閑話:黒森族の女の子Ⅰ
黒森族の社会は一夫多妻制になっている。
これはなぜかというと、黒森族の主な生息地である大陸南東部の大雨林が、鱗人族の生息地でもあり、そのため黒森族が鱗人族と、激しく争いあってきたという事情があった。
今より数十年前に、西方帝国皇帝の介入によって協定が結ばれるまで、お互いを文字通りの意味で食らいあってきた間柄でさえあった。
激しい戦いによって、鱗人族のみならず、黒森族にも相応の死者が出ていたけれども、黒森族も含めた森族は、寿命が長いかわりに繁殖力に劣る。
黒森族の女性は妊娠しにくく、子供があまりできないので、犠牲が多く出るような戦争には向かない種族でもあった。
ではどうするか。
黒森族が出した答えは、黒森族の男性に、同じく黒森族の女性の本妻の他に、他種族の女性を側妻として娶らせることだった。
例えば、アリシアの父親は大鬼族で、母親は只人である。
そしてアリシアは完全な大鬼族だ。
つまり、異なる種族の男女で子を生しても、父親の側もしくは母親の側のどちらかの種族の子が産まれるということであって、この生まれる子は、形質を両親からそれぞれ受け継いだ混血になるのではなく、父親もしくは母親の完全にどちらかの種族の子が生まれるというのがこの世界の仕組みになっている。
(ちなみにこれはこの世界の人種族だけの仕組みであって、動物を混血させれば混血する。つまりこの世界にラバや猪豚はいる)
ということは、黒森族が出生する確率が低くとも、他種族のものでよいので母胎の数を増やせば、出生数の底上げはできるということになる。
母親が他種族で父親が黒森族の場合、妊娠の確率は母親の側の種族ごとの特性によるので、例えば母親が只人であれば、黒森族の女性よりは高い頻度で妊娠する。
しかし不思議なことには、生まれてくる子が黒森族である確率は、なぜかかなり低くなる。
それでも黒森族の男性が、黒森族の妻を持ち、別に他種族の妻たちと子供を作れば、かなり低い確率であったとしても、何もしないよりは幾らか多くの黒森族の子が得られるということになる。
ちなみに、黒森族の女性が、他種族の男性を夫とすることは禁止されていて
(法的な意味での禁止ではないが、実質的には許されない風潮がある)
それは夫を他種族にしたところで黒森族の女性の妊娠率があがるわけではないし、しかもその稀な妊娠で、黒森族以外の子を孕む可能性を生じさせるので、そのぶん黒森族の赤子が生まれる機会を減らすことになるからだった。
黒森族は、このようにして鱗人族との種族間闘争を闘い抜いてきた。
ちなみに黒くないほうの森族(アリスタお嬢様や、その母親のフルーネがそれにあたる)にはそのような習俗はない。
森族は主な生息地が北部であって、鱗人族は寒さが嫌いなため、生息地が重ならなかったからだ。
それに森族の生息地は西方帝国に早々と併呑され、本拠地である北の半島を自治区として与えられ、保護されてもいる。
そのため戦争もなく、故に、無理に一夫多妻制度を用いる必要がなかった。
◆
とまれ、コージャ・トゥーナは、そのような一夫多妻制度のもとで、父親の側妻である只人の母親から生まれた黒森族の女の子だった。
コージャの家には、父親がいて、その妻が七人、子供は二十四人いた。
また別に、もう死別した妻や子、それに家を出た子供も何人もいる。
子供のうち、黒森族の子はコージャを含めて四人で、その四人のうち、本妻の黒森族の妻から生まれた子が二人、他種族から生まれた子が二人になる。
あわせて三十二人にも及ぶ大家族ではあるけれど、でも家族仲が良くはなく、内実は分裂していた。
一夫多妻の家がすべてそうなのかは分からないけれど、少なくともコージャの家は、母親とその子供(子供が一人もいない側妻も一人だけいた)という単位で、側妻ごとに家族が複数あって、その家族が別々に暮らしているような状態だった。
実際、敷地の中にも、本邸の他に、側妻の数だけ離れがあって、普段は、母親とその子供ごとに別れて暮らしていた。
たまには顔を合わせておこうという趣旨なのか、月に一度くらい全員で揃って食事をする習慣はあったけれど、それ以外では特に親しく交流する機会もない。
別々の離れで暮らしているとは言っても、同じ敷地内のことだから、コージャも父親の他の奥さんや、その子供と顔を合わせることはある。
けれども、そこにはやはり微妙な緊張感があって、別に険悪な関係ということはないのだけれど、仲が良いわけでもないし、彼らが近くにいると気が休まらない。
つまり、精神的にも他人のようなものでしかなくて、だからコージャにとっては、自分たちに割り当てられている離れの中だけがくつろげる場所で、母親と、母親を同じくする兄弟姉妹だけが本当の家族だった。
父親についても、他の奥さんがいっぱいいるせいか、コージャの母親との夫婦仲も悪そうで、コージャの住んでいる離れに父親がやってきても、母親は父親のことを疎ましげに眺めるのが常だった。
それに、そうでなくても他に奥さんと子供がいっぱいいるので、そちらも手当をしなければならないためなのか、そもそも会う頻度がかなり低くなる。
母親が、父親のことをあまり好きじゃないのがわかるし、コージャとしても、他の奥さんのところに行ってしまう父親というものは好きになれない。
だから父親は、心情としては本当の家族とは思えなかった。
そのうえ、自分を愛してくれている母親さえも、コージャが黒森族であって、母を同じくする他の兄弟姉妹たちは皆が只人なので、まるでその差を埋め合わせるかのように、他の兄弟姉妹たちを自分より多く愛していているようにコージャには見えて、つまりコージャは、自分が少なく愛されているような気がしたのだった。
そんなこんなで、コージャはいつもどこか疎外感や孤独感を感じていて、いつもどこか地に足が着かないような、浮き上がったような心持ちがしていた。
◆
そうしたある日に、コージャは父親から呼び出される。
あんまり行きたくないなと思いながら、それでもコージャが本邸の父親の執務室のほうへ出向くと、父親は大きな執務机のところで座っていて、何か手紙らしき紙をヒラヒラさせていた。
父親はコージャが姿を見せると「元気か?」と聞いてくる。
「はい、風邪などはひいていません」
「そうか、実はな。お前の奉公先というか寄親が見つかったんだ。
お前が良ければだが、行ってみるか?」
父親はコージャにそう話を向けてきた。
けれども何が何やら分からなくてコージャが黙っていると
「わしの古い知り合いにな、森族だが黒くないほうだ。
そいつに子供がいるんだ。お前より二つ下だがな、そろそろいい年頃のはずだから寄子の口があるかと手紙で聞いてみた。
そうしたらあるとのことでな。でもまずは、その子の寄子になりたいかどうか、お前の希望を聞こうとなったわけだ」
どこかへ行かなきゃいけないのは怖いけれど、でもこの家から出られるのもいいな、とコージャは思ったので
「……寄親となってくださるのは、どこの方ですか?」
と、不安半分ではあるけれど聞いてみる。
「遠いぞ。ここから北西に半年ほども旅をしなくちゃならん。ファルブロール伯領というところだ」
いくらなんでも半年は遠すぎると思って、コージャが断ろうとすると、父親は
「でも遠い方がいいんだ」と言葉を続けた。
どういう意味なのかなとコージャが疑問に思っていると、父親は戸棚のほうに歩み寄って、グラスとブランデーの瓶をとって、少しだけグラスにあけて煽る。
まだ昼なのにどうしたんだろう?
「お前もな、まだ十四だが、あと何年かすれば、まだ子供なのに結婚の話が出てくる。
早く子供を作って黒森族の数を増やせ、みたいなことになってるからな。
だから、お前はどこか適当な黒森族の男と娶せられることになるんだろう。
それで、お前の夫となった黒森族の男は、お前の他に妻を何人も持つようになるんだ。
でも、お前はそういうの嫌いだろう?」
「それは……そうですね」
「実際、お前の姉さんはそうやって暮らしている。俺も黒森族の男として、そういう生き方をしてきた。
でもなあ、もう蜥蜴どもとの戦争は終わっているのに、そこまで種族に義理立てしなくてもいいじゃないかと、下の娘までそういう目にあわせるのかと最近思うんだよな。
だから……お前は、黒森族の長老どもの目が届かないような、いや、いっそのこと黒森族があんまりいないようなところでな。
だれか寿命が長そうなやつを見つけて、そいつと結婚して、只人が持つみたいな普通の家庭を作って楽しく暮らすということでもいい気がするんだよ」
コージャは、自分の父親が、自分のことをわりと見ていて、実は気にかけてもいたということにびっくりした。
「まあ、お前も貴重な森族だからな。よそにやるとなれば、それもそれで色々言われるとは思うが、お前の寄親になってくれる子は、なんと王種の森族だそうだ。
だから王種の森族に伝手を作っておくのは種族全体のためになるとかなんとか言えば通るだろうよ」
「……あの、王種ってなんですか?」
知らない言葉があったから、そうコージャが聞いてみると、父親は渋い顔をして
「知らんのか。どうも森族としての常識に欠けがあるな。教育を見直さねばならん」
とか、ぶつぶつ言っていたけれど、それでも教えてくれる。
「森族というのはな、皆が同じというわけではなくて、実は四種類に分かれていると言われる。それがさらに黒いのと白いのに分かれているから、都合八種類とも言えるな。
その中でいちばん普通なのが、普通種と言われていてな。これはそのまんま普通の森族だ。
わしやお前も普通種だ。いちばんありふれていて、術力もそりゃ普通の人間に比べたらだいぶん強いが、それでも大したことはない。森族の位階としては一番下だ。
その次が戦士種だが、これはお前の兄さんがそうだぞ。
お前の兄さんはとても背が高くて堂々としているだろう?
特徴としては非常に体格に優れていて、筋骨隆々としているし、術力としては令体術に優れる。
大きな武器でも軽々と扱ったり、素晴らしく速く走れたり、とても高く飛び上がれたりするんだ。
数としてはだいたい普通種が三、四十人あたりに一人くらいしかいない。
戦いのときには貴重な戦力になる。位階としては三番目になる。
それから貴種と言われる種がいて、これは令術全般に非常に秀でていて圧倒的に強い。
戦場では、たった一人でも戦局を覆すような英雄的な働きを見せる。
外見的な特徴としては、耳が他の種に比べて少しだけ小さいことだな。
数はとても少なくて、普通種の四、五百人あたりに一人しかいない。
彼らは寿命も長くて何百年でも生きるし、森族の長老と言えば彼らのことだ。
寿命というのは術力にも依存するから、何とも言いづらいところがあるが、特に力のない普通種の森族でも二、三百年は生きるところ、貴族種はその倍くらい生きる。
位階としては上から二番目だな。
最後が王種で、彼らはもう術力が天変地異の水準だよな。
体の特徴としては、寿命が極端に長くて千年以上生きると言われているし、成長も極端に遅い。
それに成長すると額に、なんというのか真珠みたいな不思議なきらめきを持つ器官が現れてくる。
位階はいちばん上で数も極端に少ない。つい最近までは森族全体で六人しかいなかった。
森族に三人、黒森族に三人だな。
そこへさらに一人、新たに王種が生まれて、これがお前の寄子になってくれる予定の子なんだ」
そんなふうに父親は説明してくれたけれど、コージャには、ともかくその王種というのはすごいらしいというのは分かった。
「それでどうする?
その王種の子の寄子になるのでもいいし、場所が遠すぎるからやめておくのでもいい。
やめておくのなら、お前を遠くに手放さずに済むからな。それはそれで良いとも言える。
お前が好きに決めていいんだぞ」
どうしたらいいのか、黙って少し考えてみたけれど、どうすればいいのか、コージャにはよくわからない。
その寄親になってくれる子がどんな子なのかも分からないし。
でもコージャは、自分のことにあまり関心がないと思っていた父親が、実は案外と自分のことを見ていて、気にもかけてくれていたという、その事実が嬉しかった。
それで、寄子になりに、遠くへ行くことが、自分にとって良いことかどうかは別にして、コージャは父親の気遣いに応えたかったから
「行きます」と返事をしたのだった。
■tips
ちなみに、この作品の最初の方にでてきた、森族のスクッグさんは貴種です。
アリシアからは「奥様」と呼ばれていて、アリスタお嬢様のお母さんである、フルーネさんも貴種です。
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