【コミカライズ2巻発売!番外編】ラースのき・も・ち
物心つくよりずっと前から、「ドルロイド家は王族の血筋なのだ」と教えられてきた。「お前は本来ならば誰よりも上だ、一番偉いのだ」と、父親はそれしか言わなかった。本来というものがどういうことなのか、具体的には語られなかったが。
屋敷では威張り散らし、下々の者への態度は辛辣だった。貴族とはそういうものだという。
実際、父のもとへはひっきりなしに贈りものが届き、追随者は多かった。
多くは困窮して没落寸前の零細貴族たち。彼らは自らの土地で産出される資源を活用するだけの財産をもたなかった。だから父が買いとってやり、加工してやり、代わりに運搬してやった。そういった手間賃をいただいたあと彼らに還元される代金は雀の涙ほどだったけれど、文句は言えなかった。父がいなければなにもできずに餓えていくしかないのだから、もらえるだけありがたいというものだ。
屋敷を訪れる下級貴族や商人たちはラースにもおべっかを使った。食卓の場で名を呟いてくれと贈りものをされた。彼らの態度は父の言葉を確信させた。
自分は誰よりも上で、一番偉いのだ。
そんな自信がひっくりかえされたのは、八歳のとき。同じく公爵位であるラ・モンリーヴル家との婚約話がもちあがり、相手の令嬢と会った際のこと。
――天使だ、と思った。
「エリザベス・ラ・モンリーヴルと申します」
そう言って頭をさげた少女はあまりにも可憐で、まっすぐで、紫の視線は澄みきっていて。
まるで、自分とは違う生きもののようだった。
気圧されたとは理解できず、ただ焦りだけが生まれた。なにか行動に移さねばならないとラースは思った。自分が感じた脅威と同じだけのものを、このエリザベスとかいう少女にも与えねば、と。
だから、ラースの言葉をまっている少女に見せつけるように、茶会のテーブルにならべられていた色とりどりの菓子を腕で薙ぎ払った。
がちゃんがちゃんと耳障りな音が立つ。
クリームやパイ生地を使った甘味は、絨毯に落ちてべちゃりと潰れた。
エリザベスが小さな悲鳴をあげる。
「なんということを!」
紫の瞳に浮かんだ涙を見てラースは口角をあげた。けれど、エリザベスの次の一言で表情は凍りつく。
「これは我が家のパティシエが心をこめてつくったものですのに!」
「……なにを言っているんだ?」
パティシエが心をこめて? それがなんだというのだろう。
「それがやつらの仕事だ。当然じゃないか。主人の気に食わなければ捨てられるのも当然だ。我々は貴族なんだぞ?」
「……!!」
見ひらかれた目からぼろぼろと涙がこぼれる。いまの一言は彼女をひどく傷つけたらしいというのはわかった。けれど理由はわからない。
「なんだその態度は。当たり前のことを言っただけだろう」
消えたと思った焦燥がふたたび胸を覆った。この感情はなんなのだろう。怒りによく似た憤り。鼓動をはやらせ、行動に駆りたてる。
「オレに文句があるっていうのか? 泣くのをやめろ」
感情にふさわしいふるまいを、ラースは知らない。
ふわふわのドレスに、輝くような金の巻き毛。自分とは違うすべてのものが厭わしかった。
「泣くのをやめろと言っている!!」
思わず手がでた。金髪を思いきりつかむ。父親がしているのと同じように。どちらが上か思いしらせればおとなしくなるはずなのだ。自分の過ちを認め、媚びた笑顔を浮かべ、足下に跪くはずだった。
けれど、与えられたのは、火花が飛んだかと思うほどの衝撃で。
肌と肌のふれあった音は遅れて聞こえた。張られた頬をおさえ、尻もちをつきながら、ラースはあっけにとられてエリザベスを見つめた。
「……ラース様……」
エリザベスもまた呆然としたままラースを見下ろしている。
「これはこれは、たいへんに申し訳ないことをしました」
見つめあう視線はラ・モンリーヴル公爵夫妻にわりこまれてすぐに途切れた。
助け起こされ、頬を冷やされ、お茶会は早々におひらきになった。こんな娘ではラース殿も不本意でしょうと言われては認めないわけにいかず、婚約の件も白紙に戻る。
「お前の男らしさがわからんとは、同じ公爵家でも見る目がなかったようだな」
吐き捨てるように言った父の言葉を、ラースははじめて疑問に思った。
本当だろうか。
本当に、間違っているのはむこうで、自分ではないのだろうか。
だって、そうでなければ。
間違っていないのに、どうしてエリザベスが手にはいらない?
***
うっすらと目をあけると、ふかふかしたクッションの上だった。周囲には編まれた籐の模様。寝床にしているバスケットの中だ。
半分だけあいた蓋から身を躍らせ、ラースは飛んだ。エリザベスが頭を置いている枕のそばへ。
「……ラース様……?」
まだ眠りの世界へ沈んだままのエリザベスが、唇だけをふるわせる。
「眠れないのですか。怖い夢を……?」
聖なるものを表す装飾のはいった背に、エリザベスの手がそえられる。
やわらかな手の感触はわからないけれど、硬い白鱗ごしにもあたたかさだけは伝わった。
「きゅお……」
怖い夢、だったのかもしれない。
エリザベスと喧嘩別れをしてから二年後、ヴィンセントと婚約したと聞かされて。ずるい、と思った。あいつは自分より下のはずだった。なのにどうして。芽吹いた疑念に従って謝罪の手紙を書いたけれど、返事はいつもラ・モンリーヴル公爵からのものだった。ぽやんぽやんとしているようでいて狡猾な人間なのだといまは思う。
己のうちの焦燥を、隠すことはおぼえたが、消すすべはなかった。突き進んで、禁呪に手をだして、邪竜の召喚までして――それで、いまは聖竜と崇められている。
自分は誰よりも上で、一番偉いようだ。
いまとなってはそんなもの、どうでもいいけれど。
カーテンの隙間からさしこんだ月明かりがラースの白鱗を照らし、ぼんやりとエリザベスの寝顔を浮かびあがらせた。
丸めた尾に頭をのせ、健やかな寝息を楽しみながら、ラースはふたたび眠りについた。
きっと今度は、楽しい夢が見られるだろう。
作者の好きなキャラランキングでかなり上のほうにいるラース君です。
ちょいちょい番外編を書きたくなってしまいます。
そんなラース君が貴重な人間バージョンで感情ゆたかにえがかれているコミカライズ『ベタ惚れの婚約者が悪役令嬢にされそうなので。』第2巻、本日12月15日に発売です!
本屋さんにお立ち寄りの際はぜひさがしてみてください。
『乙星』騒動も一段落し、ヴィンセントとエリザベスの仲も進展…!? ですよー!
MAGCOMI様では2巻の続きにあたる第10話が掲載されます!
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