ハーフオーガのアリシア70 ― 年寄りな子供Ⅰ ―
テニオさんのところで輸送連隊だか食料購買局だかの慰労会に出て、それから倉庫と荷役と船主の組合長さんたちとお茶会をした、その翌々日。
朝食を皆で食べて、後片付けをして、それで暇になったアリシアが、屋敷の前庭の掃除をしたり、冬枯れの草花を引っこ抜いて処分したり、そんなことをして暇をつぶしていると、屋敷の門のところに見たような顔のお爺さんがやってきた。
あの人は、演習中に天竜に踏まれて、体が半分になってしまって、お嬢様に治してもらった、名前は確か……クリーガさんとかいったか。
六本腕のエルゴルさんの中隊のとこにいた人だ。
クリーガさんはアリシアがいるのに気づくと
「おはようございます。朝から御精が出ますな」そう言って声をかけてきてくれた。
おはようございます、とアリシアも挨拶を返すと、
「実は……ファルブロール様と、ガルヒテ女史に面談のお時間をいただきたいのですが、よろしければご都合の良い日時をお聞きしたく参りました」
とのことだった。
ガルヒテ女史って誰だっけ? とアリシアは一瞬考えたけど、そういやトラーチェさんがそんな名前だったと思い出す。
知らない人でもないし、屋敷の中に入ってもらって、玄関ホールの横の控室に案内する。
ちょうどそこにメイドのミーナちゃんが通りかかったので、事情を伝えて、お嬢様とトラーチェさんに伝言してもらった。
今日はパーティーもないし、たぶん二人ともヒマだと思うんだけれども。
控室でしばらく待っていると、ミーナちゃんに連れられたトラーチェさんがやってきて、クリーガさんと通り一遍のご挨拶を交わしたあと
「よろしければ今からでも、アリスタ様がお会いになります」とのことだった。
こういうもってまわったやり取りはどうもアリシアからすると窮屈に感じる。
家に来ていいか聞きに家に来るってなんじゃい。
◆
それでクリーガさんをトラーチェさんが応接間まで案内すると、そこにはお嬢様と、豚鬼族のアイシャさん、黒森族のコージャさんに、馬人族のウィッカさん、あとコロネさんと、皆が勢揃いしていた。
「これは皆様お揃いで……おはようございます」
と皆に向かってクリーガさんは言うと、それから、お嬢様の座っているソファーのそばで片膝をついて頭を垂れて
「本日は面会の機会をいただきありがとうございます。
アリスタ様におかれましてはご機嫌麗しゅう。とみに寒くなってきておりますが、いかがお過ごしでしょうか」
と、お嬢様には挨拶を重ねる。
「もんだいないわ。クリーガさんこそたいちょうはどう? おかしいところとかない?」
とかお嬢様も気遣っておられる。
「アリスタ様のおかげをもちましてたいへん良好でございます」
「なにかおかしいとこがあったらすぐにこっちにくるのよ?」
「これはお気遣いをありがたく存じます」
そこにメイドのミーナちゃんが、皆のぶんのお菓子と珈琲を運んできてくれた。
お菓子はチョコチップのクッキーみたいに見える。
お客さんがあるといつものおやつの時間に追加してお菓子が食べられるから嬉しい。
「すわって」
とお嬢様が言うと、お嬢様の足下で跪いていたクリーガさんは
「は、……では失礼しまして」と言ってやっとソファーに座った。
クリーガさんは、なんだか様子がちょっとおかしくて、なぜか緊張しているような感じに見える。
前に来たときはもっとこう、孫にデレデレなお爺さんみたいなみたいな感じでお嬢様に接していたのに、今日は言葉づかいも固い気がする。
「それで、きょうはどうしたの?」
お嬢様が大きな瞳をぱちくりとしながら聞くと、クリーガさんは、少し黙ったあと
「……私をアリスタ様の子としていただきたいのです」と言った。
子? 子ってなんだろう? とアリシアは一瞬分からなかったけれども、お嬢様が
「うーん……おかあさまやわたしにちりょうしてもらったひとがね。
よろこんでくれて、それでよりこになりますっていってくれることはたまにあるの。
でも、そんなのでよりこになってもらってたら、よりこだらけになっちゃうわ。
だからね、よろこんでくれたのはわかったから、そんなよりこなんかにならなくてもいいのよ?」
とおっしゃったので、やっと話が分かったけれど、そう言えばアリシアもお嬢様の寄子だった。
「この身を治療していただいたということが、アリスタ様の寄子になろうとしている理由の大きなものであるのは否定はいたしません。
しかしそれだけが理由ではないのです。
貴い御身は、私を演習の際に治療してくださった以上に……私に対して大きな気遣いをしてくださいました。
私が何者でもないのに、そのお言葉で大隊の行軍さえ停め、私が動けるようになるまで、毎度の食事に至るまで手ずからお与えくださいました。
またその慈悲とご親切を私のみならず、広く大きく皆のために示しておられます。
然るに、その高貴さに比して御身の周りには、あまりにも人が少ないと思わざるを得ません。
私とて確かに小者に過ぎませぬが、それでもこの身を御身の盾にでもすることができればそれが、今やそれのみが私の願いであります」
「たてとかいわないで。せっかくがんばってなおしたのに」
お嬢様はそう言って少し不機嫌な顔をした。
「は、申し訳ないことでございます」
クリーガさんは、そう言って頭を下げる。
「うーん、はなしはわかったけど、どっちにしても、きゅうにはきめられないから、あさってのひるくらいにまたきて。
そのときによりこにするかどうかつたえるから」
お嬢様がそう言うと、クリーガさんはまた頭を下げて、承知しました、と言った。
それで話はお開きになって、帰るクリーガさんを皆で玄関のところまで見送る。
「……ひとつお聞きしたいのですが、この件はセックヘンデ様はご存じなのですか?」
帰り際にトラーチェさんがクリーガさんにそう聞くと
「エルゴル殿も知っています。
というより、エルゴル殿にすでに暇乞いをして、了解をいただいております」
クリーガさんはそう言い置いて、それでは、といって頭を下げ、身を翻して帰っていった。
◆
そして、その日の晩ご飯が終わったあとで、お嬢様が皆を居間に集めて
「それで、おじいさんのこと、どうする?」
とお嬢様が皆に向かって聞いた。
皆も、なんと答えたものか分からなかったのか、部屋に少し沈黙がひろがるけれど、豚鬼族のアイシャさんが
「寄子になっていただいたらいいのでは?」と答えてくれる。
けれども
「でもさー、あのひとっておとこのひとだよ?」とお嬢様が渋い顔でおっしゃった。
「あら、お嬢様は男の方はお嫌いなんですか?」
とトラーチェさんが意外そうな顔で聞く。
お嬢様は六本腕のエルゴルさんに抱っこされてたことがあったし、輸送だか食料購買局だかの猫背のテニオさんとも普通に話してたし、そんな男の人が苦手っていうわけでもなさそうだったけどな、とアリシアも考えていると
「だってあのおじいさんちょっとつよいよ? わたしとかアリシアはもんだいなくかてるけど、ほかのみんなはかてないよ。うちはおんなのこばっかりだからあぶないじゃない」
とお嬢様はおっしゃった。
「そ、そんなこと言ってたら、強い人がいつまでも寄子にならないじゃないですか!
私たちに気を遣うのはやめてください!」
と黒森族のコージャさんがちょっと怒ったけれど
「でも……おとこはおおかみなんだってはなうりのねえさんたちもいってたわ。
わたしははなうりのねえさんたちのちりょうはたくさんやったから、はなしはたくさんきいていてくわしいのよ!」
と、お嬢様はどこか得意そうに言った。
「だからお嬢様ってちょっと耳年増なところがあるんですね……」
とトラーチェさんが、げんなりしたように口を挟む。
「あの、耳年増ってなんですか?」
アリシアは知らない言葉が聞こえてきたので質問してみたけれど、皆は顔を見合わせて黙ってしまった。
やがて豚鬼族のアイシャさんが
「そうね、実際に体験したことはないけど、色々と話だけは聞いていて知ってるって意味かしらね。
でもあんまり良い意味の言葉じゃないからよそで言っちゃだめよ」
と説明してくれる。
そうなんだ、と納得したけど、まだ何かを隠されているような気がしないでもない。
「寄子になっていただいたら良いんじゃないですかね。
あの人って見た限りではお嬢様がすごい好きでしょう。
そしたらお嬢様の寄子のわたしたちにも変なことはたぶんしませんよ」
と馬人族のウィッカさんが言うと
「誰を入れたとしても危険はあるものですよ。
できるかぎり気を付けて、でも踏み込まなきゃ人は増やせません……って商家をやっている親戚のおじさんが言ってました。
こっそりお店のお金を盗んだり、雇ってる若い女の子たちに粉をかけたりとか、そういう困った人もたまにはいるけど、でもそういうのがあっても、だんだん年取って引退したりとか、辞めたりとかもあるから、人は少しずつ入れていかないと最終的には困るんだそうです」
そんなふうにトラーチェさんも言葉を加えた。
というか粉をかけるってなんだろう? 粉ってなんの粉なんだ。
「うーん、じゃあおじいさんによりこになってもらいましょう」
お嬢様がそう言ったので話がそれで決まる。
「じゃあ見届け人が必要ですね。どなたにお願いしましょうか」
とトラーチェさんが聞くと
「うーん……たいちょうさんのロッテとかしんりょうぶのローラとかゆそうのテニオさんとか?」
「お嬢様のお知り合いとなると、そのあたりですよね。
分かりました。そのへんはまた後で調整するとして、私は今からセックヘンデ様のところに伺って、クリーガさんがセックヘンデ様のところをお辞めになるという話が、ちゃんとできているのかを念のため確かめてきます。
了解なく引き抜いたというようなことになってしまうと、また面倒ですからね」
トラーチェさんはそう言い置くと、馬人族のウィッカさんに馬車を出してもらって、あとコロネさんをお供にして、出かけていってしまった。
なるほど、そういうのも気を付けなきゃならないのか、とアリシアは感心する。
◆
そうしてトラーチェさんが、しばらくしてから屋敷に帰ってきて
「セックヘンデ様にうまくお会いできましたので、クリーガ様がお嬢様の寄子になりたいと希望しておられる件をお聞きしましたら、きちんと話が通っておりました。
セックヘンデ様より、クリーガ殿をよろしく頼みますとお嬢様宛てに言付かってまいりました」
と居間に集合した皆の前で、お嬢様に報告する。
これでクリーガさんがお嬢様の寄子になる話が本決まりになったということらしい。
誰かを寄子にするだけでも色々と面倒なようで、トラーチェさんがいてくれてよかったなあ、とアリシアはしみじみとそう思ったのだった。




