24.手をとりあって(中編)
――あ、まずい、土下座しないと。
最初に脳裏をよぎったのはそんな考えだった。しかし石を詰められたように重たい身体は動かない。誠意を示さねばならぬのに、オレは横たわったままエリザベスを見つめていた。
エリザベスはアメジストの瞳をオレにむけたが、すぐに伏せた。
形のよい眉がより、唇がひき結ばれる。
怒らせた――いやそれよりも、傷つけた。
心臓がどくりと跳ねる。
「エリザベス……」
からからに乾いた喉でかすれた声をしぼりだすと、エリザベスはふたたび視線をあげた。その瞳がうるんでいるのを見て、告げようとしていた謝罪の言葉は凍りついてしまった。
泣かせた。
オレの不用意な発言のせいで。
頭がガンガンと痛んで息苦しくなる。眩暈を起こしそうになりながらも意識を失うわけにはいかず、歯を食いしばる。
早く、早く謝らなければ。
そう思えば思うほど気持ちだけが焦って身体が動かない。
エリザベスがすっと身をかがめた。
勢いよく手がのばされる。頬を打たれるならそれでもいいと思った。むしろそれだけではすまないほどだ。
しかし、予想に反して――いや、予想どおり、その手は痛みを与えはした。けれど、それはオレの想像とは違った形で、だった。
むに、と頬をつままれる。
もう一方の手ものびてきて、両方の頬を思いっきりひっぱられた。
痛い。けど、それ以上に、エリザベスの両手がオレの頬にふれているという事実に胸を高鳴らせてしまう。細くて繊細な指先がオレの頬肉をつかんでいる。
「……え、えりひゃえす」
「なんでしょう、ヴィンセント殿下。弁解がおありならおっしゃってくださいませ」
やはり怒っている。当然だ。
頬をつまむ手をつつみこむように自分の手を重ねあわせ、オレはエリザベスを見上げた。
エリザベスは眉を寄せ、口をへの字にひき結んでいた。……かわいい。
「……しゅきら」
口をついてでたのは場の空気に似合わぬ能天気な告白だった。
もつれた舌とひっぱられた頬ではうまく言えなかったけれども、ちゃんと伝わったらしい。エリザベスの眉間の皺が深くなる。それはそうだ、反省の色なしとみなされてもおかしくない。
しかし、見上げたオレの目の前で。
エリザベスの頬が紅潮する。それはじわじわとひろがり、ついには耳の先まで染めてしまった。
手が離れ、ふんわりと頬を撫でる空気に少し寂しい気持ちになる。
「そのお言葉は……反則ではありませんか」
「ごめん」
今度はすぐに謝罪の言葉が口をついた。ものすごく現金なことに、エリザベスが許してくれるのがわかってしまったから。
「さっきの言葉も、すまない……本心ではなかった、けれど、君を傷つけた」
「……」
エリザベスは言葉をかえさなかった。むずかしい顔をしてふたたび考えこんでいる。
告げられたのは、想定外の要求。
「殿下、本心とはなんですか。それをおっしゃってください」
「……え」
「さぁどうぞ」
オレを見下ろすエリザベスの眼光は鋭い。もう紫の瞳から怒りは消えていた。そこには悲しみと、それよりも深い慈しみがあった。
こんな目をされたら、逆らえない。
だってエリザベスが聞きたがっている。オレの本当の心を――聞いて、理解して、よりそってくれようとしている。
「……こんなにかっこ悪いオレじゃあ……エリザベスに捨てられるんじゃないかと……」
隠していた本音が漏れた。同時に、ぽろりと頬をあたたかいものがすべり落ちる。
それは一滴だけで、すぐにやんだけれども、きっとあの少年の日にベッドにつっぷして流したのと同じ色の涙。
「な、なんでもない」
あわてて袖でぬぐうとうつむいた。いや、これ、どう考えてもこれまで以上にかっこ悪い。言えと言われたから言ったけど。オレが十年間隠してきた弱音のすべてだ。好感をいだいてもらえる要素がどこにもない。
積みあげてきたオレの完璧な王太子像は粉々に砕け散った。あぁ、今度こそ終わった――。
「……ヴィンセント殿下」
エリザベスがオレの名を呼んだ。応える前に、ふわりとやさしい感触がオレの身体をつつみこむ。
視界に映るのは繊細なドレスに落ちかかるやわらかな金の巻き毛。
時間がとまったような気がした。
……エリザベスに、抱きしめられている?
状況を脳が認識する前に、天使の声が響いた。
「わたくしこそ、お詫びを申しあげねばなりません」
そこにはやはり、悲しみと、それよりも深い慈しみがあった。
「ヴィンセント殿下は、わたくしのために、完璧な王太子を……演じていらっしゃったのではないですか」
顔をあげる。
オレも相当ひどい顔をしていると思うのだが、エリザベスもまた普段の堂々とした面もちではなく、くしゃりと表情を歪めている。
上辺だけの完璧さだったと知って失望しているのではない。
うるんだ瞳に映るのは、悔恨の情。
エリザベスを傷つけた真の原因に、オレは気づいた。