11.魔獣を捕獲せよ
扉の影でエリザベスから顔を隠したオレは、激しい羞恥にもだえ苦しんでいた。
いや……駄目だろ。あれは駄目だろ。いくらエリザベスが許してくれてもあれは駄目だ。破廉恥極まりない。いかがわしい。フられなくてよかった。
わかっている。あれは妄想のオレだ。余裕たっぷりにかっこよくエリザベスを口説くオレ……天使を腕の中にとじこめ、甘い言葉を囁き、魅了してしまうオレ。幼いころからエリザベスの荘厳なオーラをあび、その羽の生えた背に追いつこうと奮闘してきたオレには絶対にとれない態度。記憶を封じられたからこそできる口説き方だった。
妙な万能感にもあふれるはずだ。オレの外面をなんとかつなぎとめてくれる金の鎖がエリザベスなのだから。
扉に手をかけ、深呼吸。
エリザベスをふりむき、手をさしだす。先ほどまでのことは関係ありませんといったいつもの爽やか王太子スマイルをはりつけると、やはりいつものおちついた声色でオレは言った。
「では、王宮内を調査しよう」
どこか赤い顔をしたエリザベスがその手をとる。
ハロルドがその背後で音のでないため息をついていた。内心でなにを言いたいのかはわかっている。
オレのお目付け役であり、オレが間違ったことをすれば正す役目をもつのがハロルドだ。射抜くような氷のまなざしは常に第三者の目にさらすことでオレに自覚をうながすため。
そのハロルドが、王太子失格の台詞を吐くまでオレをとめなかった理由は一つ。
いいかげんこの焦れったい関係をどうにかしろ――ということだ。
……わかってる。わかってるよ。
「エリザベス」
「はい、ヴィンセント殿下」
呼べば、視線をあわせようとオレを見上げるエリザベス。浮かぶのは自然なほほえみ。つられてオレの口元も勝手にゆるむ。
は~~~~かわいい。究極的にかわいい。記憶を封じられたにもかかわらず一目惚れしていたあたり、エリザベスのいうとおり根本のオレはなにもかわらないのだろう。
だったら、素のままの自分をだしてもいいのかもしれない。
すぐにはできないが、少しずつ。
エリザベスに引かれない程度に。
表にはださずそんなことを誓うと、オレは気持ちをプラム捕獲へときりかえた。いざとなれば結婚式までにひととおりの知識をとり戻すことはできるが、記憶の封印を解けるならそのほうがずっといい。
とはいえ、手がかりはない。
「まずは最初にプラムが現れた離れへ行ってみるか」
「まだ記憶が混乱されているようですね」
なにか痕跡でもあるかもしれぬ、と言った途端、ハロルドが食い気味にさえぎってきた。
たしかに、封じられた部分とはべつに、プラムに会った前後も記憶があいまいだ。実はプラム自体の姿もおぼろげになっている。魔法をかけられた人間にそれと気づかせぬよう防衛しているのかもしれない。
「屋敷自体はよろしいですが、ケットシーが現れた部屋は危険です。魔力が残存しているかもしれません。私が調査いたしましょう」
オレの答えを聞く前にハロルドは言った。理由を尋ねたいがものすごく真剣なまなざしをむけられて圧が強い。これはあれだ、余計なことは言わずに従っておいたほうがよさそうな顔だ。
「わかった。ならラースといっしょに行ってくれ」
ラースは聖竜、いざとなれば魔力を食うことも瘴気を払うこともできる。
そう思って言ったのだが、ハロルドは眉間の皺を深くした。……しばしの沈黙ののち、「承知しました」とうなずく。なんだ?
とりあえず離れからはじめて王宮内を探索しようということになり、オレたちは移動した。
オレとハロルドはプラム・ケットシーに出会う直前、エリザベスを迎えるため、私物を整理していたそうだ。
離れの部屋を見てまわったが、怪しい魔力の流れはなかった。やはりプラムはすでにほかの場所へ逃げ去ったと思われる。
念のためということで最後にハロルドがラースを連れて問題の部屋へと入る。
数分もしないうちに一人と一匹はでてきた。……と思ったら、ラースはエリザベスの足元につっぷしてきゅんきゅんと悲しい鳴き声を立てている。
「まぁ、なにかあったのでしょうか」
「いえ、これは……男の悔し涙ですかね」
「悔し涙……?」
ハロルドがぼそりと呟いた言葉の意味がさっぱりわからず、オレとエリザベスは顔を見あわせた。
「しかしやはり離れにはいませんでしたね。痕跡もありません」
説明する気はないらしく、ハロルドはあっさりと話題を変えた。
エリザベスがラースをかかえあげ慰めている。途端にラースは尻尾をぶんぶんとふって「きゅあっ」と甲高い鳴き声をあげた。犬か。
離れの外へでて、オレたちはあっというまに途方に暮れてしまった。
「いくら王宮内にいるといっても、それなりに広いからな」
「やみくもに歩きまわるのではなく、なにか目安があればよいのですが……」
「ラースは魔力の痕跡をたどることはできないのか?」
「聖竜のお力でできるかもしれませんね。いかがですか、ラース様?」
ふと思いついた案を口にしただけだったが、エリザベスから期待に満ちた視線をむけられたラースはぴょんと空中に飛びあがった。任せろと言いたげに胸のあたりを叩くと、背を反らせて鼻をうごめかす。うん、いいところ見せたいんだな。
目を閉じたラースの身体がキラキラと光りはじめた。エリザベスが息をのむ。水晶のような角が瞬いた――このバラバラな反応、とりあえずやたらめったら身体中光らせてるだけだろ、ラース?
ラースが目をひらいた。空に飛びあがり、周囲をくるくると旋回する。
やっぱり見かけだけだったな?
しかし、そう思った瞬間。
「きゅあっ」
白い尻尾がぴこんとあがる。
「きゅあっきゅあっ!」
興奮気味な鳴き声をあげながら、ラースが庭園の中央を指さした。宙を蹴るようにはずみをつけると、滑空体勢で飛び去ってゆく。
ラースのあとを追いかけながら、視線をむければ。
母上デザインの奇妙なトピアリーの影に、紫色のネコのようなものが、ぺしょりと横たわっていた。
「あれか」
「あれですね」
「お見事ですわ、ラース様!」
おぼろげにだがおぼえがある。ハロルドに同意を求めるとうなずかれた。エリザベスが両手をあわせて拍手を送る。
近づいてみても逃げる様子はない。手足をだらりとのばして芝生の上に寝転がったまま。それの周囲をラースがくるくると走りまわっている。
「動けないのか?」
「おう、お兄さん……見つかっちまったニャ」
今度はテレパシーのようなものではなく、口をもぐもぐと動かしてプラムはしゃべった。人間の言葉をしゃべるためにわりとありえない動きをするネコの口は歪んだ笑いの形を浮かべているようで、若干ホラー。
内心で引いているオレを見上げ、プラムはぼそりと呟いた。
「お兄さんの……記憶ニャ、封印したろ。愛が重てぇ……魔力不足ニャ」
気力を使い果たしたのか、ふーっと長い息をつくとまた芝生に伏せてしまうプラム。ラースに嘴でつつかれてもなんの反応も返さない。本気で弱っているらしい。
魔獣に魔力不足を起こさせる記憶ってなに?
我ながら自分が怖い。






