18.男子たちの近況
リカルド殿を、もてなせているのかいないのかよくわからないままに一日をすごして、夕食後。
ようやく自室に戻ってきたオレは、ベッドにつっぷしていた。
かたわらには王立アカデミアから戻ってきたハロルド。そのままアバカロフ家に帰宅してもよかったのに、オレのために王宮へ寄ったのだ。やさしい。
「疲れた……」
「明日からは私も同行いたしましょうか」
「いい……と言いたいところだが、頼む」
オレの疲れの原因をハロルドは的確に察している。
記憶がないためにリカルド殿に対する挙動にことさら気を使わねばならない、それが一番の原因だ。王宮内の案内というだけでも、東塔の冷泉の間には王家伝来の藍瑠璃石があり、由来はこれこれで……という話をする。そういった小ネタをオレは一夜漬けで仕込んでいた。
くわえてリカルド殿の言葉の端々に母上の気配がちらつくのも気疲れの原因である。
オレが記憶を封じられていることを明らかにしてはどうか、と思わないでもないが、答えは否だ。
たとえばこれが、リカルド殿でなければ?
本気で我が国の陥落を狙う者が偵察にやってきたのだと考えれば、その際に父上も母上もあてにできないと想定すれば、これはオレ自身が切り抜けなければならない局面だ。
オレだっていつまでも王太子という一歩さがった立場でいられるわけではない。国王になってまで父上や母上を頼ることはできない。
エリザベスにふさわしい男になるためには――。
「……もう少し、周囲の人間を頼ってもいいとは思いますが」
難しい顔をして考えこんでいると、ハロルドに言われた。
「だから、明日からはいてくれ」
「いえ、私だけでなく……」
「……誰がいる?」
エドワードは、今日助けてもらったが。
ハロルドもまた微妙な顔をした。
「そういえばラファエルはどうした?」
すでに《魔法使い》の資格をもっていたラファエルはアカデミアを卒業してすぐに魔法省に勤めているはずだが、今日見かけたのは父親であるドメニク殿だけ。
「北の国境まで地形探査にでかけていますね、忘れていました。ユリシー嬢も同行しているそうで、腹の立つ手紙が届きましたよ」
「オレのところにはきていないぞ」
「さすがに慎んだのでしょう」
そうかもしれないが、なんとなくショックだ。犬猿の仲だと思っていたハロルドにだけ手紙が届くなんて……いや犬猿の仲だからこそ届けたのか?
「ルークスは?」
「父御の宰相殿の下で働いています。宰相家と諜報家は、国王陛下が臥せっていることを周辺諸国に知られぬよう、情報統制を行っております」
「忙しそうだな」
ため息をついて言えば、ハロルドも気づいた顔になりうなずいた。
「皆それぞれに働いているじゃないか。ならばオレだけが甘えるわけにはいかないだろう」
「それは……」
ハロルドがちらりとマントルシェルフにならぶ小さな肖像画たちを見た。
エリザベスも、と言いたいのだろう。当然エリザベスは王太子妃、ゆくゆくは王妃となるべく教育を受けた人間だ。母上が臥せった父上のかわりに政務をとり仕切っているように、エリザベスにもオレと同じだけの教育が施され、いざというときには家臣たちを跪かせるだけの力量が求められる。
このような状況で一番に頼るべきはエリザベスだ。
それはわかっている。
「わかっているが……あ、あんなことをしたあとで、どの面さげてさらに情けない姿を見せられるんだよ……」
「殿下……」
じわじわと赤くなってくる頬をシーツで隠す。ハロルドのなんとも言えない声が布越しに聞こえた。
あんな……あんな、抱きよせたり、ふれたり、挙句の果てには顔を……!! あのときのオレ、キスしようとしてたぞ!?
いや、それよりも重大な問題は、そのあと――ラースを投げつけられ、倒れたとき、唇にふれた感触……。
ハロルドは一部始終を見ていたはずだ。
「いえ、――」
「ひ、ひとつ、確認させてくれ」
ハロルドがなにか言いかけるのをさえぎって、オレはシーツにくるまったまま視線だけをのぞかせた。
王族たるもの、婚姻の儀も国政・外交のパフォーマンスの一部。オレとエリザベスは皆の見守る前で永遠の愛と国の繁栄を表明し、『誓いのキス』をせねばならない身だ。
だから、いずれは、そうなるんだけど……。
「あのとき……もしかして、オレたち、キッ、キスしちゃっ……なんだ、違うのか」
人がもじもじとしながら勇気をだして尋ねたのに、質問の途中で「なに言ってんだコイツ」みたいな目をむけられて聞く前に答えは知れた。
「ヴィンセント殿下のお口元にふれたのは、ラ・モンリーヴル公爵令嬢の頬です」
「頬……」
「すぐに離れたでしょう? ヴィンセント殿下は真上をむいておられました。唇と唇がふれたなら顔面衝突していたはずです。実際にはバランスをくずした――」
「もういいです……」
オレはハロルドをふたたびさえぎった。淡々とした声で解説されると余計にへこむ。
なるほど、バランスをくずして斜めに落ちてきたエリザベスがオレの顔をかすめて倒れたわけだ。
愛のキスで記憶が戻ったわけではなかったのか……たしかにエリザベスの魔力は感じたし、それが引き金になったのだから、愛のキスといえなくはないが。
「……そうだよな、はじめてのキスはもっとムードたっぷりにするべきだ」
すべきときではなかったから、そうはならなかった、と考えよう。オレは現実主義者だが恋に狂った男はときおりロマンチストを突き抜けて運命論者となるものである。
「とにかく、エリザベスにはもう色々と迷惑をかけたし……これ以上アカデミアを休んでまで付き合ってくれとは」
言いづらい、と締めくくろうとして、今度はオレの言葉がさえぎられる番だった。
ばったーん! とけたたましい、しかしどこかはずんだ音を立てて扉がひらく。
現れたのは、満面の笑みを浮かべたリカルド殿。
「ヴィンセントー! エリザベス姫も呼んでくれ、ガイウス殿の許可をもらったからな、明日はみんなで王都に行こう!!」
手にはたしかに「ゆるす」とふるえる一筆の与えられた羊皮紙を握っている。ちなみに父上の筆跡の隣には「わたくしも許します」と母上まで。
オレの隣でハロルドが一切の表情を消し去った顔になっていた。
「俺の護衛なら気にするな、免責条項第九十三、ウルハラはリカルドの一切の護衛の義務を負わない。我が国は文句は言わん! お前とエリザベス姫にだけ護衛をつけろ!」
「いやそれは逆に難しいのですが」
思わずつっこんでしまってからハッとする。
これでは要求を受け入れてしまっているようなものだ。まぁ父上の許可状をもっている時点で最初からたいした抵抗はできないのだけれども。
父上、母上、リカルド殿の相手が面倒くさいから完全にオレに押しつけましたね?
「……エリザベスが無理だと言ったらおとなしく諦めてくださいよ?」
「それは約束しよう。エリザベス姫にご迷惑をかけるのは俺の本意ではないからな」
ワイズワース家には迷惑かける気満々ですね。
凛然とした表情で胸に手をあてるリカルド殿にそれ以上のつっこみはいれず、オレはラ・モンリーヴル公爵邸へと使者を走らせた。






