4.結婚準備【エリザベス視点】
王家より、結婚の準備を進めている旨、ご連絡をいただいた。
国王陛下、王妃様、ヴィンセント殿下皆様より丁寧なお手紙をいただき、お父様、お母様も安心のご様子だった。
八歳でヴィンセント殿下と婚約を結んでより、早十年。
ずっと『婚約者』の立場がつづくような気がしていたけれど、ついに王宮での暮らしが始まるのだ。
そのための準備を、とうながされてからというもの、屋敷はどことなくおちつかない。嬉しくてよろこばしいことなのに寂しい、そんな複雑な感情がただよっていた。
お母様はドレスの仕立てをするたびに涙ぐんでいらっしゃるので、最初は笑っていたわたくしもだんだんと切ない気持ちになってしまうほど。
とくに今日は花嫁衣裳の採寸の日であったため、お母様の感慨もひとしおだった。
わたくしがまとっている純白のドレスは、王妃様がお輿入れの際に着ていらしたもの。細やかな金糸銀糸の刺繍と精密なレースの施された逸品だ。殿下のお爺様が遠方の国から買いいれたというドレスは、いまでも非常に貴重な技術が使われているのだという。
それを譲ってくださるのだから、どれほど大切に思っていただけているかがわかるというもの。
「これほどまでに気にかけていただき、勿体ないくらいでしょう」
「しあわせにすると、殿下がおっしゃってくださったものね」
オリオン国から戻ってしばらくのちに、ヴィンセント殿下は我が公爵家を訪れ、あらためてわたくしを伴侶とすること、両親に示してくださった。
そのときのことを思いだしたお母様が涙をぬぐいながらうなずく。
これでは式の当日にはどうなってしまうことか。
「そうですわ。それにお父様とお母様はいつでも王宮に遊びにいらしてよいと、国王陛下もお手紙に書いてくださっています。だからあまり寂しがらないでくださいませ」
言いながら、目の前に立てられた鏡に視線を移す。
映しだされるのは、豪奢なドレスを身につけた自分の姿。王妃様はすらりとしたお方だから、いまのままではかなり丈が長いけれど……それでも普段のわたくしではないような気品が備わっているように見える。
ヴィンセント殿下はなにか言ってくださるかしら。
殿下も代々の国王陛下が受け継がれてきたという礼服をお召しになるそう。
ヴィンセント殿下の笑顔がよみがえり、思わずため息をつく。
九年間の婚約関係ののち、つい昨年、わたくしたちは恋人となった。恋の種はずっと前から芽吹いていたというのに自覚してしまえばあまりにもあまずっぱく、一時はお顔を見られなくなってしまったほどだ。
けれどいまではただ一つの問題を除き、わたくしたちはとても順調と言える……言っていいはず……きっと。
そのただ一つの問題が大きいのだけれど。
果たして、式の場で普段以上の光り輝くような優美さをそなえるに違いないヴィンセント殿下をお相手に、キ、キスなど……できるかどうか。
考えただけで顔が火照ってしまい、わたくしは頬をおさえた。
好きだと言われて顔を赤らめ、どうしていいかわからなくなってしまうわたくしには、『誓いのキス』はとても高い壁だった。
採寸を終え部屋に戻ったわたくしを、ヴィンセント殿下が迎えてくださる。もちろん、本物のではない。肖像画の殿下である。
ヴィンセント殿下から告白され、己の恋心を自覚したわたくしは、恥ずかしさのあまり殿下のお顔を見ることができなくなってしまった。それではいけないと王宮でも活躍していらっしゃる画家の方にヴィンセント殿下の等身大肖像画を依頼したのだ。
家令いわく、依頼内容を聞いた画家はなんともいえない表情をしていたそうだけれど……背に腹は代えられません。
数か月という早さで届いた肖像はとてもすばらしいものだった。さすがに寝室におくのは憚られ、日中に勉強などをする部屋に飾らせていただいている。
ラース様にはとても不評で、部屋にはいってこなくなってしまったものの、一人でゆっくりとヴィンセント殿下のことを考えたいときにはありがたかったりもする。
結婚……。
王太子妃となるのは責任重大だ。ふさわしいふるまいをせねばならない、それを思うと身がひきしまる。
けれどそれ以上に、ヴィンセント殿下のお近くでともに暮らせるということが楽しみでならない。
「あら、でも……」
新婚生活を思いえがいていたわたくしは、神々しさすら感じるほほえみを浮かべこちらに手をさしのべる殿下をながめながら、ふと気づいてしまった。
「この肖像……王宮に持参してもよろしいのかしら……?」
せっかく描いていただいたものなのだから、もっていきたい。しかし王宮にはすでに本物のヴィンセント殿下がいらっしゃるのだ。そこにわざわざ等身大の肖像をかけておくというのも、なにか違うだろうか。
ヴィンセント殿下が懐中時計にわたくしの肖像をいれていたことを思いだし、頭をかかえる。
慣れるためならば、こんなに大きくてもち運びに不便な肖像を頼む必要はなかったのだ。ヴィンセント殿下はきっとそこまで考えていらしたのでしょう。
まいあがってしまって、大きいほうがリアルでいいと思ってしまって。
わたくしったら本当に恥ずかしい……。
こんなことで大丈夫かしら、と一人眉を寄せた――。
そのときだった。
盛大なノックの音が部屋に響いたのは。
「エリザベス、王宮からの早馬だ」
扉のむこうで滅多に聞かない焦った声をあげるのは、お父様。心臓がどきんと跳ねる。
「ヴィンセント殿下になにかあったそうだ。すぐにきてほしいと」
「殿下に――?」
一瞬、思考が真っ白になった。
けれどそれは一瞬だった。火急のときにこそ沈着に。
深呼吸をすると、背筋をのばす。
「わかりました。すぐに参ります」
鏡に映る姿をチェックし、最低限の身だしなみは整っていることを確認する。髪もドレスも乱れてはいない。
やや地味な普段着用のドレスを隠すショールを侍女に言いつけると、わたくしはラース様のいる寝室へむかった。






