3.王家の因縁
そんなことを考えつつ離れの一間へはいり、今度はワゴンからとりだしたエリザベスの肖像を壁にかけていく。
「どうだ、かたむいていないか?」
「はい、問題ありません」
「あまりエリザベスを見つめないようにな」
「はい、額の角度で判断しております」
「よし」
ハロルドと協力しながらまた小一時間ほどかけて作業を終わらせる。
新しい部屋の見栄えはどうであろうかとふりむき――。
オレは目をみはった。
部屋の中央から、ゆらゆらと白煙が立ちのぼっている。
煙は床からにじみでて、天井へのぼることなく空中にわだかまる。物の焦げる匂いもなければ火の気配もない。異常な事態だった。
オレはこれに似た事象を見たことがある。
「ヴィンセント殿下……」
同じ推測に達したハロルドが、オレをかばうように前にでた。
「人を呼べ」
「いえ、ここは私が見張りますので、殿下が――」
得体のしれないモノと主人をいっしょにして放っておくわけにはいかない。ハロルドの言うことももっともだとうなずきかけた、そのとき。
『チッチッチッ、マリアベルの血族、逃がしゃーしないのニャ!』
どこからともなく、というよりは脳に直接語りかけるような、そんな声が響きわたると、ぽふんっ、と煙が割れる。
その中央には、紫色の毛なみをたゆたせる、でっぷりと太ったネコ。黄金色の眼をクワッと見ひらき、大きな口から牙を剥きだしにして笑っている。
ネコは無駄に意匠のこらされたマントをひるがえし、空中で仁王立ちのポーズをとった。
見つめあう、オレとネコ。
『……驚かないのかニャ?』
「やっぱりかぁ……」
うめくように呟いたオレの隣で、ハロルドもなんともいえない顔をする。
一見煙のようでいて、異なる動きをする澱み。
オレはそれを、隣国で見た。邪竜ラースの身体から噴きあがった瘴気だ。目の前の煙は白色だが、魔力を帯びているだろうことは予想がついた。
「どうして最近はこういうのが増えてるんだろうな……?」
少なくともオレが生まれてからつい最近まで、魔獣の召喚などなかったというのに。
『つべこべうるさいニャ! そこの少年、貴様はマリアベルとガイウスの血縁だな!?』
ネコの手がびしっとオレを指さす。
ハロルドもまたオレを見る。
美しい慈愛と、大地の王。
オレはその名に、ものすごーく聞きおぼえがあった。それこそ生まれたときから知る名である。
「……そのお名前は……」
「母上と父上だな……」
『息子か! たしかにマリアベルによく似てめっちゃイケメン……いやいや。あの二人にされたことの恨み、ワガハイはまだ忘れていないのニャ!』
微妙に核心を避けながら開示されていく情報。オレのまったく知らないところで起きていたらしい事件……先ほど父上に告げられた言葉の意味がわかってきたような気がしてオレは頭をかかえた。
正直にいえば、関わりたくない。
王座は世襲でも、親の因果が子に報うことについてはオレは反対派だぞ。
「よし、では父上と母上のところへ案内しよう。だからぼくのことは見逃してくれ。忙しいんだ」
「瞬時にご両親を売る判断をされましたね?」
あーあー、ハロルドの指摘も聞こえない。
オレの知らない因縁に巻きこまれるのは御免である。というか、このネコがおちついてくれないと事情を聞くことすらできないのだが、こういうタイプは人の話を聞かないので意思疎通が難しいのだとオレは経験で知っている。
宙に浮かぶネコはやっぱりオレの話など聞かず、
『ワガハイは、封印されし《影の王》、キング・ケットシーのプラム様だニャ!!』
――あ、まずい。
「光よ、壁となれッ!!」
反射的に、腕に魔力をこめると呪文を唱えた。
昨年我が国へ留学していたリーシャ嬢が聖女になるために習得した、全属性の魔法攻撃を無効化する完全防護魔法。エリザベスがとても褒めていたのでオレにもできないかな……とひそかに練習していたのだ。
魔物が名を告げるとき。
それは、決闘の宣戦布告であり、攻撃の予告でもある。
『我が怨みと試練、味わうがいいっ! お前の一番大切なものを……いただくニャアアァァ!!』
その一言で、すべてがつながったような気がした。しかし悠長に考えている暇はない。
プラムと名乗った猫魔獣は、空気を蹴ってくるりと身をひねる。人間の手の届かない高さから攻撃を仕掛けてくるあたり戦い慣れしているようだ。
くりだされる鉤爪。
オレとハロルドの前には光でできた【聖なる壁】。
壁は、迫りくる鋭い爪を受けとめた。壁と接触した爪の先から紫色の魔力が沸騰するような音を立てて分解されていく。想定外の抵抗だったらしい、金の瞳孔が一瞬だけ驚きにきょとんとひらいた。
プラムはすぐに目を細め、笑みを浮かべる。
『さすがだニャ……と言いたいところニャが、二十年という歳月、ワガハイはずっとマリアベルを倒すことだけを目的におとなしく封印されてきたニャ』
二十年前って、オレ生まれてねーじゃねーか。
「いや、ぼくは単なる息子で、母上と君の確執を知らないんだ。まずはゆっくりと話をしないか」
再度説得しようとするものの、ケットシーは『シャーッ!!』と毛を逆立てて気合を入れるだけ。
全身の紫毛から魔力が立ちのぼり、鉤爪の先へと集中してゆく。見るまに、光の壁と接触していた爪が太くふくらんだ。
『お前の一番大切なものはなんだニャ?』
ネコの口吻がにんまりと歪み、悪魔のごとき声が心に囁く。
オレにばかり注目せずに背後をふりむけば、おびただしい量の肖像画で一発でわかると思うが――問われた言葉にエリザベスを思い浮かべ、オレは動揺してしまった。
ビシ。
ぶちあてられる魔力の重さに耐えきれず、壁が悲鳴をあげる。光の中に爪が食いこみ、放射状に亀裂が走っていく。
魔力が尽きたわけではない。単純に、量で押し負けた。
光の砕け散る音。破片が舞い、視界をキラキラと輝かせる。その中心から身をひねり突撃してくる紫色のネコ。
オレの前に立ちはだかったハロルドが攻撃を叩きこむ。拳と蹴りの二連撃。
しかし魔獣は空気を泳ぐかのごとくひらりとかわすと、オレにめがけて飛びかかった。
『いただくニャ、お前の一番大切なもの――!!』
眼前を鉤爪が踊る。
痛みはないが――魔力による、衝撃。
ぶれる視界を、金の巻き毛を揺らめかせ、天使が通りすぎた。手をのばそうとしても身体が動かない。名を呼ぼうとしても舌がもつれて声がでない。
前にもこんなことがあったような気がする。
エリザベス――……!!
オレの意識はそこで、ブラックアウトした。






