩き付けていたが、その音が俺達の物音を消し去っていた。
一階の屋根の上を二人で歩く。
雨粒に打たれて身体が冷えていく中、俺達は配置に着いた。
この先を飛び降りれば、すぐに屋敷を囲う壁があるのだ。
——人は他人に対して冷たく、利己的なのだから
「……」
互いの視線が交差して、俺が頷くと少年は軽く右手を上げた。
「…ッ！」
そして、彼は一階の屋根から飛び降りた。
そこは、門とは反対の屋敷の裏手になっている。
周囲に人の姿は見当たらない。
雨音は全ての音を消してくれている。
金髪の少年は走る。
無我夢中に走る。
目の前には大人の背丈より高い壁。
——俺はただ、合理的な判断を下しただけだ
彼は助走をつけると、ひとっ飛びで壁の上に手をかけた。
そして、素早く壁をまたぐと、こちらを見る。
…瞳が交差する。
金髪の少年は笑顔を見せた。
俺もそれに微笑みで返す。
——奴隷紋をつけた者が、この壁を越えると何が起こるのか
そして、少年は手を挙げると壁の外に飛び降りた。
一瞬、壁に隠れて姿が消えたが、すぐに壁の外の先に現れる。
「…何も起きない？」
少年は外の世界に向かって走り出す。
その先に自由があるかは、わからない。
そして、壁から少し離れた時だった。
少年の身体が、電撃を受けたように光ったかと思えば、跳ね上がる。
同時に俺の視界も閃光で奪われた。
目が光になれるまで数秒を要した。
「…やはり、仕掛けがあるのか」
かなりの激痛なのか少年は、その場に倒れ込むと、身体を痙攣させているようだ。
同時に屋敷の門が赤く光る。
それを見た衛兵が慌てて外に出て、外壁を沿うように歩き始めた。
「…死んだか？」
金髪の少年を観察する。
少年は起き上がろうと、もがいていた。
それを冷静に観察する。
…外壁を沿うように歩いていた兵士に、少年が回収されるまで。
その日は大雨だった。
雨音は、全ての雑音を消してくれた。
次の日、金髪の少年は出荷された。
