ハーフオーガのアリシア71 ― 年寄りな子供Ⅱ ―
お爺さんのクリーガさんが、お嬢様の寄子になりたいとやってきた、その次の日。
クリーガさんをお嬢様の寄子にする方向で決まったので、マントの儀式の見届人を、演習のときの大隊の隊長さんだったローテリゼさんと、輸送だか食料購買局のテニオさんと、あと診療部のローラさんに頼むということになった。
それで、馬人族のウィッカさんに馬車を曳いてもらい、皆で、そのお三方のところにお願いをしに順に回っていくことになる。
まずローテリゼさんのところから回ったのだけれど、ローテリゼさんのお屋敷は、街の中心部にあってめちゃくちゃ大きかった。
まず、でっかい金属製の門のところに門番さんが二人もいる。
トラーチェさんが言付けをして、懐から取り出した手紙を渡すと、門番さんのひとりがいったん敷地の中に向かって走ってから、しばらくして従僕らしき男の人を連れて戻ってきて、それで中に入れてくれた。
敷地の中に入ると、正面に大きな前庭があって、その奥に、南を正面にして、横長の大きな建物がある。
それから敷地の左右の壁それぞれに平行になるように、南北に横長の建物が一棟ずつあって、というように建物の配置はアリシアたちの住んでいる屋敷とよく似ているけれど、それぞれの建物の長さが、アリシアたちの住んでいる屋敷の三倍くらいあるし、建物の背も高い。
「すごい大きなお屋敷ですね」とアリシアがつぶやくと
「公爵家のお嬢様が住んでおられるお屋敷ですからね。寄子の方の部屋もたくさんあるんでしょう。
さすがにすごいですよねー」
とトラーチェさんが教えてくれた。
それにしたってあんまり大きな建物だと思いながら、従僕の人の案内で、広い前庭を回り込むように過ぎて、駐車場に馬車を停めて、それから皆で中に入れてもらう。
いったん玄関ホールの脇にある、控室みたいなところに通されて、少しお待ちくださいと言われて、そこで少し待ってから、応接室らしき場所に通してもらえた。
部屋に入ると、奥のソファーにローテリゼさんが座っていて、その左右に女の人たちが三人ずつくらい座っている。
全員が、見たような顔の人たちで、たぶん演習で見たんだなとアリシアは思う。
「本日は突然の訪問をいたしまして、申し訳ないことでございます」
トラーチェさんがそう言って頭を下げると、今日も豊かな赤銅色の髪が美しいローテリゼさんが立ち上がり
「いやいや、今日は少し間があったから大丈夫だよ。まあ座って」と言ってくれた。
今日のローテリゼさんは、演習の時とか、その後にアリシアたちの屋敷に来てくれたときみたいにマントも着けていないし、上着も着ていない。
きれいなブラウスにベストくらいのくつろいだ格好でいて、ちょっと新鮮な感じがする。
「あのね、あのね、エルゴルさんのところのクリーガさんが、こんどわたしのよりこになるの。
それでマントのぎしきでみとどけにんをしてほしいの」
お嬢様がそう言うと
「クリーガ様がアリスタ様の寄子になられることについては、セックヘンデ様のご承諾をいただいていることを、セックヘンデ様に直接確認いたしております」
と、トラーチェさんが口添えした。
「ふむ、おにぃ……エルゴル兄のところのグロウハリー殿か。
まあ、あれだけのことがあったら、そういうことにもなるかもしれないな」
ローテリゼさんが思案するように言う。
「おじいさんってグロウハリーさんっていうの?」
と、お嬢様が聞いたので
「クリーガ・グロウハリーって名前だったと思うよ。確かそう」
と、ローテリゼさんが教えてくれた。
「しらなかったわ!」
とお嬢様が言っていて、アリシアも内心頷く。
「マントの儀式の前に知れて良かったね……それで見届け人になるのは全然構わないけど、いつやるかは決まっているの?」
「それはまだぜんぜんきまっていないわ」
「そしたら明後日に、演習のときの大隊の慰労パーティーがあるから、そのときにマントの儀式もやっちゃえばいいんじゃない? アリスタ君たちも来てくれることになっていたよね。
人がいっぱい来るから儀式のお披露目にちょうどいいかも。
他にも見届人はいるの?」
「これからしんりょうぶのローラと、ゆそうれんたいのテニオさんにたのみにいくことになってるのよ」
「それは豪華な見届け人だね。じゃあちょっと待ってて」
ローラさんはそう言って、隣にいる女の人のひとりに、明後日のパーティーの招待状持ってきてくれる? と頼んだ。
すると背の高い女の人がすっと立ち上がって、部屋から出ていき、すぐに戻ってくる。
彼女の手には封筒が二つあった。
ありがとう、と言ってローテリゼさんはその封筒を受け取ると、それをそのままお嬢様に渡してよこす。
「ダーム殿もソーモ殿も私達の大隊ではなかったから、招待状は送ってないんだ。
だからこの招待状を持って行くといい。
……とは言ってもパーティーは明後日だからな。そんな急に言われても二人の予定が空いているかは分からないし、出席してくれるかも分からないけれども」
「いいの?」
お嬢様が上目遣いでローテリゼさんに聞く。
「なに、六百人近くも人を招くんだ。ダーム殿やソーモ殿とその付き添いの人数分くらいなら多少増えても誤差の範囲だよ。
料理や飲み物は招待客が増えることを見越して、最初から多めに用意しているし問題はない」
と言ってくれた。
「わかった、ありがとお!」
「演習の間ずっと美味しいものを食べさせてもらったんだからお安いご用だよ。
それにパーティーの招待客が豪華になると私の方も助かるからこっちのほうからお願いしたいくらい」
「そうなの?」
「私はあんまり強くないからね。仲が良いお友達が多いみたいに見せたりとかそういう小細工もしなきゃならないの。まあ本当に仲良くなれればそれに越したことはないけれども。政治活動ってやつだよ」
ローテリゼさんがそう言うと、お付きの人の女の人のひとりが少し眉をしかめて
「ロッテ様」と非難がましい声を上げた。
ローテリゼさんは軽く肩をすくめる。
「まあそういうこと。だから全然気にしなくていいからね」
それから皆で少しお話してからお暇し、次は診療部のローラさんのところに向かった。
◆
診療部のローラさんのところに行く道で、アリシアは少し疑問に思ったことを聞いてみる。
「あの……さっきローテリゼさんが、自分のことを強くないとか言ってましたけど、あれ絶対嘘ですよね。
ローテリゼさんって強いですよ。
演習の時に天竜にもすごい光球ぶつけて戦ってましたし、大きな魔獣を長剣で切り倒すのも見ました。
そりゃお嬢様と比べたらみんな強くなくなっちゃうけど、でも他の人たちと比べて弱いなんてことはないと思うんですよね」
するとトラーチェさんが、私は全然強くないので、これは貴族名鑑とか単なる噂話からの情報からなんですけど、と断ってから教えてくれる。
「ローテリゼ様は戦力評価としては8000くらいだったはずで、今回の演習で天竜を討伐したとかもあって、たぶん9000とかになるんだと思うんですが、これは明らかに強いです。
私なんか戦力評価は10しかないわけですし。もっと言えば戦力評価っていうのは、普通の一般の人を1として、それと比べてどれほど強いかっていう指数ですからね。
それで9000も評価があるというのは、凄まじいということが分かります。
アリシア様もお強くて、戦力指数で今回4000くらいになるような見通しだと思われます。
演習の評価報告書にそう書いていましたし、友人たちから噂をたどって調べた限りでは、評価替え会議でもだいたいそんな感じになろうかということらしいですが、ローテリゼ様は、そのさらに倍以上強いことになりますからね。
だから絶対的な意味ではものすごく強い方なのは間違いないのですが、あの方は公爵家の跡取りでいらっしゃいます。
そういう意味では不足があるかなという意味で『私はあんまり強くない』と仰ったんだと思うんですよ。
だいたいのざっくりな相場感で申しますと、公爵家を名乗れるくらいの領地を任されるには、戦力評価が少なくとも50000から55000くらいは必要で、できればもう少し欲しい、みたいに言われます。
伯爵家でも20000から23000くらいは必要ですからね。
5000か6000あたり超えてくると子爵家を名乗れるくらいの領地を任されますから、ローテリゼ様は子爵級の中では強めくらいの立ち位置になるのでしょうか。
エルゴル・セックヘンデ様がドライランター公爵閣下の寄子をお辞めになって、ローテリゼ様のマントをもらい直して、いわゆる寄子の付け換えがあったのも、そこらへんが事情なのではないかともっぱらの噂です。
つまり有力な寄子の方がおられて、その方がローテリゼ様を絶対的に支持なさるのであれば、それはローテリゼ様の勢力として見做されますので、ご本人がさほど強くなくても、全体として任される領地も増えます。
セックヘンデ様はローテリゼ様と実の兄妹も同然に育ったとのことで、セックヘンデ様はこのたびの評価替えで戦力評価が7000くらいになるだろうとのことですから、ローテリゼ様の9000に加えてセックヘンデ様の7000が加わると、これは大きいですよね。
でも合わせても16000です。そうすると伯爵級にも届かないと言えばそれはそういう言い方もできなくはありません。
まあローテリゼ様には他の寄子の方もおられますし、寄子のそのまた寄子の方もいます。
あるいは寄子までいかずとも、有力な同盟者がいて、何かあったときにはその同盟者が動くだろうとみなされるようであれば、それもまた統治能力を評価する際の、評価の対象になります。
『仲が良いお友達が多いみたいに見せたり』とローテリゼ様が仰ったのはそういう意味でしょう。
ですから、色々と考慮すべき要素があって、そう単純な話ではないのですが、そのあたりの事情があって、ローテリゼ様が、公爵家の跡取りとしてはという意味で、ご自分を強くないとおっしゃったんだと想像します。
もちろん雲の上の話すぎるので本当に噂話と想像でしかありませんが」
トラーチェさんがそんなふうにワーッと一気に色々と教えてくれたけれど、アリシアにはむつかしくてよく分からなかった。
とりあえず
「そうなんですね、教えてくれてありがとうございます」とトラーチェさんにお礼を言っておいた。
お嬢様は「たいへんなのね」とか言っていて、今の話の内容が分かるみたいだった。
◆
ローラさんのお屋敷に着いたら、真っ白なお髭の執事さんが出てきて、いまローラさんはいないと教えてくれた。
それで招待状を執事さんに預けて、明後日のそのパーティーで寄子を迎えるマントの儀式をするので、都合がよければローラさんも来てくださいというような言伝をそこの執事さんにお願いする。
すると執事さんは、
「我が主はただいま街中の診療所で当直を務めておられます。
パーティーの件も、もう日がないことでございますし、このままその診療所までお越しになり、直接ご用件をお伝えになったほうがよろしいかと存じます」
と、そう言って診療所の場所を教えてくれた。
「でも、おしごとのじゃまするとおこられちゃうよ……」
お嬢様はそう言って渋ったけれど
「我が主はきっとファルブロール様の訪いをお喜びになるでしょう。
御足労ではございますが、ぜひに、いらせられませ」
とのことだったから、それで馬人族のウィッカさんに、また馬車を曳いてもらって走る。
◆
診療所はわりと遠くて街の外縁の近くにあった。
石造りの立派な建物で、すごく大きな板ガラスの窓があっちこっちにあるし、敷地にはたくさん花壇や植え込みがあって、なんだか居心地が良さそうな場所に見える。
大きな扉を開けて中に入ると、天井が高くて、そこから術石の入っているらしき灯りが幾つもさがっていてけっこう明るい。
それで中の空気がなんだかしっとりしている気がする。
広い部屋の中には、等間隔で椅子が幾つも並んでいて、人が十人以上も座っていた。
部屋の奥の壁際にけっこう大きな木製のカウンターがあって、その内側に三人ばかり人がいる。
トラーチェさんがそっちに近づいて声をかけ、小声で何かをぼそぼそと話すと、カウンターの内側に座っていた女の人がひとり、カウンターから出て奥の廊下のほうに入っていった。
少し待つと、廊下の奥から診療部のローラさんが出てくる。
お嬢様もローラさんのほうに漂っていった。
それで、挨拶でもして明後日のパーティーの招待状を渡すんだろうとアリシアが思っていると、ローラさんはお嬢様を抱き止めると、みんなよく来てくれたわね! などお嬢様とアリシアたちに言いながら、なぜか、お嬢様を抱っこしたまま奥の廊下のほうへ入っていってしまう。
それでアリシアも、どこに行くんだろうと思いながら、他の寄子のみんなと一緒に付いていくと、壁一面に棚が造り付けになっている大きな部屋に出て、そこでは女の人が四人ほど着替えをしていた。
着替えといっても、服を脱いで別の服に着替えるのではなくて、着ている服の上から、なんだか水色のような緑のような色の、全身を覆う上っ張りのような服を着こんでいるらしきところだった。
その上っ張りを、アリシアはどこで見たのか思い出せないけれど、どこかで見たような気がするなと思う。
いったいどこで見たんだろう? とアリシアが考えていると、ローラさんは、服を着こんでいる人たちのうちの一人で、中年の太った女の人に
「先生! このあいだ言ってたアリスタちゃんが来てくれましたよ!」
と言いながら、抱っこしたお嬢様を見せるようにして寄っていった。
「ローラさん、はやく術衣を着なさい……あら、その子がアリスタちゃん?」
振り向いた女の人はそう言って、お嬢様を見つめる。
「そうなんですよ、診療部期待の新人ですよ! あとアリスタちゃんの寄子の皆さんです。
みんな診療部に入ってくれたんですよ」
「まあまあ、それは嬉しいわね。アリスタちゃんと……寄子の皆さんもよろしくお願いしますね。
診療部はいつでも人手不足なのよ。荒事はいつでもあるわけじゃないけど、病人や怪我人はいつだっていますからね」
その女の人はそう言って胸を張った。
そこでローラさんは、ふと思い出したように
「そういえばアリスタちゃんはどんなご用事で来てくれたの?
もちろんただ遊びにきてくれるだけでも嬉しいんだけど」
とお嬢様に聞く。
「パーティーのしょうたいじょうをもってきたのよ。
といってもわたしのパーティーじゃなくて、うちのえんしゅうのときのだいたいでやるいろうかいなんだけど、そこでよりこのおひろめをするからみとどけにんになってほしいの」
「そうなのね。それいつあるの?」
「あさってのよるよ」
「え゛、それはずいぶんと急なのね」
「そうなの……」
とお嬢様は申し訳なさそうに言って、大きな瞳を上目遣いにしてローラさんを見つめる。
すごくかわいくてあざとい。
お嬢様ってわりと超然としてるように見えることもあるかと思えば、こういうこともするから、なかなか面白い。
「分かった。その日はパーティーの予定があるけど適当なとこで切り上げて抜けてくるわ」
「いいの?」
「別に私が主催ってわけじゃないから。主催の人にきちんと挨拶して、楽しかったわって言ってから抜ければ問題ないわよ。
だからマントの儀式をパーティーの後とかにしてくれれば行けるわ」
「やった! ありがとお!」
「どういたしましてよ。たいしたことじゃないわ」
そんなふうにお嬢様とローラさんが楽しげに話していると、先生と呼ばれていた中年の女の人が
「仲が良いのはいいことだけど、そろそろ患者の麻酔も効いてきたころだし、さっさと術衣に着替えてちょうだい」
とローラさんに声をかけた。
するとローラさんは、はーい、と返事をしてから、少し考えて
「アリスタちゃん、今から二時間くらい時間ある?」と言った。
「だいじょうぶよ」とお嬢様が答えると、ローラさんは
「先生! せっかくですから癒術をアリスタちゃんに見学してもらうのはどうでしょう。
彼女はこれから絶対に診療部の主力のひとりになりますもの。
研修は冬の休暇が終わってからでもいいけれど、早く始めて悪いってことはないわ。
アリスタちゃんなら研修なんか要らないかもしれないけど……」
と言った。
「アリスタちゃんはそれでいいの?」と先生がお嬢様に聞くと
「わたしはだいじょうぶです」とお嬢様が言ったので、皆で癒術とやらを見学することになった。
お嬢様は、荷物袋の異能からか、ご自分と豚鬼族のアイシャさんのぶんの、青緑色の上っ張りと帽子と口を覆う布を素早く取り出す。
他のコロネさんとトラーチェさんと黒森族のコージャさんのぶんは、先生が余っているらしき術衣と帽子を渡してくれて、それを着た。
でもアリシアと馬人族のウィッカさんのぶんは体に合うのがなかったので
「少し離れた場所で後ろから見ていてね、二人とも背が高いから見えるでしょう」
とのことで……
ちょっとだけ残念。
それから皆で薬液で手を消毒して、手をどこにも触れないように体の前で上げて、先生の後について部屋を出る。そして長い廊下を抜けて、大きな扉の前に着いた。
そこに立っていた女の人が開けてくれる扉を抜けて、部屋の中に入ると、部屋の中にはベッドがひとつあって、そこに女のがひとり寝ているのが見える。
その女の人には皆で着ているのと同じような青緑色の大きな布が掛けられていて、体を覆われているのだけれど、顔と裸の胸だけが布からでていた。
そしてそのベッドの横には、色々な装置が幾つか置いてあって、皆が着ているのと同じような青緑色の上っ張りを着て、鼻と口と頭を覆った女の人がいて、その装置を何やら操作している。
装置からは長い管のようなものがでていて、それがベッドで寝ているらしき女の人の口の中に入り込んでいた。
部屋の床は石のタイル張りで、ベッドの上の天井には術石を入れた小さなランプを何個も束ねて、そのランプを束ねたものをさらに幾つも束ねたような、シャンデリアのおばけみたいなものが下がっている。
それを見てアリシアは、この青緑色の術衣というやつをどこで見たことがあるのかを思い出す。
あれはここの学園に来る途中で、鉱山の街みたいなところに立ち寄ったときに、お嬢様が腎臓が悪いおじさんの腎臓を挿げ替える治癒術をやって、それをアリシアも見学したのだけれど、そのときにこの青緑色の服を見たのだった。
ということは、今回はあの寝ている女の人の体を切ってまたどこか悪い部分を取り換えるんだな、とアリシアはやっと納得する。
「この患者は乳癌よ。
めずらしい炎症性で、大きく赤発をみとめ、むくみもあるし固くなっている部分もある。
皮膚はいくらかデコボコがあり、患者は熱感をともなう痛みを訴えています。
組織片を取り、ナノマシンに与えてみると、組織片を貪食しました。
すなわち抗炎症機能を発揮するのではなく貪食したわけですから、単なる炎症ではなくて癌化しているということになるわ。
いちおう皮膚を切って中を覗いてはみるけど、たぶん駄目でしょうから、おそらく右側の乳房をリンパ節まで含めて全部切ることになるでしょう。
かなり麻酔が強いですから、呼吸の管理には細心の注意を払ってください。呼吸の抑制が強くなってきたら代用血液を用います」
先生がそう解説してくれる。
言葉が難しくてアリシアにはあまりよく分からないけれど、たしかに女の人の右のおっぱいが赤く腫れていて、なんか変なのは分かった。見るからに痛そうだ。
「では切ります」
と先生は言って、おっぱいの一部分を少し切って中を覗き込むようにする。
でも「やっぱり駄目ね、全部切除します」とのことで、おっぱいをわりと上のほうからごっそり切り取りはじめた。
アリシアは元が狩人だから、獲物の解体は数えきれないくらいたくさんしてきて、だから動物や魔獣の皮を剥がしたり肉を切ったりしたこともいくらでもあって、もう慣れちゃって何とも感じない。
けれども、人間の皮膚が切れて中の肉が見えるのは、動物の解体と見た感じはよく似てるのに、なんでこんなに衝撃的なんだろうとぼんやり考える。
そんなことを考えているうちに、切るのが終わり、おっぱいが取り外された。
けっこう上のほうの脇に近いところまで切っていて、おっぱいが元あった場所の胸の筋肉が見えている。
すごく痛そうに見えるけど、眠っているから実際は痛くはないんだろう。
「郭清終わり。じゃあ閉じるわね」
先生はそう言って、手を治癒術の光で黄色く光らせながら、手術でできた傷跡をふさぎはじめた。
えっ、おっぱいが元に戻ってないのに……? とアリシアは思ったけれど、治癒のこととかは、まったく分からないから口なんか挟めないし、気を揉んでいるしかない。
すると、お嬢様が
「なんでもとのようにさいけんしないの?」と聞いてくださる。
先生は手を止めて「経済的理由よ」とだけ言った。
「このひとおかねないの?」
首を傾げながら聞くお嬢様に
「ないわけじゃないけど、癌がどこに転移してるか分からないし、そうしたら場合によっては、また別の内臓とかを取り換えなきゃならないかもしれないから、今回はおっぱいの再建はあきらめて、お金を節約するんだって。
おっぱいが無くても死ぬわけじゃないしね」
とローラさんが補足してくれた。
「こら、あんまりしゃべりすぎてはだめよ。患者さんの個人的なことでしょう」
先生からローラさんに、そう指導が入る。
「じゃあわたしがじぶんのてもちのをつける。それならいいでしょ」
お嬢様が納得できなかったのか、そうおっしゃる。
というか手持ちのおっぱいってなんだ。
すると、先生はお嬢様をつかのま見つめて
「慈悲深いのは良いことだけど、そういう高価なものを皆に施すことはできないでしょうし、仮にできたとしても、そういう誰かの大きな犠牲のうえに成り立ってる慈善活動というのは持続しないわ」
と言った。
「こうかって……ここではいったいいくらでにゅうぼうさいけんをやっているの?」
「必要なナノマシン量が大きさに比例するし、状況次第だから定価があるわけじゃないけど、だいたい金貨三十枚から五十枚のあいだね」
「たかいわ。ファルブロールりょうではだいたいそのにじゅうぶんのいちくらいよ」
「それは……ファルブロール領が安いのよ。そんなに安く治癒が受けられるなら、私もファルブロール領に引っ越そうかしら」
と先生がぼやく。
「てもちのおっぱいがいっぱいあるし、ただでいいからそれをつけるわ」
お嬢様はそうおっしゃると、たぶん荷物袋の異能から、なんか白い塊をご自分のまわりの空中にいっぱい何十個も浮かべはじめられた。
なんだろうと思ってアリシアがよく見ると、それは白い石膏みたいな色をしているけれど、どうやら形はおっぱいみたいに見えるのだった。色が真っ白なので分かりにくいけど乳首もちゃんとある。
「なんでそんなにいっぱい……」と先生が唖然としたような様子でつぶやく。
「うちのりょうちは、はなうりのおんなのひとたちがやまほどいるから、にゅうがんになるひともけっこういるし、だからかえのおっぱいもいっぱいつかうもの。
おっぱいくらいのりょうのナノマシンならすぐにぎょうしゅうさせられるし」
お嬢様はそう言ってから、寝ている女の人に残った左のおっぱいと、ご自分の「手持ちのおっぱい」を真剣な顔で見比べはじめられた。
黒森族のコージャさんや、豚鬼族のアイシャさんや、コロネさんやトラーチェさんも、近くに漂ってくる白いおっぱいを捕まえては「大きさはこれくらい」とか「形はこっちのほうが似てる」などと話し合っている。
「いやでも術前の同意は切除までだから……どうしよ」
と先生が何かを言いかけるけど、ローラさんが先生の手を引いて
「いまアリスタちゃんに治してもらえば、あの患者さんは金貨何十枚もする治療がタダで受けられるんですよ?
それはもちろんまた後日に同意を取ってから治癒術をやり直すのが手続き的には正しいのかもしれませんが、アリスタちゃんはもうすぐ冬の休暇で実家に帰っちゃいますし、また後日となると、いったん閉じて治った傷口を掘り返しておっぱいを付けることになるから、それも体に良くないです。
それに意識を失うような麻酔は多少なりと危険ですから回数が少ないに越したことはないですし、それに、また後日ということにして、その間にアリスタちゃんの気が変わったりとかしたらどうするんですか。そうなったら患者さんに恨まれますよ?」
先生はそう言われて、うぐぐ……と黙り込んでしまった。
「今回は特別ですからね! 本当はこういうのはいけないんですよ!」
と先生が言ったところで、お嬢様がそこらじゅうに漂っているおっぱいの群れからひとつを選び出し、他をたぶん荷物袋の異能に入れて消し去る。
お嬢様は「はーい」と先生に返事をしながら、選び出したおっぱいを、寝ている女の人の傷口に翳してみている。
「新しくつけるおっぱいが左のおっぱいと比べてちょっと上に寄ってないですか?
形もちょっと違うような……」
とトラーチェさんが言うと
「あれは、あれくらいでいいのよ。
ナノマシンはまだ固い状態だけど、患者の肉に入れ替わっていけば左のおっぱいと同じくらいの固さになるから、少し下がってくるわ。
そういうのも計算に入れて調整してるのね」
と先生が解説してくれる。
「さすがアリスタちゃんね!」とローラさんが喜んだ。
「アリスタさんは乳房再建の経験はあるの?」
「なんどもあるわ。こんかいみたいに、がんできったのをさいけんしたこともあるし、きゃくにかみちぎられたはなうりのおっぱいをさいけんしたこともある」
「それは……ひどい話ね」
「たまにあるわ」
そんなふうに先生とお嬢様が話しているけれど、なんで道端とかでお花を売っているだけなのに、おっぱいが噛みちぎられるなどという展開になるのか全く意味が分からない。話がおかしすぎる。
突然服を脱がせてきておっぱいに噛みつく人がいるのか。わけがわからない。
いったいどういうことかとアリシアが考え込んでいると、お嬢様が
「じゃあおっぱいつけます」とおっしゃって、閉じかかった傷口をもう一回切って開いて、そこになにか銀色の器具をいっぱい差しこみながら、白いおっぱいを翳して、なんか色々と作業しつつくっつけた。
くっつけはじめてから一時間もかからないくらいでできあがり、最後にお嬢様が、青白く手をピカピカ光らせると傷口もきれいに消えて肌が滑らかになった。
おっぱいが白いこと以外は完璧に見える。
「できた!」と、お嬢様が宣言すると、部屋にいた皆さんがパチパチと拍手をしてくれた。
「さあさ、だいぶ時間が遅くなっちゃったから、ローラさんはアリスタちゃんたちを連れて、昼食をとりに行ってちょうだいな。あとは私がみておくわ」
はーい、とローラさんは先生に返事をして、それから
「今日はがんばってくれたから、ご馳走してあげるからね!」と言ってくれる。
けれども先生が
「それじゃ私の立場がなくなるじゃない……私が出すわよ」
とおっしゃって、これでお願いね、とローラさんに金貨を一枚渡してくださった。
皆で先生にお礼を言って、術衣を脱いで返して、それから街のレストランに繰り出したのだった。
◆
アリシアたちは、お嬢様、豚鬼族のアイシャさん、黒森族のコージャさん、アリシア、馬人族のウィッカさん、コロネさんにトラーチェさんで七人。
それにローラさんたちが、ローラさんにお付きの女の人が二人で、あわせて三人。
合計で十人にもなったせいなのか
「人数が多いしカレーかしらね」とローラさんが言った。
それでカレー屋さんに行くことになって、前にエルゴルさんとこでご馳走してもらったアレがもう一度食べられるのかと思うとアリシアはとても嬉しい。
そのカレー屋さんは馬車を置く場所がないらしくて、皆で歩いていく。
「たまに昼ご飯をそこの店に食べに行くのよ。
アリスタちゃんも色々な診療所で当直が入ることになると思うから、そこの近くでお昼を食べられる店を、いろいろ見つけておくと楽しいと思うわ」
アリシアがいた故郷の山の麓の村には、そういうふうに、ご飯が食べられるお店は、村の中に酒場が一軒あるきりだったから、そういう店が街のあっちこっちにあるらしいのには、さすが都会だと感心する。
◆
着いたお店は、中がけっこう広々としていて、アリシアとしてはひと安心だった。
たぶん馬人族のウィッカさんもそうだろう。
広いところで、四人掛けのテーブルを三つもくっつけて、皆で広々と座れるようにしてくれる。
布を敷いてもらったり、箱を用意してもらったりして、席を整えてもらって、そこに落ち着いて安心すると、アリシアは少し離れた場所からポロンポロンときれいな音楽が聞こえてくるのに気づいた。
そっちを見ると、なんだかやたらと大きくて黒い楽器らしきものがある
その楽器の操作する場所には、なんだか白と黒の歯のような板のようなものが無数に飛び出していて、
その板を楽器を演奏する担当の男の人が魔法みたいな素早さで十本の指を全部使って連続的に押して、きれいな音を出しているのだった。
ほとんど曲芸みたいで、おもわずじっと見てしまう。
こんな演奏付きのお店があるんだとアリシアは感動した。
やがてお店の人がお品書きを持ってきてくれて、皆で注文をする。
お嬢様が、アリシアと馬人族のウィッカさんと豚鬼族のアイシャさんのぶんは、量を増やすようにお店の人に頼んでくれた。うれしい。
そのうちにカレーが運ばれてきて
「それでマントの儀式の立会人は他に誰か呼ぶの?」
と、ローラさんがカレーを食べながら、お嬢様にそんなふうに話を振る。
「えんしゅうのときに、だいたいちょうをしてくれた、ローテリゼさんにたのんだのよ。
あと、これからゆそうれんたいのテニオさんにもたのむの」
「あら、そうなのね。テニオならたぶんヒマしてると思うから大丈夫だと思うわ」
「そうなの?」
「あいつ友達があんまりいないからね。
今の時期でもパーティーに呼ばれることも少ないんじゃないかな。
だから、よかったらアリスタちゃんはあいつと仲良くしてあげてね」
「うん、いいよ!」
「まあ、嬉しいわ」
と、ローラさんは本当に嬉しそうに言う。
「あのひとってわるいひとじゃないよね」
お嬢様がそう感想を言うけれど、アリシアもそう思う。
少なくともお嬢様に対しては気をつかってくれてるように見える。
「そうでしょう。根は悪い人じゃないし、わりと善意の人よね。
ただ、思ったまんまはっきり言うし、物言いに配慮がないだけで……あとたまに独善的なときもあるかも。
まあそういうところが問題なんだろうけど」
ローラさんが思案顔でそんなことを言っているけれど、ローラさんと輸送連隊のテニオさんはどんな関係なんだろうとアリシアはぼんやりと思った。
ローラさんたちは診療所の仕事の途中で抜けてきていることでもあったし、わりと慌ただしくバタバタと食事が終わって、ウィッカさんの曳いている馬車を診療所に残したままだから、いったん皆で診療所に戻る。
それから先生にもご挨拶をして、それから診療所を出発した。
◆
今度は川のある方向、つまり街の中心近くに向かってしばらく走り、食料購買局だか輸送連隊だかの建物があるところに着く。
馬車を門の前に停めると、庭をほうきで掃いていた茶色いふわふわした髪の男の子が気づいてくれる。
あの子は確か、このあいだ輸送連隊の慰労会というのに呼ばれたときに、前に出て司会とかしてた子だったと思う。
その子に向かって、お嬢様がふりふりと手を振ると
「ようこそいらっしゃいました! 中へどうぞどうぞ」
と言って入れてくれて、駐車場に案内してくれた。
「先触れもない訪問で、申し訳ないことでございます」
トラーチェさんがそう言って頭を下げて謝っているけれども、そのふわふわした茶色い髪の男の子は
「いえいえ、ファルブロール様ならいつでも大歓迎ですよ!」
と言ってくれる。
その男の子は、皆の手を引かんばかりにして建物の中に案内してくれると、
「局長! 局ちょぉー! ファルブロール様達が来られましたよーー!」
と大きな声を出しながら、建物の奥へ走っていってしまった。
すると、騒々しいやつだな、とか言いながら、男の子が走っていったのとは別の方向から、局長さんのテニオさんが歩いてきてひょっこりと顔を出す。
テニオさんは
「よく来たな。応接室はこっちだ」と言うと、身を翻して歩きはじめた。
「あんないしてくれたおとこのこがあっちにいっちゃったわよ?」
お嬢様がそう言って、男の子が走っていったほうを指差すけれど
「俺らが見つからなければ応接室のほうにやってくるさ。
あいつはどうも落ち着きがなくていかん。
そもそもだな、客が来たら、まず客を応接室なりの、どこか部屋に案内するのが先であって、客を放り出して俺を呼びに行くやつがあるか」
テニオさんはそんなふうにぶつぶつ言って足を止めずに歩いていく。
やがて応接室らしき部屋に着いて、皆で中に入ると
「ちょっと待っててくれ」とテニオさんが言い残して出ていった。
それからすぐに、怒ったのか、ちょっとぶすっとした顔になった、さっきのふわふわの茶色い髪の男の子と連れだって、アリシアが椅子にするためのワインの空箱四つと、ウィッカさんの下に敷くための布やらを手分けして持って戻ってきてくれる。
そうして皆がソファーやら、ワインの空き箱やら敷き布やらの上に落ち着くと、今度は大きな木のトレーを持った女の人が音もなく入ってきて、そのトレーの上にはお茶の入ったコップと、何かお菓子らしきものの入った皿が人数分あるのだった。
ふわりと緑色の無発酵のお茶の、本当にいい香りが広がる。
どうぞ、と言ってくれたので、コップを手に取ってひと口飲む。
すると、コップを思わず二度見してしまうほど美味しくて、アリシアは驚いてしまった。
すっきりしたお茶の味の中に、ほのかに甘い香りがあって鼻に抜けていく。
「とても美味しいお茶ですね」
とトラーチェさんが言ったので、アリシアも内心大きく頷いていると
「ファルブロールは大事な客人だからな、茶もいいのが出るんだ。
普段はこんなもの出しちゃくれない」
そうテニオさんがあっけらかんと言ってしまう。
お茶やお菓子を持ってきてくれた女の人が、少し眉をしかめるけれど、テニオさんは気づいた様子もない。
次にお菓子に手をつけてみると、豆のペーストを砂糖で味付けした餡が入ったお饅頭らしきもので、かなり甘いのにさらりと口の中でとけて、しつこくなくて、すごく美味しい。
「それで今日はどうしたんだ?」
とテニオさんがソファーの背もたれに寄りかかって、悠然とお茶を飲みながらお嬢様に声をかける。
「あのねあのね、新しいよりこがふえることになったんだけど、そのおひろめを、わたしたちのだいたいのいろうパーティーでするの。そのときにみとどけにんをしてほしいんだけど」
「それ、いつあるんだ?」
「あさってのよるよ」
「分かった、行こう」
テニオさんはそう言って即答してくれる。
「ありがとお! これもらってきたしょうたいじょうよ」
そう言ってお嬢様がテニオさんのほうに漂っていって招待状を渡す。
「いいさ、ファルブロールに寄子が増えるのは喜ばしいことだ……で、何人増えるんだ?」
テニオさんが、お嬢様から受け取った招待状をペラリとめくりながら聞く。
「なんにんって、ひとりよ」
「一人か……うーむ、先は長いな。これからもがんばって寄子を増やすんだぞ」
テニオさんはそう言って渋い顔をした。
「ふやすって、そんなだれでもはよりこにできないわ」
「それはそうだが、ファルブロールよりはるかに弱い俺でも直接の寄子が十何人いるし、寄子の寄子やらまで含めた中隊全部では四十人以上いる。使用人連中も含めたらもっとだ。
ファルブロールのとこは少なすぎるからな。まあ、そこらへんはおいおいか」
それで用事が終わって、しばらくだらだらと話をしてから、テニオさんたちに、お別れの挨拶をして、それから皆で家路につく。
その道すがらでアリシアは、寄子ってどうやって増やすんだろう? と考えながら帰ったのだった。




