30話 少女と温泉
王都エルム 国民街
私達は今日も新しい店で、甘味を楽しんでいた。
私に黒髪の少女とツインテールの少女。
そして、王女殿下だ。
友達作り作戦会議と改題された集まりは、あれから何度か開催されていた。
なぜか現れる王女殿下。
いや、彼女達の目的だから作戦は成功しているのだが…。
「…何かしら?」
私の怪しむ視線を感じた王女殿下が、菓子を片手に口を開く。
「いえ、勉強は良いのかと?」
時間が勿体ないとばかりに部屋に引きこもっていたのだ。
それが、この変わり様である。
「…終わったわ」
「そうですか」
終わったとは、どういう意味だろうか。
そういえば、なぜ魔法陣の勉強をしているか聞いた事はなかった。
「今年で最後だから、あとは思い出作りね」
「王女様は、今年で卒業でしたねぇ」
貴族の作法を気にする事もなく、手にした甘味を口に放り込みながら話す王女殿下に、レンが相槌を打つ。
——卒業試験は、どのような?
——実技か論文ね
「ああ、あれは卒業試験の論文でしたか」
「…そうね」
私の納得に、彼女も相槌を打つ。
「アタシ達は、あと2年もあるっス」
「……」
レン達も、高等部なのだろう。
リリスは疑わしい背丈だが…。
「それじゃあ、王女様の思い出作りに行っこぉ!」
なぜかレンがテンションMAXで、叫んだ。
いや、もともとこういうやつだったな。
…
……
………
「温泉ねぇ」
レンの案内で訪れたのは、国民街の端に存在する温泉街だ。
「ここのお湯は、最高なんだなぁ」
その言葉が示す通り、懐かしき硫黄の匂いが漂っている。
「初めて来たわ」
王女殿下も満更でもない様子で、歴史を感じる旅館を眺めていた。
王族ならもっと高級な温泉をとも思うが、彼女は引きこもりだ。
ここ数ヶ月の付き合いで、私はそれを確信を持って言える。
「私も初めて」
意外な事に、リリスも王女殿下のように旅館を眺めている。
「レンと来た事はないのか?」
「うん」
「ハズレがないように調査するのも、アタシの役目っス」
一人で、この温泉街を回ったのだろうか?
金持ちだなとは口に出さず、私達は旅館の中に入った。
「これはこれは、レン様いらっしゃいませ」
出迎えた女将が、深々と頭を下げる。
「支払いは、いつものように頼むよ」
レンは慣れた様子で、偉そうに告げた。
「こんな店でツケが利くなんて、凄いな」
私など移民街の酒場が、精々なのに。
「レン様は公爵家の御令嬢ですもの」
女将が、不穏な事を口にした。
「…ん?」
私は、思わずレンを見る。
彼女の視線は泳いでいた。
王女殿下を見る。
彼女は、顔を左右に振っている。
リリスを見れば、少し笑みを浮かばせながら、うなづいている。
私は、横領犯の肩に手を回す。
「レン様、私にもおこぼれをですね…」
「うぅ」
だが、
「馬鹿な事をやってないで、行くわよ」
王女殿下に首根っこを掴まれ、旅館の奥へと引きづられる。
大浴場なのだろう。
女湯の門をくぐった。
「さあ!飛び込むぜぃ!」
先程の事はなかったかのように、豪快に服を脱ぎ始める。
「王宮の浴場以外なんて、初めてだわ」
そう言いながら、私の横で肌を露わにする。
だが、私は…。
こんな時の為に開発した、認識誤認の魔法があるのだ。
既に、数え切れない程の成功を収めている安心の魔法だ。
そんな勝ち誇った表情で、リリスと目が合う。
彼女の瞳が、赤く瞬く。
「魔力まとう…なぜ」
ローブにかけた手が止まる。
…ああ、この子には見えるのか?
嫌な汗が滲む。
戦場でも感じた事のない、鼓動の早さだ。
「…ちょっと、お腹が痛くなってきたので、先に入ってて下さい」
敵前逃亡である。
あの魔眼は、おそらく誤魔化せない。
私は認識誤認の魔法を発動させると、男湯へと駆け込んだ。
…
……
………
「良い湯だったわね」
少し距離が縮まったような3人が、自然と足並みを揃えて温泉街を歩く。
「アリスはどこにいたんスか?」
「一人でゆっくり浸かってましたよ、広い温泉でしたからね」
男湯は、庭園のような温泉だったのだ。
おそらく女湯もそうなのであろう。
「……」
リリスは無表情で、私を見つめている。
そんな彼女の視線をかわす様に、私は何やら準備の飾りつけをしている温泉街の人々を指差した。
「お祭りでもするのでしょうか?」
「アリスは知らないっスか?」
「まさかよね?」
レンの言葉に、王女殿下は信じられないという顔をする。
「…希望祭」
リリスが答えた。
「ああ、希望祭ですか」
もうそんな時期なのかと、1年の早さを実感する。
王女の表情も納得だ。
王都エルムに住んでいて、希望祭を知らないという事はあり得ないのだ。
なにせ移民街からでも、それは見えるのだ。
移民街にいても、遠くから響いてくるのだ。
——まるで詐欺師であるな
あの光を見る度に、彼女の苦笑いが浮かぶ。
希望祭。
王都エルム最大の祭り。
それが、すぐそこまで訪れていた。