7.文句も言いたい
ふと目を覚ますと、見覚えがあるにはあるが馴染みのない天井が視界に飛びこんできた。視線をめぐらせれば等身大の母上の肖像……父上と母上の寝室だ。成長してからはほとんどはいったことはない。
ベッドから少し離れたところに備えつけられたソファへオレは寝かされていた。
なんだか頭が重い……しかしどこか軽い。相反する感覚が迫ってきて脳が混乱する。
「起きましたか、ヴィンセント」
父上のベッドのそばには母上が立っていた。その隣にはハロルドが、どこか青白い顔をして直立している。
その表情を見て記憶がよみがえる。
妙な……たしかプラムと名のるキング・ケットシーの魔獣。白煙とともに現れ、……どうなったんだっけ? 前後の記憶があいまいで思いだせない。
「どこか変わったところはありますか? 気分がすぐれないとか、頭が痛いとか」
「いえ……痛くはないです」
「意識ははっきりしていますか?」
先ほどの奇妙な感覚を思い浮かべる。が、それはもう消えていた。
かわりに、いまの心持ちとしては……。
「なんでしょう? 妙な万能感にあふれていますね」
立ちあがり、鏡をのぞく。見目麗しいといってさしつかえない容姿。王太子という地位に、文武両道の成績、洗練されたマナー……オレは自分が『神の造りたもうた奇跡』と呼ばれていたことを思いだした。
しかし、オレは王位など継がねーと舌をだしていたクソガキだったはずだった。なんでそこまでいい子ちゃんになったんだったか。
なにか理由があった気がするのに、それがわからない。思いだそうとすると頭に靄がかかるのだ。
「プラスの効果というのも変な話ですね……」
考えこみながら言った母上が顔をあげる。
「先ほど公爵家に早馬を飛ばしました。エリザベス嬢の安否が確認でき次第、プラムの捕獲にむけて動きましょう」
「……?」
「どうしました?」
母上の言葉に違和感をおぼえて首をかしげる。
ハロルドが青ざめているのは護衛でありながらオレへの攻撃を許してしまったことへの自責の念によるものだろう。しかしべつに身体のどこも痛くはない。
母上は深刻そうにエリザベス嬢の安否確認を、と言ったが――。
「誰ですか、そのエリザベス嬢とやらは? オレになにか関係が?」
「……」
「……」
母上とハロルドがオレを凝視する。父上は眠っているらしい。よく見れば父上も血の気のひいた顔色だ。
いったいなんなんだと思っていると、母上は一人納得げにうなずいた。
「そういうことですの。ひとまずエリたんは無事ですわね」
「エリタン???」
誰???
「奪われたのはあくまでヴィンセントの中のもの……いまのあの子に人間への害を加える力はないとは思っていたのです」
ころころと笑う母上にハロルドが困惑……というかヒキ気味の視線をむけている。夫と息子が倒れたのに「よかったわ~」とか言ってる母親ヤバイもんな。
ただ、想定される最悪の事態は回避したのだろうということはオレにもわかった。
「母上にはご事情がおわかりの様子。そろそろきちんと説明してくださいませんか?」
そうでないと、幼少のみぎりよりオレにつきそってくれていたハロルドがありえないくらい可哀想な顔をしている。
オレの言葉に、母上はにこりとほほえみ、言った。
「自分の目でたしかめなさい」
同時に、家令がラ・モンリーヴル公爵の来訪を告げる。
扉がひらき、公爵殿と、その御令嬢と思われる、金の巻き毛の天使――オレは現れた少女の美しさに、目を奪われた。
まるで時間がとまったかのようだった。永遠にこの時がつづけばよいと願い、そのくせなんとしてでも彼女との未来を手にいれたいと願った。
彼女がオレを見る。心臓はドキドキと鳴る。
よくわからぬうちに完璧な王太子と化していた自分の変化は、いまこの瞬間のためにあったのだと悟った。
運命だ。そうでなければおかしい。
そして数分後には☆オレの考えた最強のプロポーズ☆をかまし、すべてを察して頭をかかえる羽目に陥ったオレがいたのだった。
***
「――ヴィンセントの記憶の中で、エリザベス嬢に関する事柄がすべて魔獣に奪われたようです」
母上がエリザベスに説明するのを、肩をふるわせるハロルドに支えられながらオレは聞いた。さっきの心配そうな後悔と謝意に満ちあふれた顔はどうしたんだよ。あぁもう、いますぐ部屋に戻って枕に顔を埋めて「あ゛~~~~~~!!」って転げまわりたい。
魔獣による嫌がらせ。
対象はオレの一番大切なものだという。その答えは、婚約者の記憶。
で、たぶんオレはその婚約者にベタ惚れだった。いいところを見せようとして、婚約者につりあう男になろうとして、それまで放置していた学問やマナーの習得を一挙に進めたに違いない。
机にかじりついて学問に励んでいたときの記憶を思い起こせば、「うおおおおやるぜええええ」という暑苦しい気合がよみがえる。たぶんその「やるぜええええ」は「エリザベスに好きになってもらえるようにがんばるぜええええ」だったのだ。
オレの態度から自分が忘れられていることを察しただろうに、紫の瞳を逸らしもせず、エリザベスはオレの婚約者であり……恋人であると告げた。
堂々として、真摯な告白だった。
まなざしには自分自身への自信のほかに、オレへの愛情があった。彼女の清廉な心があった。
鼓動を高ぶらせる心臓を服の上から押さえる。
一目惚れをしたうえに、数分で惚れなおしてしまった。
エリザベスがオレの《一番大切なもの》であったことに、疑問を差し挟む余地はない。
同時に、ずきりと傷む部分もある。
エリザベスの恋人であったのはヴィンセントでありながらオレではないという事実。
そんなことを考えていると、エリザベスの背後からひょこっと顔をだした白竜が青い目をチカチカと点滅させた。
「ラース……ラースだな。お前のことはおぼえているぞ」
ところどころ靄がかかっているが、邪竜になったことを説明するドメニク殿や、聖女の放つ光の矢で聖竜化したこともおぼえている。なるほど、この靄がエリザベスなのか。
どうしてラースを忘れずにエリザベスを忘れてしまったのか……それは彼女がオレの《一番大切なもの》だったからなのだが。
ため息をつくだけのオレにさすがのラースも不憫になったのか床に降りたち、小さな手を肩にぽんとおいてくれる。いやこれやっぱり慰めじゃないかもな? まだ目が点滅している。オレのこと嗤ってんな? そのサインはおぼえているぞ。
「というか、プラムとかいったケットシー、母上への恨みを八つ当たりで息子のオレにぶつけたんですよね?」
「そうです。エリザベス嬢には本当に申し訳ない。わたくしの手落ちでヴィンセントの記憶がなくなってしまうなんて」
「そんな、殿下のおっしゃるとおり、これは不慮の災難ですわ」
「母上、オレに謝ってくれませんか?」
エリザベスの手をとり眉をさげる母上。エリザベスは恐縮して首をふっている。まぁたしかにもっとも大きなとばっちりを食らったのは彼女かもしれない。婚約者を忘れるよりは婚約者に忘れられるほうがつらいに決まっている。
そういえばと視線をむければハロルドはもう普通の顔に戻っていた。
「この状況を打破する手はあるのですか?」
「えぇ、もちろん」
母上はうなずく。
「王宮に張られた結界にさえぎられ、プラムは外へでられません。まだどこかにひそんでいるはず。あの子をここへ連れてくれば、封印を解くようわたくしが説得いたしましょう」
ふ、と母上の手が緑に光った。ラースがびくっと尻尾を揺らす。実力による説得か……。
「もしくは自力で封印をうち破るという手もあります。ヴィンセントにかけられた魔法は記憶の消去ではなく封印。先ほども言ったとおりいまのあの子には人間に大きな害を与えるほどの力はないのです。ただ、ヴィンセントの魔力だけでは足りません」
「母上のお力では?」
期待をこめて尋ねるも、首をふられた。
「いまわたくしの魔力は半減しています。しばらくは陛下に代わって公務をとりしきらねばなりませんし、魔力を使いすぎるのは避けたいところです」
はぁ、と頬に手をあてた母上がため息をつく。
見れば父上はまた青ざめた顔で昏倒していた。本当に大丈夫なのだろうか……と思っているうちに母上が魔力を流しこみ、父上の頬に色つやが戻る。
命に別状はないのだろうが、痛ましい姿を見せられてはさすがにこれ以上お願いすることはできない。
エリザベスをちらりと見る。
ヴィンセントの婚約者であり恋人。ものすごくかわいい。ものすごく好き。けれども記憶を失ったオレが恋人面をするのはきっと違う。
だから、もう事情がわかったのだから公爵殿といっしょにご帰宅いただくのが正しいのだろうが――。
「わたくしもラース様とともにお手伝いいたしますわ」
真剣な顔がかわいすぎて、気づけば口が勝手に「ありがとう」と応えていた。






