エピローグ.レオハルトの帰国(後編)
レオハルトからの突然の内心の吐露に、エリザベスはふたたび驚きをにじませた表情で目を瞬かせている。
「リーシャはあのとおり明るい性格ですから、ぼくよりも兄様にふさわしいでしょう。こんな裏のあるぼくは、兄様にはふさわしくないでしょう。きっと兄様はぼくの本性に失望する……そんなことを考えて、リーシャに嫉妬してしまうのです」
眉を寄せ、どこか苦しそうな顔で語るレオハルト。
ラースがオレを見上げてくるが、オレは止めなかった。エリザベスの前に外面だけでなく内面まで完璧な人間が現れたら、オレも同じ不安をかかえるに違いないからだ――自分は用済みではないか? と。
これまで目を逸らしつづけてきた不安に、レオハルトは立ち向かおうとしている。
エリザベスの力を借りて。
レオハルトを慰められるのは、マリウス殿やリーシャ嬢と同じ、心の清らかな人間の――つまりはエリザベスの言葉だ。
そう視線でラースに告げると、ラースも得心したようだった。尻尾を丸めてうずくまる。
「ぼくは、マリウス兄様にふさわしい人間になりたかった……」
こじらせた兄最愛弟の悲痛な胸の内を聞き、エリザベスはふかくうなずきつつ、けれどもにこりと笑った。
「レオハルト様はすでに、マリウス殿下にふさわしい立派なお方ですわ」
視線をあわせるように顔をのぞきこむエリザベスに、レオハルトは顔をそむけるそぶりを見せたものの、そっとエリザベスを見た。
疑いの目を向けられても、天使の笑顔は自信に満ちあふれてゆるがない。
「そんなことは――」
「本心がどうであれ、レオハルト様は自分自身がもっともよいと思うふるまいをされているのでしょう? ならそれも本当のレオハルト様です。表向きの姿だったとしても、それもその人なのです」
「そうで、しょうか……」
レオハルトはしおらしい声で応える。
感銘を受けているようだ。……オレもそうだ。
人は誰しも、隠している性格のほうを本物の自分だと考えるものだ。オレだって、エリザベスがいなければオレはこんなふうにはふるまわなかった。
しかしエリザベスは、表向きのレオハルトも本当のレオハルトだ言う。ということは、上辺のオレもまた本当のオレだということだ。
「なんて……。そう自分に言い聞かせないと、わたくしもときどき自信をなくすのですわ」
そう言ってエリザベスは、はにかんだ笑みを浮かべた。
「わたくしも家ではだらけてしまいますもの。我儘を言ったり、お菓子を食べすぎたり」
「えっそんなことがあるのか」
思わず口を挟んでしまうと、エリザベスはこちらをふりむいて眉を下げた。
「ございますわ。ヴィンセント殿下にはわからないかもしれませんが、人は完璧ではいられないものなのですよ」
いや、よーくわかるが。
言葉の裏からエリザベスがオレを完璧な人間だと思っていることが読みとれ……信頼がまぶしすぎて眩暈がする。ふと見るとラースが目を灰色に濁らせながら口から魔力を吐いていた。キラキラと輝く吐瀉物が床に落下し、七色に輝く魔石を生みだす。そんな否定の仕方あるか?
しかしラースの暴挙によって現実にひき戻されたオレとは違い、レオハルトはまだ深い沈黙にひたっている。
レオハルトにとって、エリザベスの言葉はマリウス殿の言葉と同じ。
そのエリザベスが、レオハルトの裏の性格を受け入れるならば。
希望の光を得かけたレオハルトの背中を押すように、エリザベスはふたたびほほえんだ。
「レオハルト様のマリウス殿下を想われる気持ちは本物ですわ。そのことをマリウス殿下もようく知っておられます」
「……」
見開かれたレオハルトの瞳に青い光が宿る。
それは徐々に輝きを増し――まばたきののち、唇はたおやかな弧をえがいた。
レオハルトの、心底からの笑顔だ。
暗黒微笑ではない、歳相応の少年のはにかみだった。
「ありがとうございます、エリザベス様。心の靄が晴れたような気がいたします。……マリウス兄様は簡単に人を見限るような人ではありません。だからマリウス兄様とぼくの絆は途切れはしない。当たり前のことなのに、すっかり臆病になっていました」
「誰にでも不安はあるものですわ。親しい方が相手なら特に」
感激しエリザベスの手を握ろうとするレオハルトの腕へ、ラースが飛びかかって妨害する。よくやった。
レオハルトは相かわらず気にした様子もなくキラキラと輝く瞳で笑顔を浮かべた。
「そうとなれば、ぼくは帰国します。兄様のおそばでリーシャをイビ……励ましたく思います」
「ようやく帰る決心がついたか。ならばそのように手配させよう」
レオハルトの決意が変わらないうちにとハロルドに合図をする。荷物をまとめて明日か明後日にでも出立してほしいものだ。
リーシャ嬢にとっては不穏な単語が聞こえたような気がするが……まぁ晴れて正式な婚約者となった幸せ真っ只中の二人に返り討ちにあうのが関の山だろう。レオハルトはまだ気づいていないようだし、先日自分が捨てられた仔犬のような目をしていたことは忘れているようだから黙っておいてやろう。
それよりも、とオレはレオハルトのロックが解けたエリザベスに近寄った。
エリザベスがそう考えていてくれるなら。
もしかしたらオレも、本当の自分をさらけだしても――。
しかし、ふらふらとした足取りのオレの歩みを、力強く引きとめる者があった。
ふりむけば、いつのまにか背後にまわっていたハロルドが、周囲をはばかりつつ低い声で囁く。
「ヴィンセント殿下、殿下の『本性』は、『腹黒』ではなく『へたれ』ですよ」
「……『へたれ』?」
「まさか、ご存知ないのですか?」
「言葉の意味としては知っているぞ」
「……」
ここ最近で一番の冷たい視線が突き刺さる。
なんとなく色々な含みを察したオレは、冷静さをとり戻し、エリザベスに己の二面性をカミングアウトするのはやめておくことにした。
***
アカデミアの年度区切りとともにレオハルトはオリオン王国へ本当の帰国を果たし、しばらくしてからオレとエリザベスには婚約披露の儀の招待状が届いた。
ちなみにレオハルト帰国後、二人きりのデートを数度重ねたオレたちは、相かわらずお互いを意識しすぎて会話もままならないことに気づいたのだが……それはまた別の話である。
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