16.マリアベルとリカルド(後編)
王宮に到着するやいなや、旅の疲れなど感じさせずにリカルド殿は会見を強く強く望んだ。その希望が国王にむけてではなく王妃にむけてだというのはよくわかった。冷静に考えると母親に懸想する隣国の王ってめちゃくちゃ嫌だな。
さすがに応接セットがそろっているとはいえ他国の人間を寝室に招くのはまずかろうと家令を通じておうかがいをたてると、しばらくして半刻ほどまてという返事をもってきた。
ニーヴェの国王をまたせるのである。その時点で家令がだいぶ遠い目をしている。
そのうえ、もう夕刻となったため、エリザベスはオレに送らせるという。つまりリカルド殿を一人でまたせるわけだ。家令の視線が天井を突き抜けて虚空にさまよってしまいそうになっている。
「ま、気にするな。勝手にあがりこんだのはこっちだしな」
リカルド殿がぽんぽんと家令の肩を叩く。家令も命令に従っているあたり、おそらく免責条項に『いくらまたされても文句は言いません』といったものも含まれているんだろう。
がんばれ……!! と心の中で家令に激励を贈りつつ、オレはそそくさとエリザベスを連れて王宮をでた。
王宮からエリザベスの屋敷までは遠くない。
普段でもたわいもない話をしているうちに終わってしまう距離だというのに、今日のような日には余計にどんな会話をかわせばよいのかわからなかった。
エリザベスはそんなオレの心を理解してくれているのか、あえて話しかけたりはせずにゆったりとした様子で笑顔を浮かべている。
「なにかありましたら、すぐに呼んでくださいませ。いつでも馳せ参じますわ」
馬車を降り、別れの挨拶をしたのちに。
ふりむいたエリザベスはそう言って笑った。……ラースのはいったバスケットを示しながら。
ラースもまたエリザベスの従者兼護衛のようなものであり、ラースがいればこそ今日のように急な遠出もできる。オレの中ではお邪魔虫カテゴリだが……エリザベスは信頼を置いているのだろう。
「ありがとう」
でも、できればエリザベスの手を煩わせず、一人で解決したい。
リカルド殿の狙いはオレが王太子にふさわしいかどうかだというし、そもそも王家の話だし。
「心配しないでくれ」
なるべく気負った態度を見せぬよう、笑顔で告げれば、エリザベスは眉をさげて笑った。
***
ラ・モンリーヴル公爵邸から戻ると、そのまま応接間へと呼ばれた。
めかしこんで真っ赤なジャケットを羽織ったリカルド殿が部屋の中央に立ち、半刻前とまったく変わらぬまちきれないといった表情を浮かべている。まさかずっとその顔でまってたんですか?
オレが入ってきた扉とは真逆の、父上の寝室につながる扉。
それがゆっくりとひらかれる。
父上と母上の姿が見えた――否、正確には、普段どおりのきりりとした目つきの母上が、正面を見据えていた。
その腕にはまだ青ざめた顔色の父上がお姫様抱っこをされ、プラムをかかえている。
「……は????」
思わずでてしまった声にあわてて口を押さえる。ちらりと見るとハロルドは片膝をつき頭をたれて畏まるふりをして謎の光景を見ないようにしていた。家令もである。ずるい。
母上がオレを見た。しかし叱責が飛ぶことはなく、どちらかといえば「まぁそうよね」という母上の心情を感じた。あ、母上も面倒くさいんですね。
「無礼をいたしまして申し訳ありません。国王ガイウスは臥せっておりまして、けれどもリカルド殿にお会いしたいというので無理を通してまかりこしましたの」
淡々とリカルド殿に告げる母上。
あなたが会見を申しこんだから面倒くさいことになっちゃったじゃない、という苦情の婉曲な表現である。
ちょっとした荷物のように父上を肘付きの椅子に放りおろすと、母上はその隣に立った。震動を与えられたプラムが父上の腕の中で「おぉえぇぇ……」とまたヤバそうな声を漏らしている。
しかも、まるでリカルド殿の真紅のジャケットに対抗するかのように、母上のドレスと父上のジャケットは海を模したデザインのペアルック。首元は散りばめられた宝石も相まってキラキラと光り、裾へ降りるにしたがって色合いが濃くなるグラデーション。
ツッコミが追いつかない。
エリザベスを帰宅させたのはこのせいか、とオレは理解した。
「マリアベルの言ったとおりじゃ。略式の装いで申し訳ないな」
そこじゃないですよね父上。
いつもより覇気のない声だが、そのぶん見た目で思いっきりリカルド殿を威圧している。いいのかこれ? 大丈夫なのか?
「このたびはよくもまいられた。しばらく見ぬうちにまた立派になられたようじゃ」
父上「よくも」じゃなくて「よくぞ」です。本音がでちゃってる。
リカルド殿が遊びにきたときってこんな感じだったっけ……? と記憶をめぐらすも、思いあたらない。封じられているわけではなく――もしかしてリカルド殿、父上がいないタイミング見計らって遊びにきてたな?
青ざめながらもさすがに父上の眼光は鋭い。
いったいリカルド殿はどんな顔をしてこの視線を受けとめているのか……。
そんなオレの疑問は、即刻解消された。
「マリアベルお姉様……!!」
おちついた低音ボイスが妙にうわずって名状しがたき興奮を伝える。オレの隣を緋色のなにかが走り抜けた――と思ったらリカルド殿はすでに母上の目の前に姿を現していた。
そこからの展開は数秒だった。
「お会いしとうございました、嗚呼なにもお変わりなく、マリアベルお姉様はいつもお美しい……」
リカルド殿が母上の右手を握る。流れるように腰をかがめ、近づく唇。
しかし接吻を落とそうとしていた右手は気づけばリカルド殿の手の中から消失していた。
「リカルド、いつも言っておりますでしょう、ここはウルハラ。その挨拶の仕方は不適切です」
冷静な声が響いた。と同時に、残像を見せつつ、母上の右手が数度ひるがえり、不可思議な軌跡をえがく――。
次の瞬間には、うなりをたてて吹いた風がリカルド殿を巻きあげ、壁に叩きつけていた。
まって、母上、無詠唱で魔法使えるんですか?
「相かわらずお強いですね……♡」
リカルド殿はなぜか頬を染めてうっとりとしている。
なにも効いてねぇ。鍛え抜かれた身体は伊達ではないらしい。いや母上も手加減をしているのだろうが。
「リカルド殿」
立ちあがるリカルド殿に、父上が声をかけた。
クワッと目が見ひらかれる。
「マリアベルはわしのもんじゃと何度も言っておるであろう!! 結婚二十年じゃぞ二十年!! いいかげんあきらめんか若造が――!!」
「こちとら片想い歴二十四年、来年は四半世紀アニバーサリーでも開催しようかと思っていたところですよ!! 出会ったのは俺が先なんですからね、結婚したくらいで大きな顔しないでください!!」
「やめなさい、わたくしの黒歴史はしずかに眠らせてあげてちょうだい」
ダンダンと足を踏み鳴らし威嚇する父上に、舌をだして変顔をかえすリカルド殿。
そんな二人に挟まれた母上がこめかみをおさえながら唇を噛んでいる。
なぜかものすごく親近感をおぼえたオレの脳裏を、ターコイズブルーの髪をした少年が駆け去っていく。
よーし、この三人のだいたいの関係性は見えた。たぶんいまのオレは死んだ魚の目をしているであろう。
最後に、ようやく父上の腕の中のプラムに気づいたリカルド殿が声をあげた。
「あれ、お前、俺のこと殺そうとした魔獣か? しばらく見ないうちに小さくなって!」
再会の言葉、そんなんでいいんですか?
プラムはちらりとリカルド殿を一瞥しただけで、なにも言わなかった。






