26.女の子は魔法使い【エリザベス視点】
「魔力はすべての生物が生まれながらに備えているエネルギーである。所有量は個人により差がある。精神修養を積むことである程度まで所有量を増加させることができる。魔石などは魔力を蓄積し魔法の効果を継続的に利用可能で――」
魔法学の講師が読みあげるのを聞きながら、手元のテキストでも確認する。すでに入学前の予習で知っていた内容でもあり、魔法の修行を開始する前にラファエル様からも説明を受けた。
それでもやはり、実践の経験がある状態で聞けば新たな気づきが得られるものね。
近ごろラース様の毛並み……もとい鱗並みがツヤツヤしているのは、その主人であるわたくしの魔力量が増えているからね。大きくなりすぎては困るから、とラファエル様がラース様に魔石を呑ませていらっしゃった。ラース様の魔力はそこに蓄積されるのだわ。
リーシャ様はもともと魔力量が大きく、かつのびしろもある。わたくしはそこまでではないけれど、王妃教育で培った精神力に努力を加えれば結果は出せるはず。
「――では、実際に魔法を使ってみましょう」
ひととおりの説明を終え、テキストを閉じて講師が告げる。教室はひそやかなざわめきにつつまれた。わたくしの右隣に座るマーガレット様も目を輝かせる。
示されるのは数か月前から馴染みの呪文。
生徒たちの机に水の入ったガラスの容器が配られた。椀型の容器に指先をふれ、眉を寄せて皆できる限りの集中をしている。
「水よ、満ちよ……!」
「水よ、満ちよ!!」
教室のあちこちから声があがる。が、ほとんどの水に反応はなかった。はじめてならば水面が揺れるだけでも上出来というもの。修行の最初の日を思い出してなつかしくなる。
わたくしの隣ではやはりマーガレット様が真剣な面持ちで呪文を唱えていらした。マーガレット様は運動がお得意で、精神力、集中力ともに抜群だ。きっときっかけがあればすぐにコツをつかむはず。
わたくしは身を寄せ、そっと秘密を囁いた。
「マーガレット様、お水の中に大好きな方のお顔を思い浮かべるといいのですわ。ヴィンセント殿下に教えていただいたのです」
マーガレット様は弾かれたように顔をあげる。表情に浮かぶのは驚きだ。それから――なぜか一瞬、眦がつりあがったような気がしたけれど、それはすぐに戻った。
じわじわと頬を赤く染めながら、マーガレット様は水と向き合った。
ふふ、いけない、ついつい顔がゆるんでしまう。きっとマーガレット様はハロルド様のお顔を思い出していらっしゃるに違いないわ。
ちらりと視線を向けられる。がんばって、と声には出さずに笑いかけると、マーガレット様もこぼれるような笑顔を返してくださる。
そして。
「水よ、満ちよ」
おごそかに告げたマーガレット様の容器から飛びだした水流が、噴水のように放物線をえがいて降りそそいだ。
***
「エリザベス様、どうなさったのですか……?」
授業を終え、待ち合わせ場所を訪れたわたくしをみてリーシャ様は驚きの声をあげた。まぁ、朝は結っていた髪をほどき、寒くもないのにケープを羽織っているから当然ね。
噴水の被害をもっとも受けたのはご本人のマーガレット様、次いで隣にいたわたくしだった。今日は勉強会の予定がない日だし、着替えはせずにこのまま帰ることにしたのだ。
「いえね、幸せなお二人の愛を見せつけられてしまいました」
あの噴水はハロルド様への愛の大きさの証でしょう。わたくしが最初にヴィンセント殿下を思い浮かべたときもあれほどにはならなかったもの。殿下の婚約者として負けていられないわ。
事の顛末をリーシャ様にお話すれば、リーシャ様も意欲を刺激されたようだった。
「愛が力になる……なんて素敵なのでしょう。わたしもマリウス様のためにがんばります!! 愛を証明して見せます!」
「えぇ、その意気ですわ!」
二人で手をとるとうなずきあう。最初のころには「公爵令嬢様に触れるなんて畏れ多いことにございます……」なんておっしゃっていたリーシャ様だけれど、三か月も一つ屋根の下で暮らしていれば自然と仲よくなれた。
素直で純粋なお人柄だ。勉強は苦手だと頭を抱えていたものの、講義の内容はきちんと理解するまで質問を重ね、わたくしたちの勉強会で応用の範囲まで踏みこんでいる。
それに加えて、礼儀作法の習得と、魔法の修行まで。リーシャ様いわく、オリオン王国にいたころは令嬢というより平民に混じった生活をなさっていたそうで、体力なら自信があるのだとか。
持ち前の元気と明るさでリーシャ様はいつでも前向きだ。リーシャ様にも負けてはいられない、と身のひき締まる思いがする。
「リーシャ様、本日の修行もがんばりましょうね」
「はいっ!!」
馬車中で切磋琢磨を誓いあうわたくしたちを祝福するかのように、熱をおびた陽光が窓から差しこんでいた。
公爵邸に帰宅してからは本格的な魔法の修行になる。
ラファエル様のようにはいかないけれど、いまではわたくしも水流を生みだせるようになった。勢いよく噴きだしていたマーガレット様の魔法を思い起こす。
わたくしのヴィンセント殿下へのお気持ちも、負けぬほどに大きいはず……!!
気をひき締めて前を向くと、ラース様も「きゅあぁっ!」と声援をくださった。リーシャ様ももう黒竜の姿に怯えたりはしない。
「水よ、満ちよ!」
殿下の笑顔を思い浮かべながら呪文を唱える。重ねた両手からわきあがった飛沫はやがて一つにまとまって迸り、リーシャ様へと突進していく。
これまでで一番の出来だ。マーガレット様にも勝てそうかしら。
「光よ、聖なる壁となれ!」
対するリーシャ様も両手をかざして【聖なる壁】を出現させた。わたくしの繰りだした水流が吸いこまれてゆく。
ここまでたどりつくのはなかなか長かった。わたくしの魔法が弱ければ光の壁に届く前に落ちてしまい、床はびしょ濡れ。逆にリーシャ様の集中がとぎれればリーシャ様やその周囲の家具がびしょ濡れ。
こうした緊張感のある環境で魔法を扱うことにより、集中力は否が応でも増す。一応本当に濡れて困る図書類は別の部屋に運ばせたけれど、いまのところそれは杞憂のまま。
二人(と一頭)で向き合い、魔法を維持する。
そして――。
「それで、お国でのマリウス様とのデートは、いかがでしたか?」
「いえそんな、デートなどというものではないのです。ただ一緒にお花を見たり、小鳥を見たり……」
「まぁ素敵ですわ。それは立派なデートです」
「エリザベス様も先日デートをされていたではありませんか」
「ぎゅあぁっ!?」
「マリウス様はどんなお方ですか? レオハルト様に似ていらっしゃる?」
「そうですね、髪の色は同じです。目は髪と同じ明るい青で……表情はおだやかで、おやさしい」
女子が二人いれば始まるのは恋バナ……もちろんこれは集中力をあげるため。実際、恋バナをするのとしないのでは魔法の持続時間が違うのよ。ヴィンセント殿下もラファエル様もそれでよいと言ってくださったし。ラース様はいつもご不満そうだけれども。
「ふふ、リーシャ様とお似合いでしょうね」
まだ見ぬマリウス様と並ぶリーシャ様を想像して、わたくしは口元をゆるめた。