102話 冒険者の夜
場末の酒場
冒険者達による喧嘩が繰り広げられていた店内は、いつの間にか静かになっていた。
先程まで響いていた、食器の割れる音、椅子の飛び交う音がなくなり、聞こえてくるのは床に転がる男達のうめき声だけだった。
私は葡萄酒を一口飲んで立ち上がると、ゆっくりと店内を見渡す。
その死屍累々な状況の中、唯一たたずんで腕組みをするシャロン。
見渡せば店員達が、転がる敗北者達に迷惑料を請求しているようだった。
「おまえは参加しなかったのかよ」
「…ははは」
カウンターで葡萄酒を楽しむ私に、彼女はつまらなそうに話しかけてきた。
「おい、俺にも飲み物と食いもんくれや」
私の横に座ると、この場の勝者は注文を始めた。
やがて運ばれて来たものは、エールとチーズとパン、肉の煮込みだ。
彼女がそれに手を伸ばした時だった。
「姉さん、すみませんでした!」
シャロンに鼻を折られた男が、顔に手をあてて駆け寄ってきた。
彼女は手を止めると振り返る。
私もそれに合わせて振り向いてみた。
他の冒険者達も続いてやって来る。
「いてて、姉さん、つぇぇな」
その声は明るいものだった。
そんな男達の姿を見たシャロンは、肩の力が抜けたように笑うと、カウンターに金貨を二枚置いた。
「てめぇら、俺の奢りだ!飲みたいやつは残りな!」
すると、その場にいる全員が歓喜の声を上げる。
私はそんな不思議な光景を眺めていた。
それから、私達は食事を済ませると、店の外に出ることにした。
夜風が気持ち良く、満天の星空を眺めながら、私達は繁華街を歩く。
「…殺し合いにはならないんですね」
「ちょっと撫でただけだぜ?誰も抜かなかったしな」
彼女が言うように、誰も武器を持つ事はなかった。
…なるほど
「アリスも参加すれば良かったじゃねぇか」
「私は…」
…加減の仕方がわからないのだ。
軽く振り抜いた拳が、人の身体など簡単に貫いてしまう事を知っているのだ。
「…野蛮な事は苦手なんですよ」
私は誤魔化すように笑って見せる。
「そうかよ」
彼女は気にする素振りもなく笑みを浮かべる。
その笑顔に救われながら、次の行き先を考えていると、リュートの音色が耳に届いてきた。
その音に誘われるように、音のする方へ歩みを進めた。
「次の店は決まりだな」
シャロンもその音色に気づいたようで、機嫌良さげについてくる。
たどり着いた先は、先日の店と似たような小さな酒場だった。
扉をくぐると、店の奥にはリュートを奏でる緑髪の吟遊詩人の姿。
そして、
「あれ?アリスじゃないか」
その連れであるアルスが、カウンターへと腰掛けていた。
「今日は一緒なのですね」
私は極自然に手招きする彼に導かれるように、その横に座る。
「夢喰いに潜ってたのさ、マスター、二人に僕のオススメを…」
そう言って、彼は店主に何やら注文をした。
注文を受けた初老の男性は、棚から二つの瓶を取り出すと混ぜるようにグラスに注ぐ。
そして、小さな果物を浮かべると、私とシャロンの前に出した。
「…僕はアルス、良ければ君の名前を教えてくれるかい?」
彼はその端正な顔をほころばせながらシャロンを見る。
「あぁ、俺は…シャロンだ」
彼女はそう名乗ると、果実酒を一気に飲み干す。
「そう、シャロンか…美しい名前だ」
「…おもしれぇやつだな」
「よく言われるよ」
馬鹿にしたような口調のシャロン。
だが、彼は気にする事なく穏やかな表情が浮かんで見えた。
「大穴は上層部に?」
二人の間に挟まれる私は微妙な空気を変えるように、会話を振る。
「いや、中層部だよ」
「…へぇ」
その言葉を聞いたシャロンは感心したように呟く。
一瞬流れていた微妙な空気が、霧散していくのを感じた。
「俺達は三階層で狩ってたぜ」
「僕達は四階層だったかな」
自慢げに語る事もなく、淡々と思い出すように彼は答える。
「やっぱり中層部の方が稼げます?」
「そうだね、上層部とは魔物の数が違うかな」
「…なるほど」
「ただ、上層部にはいない魔物もいるからね、危険度はかなり高いよ」
そう付け足すと、彼は小さく微笑んだ。
その姿はベテランの冒険者のように頼もしく見える。
しばらく他愛もない話を続ける。
時折、相槌を打つ彼。
話題を盛り上げるような話術はないが、彼の落ち着いた雰囲気が、その場を心地よいものにしてくれている気がした。
「次は一緒に中層部に行ってみないかい?」
「…一緒にですか?」
私はシャロンの様子を伺う。
「いいんじゃねぇか?俺はかまわないぜ」
彼女はあっさりとした返事で、承諾してくれた。
「ありがとう。二人だと魔石を入れる袋も足りなくて、困っていたんだ」
「その様子だと、随分と稼げそうですね」
アルスの言葉に、私は期待を込めて聞き返す。
「まぁね、これでも稼ぎは良い方なんだ」
「それは楽しみです」
その言葉に私は自然と頬が緩む。
豪遊するには金が必要なのだ。
「それなら明後日、ギルドで合流しよう」
「えぇ」
互いの宿の名を、確認するように交換する。
こうして、私達の次なる目的地は決まったのだった。
「…なんで、女の子が増えるのかな?」
ただ吟遊詩人のため息だけが、夜の酒場に響き渡る。




