完.誓いのキスを
忘れていた。オレとエリザベスの誓いのキスはまだすんでいなかったのだ。
庭にむかって突きだす形になったバルコニーには民たちの視線が集中している。そして大広間からの視線にも、いまの一言で多分な期待が含まれた。
内側と外側からむけられる、無言のキスコール。
オレはエリザベスの腰に手をそえると、むきあった。
外から「おぉっ」というどよめきが聞こえる。もう少しムードのあるどよめきをしてほしい。音楽とか……と思ったら待機していた楽団が演奏をはじめ、喧騒はかき消された。
気をとりなおして、オレはエリザベスにほほえみかける。が、あることに気づいた。
もっと近かったはずの顔が遠ざかっている。……エリザベスが、小さくなっている?
「ラース様のお背中が痛くなるといけませんから、ヒールは脱いでしまいました」
オレの驚きを察したエリザベスがほほえんだ。
ふりむけばバルコニーの片隅に純白のウェディング・シューズがそろえて置かれている。エリザベスは顔をあげて正面からオレを見つめた。
純白のドレスにやさしい色合いのブーケを手にしたエリザベスは、慈愛の化身かのようだ。
――十年前、はじめてエリザベスに会ったとき。
ヒールを履いたエリザベスは、シークレット・シューズを履かされていたオレよりもほんの少し背が高かった。オレは「好き嫌いばかりしていては大きくなれませんよ」という母上の言葉を思いだし、偏食だった自分を責めたものだ。
あれからオレは変わった。
文武、マナー、健康管理に人間性、ありとあらゆるものに磨きをかけてきた。残念ながら人間性に若干問題があったことがプラムのせいで露見してしまったが……エリザベスはそれを受けいれ、オレに信頼を寄せてくれた。
オレは周囲を見まわした。
エリザベスに一目惚れしてから十年間、オレを励ましたり、家庭教師として魔法や剣術を教え、成長させてくれた国王側近の皆々。息子たちは氷の視線をぶつけてきたりおちょくったり空気読まなかったりしてきたが……よき友人たちだ。
国の外にもできたつながり。王宮の外にあふれる民たち。
皆が笑顔で幸福そうだった。
彼らに祝福されて、オレとエリザベスが笑顔にならぬわけがない。
これは門出。ゴールではなくスタートだ。オレとエリザベスの、ラブラブ新婚生活の。
見晴かすかぎりの幸福の中へ、オレたちは一歩を踏みだそうとしている。
「エリザベス。君を永遠に愛し、君と王位にふさわしい男であれるよう、努力しつづけることを誓うよ」
「はい、わたくしも……いつまでもヴィンセント殿下のお隣を歩みとうございます」
アメジストの瞳にうっすらと涙がにじむ。
オレはエリザベスの腕に手をそえ、歩みよった。逆らうことなくエリザベスもその身をあずけてくれる。
ヒールのなくなったエリザベスのために、オレは身を屈めた。
エリザベスの頬にさっと朱が走る。
しかしすぐにまぶたは伏せられ、オレもゆっくりと目をとじた。
二人の影が重なる。
ウルハラの国は、大歓声につつまれた。