30.邪竜VS聖女(中編)
「これは……!!」
マリウス殿が大きく目を見開く。彼の周囲にはいま、あたたかな守護の光を放つ結界が形成されていた。
リーシャ嬢の【聖なる壁】である。結界の範囲は最後にみたときよりもはるかに広く、光は安定して、マリウス殿と同じく腰を抜かしている国王夫妻をもつつみこんでいる。
ラースの視線がさささっと動いた。リーシャ嬢とその背後に守られた三人は結界の中に入っているし、兵士たちも広間の隅で釘付けになった。
よし、危険はない。
「ギュオォォオオン!!!」
軋むような雄叫びをあげるラース。高低入りまじった金属じみた不協和音に広間の壁は震え、耳が痛む。
牙の連なる口から魔力が渦を巻く。
攻撃の予兆にリーシャ嬢は歯を食いしばると両手に力を込めた。
――ボッ。
ラースの口から火焔が渦を巻いて放たれる。
余計なものを燃やさず、万が一どこかに当たったとしても焦げる程度ですむよう小さく、リーシャ嬢の壁の力を超えてはまずいので小出しに。
ボッ、ボッ、ボッと、食べやすい大きさにちぎったパンを与えるように、順序よく吐きだされては火焔は【聖なる壁】に吸収されていく。
とはいえ、巨大な邪竜のけたたましい鳴き声で麻痺した頭に火焔球がすぐそばまで迫る光景を叩きこまれるのだ。壁の中の人間からしてみれば生きた心地はしない。国王夫妻は顔面蒼白で震えている。
慎重に十発ほどの火焔を発射し、ラースは小休止に入った。はぁ、と心なしか肩が落ちている。緊張していたらしい。
すぐさまエリザベスが後をひき取った。
「聖女の力が邪魔ですわね……!! けれど、次の攻撃ならどうかしら!?」
これも『乙星』の台詞だ。
ラースが全身から瘴気を噴きだし、禍々しい魔力をみなぎらせていく……と見せかけての、時間稼ぎ。
「聖女の、力……?」
マリウス殿はエリザベスの言葉をくりかえすと、リーシャ嬢を見た。自分とその両親を守るため、邪竜の攻撃に真正面から立ち向かい、奇跡の力を発揮している想い人だ。
邪竜を睨み据える視線は力強く、肩幅に開いた足はしっかりと床を踏みしめていた。令嬢らしからぬふるまいを咎める者は誰もいない。
「そうです。リーシャが兄上様にふさわしくあるために身につけた力ですよ。しかし兄上様にはここで死んで、いただく……のだから……無意味な力です!」
レオハルトが嘲笑を浮かべつつ肯定する。
うん、ちょっと途中テンションさがってたな。考えるだけでもつらかったんだな。がんばったなレオハルト……。
「リーシャ……そうだったのか……」
あ、マリウス殿がリーシャ嬢をふりむいた途端にものすごいしょんぼりした顔になった。諦めろ、恋する男の視野は狭い。
残念ながら傷心の弟・レオハルトには気づかず、マリウス殿はよろめきつつも立ちあがる。
その表情は一転して雄々しく、青い瞳には強い意志が宿る。
芯の通った、王たるものの目だった。
「兄上様……!!」
一瞬で悲しみを払拭し、レオハルトは目を輝かせた。
それはそれは嬉しそうに、暗黒成分の抜けた、兄を心から慕う弟の喜びの顔で。コラッ!! 演技が!! バレるだろうが!!
マリウス殿はリーシャ嬢によりそうと、魔力を放出する両手に自らの手を重ねて握った。
驚きにふりかえるリーシャ嬢を、マリウス殿はしかと見つめる。よかった、レオハルトは眼中にないようだ。ドンマイ。
「わたしは……わたしはバカだった。君がどんどん離れていくような気がしていたんだ。君はいつもわたしのことを考えてくれていたのに」
「マリウス様……!!」
「今度こそ君の愛に気づいた。わたしもいっしょに戦わせてくれ」
「もちろんです!!」
リーシャ嬢は涙ぐみながら大きくかぶりをふった。【聖なる壁】が厚みを増す。
完全な脇役として気配を消しつつ、成長したな、とオレは心の中で祝福を送った。
はじめて会ったころの場違い感満載のリーシャ嬢のままであったら、こうしてマリウス殿と並び立つことすらできなかったろう。学問、魔法、礼儀のすべてを身につけたからこそ彼女はマリウス殿を守るだけの自信を得た。
それはこれからの人生でも同じ。王妃として生きていく彼女を支える柱になるはずだ。
ついでに、愛の力は魔力に通ずるというラファエルの暗示も功を奏した。
おそらくいまここにいる者の中でもっとも不運な国王夫妻も手を握りあって立ちあがる。
場面は感動のフィナーレである。
「こしゃくな……!! ゆきなさいっ、《燃え盛る鉄竜》!!」
「ギャオオオォォォンンンッッ」
エリザベスが腕を振りあげる。それを合図にラースが一歩前へ踏みだした。ズシン、と広間が揺れる。
ふたたび火球が迸る。
炎は【聖なる壁】に阻まれて消えた。
そして。
「私の愛は矢のように貴方に降りそそぐ!!」
力強いかけ声とともに、邪竜へむかって無数の光の矢が放たれた。






