13.また面倒なのがきた(前編)
入室の許可を得て扉をあけた家令に視線がそそがれる。
これほど家令が緊急の対応をする『リカルド様』といえば、一人しかいない。
リカルド・ルイス・ヴァレロン殿――我が国の南に隣接する大国ニーヴェの王である。日焼けした小麦色の肌に濃紅の長髪をもち、高い鼻とやけに鋭い目つきがいかめしい印象を与える美丈夫だ。歳はたしか三十三。
ニーヴェは我が国の五倍はあろうかという広大な領土に加え、一年を通して温かな気候は豊かな食料を生みだし、当然ながら人も集まる。国土内の隅々まで交通網がはりめぐらされ商工業も発達した大国は近隣諸国であれば無視できない。
オレも幼いころ何度か母上とともにご機嫌うかがいに行ったし、当時王太子だったリカルド殿もちょくちょく王宮へ遊びにきていた。兄妹のいないオレは明るい気質のリカルド殿になついた。だから記憶を失わずにおぼえていられたのだ。
しかしいま、見計らったようにこのタイミングでか……。
「リカルド様はミルフォード関より入国され、こちらへむかっているそうです」
「おそらくわたくしの力が弱まったことを知ったのでしょう。相かわらず耳が早い」
母上が眉を寄せながら言う。
え?
「偶然ではなく本当にこの機を狙ったということですか」
「リカルドは国境沿いに斥候をひそませていますから、変わったことがあればすぐに聞きつけるのですよ」
「え? リカルド殿は敵なのですか」
「いえ、敵ではありません。ヴィンセントあなたよく遊んでもらったリカルドになんてことを申すのですか。面倒なだけです」
まったくフォローになっていない訂正をしつつ、母上はひらひらと手をふった。
「国境には悪しき者たちを通さぬよう防御結界をはっているのです。なので普段なら許可なくリカルドが入国することはできないのですが」
「……敵扱いですよね?」
答えはない。母上は腰に手をあてると困ったわというジェスチャーをした。聞こえていないふりというやつだ。
たしかに隣国の王が勝手に他国に侵入しているというのは由々しき問題であり、場合によっては宣戦布告とも受けとれる事態であるため非常に重大だ。家令があわてているのも当然のこと。
しかし母上のこの口ぶり、いま気づいたがなにげにリカルド殿のこと呼び捨てだし、なんだかものすごく嫌な予感がする。
しばらく考えたのち、母上はオレの肩に手をおいた。
予感が的中する予感。
「ヴィンセント、あなた、エリザベス嬢といっしょにリカルドの出迎えに行ってあげてくださいな」
やっぱり。
ラースは帰りたそうにエリザベスのドレスをつかみながら正面玄関に通じる扉を指さしている。その気持ちはとてもよくわかる。
「母上は」
「わたくしは国王陛下の看病がありますから王宮を離れることができません」
「さっき面倒って言いましたよね」
「そういえばヴィンセント、あなた先ほどわたくしに対して失礼なことを考えたのではなくて?」
「……行ってまいります」
にっこりと笑う母上に秒で負けたオレはエリザベスをふりむいた。
「……いいだろうか?」
「もちろんですわ。ヴィンセント殿下がいらっしゃるところなら、わたくしもまいります」
笑顔で答えるエリザベスに迷いはない。いきなり王宮に呼ばれてわけのわからない面倒事に巻きこまれっぱなしだというのに嫌な顔一つせず、むしろ当然のこととして受けいれる姿には神々しい気品があふれていた。
思わず涙ぐんで拝んでしまいそうになる。
「では、護衛はハロルドとラースがいれば十分だろう。すぐに出立しよう」
「馬車を手配させます」
オレの言葉に家令がでていく。そのあとにつづこうとして、オレは立ちどまった。
そういえば、である。
「父上が臥せっていることは秘したほうがよろしいでしょうか」
「必要ありません。わたくしの結界が効力を失った時点でなにかあったことはわかっています。それに先ほども言ったとおりリカルドは敵ではありません」
「ならば――」
「味方でもありません」
希望を撃ち抜くように、今度はきっぱりと母上は告げた。
「会えばわかります」
意味深な台詞を添えて。
***
家令の報せから一刻後。
オレとエリザベスは、ニーヴェ国王リカルド・ルイス・ヴァレロン殿を迎えるため、馬車に揺られていた。
……というか出発してから気づいたが、わりと状況は切迫しているのである。
わけのわからん魔獣が復活しわけのわからん魔法を使ったせいで、国王は臥せっており、我が国の最終兵器であったらしい母上は魔力が半減。王太子は知識を失い、有体にいえばポンコツ化。
この状況下で、意図不明の無断入国を果たした大国ニーヴェの王を迎える。
一つ対応を間違えた場合、本気で国際問題になりかねない。
会えばわかる、と母上は言ったが……遊んでもらったおぼえはあるが、それ以外の時間にリカルド殿がどんなふるまいをしていたかは正直あまり記憶にない。むしろ来賓なのにあまり王宮にいなかったような……。
考えこんでいるオレの耳に御者のあわてたような声が聞こえた。ついで、視界を影がよぎって顔をあげる。
オレとエリザベスは馬車で移動しつつ、オレたちがむかっていることをリカルド殿に報せるべくハロルドを単騎で派遣したのだ。首尾よく街道のどこかでニーヴェ国の馬車を発見し、戻ってきたのだろう。
そう思い、窓の外をのぞいて――。
オレはぽかんと口をあけた。
そこにいたのはハロルドではなかった。では誰かといえば、
「よおヴィンセント、数年ぶりだな」
一つに束ねた長髪をなびかせた人物――リカルド王が、ハロルドの馬にのって馬車と並走していた。






