閑話:黒森族の女の子Ⅳ
ここのお屋敷では、寄子たちは、朝食を、大食堂でそれぞれが自由に食べていいことになっている。
午前中のうちであれば、自分が好きな時間に食べに行ったらいいし、食べたくなければ部屋で寝ていてもいい。
つまり朝は自分の自由にしていいということだった。
けれども昼は、食事の時間や食べる場所がちゃんと決まっていて、コージャは、お嬢様やアイシャさん、それに奥様や奥様の寄子の方たちと一緒に食べるのがいつものことだ。
これは、つまり昼は寄親と寄子で一緒に食べましょうということだろう。
そして夜は領主様のご家族が水入らずで、家族だけで食事をすることになっているので、寄子たちも、それぞれの寄子たちだけで食事をとるようになっていた。
寄子たちといっても、お嬢様の寄子は、今までは豚鬼族のアイシャさんと、黒森族のコージャだけしかいなかったから、二人だけで食事をとるのが常だったけれど、今日の夜からは、新しくお嬢様の寄子になった、大鬼族のアリシアさんも加わって、夕食を一緒にとることになる。
それでコージャは、そういえばアリシアさんの椅子はどうするんだろうと思いついて
「アリシアさんって体が大きすぎて普通の椅子では座れませんよね?」
と、アイシャさんに相談してみる。
すると、アイシャさんもアリシアさんの椅子のことはすっかり忘れていて、それでアイシャさんとコージャは二人で厨房に走って、ワインの空き箱をいくつも貰ってきて、そこに布をかけて即席の椅子を造った。
◆
それで食事の時間になって、いつもコージャたちが夕食をとっている部屋に、メイドさんがやってきたけれど、彼女が言うには、食事の案内をしようと思って、アリシアさんの部屋をノックしても、返事がないらしい。
あれほど体が大きくて目立つ人だから、もし外出したのだったら誰かが見ているはずで、でもそういう話はないし、たぶん部屋で寝ておられるんだろうということだった。
それで彼女は、これ以上ノックして怒られると嫌だから、もうあんまりノックしたくないというようなことを、とても遠回しに言ってくる。
あんまり遠回しに言うもんだから最初は何を言っているんだか分らなかったけれど、よく聞くと、つまりは無理に起こしてアリシアさんの機嫌を損ねたりしたら怖いので、扉を叩いて起こすようなことはしたくないという、そういうことが言いたいようだった。
それで、アイシャさんが
「じゃあ私が行ってくるわ」と言ったので、コージャも
「私も一緒に行きます」と申し出たけれど、アイシャさんは
「一人で大丈夫よ。昼の食事会のときにけっこう話したけど、ごく普通のいい子だったわよ」
と、そう言い残して一人で行ってしまった
昼の食事会のときには、コージャはアリシアさんとは席が隣ではなかったけれど、けっこう近くて、それで彼女が楽しそうにアイシャさんやお嬢様と話す声が聞こえてきた。
それを聞いてる限りではそんなに暴力的な人のようにも思えなかったけれど、食事会のあとの練兵場での訓練で、ものすごい大声で吼えて令術を消し飛ばしたりとか、そういうのを見たあとでは、やっぱりちょっとだけ恐ろしいような気もする。
すごく体も大きいし、メイドさんが怖がるのも無理はないんだろう。
◆
少し待つと、アリシアさんがアイシャさんに連れられてやってきた。
コージャは、こんばんは、と挨拶してはみたけれど、緊張してちょっと表情が固くなってしまってたかもしれない。
アリシアさんもこんばんはと挨拶を返してくれるけれど、その口調や声が、思った以上に穏やかな感じで、コージャはひと安心する。やっぱり普通だ。
それからアイシャさんが食事をもらってくるわね、と言って部屋を出て行ってしまった。
すると、コージャとアリシアさんの二人きりになってしまう。
コージャは何を話していいやら分からなくて、黙り込んでしまったけれど、それはアリシアさんも同じらしくて居心地が悪そうな顔をしていて、気詰まりな沈黙が続く。
やがて、ゴロゴロという車輪の音が聞こえて、沈黙に耐えられなくなったようにアリシアさんが、これ幸いとばかりに席を立ってドアのほうに向かって、ドアを開けてくれる。
何を話していいかわからないとか、気詰まりだとか、そういう感覚が大鬼族の人にもあるんだと思うとコージャは不思議な感じがする。
ワゴンの上にはいつもの何倍もの食事やデザートが乗っていて、これはアリシアさんが増えた分だろうけど、さすがに大鬼族の食事となると量がすごいものだとコージャは思った。
それから配膳を済ませて、食事が始まると、出身はどこなのかとか、このお屋敷の決まり事とか、そんなことでアイシャさんが色々と話題を振ってくれて、皆でけっこう楽しく話せた。
やっぱりアイシャさんは大人だから頼りになる。
それで食事が終わって、デザートを食べるところで、アイシャさんが、
「お嬢様をそろそろお風呂に入れないといけないからこの辺で失礼するわね」
と言って中座してしまう。
いつもはアイシャさんもちゃんとデザートまで食べられるのだけれど、今日はよく話していたので、時間が足りなかったみたいだった。
それでアイシャさんが抜けてしまうと、また会話が途切れてしまう。
すると、アリシアさんが、ワゴンのところに行って、そこに載っていたデザートのタルトを取って切ってくれた。
その間にコージャはお茶を新しく淹れる。
いっぱい食べる大鬼族のアリシアさんと、豚鬼族のアイシャさんに気を遣ってか、三人だけの食事なのに、タルトはでっかいのがホールひとつ丸ごとある。
アイシャさんは帰っちゃったし、こんなの二人だけで食べきれるかなと思っていたら、アリシアさんが、丸いタルトを直角に、四分の一くらいに、めちゃくちゃでっかく一切れ取って、それをコージャのほうに寄越し、自分のお皿にも同じくらい入れていた。
食べてみると、サクサクのクッキー生地の上に、柑橘とアーモンドの風味の詰め物が入っていて、とても美味しい。
「おいしいね……」
アリシアさんが感極まったようにつぶやく。
「ええ、本当に……」
コージャがそう返事をしたら、アリシアさんは
「いやー、こんな美味しいものばかり食べていいのかな。私なんにもしてないのに」
と、あっけらかんと言った。
アリシアさんは特に意図とかはなくて、何の気なしに言ったのかもしれないけれど、その言葉はコージャが今いちばん気にしているところをぴったり抉ってしまったから、コージャは自分でもびっくりするくらい傷ついてしまった。
「アリシアさんは強いから待遇が良いのは当たり前ですよ。私こそそんなに強くもないのに、なんか気が咎めて居づらいです……」
それでコージャはそう言って俯いてしまう。
「……そうなの?」
と、アリシアさんの面食らったような声がした。
「そうですよ、アリシアさん昼間だって凄かったじゃないですか。
あんないっぱいの投射術をがーって消して、すごい重そうな大きな剣を振り回して……私なんて普通の人よりちょっと強いくらいでしかないのに」
アリシアさんとは今日会ったばかりで、どんな人かも分からない。
優しい人なのか、そうじゃないのか、愚痴をこぼしてしまっても、慰めてくれるような人なのか、それとも馬鹿にしてくるような人なのかも分からない。
それにそもそも、まだ愚痴をこぼしあえるほど仲良くもない。
けれども、もうどうにも言葉を止めることができなくて、言ってもどうしようもないようなことを言ってしまって、それでアリシアさんからどう思われたかと思うと、よけいに俯いてしまう。
「そんなことないよ」
アリシアさんはそう優しい声で励ますように言ってくれた。
それから言葉を探すように少し黙ってから
「……だってご領主さまと奉公に入る前にお話はしたんでしょ?
その、お給金の話とか、何ができるかとか」
と聞いてくる。
確かに、コージャが何ができるかは、父親の寄子の人が給金の交渉のときに話してくれていた。
だから、それを聞いた上でご領主様がコージャを月に金貨三枚でお嬢様の寄子にすると決めたんだったら、自分の能力が低いとかそういうのは、もうコージャが気にすることじゃない、というのはそれはそうかもしれない。
でも、やっぱり毎日やることがあんまりないと、気が咎めるのはどうしようもない。
「それはそうですけど、アイシャさんはお嬢様の世話をしてるし治癒術が使えるし、アリシアさんは強いし、私だけ何もしないで何日もご飯食べるばっかりで、仕事も無いし、お嬢様のお部屋にちょっと顔出す以外は何もしてません……このままじゃ首になっちゃうかも」
言っても仕方がないことを、言えば言うほど心が沈んで、コージャは余計に下を向いてしまう。
するとアリシアさんは腕組みをして考え込んでから
「うーん……でもご領主様とかお嬢様とかに何か言われたわけじゃないんでしょう?」
と、コージャに聞いてくる。
それはまあそうなので頷く。
働きが悪いとか言われたり、嫌味とかを言われたこともない。奥様もお嬢様もやさしい。
「まだ誰かに怒られたわけでもないうちから悩んでても仕方がない気がするなあ」
アリシアさんはそう言ってから席を立つと、ナイフを取って、ワゴンの上のタルトの残りを大きくひときれ切って、コージャの皿の上にのせて、残りは全部自分の皿に載せた。
いくら甘味だからって、こんなにいっぱい食べられないよ、とコージャは思ったけれど、アリシアさんはテーブルを回り込んで自分の席に戻ると、コージャの顔を覗きこむようにして、目をしっかり見て
「首になるかもしれないんだったら、こんな美味しいものは、食べられるうちに食べられるだけ食べておかないと。
悩んだって仕方ないから今はお菓子のことだけ考えよう」
と言った。
コージャを慰めようとして、ちょっとした冗談でアリシアさんはそういうことを言ったのかと思ったけれど、アリシアさんの顔を見ると、その表情は本当に真剣そのもので、どうも真面目に、首になるかもしれないんだったら、首になる前に、できるだけ美味しいものをいっぱい食べておこうと言っているらしかった。
それがおかしくてコージャはちょっと笑ってしまう。
笑ってしまうとなんだか少し気が楽になって
「それがいいかもしれませんね」とアリシアさんに返事をしたのだった。
実際にそのあと、アリシアさんはタルトの残りを食べ終わった後で、まだワゴンに残っている食べ物を浚えるようにして、全部食べ尽くしてしまう。
『美味しいものは、食べられるうちに食べられるだけ食べておく』ように本当にしているみたいだ。
あんまりいっぱい食べるので、コージャは見ているだけで胸やけがしそうだった。
アリシアさんが食べ終わるのを待って、食べ終わったらアリシアさんと二人で食器をワゴンに戻し、机を拭き布で拭いて片付けて、最後に部屋の明かりを落とす。
部屋の扉を閉めてから、ワゴンを押して厨房に返しにいく。
厨房に着くまでの間にも、コージャはアリシアさんとぽつぽつ話して、ワゴンを返して厨房の前で別れた。
◆
大浴場でお風呂に入ってから部屋に戻り、寝る前に、寝床の中でコージャは、今日あったことを思い返してみる。
そうしてコージャは、自分が気にしていたこと、つまり給金はたくさんなのに仕事がないとか、もらう給金のわりに自分の能力が低いとか、診療所で失神してしまってから仕事を変えられてしまったとか、そういうことについて、全く気にならなくなったわけではないけれど、でも、だいぶん気が楽になったのを感じたのだった。
自分がどう思っているかを、口から出たままにアリシアさんに言ってしまって、それを聞いてもらっただけで、状況が何か変わったわけではないのに、気分は全然違うものなんだとコージャは驚く。
それにアリシアさんは、コージャのことを馬鹿にしたり、叱りつけたりとかせずに、優しく宥めてくれた。
大鬼族だって聞いていたけれど、アリシアさんは怖いどころかむしろとっても穏やかで優しい。
食べる量はさすが大鬼族だなと思ったけれども。
アリシアさんはいい人で、だからこれからきっと楽しくなる。
さっきの食事のときのことを思い出しながら、コージャはそう自分に言い聞かせ、それから安らかな眠りについたのだった。




