エピローグ.それぞれの新婚生活(後編)
春ののどけき陽光がカーテンのひらかれた窓からさしこみ、オレの頬をやさしく撫でていった。
窓のそばからベッドサイドへ、ゆっくりと気配が移動してくる。ハロルドが起こしにきたのだろう。
「もう少し寝かせてくれ……エリザベスの夢を見た気がするんだ……」
枕に顔をこすりつけ、二度寝の交渉にはいろうとして。
「ふふっ、そうですの」
頭上から落ちてきた鈴の音の声に、オレは宙に浮いたのではないかと思いくらいの飛び起き方をした。
「エッ、エエエエエリザベス!!!」
「おはようございます、ヴィンセント殿下。ハロルド様にお願いして、お役目をかわっていただきましたの。驚かせてしまって申し訳ございません」
エリザベスはころころと笑うと手をさしのべた。朝の着替えを手伝ってくれようというのだ。
オレは真っ赤になりつつ首を横にふった。
「じ、自分で着替えられる」
「左様ですか? では、外にでておりますね」
オレの困惑を察した(が、本質的には察していない)エリザベスが部屋をでる。
一人になって、深呼吸をしてみた。……動悸息切れはとまらない。もう一度深呼吸、の途中で先ほどのエリザベスの「ふふっ」を思いだし、息を吸いこみすぎてむせた。
「ガフッ!! げほっ、こほ」
よろめきつつエリザベスがベッドに置いてくれた服に手をのばす。
これまでのジャケットとは違って、おちついた色合いのネイビーの礼服。結婚したし、大人っぽいかっこいい服がほしい……と言ったらハロルドが手配してくれた。
もそもそと身だしなみを整えると、衣装を着こみ、最後にまた深呼吸をする。
「……新婚生活、心臓に悪すぎるな……」
そう、貴族たちの挙式ラッシュが終わり、ついにオレとエリザベスの本格的な新婚生活がはじまったのである。
過密スケジュールから解放され、オレもエリザベスもしばらく王宮でのんびりとすごしてよいことになっている。そのあいだに新婚旅行についても話しあわねばならない。
一日中エリザベスと二人きり……と昨夜はわくわくして眠りについたのだが、まさか朝一から二人きりだとは思っていなかった。
部屋をでる前に、ふと鏡を見れば、鏡の中の自分はものすごくやにさがった笑顔を浮かべていた。
***
エリザベスとともに食堂を訪れると、父上と母上が座っていた。
「おはようございます、国王陛下、王妃様」
「おはよう、エリザベス」
「おはようございます。昨夜はよく眠れまして?」
「はい、ぐっすりと」
父上が威厳たっぷりにうなずき、母上がいたわりの表情でエリザベスに尋ねる。
まってください、父上いまエリザベスって呼びませんでした? 凝視するも、父上はオレを見ない。エリザベスだけを見てにっかりと笑った。
「我らもエリザベスと呼ぶゆえ、気軽にお父様お母様と呼んでくれぬか」
「そんな……勿体ないお言葉です。ありがとうございます、お父様、お母様」
エリザベスが恐縮するのを父上と母上がさっきのオレとそっくりのにやけ顔で見つめている。呼ぶならお義父様お義母様だと思うが……。
わかりやすく距離を縮めようとする作戦に、オレものることにした。
「エリザベス、オレのこともヴィンセントと呼んでくれるか」
「え……っ」
顔をあげたエリザベスの頬がパッと染まる。見ましたか、父上、母上。これが恋愛対象として意識している男への反応ですよ。
家族内マウントをとりあう王族の真ん中で、エリザベスはもじもじと視線を伏せながらオレにむきあった。お忍びのときはヴィンス、と呼んでいるから、わけもない――と思いきや、エリザベスはぱくぱくと口をふるわせた。愛称を呼ぶのと本名を呼び捨てるのは、また重みが違うようだ。
「……ヴィ、……ヴィ、ヴィ……」
どうしよう、エリザベスが壊れた魔道具みたいになっちゃった。
いまさらやっぱりいいとは言えずにオレはエリザベスを見守ることしかできない。
「ヴィンセ――」
「ンギャシャ――――ッッ!!!」
チッ、いま呼んでくれそうだったのに。
飛びこんできたラースにさえぎられ、エリザベスはぱちくりと目をみひらいている。
「きゅあああっ! きゅあっ!! きゅあああっ!!」
空中で手足をあがかせ、翼をバタバタといわせて抗議するラース。たぶん自分も呼び捨ててほしいのだ。
エリザベスはそのことに気づかずに「どうしたのですか?」と首をかしげている。
「朝からどうしたんだニャ」
そこへはいってきたのはプラムだ。
結婚式ののち、プラムは「マッ、マリアベルがどうしてもっていうなら守護獣になってやってもいいんだニャ……!!」と可能なかぎり精いっぱいのデレを見せたためようやく母上と和解した。
「マリアベル、庭のリスたちが言っていたニャ。あたたかくなって虫が増えてきたらしいニャ」
「そう。では花の手入れの際に注意するよう庭師たちに言っておきましょう」
床をごろごろところがって駄々をこねるラースの横で淡々と会話をする母上とプラム。
こうして見るとプラムのほうがおちついて見えるな……魔獣としてはずっと歳を重ねているだろうから、竜化して二年のラースとは年季が違う。
「動物とも話せるんだな」
「魔獣だからニャ。魔獣はたいていの動物と話せるニャ」
「もしかしてラースとも話せるのか?」
ふと思いついた疑問を口にすると、プラムは微妙な顔になって首をかしげた。
「そこの聖竜のおにーさんはなにも話そうとしてないニャ。『きゅあっ』て言ってるだけだニャ。ワガハイと同じ魔獣の仲間、しかも竜族なんだから、魔力がたまればしゃべれるはずなんだニャ」
「なん……だと……?」
驚いて視線をむければ、「きゅああ~~~!!」と騒いでエリザベスを困らせていた聖竜はぴたりと口をつぐんで起きあがった。
二本足で直立し、なにも言わずにハロルドのもとへ歩みよるラース。小さな前足でズボンの裾を握られ、聖竜をかかえあげてやるハロルド。
黄金の紋様の刻まれた背中には、徹底的な女子ウケ狙いを暴露された哀愁がただよっていた。
……ラースとプラムの仲は、あまり親しくはならなそうだな、とオレは思った。
***
夕食時、嬉しい報せが飛びこんできた。
オリオン国のマリウス殿とリーシャ嬢の式の日取りが正式に決まったのである。
これを受けて、オレとエリザベスは新婚旅行のスケジュールを考えることにした。まずオリオン国での婚礼に出席し、それから大陸を周遊するつもりで、連絡がくるのをまっていたのである。
部屋に戻り、エリザベスと予定を語りあう。
「マリウス殿下とリーシャ様のご婚礼も、きっと素敵なものになりますでしょうね」
「そうだな」
心配なのはレオハルトのメンタルだが……あの二人はリーシャ嬢の妃教育のためにほぼ王宮で同棲状態だったようだから、耐性はできていると信じたい。
「オリオン国で一週間ほど滞在させてもらおう。それから北に足をのばしてアンカレスで避暑と――エリザベスはどこへ行きたい?」
「わたくしは、ヴァーモン国の〝天使の谷〟へ……幼いころからの憧れでした」
いや、天使なら目の前にいるが……という一言を飲みこみ、地図を見ながら国と滞在期間を書きだしていく。最後にニーヴェでリカルド殿に挨拶をして、南から戻ってくる。二か月ほどの旅程になるだろうか。
式に出席しなかった国王クラスの人々へエリザベスの顔見せの意味もあり、完全に自由な旅とはいかないが、観光も楽しむことはできる。
計画ができあがったころには、窓からわずかにさしていた夕陽は宵闇へといれかわっていた。時計を見れば、そろそろ就寝の支度をすべき時刻である。
エリザベスは立ちあがるとカーテンをしめた。
「では、おやすみなさいませ」
「あぁ、おやすみ」
挨拶をかわして優雅な礼をすると、エリザベスはでていく。
……それがこれまでの通例だったのだが。
「おやすみなさいませ、ヴィンス」
オレの腕に手をかけると、エリザベスは背のびをした。
ちゅ、と甘い音を立ててやわらかな感触が頬に贈られる。
「国王陛下と……いえ、お父様とお母様からのご助言なのです、二人の仲がいっそう深くなりますようにと……」
エリザベスは照れたように笑うと、ドレスをひるがえして部屋をでていってしまった。
あとに残されたオレは、真っ赤になったまま硬直していた。
やっぱり新婚生活は、心臓に悪い。
祝!甘々新婚生活!ということで第三部はこれにて完結です。
お付き合いいただきありがとうございました!
いずれもう少し番外編などもアップしたいなと思います。
「あのヴィンセントとエリザベスがこんなにイチャイチャできるようになって…(´;ω;`)」と作者も感無量です。
さて、そんな二人のイチャイチャしたかったけどできなかった頃を、コミカライズでふりかえってみませんか!?
明日6/15コミック1巻発売です!
よろしくお願いします!!!