ハーフオーガのアリシア78 ― 先生方との面談 ―
階段教室というものを、お屋敷の別棟で見つけて、皆で掃除をしたその翌日の朝。
アリシアが朝、朝食前にいつもそうするように、前庭の掃除をしていると、また馬に乗った伝令の人がやってきた。
昨日来たのと同じ人で、たぶん診療部の副部長さんのローラさんのところの人だ。
用件を聞くと、今日はお嬢様とトラーチェさんに手紙を持ってきたらしい。
すぐに返事が欲しいとかで、アリシアが受け取って、屋敷の玄関を入ったところで、メイドのミーナちゃんが玄関ホールの掃除をしているのを見つけたから、ミーナちゃんに手紙を渡して言づけて持っていってもらう。
アリシアは庭のほうに戻って、返事を待っている伝令の人をいちおう見ておきながら、庭の掃除をまた始めた。
そのうちにトラーチェさんが屋敷から出てきて、アリシアのそばで馬と一緒に立って待っている伝令の人に、封筒を渡してから何かを言づける。
すると伝令の人は、お辞儀をひとつしてから、また馬に乗って帰っていった。
それから、その同じ日の昼過ぎに、また同じ伝令の人がやってくる。
アリシアは、演習で狩った魔獣化した野牛を、お嬢様の荷物袋の異能から一頭分だけ出してもらって、庭の隅で解体して精肉していたところだった。
応対のためにアリシアが伝令の人に近寄っていくと、また手紙を渡したいと伝令の人が言ってくるので、慌てていったん水場のところへ行って、手を洗ってから手紙を受け取る。
アリシアはもらった手紙をまたトラーチェさんに渡して、獲物の解体作業に戻った。
しばらくするとトラーチェさんが出てきて、返事らしきものを伝令の人に渡す。
そんな感じで何度か手紙のやり取りがあって、なかなか伝令の人も大変だなあ、などとアリシアは眺めていたのだった。
◆
そんなことがあった翌日の朝食の後、トラーチェさんが一日の予定を周知してくれる時間に
「今日は十四時過ぎ頃に、学院の教授の皆様がいらっしゃる予定です」
と言った。
昨日、馬に乗った伝令の人が行ったり来たりしていたのは、その予定の調整をしていたかららしい。
「用件はですね、今度、お嬢様が担当される特別講座のことで、使用される教室の視察と、あと講師である、お嬢様との面談をしたいということだそうですよ。
それで、そのときには、診療部部長のランナ様と副部長のローラ様、それにシュエスタ様が同席してくださいます」
とのことだった。
ローラさんは金髪をくるくるに巻いたあのローラさんだろうし、ランナさんは長い黒髪で眼鏡の人だと分かるけど、シュエスタ様ってのは誰だか分かんなかったので、トラーチェさんに聞いてみると、それはあの金髪でおかっぱのウビカちゃんのことらしかった。
ウビカちゃんの正式な名前はウビカ・ブロンデ・シュエスタというのだそうで、なんとも立派な名前があるものだとアリシアは感心する。
◆
それでトラーチェさんの言うとおり、昼過ぎのご飯が終わったくらいの時間に、診療部の、部長さんのランナさん、副部長のローラさん、あとウビカちゃんといういつも三人が先に来てくれて、皆でお菓子を食べたり、珈琲を飲んだり、雑談したり、応接間の点検をしたりしながら、その教授とかいう人たちを待ち受ける。
やがてアリシアの耳に、馬蹄が地面を叩く音と、馬車の車輪が転がる音が連なって聞こえた。
たぶん馬車がこの屋敷に向かってやってきているような感じで、アリシアが顔を上げると、アリシアの他には森族のお嬢様とコージャさんが、耳を澄ませるように宙を見ていて、馬車の音に気付いているようだった。
「馬車の音がするから見てきます」
と断ってから、アリシアが椅子から立ち上がると、後ろから皆がぞろぞろと付いてくる。
どうも皆でお出迎えをするらしかった。
玄関の外に出ると、開けてあった正門のほうから、黒っぽい馬車が入ってくるのが見える。
馬車は玄関のそばまでやってくると、御者の人が御者台から降りて馬車の扉を開け、中にいる人の手をとって降ろしはじめた。
馬車の中には人が三人乗っていて、馬車の御者をやっていた人も含めると、お客さんは四人になる。
「ようこそおいでくださいました」
トラーチェさんがそう言って頭を下げるのに合わせるかのように、お嬢様も
「ようこそ、いらっしゃいませ」
と言って、お嬢様を抱っこしている豚鬼族のアイシャさんが、お嬢様ごとお辞儀をした。
「また会えてとっても嬉しいわ」
馬車から降りてきた、中年の太った女の人が、お嬢様にそう言って挨拶をする。
どこかで見た顔で、誰だったっけとアリシアが考えていると、ローラさんが
「あら先生、アリスタちゃんにばっかりそんなこと言って」
とか言って、わざとらしくむくれた顔をして見せた。
「もちろんローラにも会えて嬉しいわよ」
中年の女の人はそう言って笑いながら、ローラさんを大げさな身振りで抱擁する。
それで、ローラさんがその人のことを先生と呼んだから、アリシアは、その人とどこで会ったのか思い出した。
お嬢様が、クリーガさんを寄子にするときに、ローラさんに立会人を頼みに行ったら、お屋敷にはいなくて、ローラさんが勤めている診療所のほうまで行ったんだけれど、その診療所で先生をやっていた人だったはずだ。
「中へどうぞお入りください」
とトラーチェさんが言って、お客さんたちを応接間のほうに案内する。
アリシアたちが八人で、診療部の皆さんが三人、あと教授さんたちが四人だから……全部で十五人もいるけれど、皆が応接間のソファーやら、事前に集めていた椅子やらに落ち着く。
「さて、自己紹介の時間だけど……アリスタちゃんは私のことは知っているわよね?」
ローラさんが勤めている診療所の先生が、そんなふうにお嬢様に話しかける。
「はい、でもおなまえはぞんじあげないわ」
「あら、言ってなかったのね」
「そう言えば、あの時は先生としか言ってなかったわね」
ローラさんがそう口を挟む。
「じゃあ、改めて自己紹介だけど、キンネ・ファイテ・ロンドレンネといいます。
専門は婦人科で、その流れで産科も多少やるわ。……まあ新生児の扱いはあんまり自信がないんだけど」
すると、お客さんのうちの、もう一人の、眼鏡をかけていて、痩せた背の高いおじさんが
「新生児の扱いに自信があるやつなんぞいるか。いたとしたらそいつはヤブだろうよ」
と口を挟んだ。それから
「わしはアルツ・アイン・アルベイト、専門は循環器だな。
そこに座っているヒュースや、ロンドレンネと同じく治癒学の教授を務めておる」
と自己紹介をしてくれる。
しゃくるようにして、あごで指された若い眼鏡の男の人が
「ヒュース・メド・フォスです。よろしく。専門は整形です」
と言って、椅子に座ったままお辞儀をした。
「さて……今日はファルブロール学生を見極めにきたわけだが、まあそこに治療の成果が立っておられるな」
痩せた背の高いおじさんのアルツさんが、そう言ってクリーガさんを見た。
「貴方がクリーガ・グロウハリー殿であられるか?」
若い眼鏡の男の人のヒュースさんが、そうクリーガさんに聞く。
「然様でございます」
クリーガさんはそう返事をして慇懃に頭をさげる。
「変なことをお願いするが……ズボンの裾をいくらかたくし上げてくださるだろうか」
ヒュースさんがためらいがちにそう言うと
「仰せのままに」
クリーガさんは、そう返事をしてから、ズボンの裾を思いっきり引き上げた。
ヒュースさんが素早い動きでソファーから立ち上がると、クリーガさんのほうに寄っていき、跪くようにして、クリーガさんの脚に顔を近づける。
「……このきれいすぎる経年変化が見られない肌。確かに治癒によるものだ。
ここからあそこまで歩いてみていただけるか?」
「はい」
クリーガさんは持ち上げていたズボンの裾から手を離して、軽やかに部屋の端まで歩く。
そこで「少し脚をあげてみますぞ」と言って、頭の上まで右脚を格闘でもするように蹴り上げるようにして脚を上げ、逆側の脚でもそうした。
「滑らかな動きだ」
ヒュースさんがその様子をじっと見つめながらつぶやく。
「可動域も広くて動きに何ら問題はありませんし、治療をしていただく前は膝や股関節が少し痛んでいたのですが、下半身ごと取り替えていただきましたので、今はそれもありません。
排尿排便も支障ありませんし、ご婦人方の前でこのようなことを申し上げるのはふさわしくないかもしれませんが、性機能まで回復してしまいましてたまげました」
「それは……素晴らしいですな。置換した身体部分の造り込みが細密であることの証だ」
ヒュースさんはそう言って立ち上がり、お嬢様のほうに向きなおる。
「治癒を受けた本人がそう述べているし、証言者は多数であるが、ぜひ臓器や肢体の置換についてこの目で見たい。
もし可能であれば何か造ってはいただけまいか。もちろん可能ならばでよいが」
そう言われたお嬢様は「わかったわ」と言って、白い大きな、一抱えもあるような塊を取り出した。
なんだか焼く前のパン生地のようにも石膏かなんかのようにも見える。
その塊が空中でぐねぐねと動いたかと思うと、そこからロープのような、蛇のような細長いものが一本飛び出す。
それが燐光を発すると、あっというまにいくつもの部分に分割されて、いくつもの塊に裂けたり、形を変えたりする。
そうすると、何かの骨のような形のものがいくつもできあがってきた。
肉が全部剥げ落ちたような、真っ白い骨みたいに見える。
その骨みたいなものが、空中で寄り集まったかと思うと、あっという間に何かの腕のようなものに組みあがった。
その腕の骨みたいに見える物体が空中に浮かんでいる。
二の腕に、肘に、前腕。手首があって、そこから長い指の骨が見えた。
指の数が五本だし、これはひょっとすると人間の腕じゃないのかとアリシアが考えていると、
元の大きな白い塊のほうから、小さな薄い欠片のようなものが幾つも剥がれるようにして浮かび上がり、その腕のほうに飛んで、骨と骨の間の、関節のあたりにべたべたと膜のようになって貼りつく。
さらに太いとか細いのとか、繊維や紐のような欠片が、さらにいくつも飛んで、関節の膜の上から、関節を補強するように張り付く。
そのあとに、元の白い塊から、細い細い紐のようなものや、あるいはもっと太くて大きな塊や小さな塊が切り出されて、腕の骨のほうに飛んでいって、骨と骨の間に、あるいは骨を包み込むように巻き付いていく。
ここまでくると、ああこれは腕の筋肉だなとアリシアにも分かった。
そこからさらに、筋肉の上を覆うように、膜のようなものが貼りつけられ、その上に血管のように見える管みたいなものがいくつも貼り付けられる。
最後に滑らかな皮膚で覆われて、腕のようなものが完成した。
色が真っ白なことを除けば、それは全く人の右腕のように見える。
その空中に浮かんだ真っ白い腕は、ひらひらと手を振ったり、肘を曲げたり伸ばしたり、数字当ての遊びをするときのように、拳を握り、掌を開き、指を何本かずつ立てたりした。
たぶんお嬢様が令術か何かで操作しているのだと思うけれど、空中に腕だけが浮かんでぐねぐねと動いている様子はいかにも不気味だ。
やがてその腕は動きを止めると、ヒュースさんのほうへと漂っていった。
「早いな!? 十分もかからずできたんじゃないか」
ヒュースさんはそう言いながら腕を受け取ると「ちょっと中を見てもいいかな?」とお嬢様に聞く。
「どうぞ」とお嬢様が言ったから、ヒュースさんは、どこからともなく小さなナイフのようなものを取り出して、せっかく作った腕を切り裂いて中を覗き込み始めた。
すると、痩せた背の高いおじさんのアルツさんが
「心臓も造ってみてくれるか?」と、前のめりになるような勢いでお嬢様に聞いている。
「ん」
お嬢様はつぶやくように答えると、手から青白い強い光を出して、びゅうと部屋全体に風を吹かせたかと思うと、只人の大人の握り拳くらいの白い塊を出現させた。
その塊がぶるぶると震えたり、ぐねぐねと形を変えたりしたかと思うと、今度は二分もかからずに
「できた」とおっしゃって、それがすーっとアルツさんのほうに飛んでいった。
「今度はもっと速いな!?」と、アルツさんが驚いたように言う。
「しんぞうは、いそぎでひつようになることもあるから、にふんいないでつくれるようになりなさいっておかあさまがいったの。だかられんしゅうしたのよ」
「……それは凄いな」
アルツさんはそう言って、泣いているような笑っているような、なんだか異様な顔をして
「ちょっと中を見せてもらうぞ」
とつぶやいてから、小さなナイフをどこからか取り出すと、心臓を割いて中を見始めた。
アルツさんは、長い時間をかけて、お嬢様が作った心臓を、割いては中を覗き込み、たぶん治癒術で治癒して元に戻しては、また別の場所を割いて覗き込み、というふうに弄り回していたけれど、やがて大きく息をついて
「完璧だ」とつぶやいた。
そして重ねるように大声を出す。
「完璧な構造だ! 完璧だ!!」
「確かに素晴らしい完成度です」
ヒュースさんもそう言葉を挟むけれど
アルツさんはかぶりを振ってさらに言う。
「心臓のことは、お前には分かるまい。
心房や心室の形や大きさや配置に狂いがない。すべて本物のようにきっちりと整っている。左心室の壁もきちんと厚い。
僧帽弁や三尖弁には腱索が弁の裏面まできっちり張られている。
立派な乳頭筋が構築され、心筋壁へ強固に接着されてある。
心房と心室にそれぞれ必要な大血管が正確な位置と角度で開口されているし、大動脈弁と肺動脈弁も完璧だ。
冠状血管系が、心臓表面だけでなく、心筋壁の内部にまで細かく入り込んでいる。
……お前、俺が何を言っているか分かるか?」
アルツさんがヒュースさんをじろりと見る。
「……専門が違いますから、うっすらとしか分かりません」
「そうだろう? 分からんだろうな。
ここにいる中ではファルブロール学生と俺にしか分からんだろう。
俺は完璧な仕事をいま見たんだ。 しかもそれがたったの二分だぞ! まともじゃない。化け物だ!」
アルツさんはそう叫ぶと、大きく腕を広げ、顔を赤黒く染めながら、ものすごく嬉しそうに笑っているような顔で、でも目の端からだらだらと涙を流すという異様な顔で
「ああ、今日はいい日だ。今日はいい日だ!
我らは祝福されたり! この尊い子によって!」
と、そう言いながら、その辺をぐるぐると踊りまわった。
俺は嬉しいんだ! 俺は嬉しいんだ! と異様な雰囲気で叫ぶ。
「でも、あなた泣いてるじゃない」
キンネ先生が遠慮がちに声をかける。
「そりゃそうさ。俺の母親は、俺が子供のころに心不全で死んだんだよ。
だから俺は頑張って勉強して治癒学の教授までなったさ。
心臓がすぐに手配できなくて死なせた患者もいっぱいいる。死んだ人はもう生き返らない。
だから俺は泣いてるんだ」
アルツさんはぐるぐると回転した勢いのままに、お嬢様の浮かんでいる場所の足元に座り込むようにして跪いた。
そしてお嬢様に手を差し出して、お嬢様の小さなおててを、壊れ物を扱うみたいに、そっと自分の指先に乗せる。そうしてそれを自分の額に付けて、押しいただくようにしてから
「でも、それでも、俺はこんな子がでてきてくれて嬉しい。まだこんなに小さいのに……お前さん、歳は幾つだったか?」
アルツさんは涙声でお嬢様に尋ねた。
「じゅうさんさいよ」
「そうか、まだ十三歳なのにそれほどの腕前なのは偉いなあ。
それはやっぱり大治癒士と言われた御母上のフルーネ様から教わったのか?」
「そうね。おかあさまから」
「治癒術は始めてどれくらいになる?」
「たぶん、よんさいくらいのときにはじめたんだったとおもうわ。
さいしょはかんたんなきずをふさぐだけとかからはじめて、だんだんむつかしいことをやっていくの」
「四歳は早すぎる……しかし楽器なんかをやる連中は、子供にもそれくらいからやらせたりするし、あり得なくはないんだろうか。
それなら臨床経験としては、九年か。小さく見えても立派な中堅だ。頑張ったんだな」
「そうなのかしら」
「そうさ、そうに決まってる。見ればわかる」
アルツさんはそう言って後ろを向き
「ヒュースもそう思うよな?」と言葉を続けた。
「ええ、見せていただいた腕も、非常に細かく正確に作ってありましたからね。
すごく才能もおありなんでしょうけど、時間をかけた熟練があるのは明らかです」
ヒュースさんが、立ち上がって寄ってきて、お嬢様が造った腕を、お嬢様に返しながらそう返事をする。
そうだよな、とアルツさんはヒュースさんに返事をしてから、お嬢様に向きなおり
「それで話は変わるが、この心臓を売ってくれ。ストックしておきたい」
と言った。
すると、お嬢様は渋い顔をする。
「しんぞうは、せきにんがおもいからいやだなあ……きゅうにとまったりしたらどうしようとかおもったらよるもねられなくなるわ」
お嬢様の、その言葉を聞くとアルツさんも顔をしかめた。
「お前さんね、そういうメンタリティーではいかんぞ。
俺の造った心臓で駄目だったなら、誰の造った心臓でも駄目だった、くらいの心意気でいけ。
そんなんで今までいったいどうやって治癒士やってたんだ?」
「だって、いままではおかあさまがみてくれてたもん。しんりょうじょのひとたちもいたし」
「そうか……まあそりゃそうだよな。まだ十三歳だもんな。
でもそこの、体が半分潰されたグロウハリー殿は、ほとんど単独で治したんだろ?」
「アイシャもてつだってくれたし、それにあそこまでおおけがしてたら、もうやるしかないし、だめでもともとだったから、それはよかったのよ」
「体が半分になった人間を元に戻せるならもっと自信持っていいと思うけどな。
言葉にしたら簡単だが、もっと具体的に言えば、脳や上半身を人工血液で栄養しながら、血管の陽圧を保って空気塞栓や異物を排除して、透析のかわりにもしつつ、腹部大動脈や下大静脈を接合するんだろ。
傷口も洗浄してトリミングして、腸管も破れてるから、腹腔を洗浄して腸管を繋いで、腹膜も作って、足が一日で動いたということは、腰仙骨神経叢もつないで、当然に骨もつなぐということだ。
他に何かあったか?」
「にょうかんと、おおきなリンパかんと、こつばんのなかのきんにくやけんをわすれてるわよ。
からだのなかのきんにくをつないでいくのがいちばんめんどうなのに」
「……………まあ、俺は循環器の治癒士だからいいんだよ。
しかもそれが後遺症無しだろ。完璧じゃないか。もっと自信を持つんだ。
何食ったらそこまでできるようになるのか不思議なほどだぞ。少なくとも俺はできん」
「でもぉ……」
「煮え切らんやつだな。移植する前には俺がしっかり点検するから安心しろ。
これいくらだ。金貨五十くらいか」
「たかすぎよ。きんかごまいでいいわよ」
「そりゃ安すぎだ。お前そんなんじゃ俺がぼろ儲けできるじゃないか。
金貨五枚で買って、特別サービスで金貨五十枚で心臓の入れ替えやって、俺が金貨四十五枚儲けるのか? 馬鹿みたいじゃないか」
「ちりょうひがきんかごじゅうまいもしたら、そんなのたかすぎてうけられないじゃない」
「そりゃ貧乏人には配慮するが、金持ちからはがっつり取ったらいいんだよそんなもん。
実質的には命そのものの値段なんだからな」
それから、アルツさんはソファーのほうに寄っていって、そこに座りなおすと、懐から小さなカードと、片手に握りこめるような、小さな棒状の何かを取り出す。
その棒状の何かをアルツさんがひねると、棒の先から、小さな針のようなものが、ほんのわずかに飛び出した。
アルツさんは、その棒状の何かでサラサラとカードに何か書きつけると、近くの椅子に座っている、馬車の御者をしていたお兄さんのほうを振り返って
「ちょっと使いを頼む。屋敷から金を持ってきてくれ」
と言って、そのカードを御者のお兄さんに渡した。
御者のお兄さんは「承知しました」と言ってから、お辞儀をすると部屋を出ていく。
アルツさんは御者さんに、頼むぞ、と声をかけてから、ヒュースさんのほうに振り返り
「ヒュースはその腕を買わんのか?」と聞いた。
「そうですね。私も買おうかな……この腕だとおいくらかな?」
「うーん、きんかさんまいくらいで」
「そんな値付けがあるかよ。安すぎだ」
とアルツさんが文句をつける。
「でも、うでなんてながさとかふとさとか|あわせてからつくるもんだし、こんなのちょうどふとさやながさがあう|ひとじゃないとつかえないわよ」
「この大きさなら、元の粉に戻しても、金貨十枚以上はするだろ」
アルツさんはそんなふうにお嬢様に言い返してから、今度はヒュースさんのほうに向かって
「悪いことは言わんからせめて金貨五枚は払っておけ。子供から搾取するもんじゃない」と言った。
「そりゃもう……」
そう言いながら、ヒュースさんは上着の懐から財布を取り出すと、逆さにしてテーブルの上に中身をぶちまける。
金貨や銀貨や銅貨がたくさん出てくる。お金持ちだ。
「ありゃ、金貨が七枚しかない」
ヒュースさんがそう言って頭をかくと、お嬢様は
「べつにそれでいいわよ」
と言って、銅貨や銀貨を残して、たぶん令術で金貨だけ自分のほうに引き寄せる。
それから
「では、御者の方が戻ってくるまで、教室のほうを見ていただいたらどうかしら」
と、ローラさんが言ったから、皆で屋敷の本棟を出て、本棟から見て左手の別棟の階段教室のほうに先生方を案内した。
皆で掃除した教室を見て、キンネ先生は
「まあ! 立派な教室じゃない!」と感心してくれたし
ヒュースさんも
「そうですねえ。かなり大きい」と言ってくれたけれど、アルツさんはぼんやりしていて、あんまり興味がなさそうだった。
教室を見せ終わって、本棟の応接間に皆が戻ったところで、ローラさんが
「それでアリスタちゃんは特別講義をしても良いということでいいんですか?」
と、先生たちに尋ねてくれる。
「いいんじゃないか?
人前で話したりとかが上手いかどうかは知らんが、少なくとも治癒術の腕前ならわしらよりずっと上手だからな。
そしたら、なんぞ学生の学びになるような見識もあるだろう」
アルツさんがそんなふうに言ってくれた。
「私もその講義を受けようかしら」
とかキンネ先生が話していると、外から馬蹄の音が聞こえてきて、さっきアルツさんに頼まれて、お金を取りに出ていった御者の人が、馬に乗って戻ってきたみたいだった。
メイドのミーナちゃんに連れられて、部屋の中に入ってきた御者さんは、手に持っていた革の袋をアルツさんに渡す。
「おお、すまんな」
とか言いながら、アルツさんが革袋を受け取って、逆さにして、中身をテーブルにあけた。
ざらざらといっぱい出てきた金貨を十枚ずつにして積んでいく。
「ちゃんと五十枚あるな。これでいいよな」
「うん」
「じゃあ心臓はもらうぞ」
アルツさんはそう言って、お嬢様の造った心臓をとって、金貨が入っていて、今は空になった革袋にそっと入れた。
お金なら稼ごうと思えばいくらでも稼げる、みたいなことを、お嬢様が言っていたけれど、本当に一時間もしないうちに、あっというまに、お嬢様は金貨を何十枚も稼いでしまったわけで、アリシアは驚いてしまう。
月に金貨を一枚か二枚かくらいで質素に暮らしている家庭もあるのに、わずかの時間で金貨を何十枚も稼ぐような、こういう世界もあるんだと感心してしまった。
◆
それで教授さんたちの用事は終わったらしくて、皆さんで帰り支度を始める。
帰り際に、お嬢様にアルツさんが、
「なあ、そのうち俺のところで一緒に治癒士やろうな」と言っていた。
するとそれを聞き咎めたヒュースさんが
「整形もいいですよ。あの腕が造れるならいつでも歓迎しますよ」と口を挟んで
キンネ先生は
「アリスタちゃんはあなたたちより先に私が目をつけたのよ!」
とか大きな声を出していた。
そんなふうに、先生方は、お嬢様を巡って、わいわいと馬車の中で、いがみあったり、窓から手を出してこちらに向かって振ったりしながら賑やかに帰っていったのだった。




