23.手をとりあって(前編)
リカルド殿に連れまわされること数日。
昼間は王都をめぐり、夜は付け焼き刃な知識を仕入れる日々。
徐々に体力を奪われていくのはわかっていた。それでもオレは、いまがふんばり時なのだと考えていた。愛しいエリザベスと、そしてオレを検分しにきたというリカルド殿と、それぞれの道に邁進している同世代の側近候補たちと――皆の前で格好の悪い姿は見せられない、と。
あとから考えればそれこそが、視野が狭くなっていたということなのかもしれない。
目が覚める。
今日はひどく天井が遠い、とぼんやり思った。歴史書を読みながらソファで寝てしまったか? いやその場合でもハロルドがベッドまで連れていくはずだ。よくよく目を凝らせば頭上にあるのはいつもの天蓋。自分のベッドできちんと寝ている。
自分の感覚が狂っていることに気づいたのは、起きあがろうとして視界が歪んだときだった。
ぐらりと頭の中が揺れる。吐息が熱をもっていて妙に苦しい。
窓の外を見れば太陽は青々しい空へと駆けのぼろうとしている。
もうすぐハロルドのやってくる時刻だ。
(……まずい)
体調に気をつけろと言われておいてこのザマでは、なんと思われるか。
焦ったオレはまずごまかせる程度の顔色なのかを確認すべく、ベッドからおりた。――正確には、おりようとした。
起き抜けの視界が歪んでいる時点で気づくべきだった。
ふらついた足の裏はうまく床を踏んではくれず。
バランスをくずし、咄嗟にそばにあった椅子をつかんでしまったオレは、ガッタアァンと派手な音を立ててすっ転んだ。
「ヴィンセント殿下!?」
すぐさまハロルドが飛びこんでくる。
髪が少し乱れている。まだ身だしなみを整えていた途中だったらしい。
「大丈夫だ、転んだだけで、たいしたことはない」
身体はそれほど痛くないのだ。そのことを証明しようと立ちあがりかけて、またふらつく。
ハロルドの視線が鋭くなった。
と思えばすいすいっと腕がひらめき、気づけばオレはベッドに寝かされていた。……すごい、まったく衝撃がなかったぞ。なにをどうされたんだ。
「熱がありますね」
バレたか。
「それも問題ない、知恵熱みたいなものだろう。早くしないとエリザベスが……」
「今日の予定はキャンセルです。リカルド様には私が説明いたします」
起きあがろうとしたオレをハロルドの冷静な言葉が押しかえす。
「しかし……」
「王宮の庭は王妃様が丹精こめてデザインされたものです。庭園散策をご提案します。隠れマシュー・マロウ伯爵を見つけていただきましょう」
「そんなもんあるのか」
「こういうこともあろうかと準備をしておりました」
ハロルド、有能すぎないか? オレ以上にリカルド殿を理解している。オレはといえば、知識を失ったせいで、話題にもついていけなくて。
なんだか悲しくなってベッドに倒れこんだ。
あ、だめだこれ。
ぼうっとしていると、自分の身体が尋常ではないのを自覚してしまってどんどん具合が悪くなる。動いているわけでもないのに眩暈がする。
「もしかしてけっこうヤバいのか?」
「それはそうでしょう。魔力を三種類もかかえていらっしゃるのです。だから無理はしないようにと……」
「――魔力を三種類?」
「まさか、ご存じなかったのですか?」
「……うん」
ハロルドが驚いた顔になる。
初耳だがそう言われてみれば当然だ。オレの記憶を封印したプラムの魔力に、エリザベスの魔力を通じてラースの魔力がこんがらがってしまったのがいまの状況なのだ。
オレの中にエリザベスの魔力が……と考えると元気になれそうな気がするが、それよりもオレが自分の状態について理解できていなかったことが問題だ。
ハロルドはおそらく母上から教えられたのだろう。母上がそのことをオレに言わなかったのは、自分で気づくだろうと思っていたから――または、武闘派で魔法や魔力に詳しいとはいえないハロルドとは違って、オレは自分で気づくべきだと思っていたから。
オレはその期待に応えられなかった。
「申し訳ありません、殿下の状態についてきちんと申しあげるべきでした」
「いや、気にしなくていい。母上の思惑もあったんだろうし……」
「……水をとってきます。お休みになられてください」
ハロルドが部屋からでていく。
オレは仰向けになって天蓋の裏側をながめていた。
熱に侵された頭に、これまでの出来事が幻のように流れていく。
エリザベスを口説き倒して、困らせて。
封印を混乱させて、知識を封じられて。
結婚の準備を進めることもできず、リカルド殿に王都を案内することもできず、またエリザベスの世話になって。
挙句の果てには、体調管理もできずに倒れて。
……かっこ悪い。
結局のところ、鍍金の剥がれたオレにはなにも残っていない。
外見だけを完璧にして、エリザベスの恋人をきどっていたけれど、必死につくろった殻を剥がされてみれば中身は役に立たないポンコツ王太子。評価される要素がどこにあろう。
エリザベスとはじめて会った日のことを思いだす。
自分のような男が好かれるわけがない――そう思い、泣いたあの夜を。
扉がかすかな軋みを立てた。ハロルドが戻ってきたのだ。聞こえるか聞こえないかの足音に配慮を感じてありがたいような申し訳ないような気分になる。
そうやって大切にしてもらえるような存在なのだろうか、オレは。
エリザベスは本当にオレの所業を許してくれたんだろうか。だいぶひどかったぞ、あれは。おまけにそのあとは情けなかった。
「……エリザベスはもしかして、いまさら婚約解消なんてできないから諦めてオレにやさしくしてるだけなんじゃ……」
目を閉じたまま、ぼそりと呟いた。
ハロルドならきっと否定してくれるだろうという下心あってのことだったのだが。
「……ヴィンセント殿下……」
部屋に落ちたのは、オレを呼ぶ鈴の音のような声。
「……え」
目をひらくと、ベッドの脇に、かなしげな表情を浮かべたエリザベスが立っていた。