31.邪竜VS聖女(後編)
放たれた矢は邪竜めがけていっせいに、文字どおり降りそそぐ。まばゆいばかりの聖なる輝きに、その場にいた誰もが一瞬視界を失った。
「ガアァアアァァ……!!」
「ラース様……!!」
目を瞬かせて確認すれば、瘴気のかたまりをふきあげながら唸り声をあげるラースの姿。エリザベスが心配そうに駆け寄る。
ラファエルの言うには、光の矢を受けてもラースにもエリザベスにも影響はないとのことだったが……。
邪竜の巨体がぐらりと傾く。
「倒れるぞ……!!」
オレはラースに触れようとするエリザベスの腕をひいて抱きしめ、次にくるであろう衝撃に身構える。
――が、予想していたような震動はなく。
ラースの身体は瘴気を噴きだした分だけしぼんでゆき、ふらふらと揺れながら小さくなって黒煙の中に隠れた。
……なるほど、邪竜の魔力はリーシャ嬢の聖なる魔力に相殺され、元に戻るということか。
「きゅあぁっ」
以前と同じ、女子ウケを狙ったかわいらしい小竜の鳴き声が聞こえる。
やがて晴れた煙の中から現れたのは――、
「きゅるるるるん?」
「……ラース様?」
「きゅあっ! きゅあぁっ!」
オレの腕の中のエリザベスを認め、翼と口を大きく広げて威嚇する姿はまさにラースだ。目もチカチカと青く点滅している。
……そう、紅くではなく、青く。
現れた竜は、形はラースのまま色合いが一変していた。
漆黒の竜鱗は純白へ。虹彩は青へ。おまけに額から背中にかけて、金の装飾らしき文様が刻まれている。
これは……。
「聖竜……?」
呟いたのはレオハルトだった。その一言で、オレの脳裏をよぎった単語が思いこみではなかったことを知る。
リーシャ嬢には本気で聖女の才があったようだ。まさか邪竜を聖竜に清め祓うとは……。
誰もが事態についていけず、無言だ。いや、ハロルドだけはバスケットの蓋をぱかっと開けてラースが入れる大きさに戻ったことを確認していたが、とはいえ無言だった。
光の矢の余波で金縛りが解けたらしい兵士たちも、やはり何も言えずに呆然とつっ立っている。
そんな状況で、最初に我に返ったのはエリザベスだった。
「お見事です、リーシャ様、そしてマリウス様」
「エリザベス様! 邪竜の呪いが解けて……?」
「あ、はい、……いえ、もとから呪いはありません。これまでのことはすべて演技です」
「演技!?」
「騙すような真似をいたしました」
優雅に膝を折り、姿勢を低くするエリザベス。その態度にリーシャ嬢は慌てて首を振った。
背後ではマリウス殿と国王夫妻が「やっぱりそうだったのか…………本当によかった」という顔をしている。
ここからがオレの出番だ。
ローブを脱ぎ捨てるとエリザベスの隣に並ぶ。床に落ちたローブを拾い、たたんでから、ハロルドもまたローブを脱いだ。あとで叱られるなこれは。
「ヴィンセント殿……!?」
「それに……そちらはもしや、ハロルド殿か」
対面したことのある国王夫妻はすぐに気づいた。
「そうです。怖い思いをさせて申し訳ありませんでした。マリウス殿にリーシャ嬢の力を認めていただくため、芝居を打ちました」
驚きの声をあげる三人に詫びを言う。レオハルトの許可と要請があってこその仕掛けではあるが、恐怖を与えたことだけは詫びておかねばならないだろう。特に巻き添えをくらっただけの国王夫妻には。
しかしさすがにそこは一国を預かる立場といおうか。夫妻は、血の気の戻ってきた顔でにこりと笑った。
「お見事でした。レオハルトの言う『催眠術師』とは、あなた方のことだったのですね」
「すっかり信じこんで、面白い夢を見てしまった」
「……えぇ、さようです」
心の中で安堵の息をはく。つまり、不問に付してくれるというわけだ。
マリウス殿もようやく口元をゆるめ、リーシャ嬢を見た。リーシャ嬢は堂々と視線を受けとめ、蕩けるような笑顔を返す。
「そうだな。夢のようだ。リーシャがいて、わたしを守ろうとしてくれた。……ついに、自分を変えることができた気がするんだ」
「あぁ、そのとおりだ、マリウス殿。人は変わることができる。……特に、愛する人を得た者は。オレがエリザベスと出会って変わっ」
「兄上様。ぼくは兄上様を推したいしております。次の王は兄上様以外にありえません」
未来の国王夫妻にかしずくように。
レオハルトはオレのいい話をぶったぎると腰を折り、うやうやしく礼をした。……お慕いしておりますのニュアンスが違う気がするがつっこまないでおいてやろう。
ふっきれた顔つきのマリウス殿は、たしかにレオハルトが期待に胸を焦がしていたとおりの人物だった。広々とした青空のような目はまっすぐと正面を見据え、迷いはない。けれども弱き者を思う慈悲の心にあふれている。オレやレオハルトには天地がひっくり返ってもできない、いうなれば真人間の目だ。ハロルド、オレと見比べるんじゃない。オレだっていいところはあるんだ。
「ありがとう、レオハルト。そしてすまなかった。弟が何度も励ましてくれていたのに、わたしは自分のことしか見えていなかったようだ」
「いいえ、兄上様……」
「これからは皆のために働くと誓おう」
マリウス殿の正面でレオハルトが、隣でリーシャ嬢が涙ぐんでいる。エリザベスも顔を上気させて大きくうなずいていた。
大団円のムードと先ほどの国王夫妻の言葉に、兵士たちもほっとした顔で武器を下ろした。
自分たちがこの先に仕えるべき主が決まったというのは、彼らにとっても嬉しいことだろう。不安げな表情をしている者がなく安堵の比重が大きいことは、マリウス殿の人徳と言える。
これで一件落着、に見える。
が、劇はあともう一幕。
「国王陛下!! マリウス様!! 無事でござりまするか!!!」
バターン、と大きな物音を立てて、息を切らしながら飛びこんできた太った男――この者が、アクトー卿だろう。
アクトーは広間を見まわすと、エリザベスとラース(白)に目を止めた。ゆるみつつあった空気に反してアクトーの顔はひきつる。
「こ、こ、これは、……やはりレオハルト様が、――」
「そこまでだ、アクトー卿」
その先は言ってはならぬ、と。
ほのかな怒りをたたえながら、マリウス殿の凛とした制止が耳を打った。






