2.結婚準備(後編)
挙式の日よりエリザベスは王太子妃となり、王宮で暮らすことになる。それまでに種々の調度は運びこませておくとして、問題はエリザベスの暮らす部屋だ。
オレの寝室を二人の共有の部屋として、各自の応接間や書斎を用意して……というところまでは考えているのだが。
部屋に戻ると、待機していたハロルドが手袋を差しだしてきた。
真新しい純白の手袋に両手を通す。ハロルドがつけているのも新調した手袋である。隣には、仕切りをしたうえで、クッションの敷きつめられたワゴン。
オレは小さく深呼吸をすると自室の扉をあけた。入ってすぐの壁にエリザベスの肖像がかけられている。巻毛をたらしたエリザベスのまぶしいくらいのほほえみが、金の飾り彫刻が施された絢爛なる額縁にまさって輝いていた。
等身大の、肖像である。
視線があうだけで笑顔になってしまう。オレのだらしない笑みくずれた表情にも、もちろん絵の中のエリザベスはなにも言わない。
「これは、引かれないよな?」
「え? ……」
「だめか? よくあるだろ。父上のも母上のもあるぞ」
「それは歴代の国王・王妃両陛下のものだからです。というか、その顔を奥方様に見せるおつもりですか?」
「おまっ、奥方様だなんて……!」
両手を頬にあてて熱を冷ましつつ、問題はそこじゃないというのはオレもわかっている。
つまり、回廊や謁見室ではなく自室に飾る等身大肖像画はだめか……。
仕方なく絵を壁からはずし、ワゴンに入れる。
飾り小棚にならぶ、懐中時計に入れていた肖像画各種。これはさすがに大丈夫だろう。毎年つくりなおしていたから十個もあるけど、ケースにはいっているし。
オレの寝室にあるエリザベスの肖像はこの程度だ。
問題は、隣室――本来は応接間であるはずの部屋。
ワゴンを押しながらハロルドがついてくる。
寝室からのドアをあけ、一歩踏みいれば。
正面の壁には、幼いころのエリザベス。真ん中の一番大きいのははじめて描かせたものだ。それからやはり一年ごとに、成長を追うように壁一面にエリザベスの肖像がかけられている。
十歳のあたりから王宮画家も筆がこなれてきて、表情が生きいきしてるんだよな。対象の人物をじっくり見ることのできない環境で鍛えられつづけた彼はいま早くて巧いと人気の肖像画家となり、貴族からひっぱりだこであるらしい。たぶん美しいものを描きつづけたご利益もあると思う。なんにつけても『よいもの』を身体におぼえこませるのが一番だと、母上も言っていた。
そんな彼の集大成ともいえるこの部屋だが……エリザベスが見れば驚くだろうな、というのはさすがのオレにも想像に難くない。
よって、エリザベスを迎える準備の一環として、これらの肖像を離れに移す、というのが本日の仕事である。
「では、失礼します」
言ってハロルドが肖像に手をかける。
それを制した。
「まて、オレがやる」
「しかしこの数では時間がかかりますよ」
「だって、お前にはマーガレット嬢がいるじゃないか」
「……はい」
言外に「いますが、それがなにか?」という疑問をにじませるハロルド。そんなにまっすぐな目で見つめられるとさすがのオレも躊躇するのだが、
「エリザベスには触れないでほしい……」
「……」
視線が痛い。今度は「物と生身の区別がついていないのか?」という顔だ。
昨年の春、オレはエリザベスに告白し、諾の返事をもらった。それから二人は恋人同士である。恋人としてデートなんかもしている。
そうしたら普通は自信がついて動じなくなると、オレも思っていた。
しかし実際には逆だった。
恋人となったエリザベスがあまりにもかわいすぎて、オレは惚れなおしてしまったのである。それはもう盛大に。こんなにかわいい天使がオレの恋人で、オレのことを好きなのかと思うと頬がゆるみっぱなしになる。思わずぽろっと「好き」とこぼせばエリザベスも真っ赤になって反応してくれる。片想い状態だった九年間を思えばしあわせすぎて怖いくらい。オレのアプローチに対して天使から反応がある。すごい。
あまりの幸福に血圧・脈拍ともに上昇し、ついでに独占欲も高まった。エリザベスに近づく者に対して過敏に反応してしまう。
これはもう理屈じゃない。理屈じゃないんだ。
オレはなるべく冷静な表情をつくろい、ハロルドを見つめた。
「マーガレット嬢の肖像にオレがべたべたさわったらなんとなく嫌だろう?」
「……」
ハロルドは無言だった。が、数秒ののち、のばされていた手はひっこめられた。
わかってくれたらしい。
「ヘタレがムッツリに進化した……」
とかなんとか呟いていたのが聞こえたがこちらもいっそうこじらせた自覚はあるので強くでられなかった。
ハロルドに見守られながら小一時間ほどかけてエリザベスの肖像をワゴンにおさめ、離れへとむかう。
王宮の庭園内にある小離宮である。本来、伴侶を迎えた王太子はしばらくこの離宮ですごすのが慣習なのだが、今回は父上と母上が同居を望んだのでオレの部屋は移動せず隣にエリザベスの部屋をつくることになった。
あの義理の両親で本当に大丈夫かな、エリザベス?
そうだ、ラースの部屋も準備してやらなくてはな。
あいつまさか新婚真っ只中の愛の巣に割りこめるなんて思ってないよな?
ラ・モンリーヴル公爵邸ではバスケットが気にいったふりをしてエリザベスの部屋においてもらっているらしいが……オレの目の届くところでそのようなけしからん真似はさせぬ。
父上と母上の寝室にならおいてやってもいい。
ちなみに実は招待状や両親やペットよりも重大な心配事が一つある。
それは、結婚式での『誓いのキス』。
夫婦となる二人が互いの魂を結びあわせることを誓い、列席者を立会人として愛の証をする……という意味をもつのだが。
エリザベスと見つめあってキスなんて無理だ。なんて破廉恥なことをさせるのだろうか。この習慣をつくった遠い昔の人々には羞恥心がなかったというのか……おそろしい時代である。
想像するだけで鼻血を噴いて卒倒しそうになる。
実際エリザベスも同じ危惧をいだいているらしく、「いまから特訓したほうがよろしいのでは」と真剣な顔でもちかけられたときは腰を抜かした。
ちなみに特訓の成果は全然でていない。






