ハーフオーガのアリシア80 ― 執行部Ⅱ ―
長い机の、こちらがわの長辺にやってきたローラさんが、お嬢様を抱っこしたまま立っていたので、アリシアは自分の椅子を差し出そうとしたけど、自分の椅子は、座面が低くてでっかい大鬼族用の椅子だったから、これじゃダメだよねと思って弱っていたら、近くにいたお爺さんのクリーガさんが、お嬢様の座っていたお子様用の椅子をわきにどけて、そこに自分の座っていた椅子を押し込んでくれた。
クリーガさんが、どうぞ、と椅子を勧めると
「あら、ありがとう」と言ってローラさんが座ってくれる。
お嬢様はローラさんのお膝の上でご満悦で、アリシアとしてはちょっと悔しい。
それでお嬢様が落ち着いたので、執行部首席とかいうブレイルさんの話がまた始まる。
「……ファルブロール君が、政治的なことに興味がないのは分かったが、学院議会の戦力評価会議で五十四万もの戦力評価が出たのであれば、ファルブロール君の王位への推薦がなされるだろう。
戦力評価が十五万かそのあたりで王位が付与されるのが通例だ。五十四万もあれば当然に王になるだろう。
まあ王とは言っても、まだ学生だし、領地が付与されるわけでもないからな。
扱いは法律用語で言うところの公示王で、一般には宮殿王とか宮王とかいうものになると思う。
つまりファルブロール君はとても強いのに、そのことをよく知らない半端者がファルブロール君にちょっかいを出して、それで報復を受けて大惨事などということがないように、ファルブロール君はとっても強いんだぞと、だから手を出すなと広く公示するわけだな。だから公示王という。
そして、王とは言っても、ファルブロール君は学生なので、生活の本拠は学園になるし、領地を持ってるわけでもないから、つまりは宮殿というか、宮殿といっても、まあ実態はこの家屋敷のことだが、領地がなくて宮殿だけしか持っていない王という意味で宮殿王、宮王になるわけだな。
今から帝都へ向けてもう使者が走っているから、休み明けの議会の開催の初日に叙任の式典があるだろう。
叙任式典には皇帝陛下が来てくださるぞ。まあ皇帝陛下といっても、陛下の御人形様だが」
「そうなのね」
お嬢様はあんまり興味がなさそうな返事をした。
それからは、休み明けからの議会の予定がどうとか細かい話をいくらかして、そのあとは雑談の時間になって、それから三十分ばかりのおしゃべりをしてから、執行部の皆さんは暇を告げる。
ローラさんも名残惜しそうだったけど、お嬢様をアイシャさんに返して、見送りに出たお嬢様に手を振りながら帰っていった。
◆
それでその日は終わったのだけれど『陛下の御人形』とかいう人? が来ると、執行部の首席さんが言っていて、それはいったいなんだろうと気になったので、トラーチェさんに聞いてみた。
するとトラーチェさんは
「うーん、説明が難しいですね……」とか言いながら教えてくれる。
「ここからだいぶん遠くに行った先にこの国の帝都があるわけですが、そこに皇帝陛下がいらっしゃるんですね。
皇帝陛下というのはこの国でいちばん強くて偉い人のことです。
それで、その皇帝陛下は御体がひとつではないんです。
帝宮に本体の御体がおられるんですが、それとは別に、数千もの別の御体をお持ちで、それらをすべて同時に動かして、見たり聞いたり話したりしておられます」
トラーチェさんが何を言っているのか意味が分からなかったから、返事のしようもなく考えていると、アリシアが分かってなさそうな顔をしていると思ったのか、追加で説明をしてくれる。
「つまりですね。皇帝陛下の本体は、私も直接にお目にかかったことはないのですが、金髪に青い目をしておられるそうですね。
でもそれとは別に、皇帝陛下はまるで人間みたいに見える御人形を何千体も同時に動かしておられます。
この御人形様たちは、お顔が皇帝陛下と同じで、目の色は青で同じですが、髪の色だけが銀色でいらっしゃるんですね。
つまり皇帝陛下とまったく同じ顔をしてらっしゃって、かつ髪の色だけが銀色の、人なんでしょうかね、あれは……まあともかくお人形様と呼ばれる存在が、特に帝都のあたりはたくさんいらっしゃいます。
それでそのお人形様が見聞きしたことは、皇帝陛下はすべてご存じなんですね。
これは本で書いてあることを読んだだけじゃなくて、私も体験したことなんですが、以前に私が帝都に行ったときに、両親たちとはぐれて迷子になっちゃって、半泣きで両親を探していたことがあったんです。
その時に陛下の御人形様が私のほうに向かってやってこられまして
『もしかしてトラーチェちゃん?』とおっしゃったわけですよ。
それで『はい』って答えると『ご両親があっちで探しておられたわよ』とおっしゃって、私の手を引いて両親のところに連れて行ってくださったんです。
そのときには、その方が陛下の御人形様だとは分かっていなくて、単に青い目に銀色の髪のきれいな女の人だくらいにしか思っていなかったんですが、それで両親のいるところに着いてみると、なんとですね。
私の手を引いてくれている女の人と、顔も髪も服も瞳の色もまったく同じように見える、別の女の人が、両親と話していたんです。
私はびっくりしてしまって、これは双子か何かかなと思いましたけれど、あとで両親に聞いてみると、あの女の人達は両方とも皇帝陛下が動かしておられる御人形だという、そういう話でした。
つまり、私を探し回っている両親の様子を、まず皇帝陛下が御人形様で見ておられて、それから別の御人形様で、両親を探してる私を見つけてくださったので、それで引き合わせてくださったんですね」
トラーチェさんからそんなふうにアリシアは説明を受けたけれど、なんかよくわからない。
「まあ、つまり皇帝陛下が操っておられる御人形の方が、この学園に来られて、お嬢様と、あとたぶんアリシア様も謁見をしなきゃならないから心積もりをしておくようにってことですよ」
「そうなんですね」
まあ、よく分からないけどお嬢様と一緒に、偉い人の代理の人だかお人形の人? と会うんだなというくらいに簡単にアリシアは理解した。
けれどもトラーチェさんは、アリシアのほうを疑わし気な目で眺めて
「……念のために申し上げますけれど、アリシア様は謁見するお嬢様についていくだけじゃなくて、アリシア様ご自身も男爵になられるので、陛下の御人形様と謁見なさるんですからね」と言った。
「…………えっ!?」
「このあいだ、診療部の皆様が来てくださって、一緒にこのお屋敷にある階段教室の掃除をしたときに、そのようなお話をいたしましたでしょう」
トラーチェさんにそう言われてみれば、演習で天竜を狩っちゃったから貴族とか、強いから貴族とか、なんかそんな話があったのを思い出した。
でもそのときは、アリシアも強いんだから貴族みたいなものだよねっていう話ではなかったのか。
なんでそんな急に男爵様になるとかそんな話になっているのか、とアリシアはうろたえる。
「男爵に叙せられるには、戦力評価でだいたい二千から五千までというのが相場です。
私が友人たちの伝手をたどって聞いてきたところでは、アリシア様の戦力評価は、四千から五千の間で、どうも四千五百くらいに決まりそうだという話でした。
そうであれば戦力評価の基準は満たしておられますし、五千を超えてくると、今度は子爵級になりますので、そうするとアリシア様は男爵級の中ではかなり上位でしょう。
ならば休み明けの叙任のときに男爵ということで叙爵されるということになると思います」
「……よく分からないけど、私が男爵様だなんてそんな」
アリシアがそんなふうにまだ現実を否定しようとしていると、トラーチェさんはアリシアのほうを、つかの間じっと見つめて、少し怒ったような顔をして、それからきっぱりとした口調で話しはじめる。
「アリシア様はとても立派な貴族様です。
なぜそうなのかと言えば、それは例えば、このお屋敷に来客があったらだいたいアリシア様が対応してくださいますでしょう?
来客の応対というのは、本来は使用人の仕事ですから、つまりこの屋敷だと従僕のトニオ君やメイドのミーナちゃんがやる仕事なんですよね。
でも例えばミーナちゃんが来客の応対に出ようとしたら、アリシア様はミーナちゃんを下がらせて、ご自分が応対にでるようにされますよね。
というよりクリーガさん以外の誰が応対に出ようとしていても、アリシア様が代わりに出てくださいます。
それはつまり、ご自分が応対に出たほうが安全だからと思って皆を庇ってくださってるんでしょう?
そしてクリーガさんは十分強いので、クリーガさんが応対に出るときには、お止めにならない」
そこまではっきり考えていたかと言われたら、そうでもないけれど、そりゃ変な人が来たんだったら困るから、なるべくアリシアがお客さんの最初の応対に出るようにしてたのはそれはそうだ。
「それは実家でも、母は普通の人だから、お客さんがあったら大鬼族の自分か父が応対してたから、そういう習慣になってただけっていうか」
「演習のときでも、天竜を狩りに行ってくださったのもそうですし、クリーガさんを天竜の脚の下から掬い上げてくださったのもそうですけれど、それ以外でも大きめの対処が難しそうな魔獣がでてきたら、アリシア様が前に出て皆を庇ってくださいましたよね」
「それも前は実家で猟師をやってたから魔獣には慣れてるだけでして……」
「弱い者を背中に庇って戦ってくださる方は、弱い者から見れば貴族の理想そのものですよ。
強い方にはまた少し違った見方もあるかもしれませんが」
そういう言い方をすればそれはそうなのかもしれないけれども……
「世の中には、力のない普通の人をいたぶったりする貴族も幾らかいますし、あるいはそこまではしないけれども、単に弱い人に無関心な貴族様はいっぱいいます。
領地を持って、責任を背負って、領民のために尽くしてくださる貴族様もおられますけれど、その一方で、たまに魔獣を狩ってお金を作って、お金ができたら投資くらいして、あとはただ贅沢に遊んで暮らすだけって貴族様は多いんですよ。
領地持ってないんだから税金も領民から貰ってないし、だったら関係のない他人のことなんて知ったことかと言われたら、そりゃもうそれ以上は何とも言えませんけれどもね。
でも私達は、お嬢様やアリシア様のおかげで安心して暮らせております。
ミーナちゃんもトニオ君も、アリシア様の前でものびのびと楽しそうにしているでしょう? 怖がったり避けたりはしていませんものね。
アリシア様にとってはそれは普通のことのように思っていらっしゃるでしょうけど、それは必ずしも普通とは限らないんです。
だからそれは尊いことで、だから私もアリシア様に感謝しています。ありがとうございます。
アリシア様はそんなふうに、もう今でも立派な貴族でいらっしゃいますよ。だからたとえ男爵様になられても大丈夫です」
「……そうなんでしょうか」
「そうですよ。普通の人は小山みたいに大きな天竜に向かって行って、その頸を落として帰ってきたりはできません。アリシア様が貴族じゃなきゃなんなんですか。
貴族と言っても、お嬢様がなられる予定の宮王と同じで、べつに領地とかがあるわけじゃないですからね。
アリシア様は強いんだと皆が分かるように、アリシア様の肩書が変わるってだけのことです。
公示貴族っていうことですね。アリシア様の場合は男爵だから邸男爵ってことになるんでしょう」
「なんですかそれ?」
「領地を持っていない『お屋敷しか持っておられない男爵』くらいの意味ですね」
「でも私ってお屋敷とか持ってないですよ?」
「それはそうなんですが……部屋男爵って言葉は無いですからね。
分類としては公示貴族の邸男爵になります。ただそれだけの話ですよ」
◆
トラーチェさんはアリシアにそんなふうに教えてくれて、それはタメになったけれど、アリシアとしては、ミーナちゃんやトニオくんみたいな普通の人たちが、他の貴族は怖いとか、普段からそんなふうな不安や恐れを感じながら生きているのかと思うと、暗い気分になってしまった。
それがかわいそうと言ったら怒られるかもしれないけれど、どんな人にも、そういう心配事や不安なく生きていてほしいとアリシアは思ったのだった。
そう言われてみれば、アリシアの実家がある山の麓の村にも、狩ってきた魔獣の肉を卸すとかの用事でアリシアが訪ねると、アリシアのことを保護者みたいにして、アリシアにベタベタとくっついて安心している女の子たちがいたなと思い出す。
トラーチェさんの話を聞いた後では、本当はあの女の子たちは何かが怖かったのかと、あるいは誰かにいじめられたり叩かれたりとかしていたんだろうかとか、そしてアリシアがいない今はどうしているんだろうかと、アリシアは、その女の子たちのことを思い出して悲しい気持ちになる。
故郷の村の女の子たちから遠く離れてしまった今となっては、彼女たちのことは、もうどうしようもないけれど、せめて近くにいるミーナちゃんやトニオ君や他の皆には、安心して過ごしてもらえるように、できるだけ気を付けていようと、アリシアは心に決めたのだった。




