153話 水浴び
風を切り裂き、大空を駆ける。
薄い空気の中、私達は樹海の上空を全速力で移動していた。
眼下に広がるのは緑に埋め尽くされた未開の地。
歩けば何日もかかるだろう距離を一瞬で跳び越えていた。
ただ、
「…休憩しますよ」
「えぇ、またぁ?もうちょっと頑張りなさいよ」
無茶を言ってくれる。
視界が捉えた先に飛ぶ転移魔法。
魔力消費が多すぎて連発ができないのだ。
「…人使いが荒いですね。さっきまでの落ち込みはどこにいったのやら」
崖の上から下を覗くシスに向けて呟く。
「だって、いつか殺してくれるんでしょ?」
期待するような眼差しを向けてくる。
それが彼女を支える希望なのだろう。
「…そうですね」
殺せる気がしないが、いつかと言うなら叶うかもしれない。
…私ではなく人間がですがね。
彼らはたった数百年で世界を変えれる存在だ。
この未開の大地もいつか更地になり、近代的な建築物で埋め尽くされる日が来るかもしれない。
私が知っているのは、そういう人類の歴史だ。
「ねぇ、下に降りてみない?良いとこ見つけたよ、えへへ」
「…?」
彼女の視線の先を見下ろす。
透明な湖の上を碧玉色の美しい花々が彩っている幻想的な光景だ。
巨大な滝がもたらす轟音が響く中、透明度の高い水面に白い虹がいくつも浮かんでいた。
「水浴びしよ、いいよね?」
「魔法で風呂を沸かせばいいじゃないですか」
「…あんたは風情とか美しさがわからないクソなの?」
そう言うと彼女は崖から飛び降りていった。
「おまえにその感性があるのか…」
呆れつつ私も舞い降りる。
心地良い風が頰を撫でつけた。
やがて湖のほとりに到着すると、彼女は爪先から片脚を水につける。
「あー、気持ちぃ…」
目を細めながら幸せそうにそう言うと、片手を私に向かってあげる。
「あたしが先に入るから、魔物が出ないか見張ってなさいよ」
「まあ、いいですけど…」
湖を警戒するように見回す。
魔素が濃いようで、気配で感知する事は難しそうだ。
「…覗かないでよね」
「見張れって言いましたよね?」
周囲は森に囲まれているが、樹々の魔素が邪魔をして、やはり魔物の気配を感じ難い。
「見たらぶっ殺すよ」
だが、シスの回答は有無を言わせないものだ。
私は溜息を吐きながら、側にある岩に腰掛ける。
「では、何かあれば呼んで下さい」
「振り返るんじゃないわよ!」
背中越しに声が聞こえ、私は樹々と向かい合うように視線を向ける。
背後では彼女がゆっくりと脱ぐ衣擦れの音が小さく聞こえた。
「もうちょっと胸大きくならないかなぁ」
衣擦れの音の合間にシスが呟く。
わざとですか?と心の中で返し、また樹々を見つめる。
そして、暫くすると、バシャバシャと水の跳ねる音が耳に届いた。
「あぁ、気持ちいい」
恍惚とした声を上げると、パシャリと水面を蹴る水音が響き、潜るような気配が伝わる。
空を仰いで、目を瞑りそっと息を吐き出した。
澄んだ空気と緑の香りが心地良い。
遮られる事なく届く日光を浴びながら、柔らかな風が頬を撫ぜていく。
「…悪くないですね」
そんな事を呟きながら、彼女が上がってくるのをゆっくりと待つのだった。