ハーフオーガのアリシア8 ― アリシアの失恋と旅立ちと就職Ⅷ ―
ご領主様との面談が終わると、アリシアは、エルフな奥様と、奥様に抱っこされたお嬢様に、これから住む予定の部屋に連れていかれた。
アリシアは、オーガなもので、部屋があまりにも狭かったらどうしようと不安に思っていたけれど、実際に連れていかれた部屋は、むやみに広くて天井もやたら高かった。
「ここはね。もともと厨房だったのよ。屋敷を増築したときに、厨房は別の場所に移ったのね」
と奥様は鈴の音のように麗しい声でおっしゃった。
「本当は二階にこの子の部屋があるから、その傍に部屋をあげたかったんだけど、二階にはあなたが不自由しないくらい天井が高い部屋はなかったのよ。一階だったら大きな部屋は、元が厨房だった部屋と、元が洗濯室だった部屋があってね。こっちは厨房だったほうの部屋ね」
そう言われてみると、部屋のあちこちにそれらしい痕跡がある。
壁際には水道の蛇口が三つも付いた、大きな流し台があったし、別の壁際にはこれまた大きなオーブンと暖炉がある。
部屋の真ん中あたりには、大人数で使えるようなテーブルとベンチのセットがあって、そういわれてみるとこれは調理のときに使ってた作業台なのかなと思う。
他にも壁にそって、長い板を何段も金具で渡してあるだけの簡単な棚があったり、壁にたくさんフックが取り付けてあったりした。たぶん食器を置いたり、鍋などをひっかけたりしていたのだろうと思われる。
「ベッドは今から作らせるから、申し訳ないけど、とりあえずそれで我慢してね」
とのことで、テーブルとベンチのそばにベッドがあったけれど、よく見てみるとこれも、さっき応接間でアリシアが座っていた椅子と同じく、長持をいくつも積み上げてベッドにしているのだった。
でもかけてある布団をちょっとめくってみると、綿の入ったいいものだったし、マットのほうも藁を入れたやつなんかではなくて、これも綿が分厚く入った寝やすそうなものだった。
よく見ると体の大きなアリシアのために、普通のマットや布団を縫い繋げて大きくしてあって、アリシアは何だか申し訳ない気がしてくるのだった。
ベッドのそばの壁にもう一つドアがあって、奥様がそこを開けて
「ここは、元は厨房で使う食材とかを保管していた場所なんだけど、あなたの部屋からしか入れないから、ここも続き部屋にして自由に使ってもらっていいわ」
とおっしゃるので覗き込んでみると、出入り口のドアこそ(オーガ基準で)狭いけれど、中はけっこう広い空間に、作り付けの棚があって、箪笥もいくつか置いてあった。
鎧とかも脱いじゃって、ここに置いてもいいわね、と奥様がおっしゃったので、アリシアは宿を出てからずっと持ちっぱなしだった大盾とか斧槍をやっとこさ置いて、武器を外して鎧も脱いで置いた。
鎧を脱ぐときに奥様がすこし手伝ってくださったけれども、ヴルカーンさんに手伝ってもらうのと違って、嬉しさがあった。
それからベッドのある部屋にもどってから、奥様は、
「もう少ししたら昼食になるわ。マントのこととかもそのときにするようになると思うわ。それまで休んでいてね」
とおっしゃって、部屋を出ていってしまわれた。奥様に抱っこされているお嬢様は、無言でバイバイと可愛い小さなおててを振ってくださった。
というか「マントのこと」ってなんだろうか。マントでもくれるのだろうか。
奥様に聞けばよかったなと思ったけれど、聞きそびれてしまったので、後でスクッグさんかヴルカーンさんにでも聞くことにする。
そうして部屋に一人残されたアリシアは、何だか嬉しくなってきて頬が緩んでにやにやと笑いがこみあげてきたのだった。
家を出たときから、新しい環境への期待もあったけれども、不安もやっぱりあって、どんなところで住むことになるんだろうとか、どんな人たちがいるんだろうとか、そんなことを考えていたけれど、こうして大きな部屋をもらい(しかも二部屋も!)大きなベッドにいい布団も用意してもらって、奥様もお嬢様もきれいでかわいいし、もう最高だな! と快哉を叫びたいような気分になって、用意してもらったばかりのベッドに寝転がったのだった。
◆
アリシアがベッドに寝転がって休んでいると、部屋のドアがノックされたので、慌てて跳ね起きて座ってから、はいと返事をする。
ドアが開くと、そこにはメイドさんが立っていた。
藍色のドレスに大きなエプロンを付けて、黒くて艶のある髪をひっつめにして、頭には白い小さなキャップを付けている。銀縁の眼鏡から藍色の瞳が覗いている。
彼女はきりりとした涼やかな美しいお顔から、やっぱり涼やかな透き通った声で、
「お食事の用意が調いましたのでお越しください」と言った。
ご案内いたします、と言われて彼女の後ろをついて行く。
廊下を歩いて、吹き抜けの天井がすごく高い大広間みたいなところに出た。
長い机が設えられていて、机には真っ白なクロスがかかっていて、きれいなお皿やカトラリーやグラスがいっぱい並んでいる。
奥様と、奥様に抱っこされたお嬢様と、ご領主様と、それにスクッグさんとヴルカーンさんが立って談笑していた。
あとそのそばに他に知らない女の人が二人いて、片方は褐色肌の女の人で、耳が長く尖っているので、黒森族のようだった。
黒エルフはだいたい南のほうにしかいないと聞いたことがあるので、この辺りでは珍しいんだろうとアリシアは思う。
ちょっと幼い感じのかわいい顔つきをしていて、異国情緒があってすばらしい。
もう一人はなんと豚鬼族の女の人だった。
すこし大柄で、色白の肌に茶色の髪で、顔はほとんど只人と変わらなくて、少し垂れ目の優し気な表情をしている。
でも普通の只人と違うところは、体の前の部分で、着ているドレスが胸の部分で大きく前に張り出して、それが下までずっと続いて、お腹の下のところあたりで緩く絞られているところだ。
ぱっと見ただけだと太って見えるけれど、これは違うのだ。
アリシアはよく知っている。
アリシアはオーガで体が大きかったから、赤ん坊のころに、只人の母親ひとりの母乳ではとても足りなくて、何人も乳母の人に来てもらっていたけれど、その乳母の人たちの中で主力であったのがオークの女の人だった。
それでアリシアは知っているのだけれど、オークの女の人にはおっぱいが六つある。
普通の只人の女性にもついているのと同じ位置に、一番上のすごい大きなおっぱいがあって、その下にも一番上のと比べると少しだけ小さいけれど同じようなのが、さらに二段あって四つ並んでいる。
アリシアがちゅうちゅう吸うと、只人の乳母ではおっぱいがふたつしかないので、すぐに無くなってしまう。それで何人も乳母の人がやってきたわけだけれど、ただの人間だと何人雇ってもキリがないということで、ついにやってきた只人ではないオークの女の人は、おっぱいが大きいし、よく出るし、六つもあるので、アリシアの食欲をしてもよく持ちこたえてくれた。
それで、アリシアは母親を別にして、六人もいた乳母のなかでも、だいたいそのオークの乳母の人に一番くっついていたから、アリシアとは仲が良かった。
アリシアがいい加減大きくなると彼女は乳母をやめて故郷に帰っていってしまったけれど、そのときにはアリシアは大泣きしたものだった。
だからオークの女の人は体の前がお腹の下あたりまでずっと前にせり出しているけれど、あれは贅肉ではなくて全部おっぱいなのだ。
そういうわけでアリシアは、オークの女の人が好きなので、なんとか仲良くなれないかと考えていると、ご領主様が、アリシアが入ってきたのに気づいて、
「おお、来たか。じゃあさっそく食事にしようじゃないか」
と声をかけてくださった。
座る場所はどこだろうと思ってアリシアがチラチラ見て探していると
「おう、ここだぞ。君は今日の主賓だからな。私の隣だ」
とニコニコしながらおっしゃる、ご領主様が自分の右側の場所をバンバンと叩いているのだった。
その場所をよく見ると、椅子が置いてなくて、例のごとく長持か何かを重ねて布をかけて座る場所にしてくれているようだった。
ご領主様の隣は緊張しそうだから嫌だったけれど、仕方がないからそっちに向かう。
でも見るとアリシアの席のさらに右側に、脚の長い幼児用の椅子が置いてあった。
そこがどうやらお嬢様の席らしくて、オークの女の人がお嬢様を抱っこして寄ってきたので、アリシアが、その幼児用椅子を引いてあげると、彼女はお嬢様をそこに座らせた。
すぐそばに使用人の人が寄ってきていて、アリシアがお嬢様の椅子をつい引いてあげてしまったので、彼の仕事を取ったみたいになってしまったようで、アリシアは、あっ、と思ったけれど、彼はかわりにお嬢様の席のすぐ隣、つまりアリシアの隣の隣の椅子を引いて、するとオークの女の人がそこに座った。
自分の席の左側はご領主様になってしまったけれど、右側はかわいいお嬢様と、その隣がオークの女の人だから、これは嬉しくて、アリシアは食事の間はなるべく右側に注意を集中して癒されてすごそうと決めた。
ご領主様の向かいの席には奥様が座って、その両隣にスクッグさんとヴルカーンさんが座った。
あとはご領主様の逆側に、さっきいた黒エルフの女の子が座って、それと知らないおじさんとおばさんが、その向こうや向かい側の席に何人か座っている。
皆が席に着くと、ご領主様が立ち上がって話しはじめた。
「今日は我が娘のアリスタがまたひとり、そのマントのうちに迎えるものを得た。
まことに喜ばしい」
ご領主様がそう言ってアリシアの背中を叩いたので、あわてて立ち上がって頭を下げる。
「実に強そうで頼もしいじゃないか、ええ? これはそのお披露目と祝いの席だ。
みな存分に食べて飲んで楽しんでほしい。では始めてくれ」
ご領主様がそう言って合図をすると、料理の皿を持った給仕の人がいっぱい入ってきて、皆の前に一皿ずつ料理を置いてくれた。
只人の使うような普通の大きさの皿に、きれいな銀色のスプーンが最初から置いてあって、そのスプーンの上に料理が一口ぶんだけ盛られていた。只人の人からしたら大きめのスプーンもオーガのアリシアからしたら本当に少ししかない。
スプーンをつまんで料理を食べてみると、たぶん生のお魚と薄く切った玉葱を味を付けた酢で和えたもので、本当に美味しい。そして美味しいぶんだけ少ししかないのが悲しい。
次の料理は、お皿の上に茹でた貝が一つと、何か四角い見たこともないようなものがあった。
その周りを皿のふちに沿って生野菜でやたらときれいに装飾してある。
よく見ると、その四角いやつの中に魚の身や緑色の野菜みたいのがあって、齧ってみると、芋か何かで魚の身と野菜を成型してある料理のようだった。
よくもこんなことを考え付くものだと感心してしまう。
これも美味しいのにほんのちょっとしかない。
次はスープが出てきて、これもテーブルに置かれていたスープ用の小さなスプーンをつまんでチマチマと飲むけれども、すぐに無くなってしまう。エビとクリームの味がして本当に美味しいので、そのぶんだけ量が少ないとガックリくる。
アリシアが空になったスープ皿を恨めしく眺めていると、ちょいちょいと右腕をつつかれて、振り向くと、お嬢様とオークのお姉さまが二人でフリフリと小さく手を振ってくれていた。すごい嬉しい。
「よろしくね」とお嬢様が言ってくださったので、私もよろしくと頭を下げる。
オークのお姉さまが、
「アリシアさんが来てくださったから、私もおかわりするとき肩身が狭くなくて助かるわ」
と私に言って微笑んだ。
おかわりがあるのか!
と、全然物足りないところに、おかわりという言葉が聞こえてきたものだから、アリシアはつい身じろぎをして反応してしまい、物欲しげだったかなと恥ずかしく思っていると、部屋の扉がまた開いて、ワゴンが給仕の人に押されて入ってくる。
そこには大きな鍋と、大きな深皿と大きなスプーンがふたつずつ載っていた。
ワゴンがオークのお姉さまの席のすぐ後ろのあたりで停まると、給仕の人が取って返していく。
オークのお姉さまは、さっと立ち上がると、ワゴンのところまで行って鍋のふたを開ける。
湯気が立ちのぼり、見るとそこには今飲んだスープが鍋いっぱいに入っているのが、視点の高いアリシアから見えた。
オークのお姉さまは、皿を一枚とって、そこにお玉でなみなみとスープを注ぎ、大きなスプーンを添えて、それをアリシアの前に置いてくれたのだった。
あっ、ありがとうございます。とお礼を言うと、
「おかわりのぶんは給仕はしてくれないのよ」と言ってニッコリと微笑んでくれた。
それからは、次々に料理が来るたびに、別にワゴンがやってきて、アリシアとオークのお姉さまのぶんのおかわりを置いていってくれたので、料理が来るたびに交代で給仕しあって楽しく食べたのだった。
食事をしながら話しているうちに、オークのお姉さまは、アイシャという名前だと教えてくれた。
アイシャさんは、やはりお嬢様の乳母をしているとのことで、食事の合間に、お嬢様の口のまわりを拭いたり、お嬢様が魚料理を分解するのを手伝ったりしていた。
アイシャさんは、お嬢様の右側に座っていて、アリシアは左側に座っていたので、アリシアもお嬢様の世話ということで、かこつけて、口のまわりを拭いてやるという体で、拭き布ごしに、愛らしいお嬢様の頬に触ったりなどして、食事の間じゅう楽しく過ごした。
嬉しいことには、食後のお菓子と果物(チョコレートムースと桃)にもちゃんとアリシアとアイシャさん用のおかわりがあったことで、だからたっぷり食べられた。
おかわりを取って席に戻ると、右腕をちょんちょんとお嬢様に突つかれて、何かと思って見ると、自分のぶんのデザートはもう食べてしまったお嬢様が「私もほしいわ」と声を潜めておっしゃるので、皿に取ったおかわりから少し切り分けてささっと渡した。
食べてしまったデザートが復活したお嬢様はすごく嬉しそうにして、まわりを見回して、誰かがこっちを見ていないかを確認し、二人で秘密めかして含み笑いなどした。
本当に楽しい。
お腹がいっぱいになって、食後のコーヒーを、これは最初から、只人用のビアマグか何かの大きなコップにたくさん入れてもらって(お高いのに!)もう脚でも組まんばかりにリラックスして、こっちはジュースを飲んでいるお嬢様を眺めながら悠然と満喫していると、
「アリシア嬢の食事についてはこのような方式でよろしいかな」
と出し抜けに左側の席から声がして、驚いて振り向くと、存在をすっかり忘れていた領主様がいて、斜向かいの席にいるスクッグさんにそう話しかけているのだった。
「大変結構ですな」とスクッグさんが答える。
量に不足もありません、とスクッグさんが言うとおり、満腹するまで食べられた。
うむ、と領主様がひとつ頷くと「ではマントのことに移ろう」と言った。
そういやマントのことって何なのかスクッグさんに聞いておくんだったと思いだしたけど、給仕の人たちが何人も入ってきて、食器が片されて、パンくずをナイフみたいなやつで掃除したり、食べこぼしでシミがついたクロスを取り換えたりし始めた。
それが終わるとなんか皆が起立し始める。
ちなみにお嬢様はアイシャさんに抱っこされていた。
アリシアもきょろきょろしながら皆に合わせて起立をするけれども、何か始まるらしいのに、何も聞いていないのでうろたえてしまう。
掃除をしていた給仕の人たちが引き揚げると、入れ違いでワゴンが一台だけ別の給仕の人に押されて入ってくる。
ワゴンの上には何かの布を畳んだものと、それから藤の籠が置いてあって、籠の中にはパンの塊とチーズと、果物が何種類かと、あと葡萄酒らしきものの入った瓶があった。
なんだこれはと思ってアリシアが見ていると、ワゴンはお嬢様の席とアリシアの席の真ん中の壁際あたりで停まる。
するとお嬢様がアイシャさんの腕の中からふわりと浮かび上がって、アリシアのそばまで飛んできて、アリシア、と名前を呼んだ。
アリシアがお嬢様の方に向き直って、はいと返事をするとお嬢様が話し始めた。
「アリシア、このわたしアリスタ・ファルブロールは、あなたにたべものをあたえ、いふくをあたえ、そしょうにおいてあなたのいいぶんをべんごしよう。あなたをひごし、しえんしよう。あなたはわたしにつかえ、わたしのマントのうちにはいることをのぞみますか」
仕えるのはいいんだけど、答えるのに何か決まった台詞とかあるんだろうかとアリシアが考えていると、ご領主様が、
「思ったままに答えてくれればよいのだよ。これは神聖な誓いであって、心のままに答えるべきものだ」
とおっしゃった。
そう言われたので何となく片膝をついて跪いてみたりして「お仕えいたします」と答えた。
「ではちかいのあかしとしてこれをあたえよう」
お嬢様がそう言って、ふわりとワゴンのほうに漂って、置いてある布を引っ張った。
深い青のきれいな布で、お嬢様はアリシアに布の端を持たせると、そのままふわふわとアリシアのまわりをまわる。
布が拡がってみるとそれはマントで、一周してアリシアの前まできたお嬢様は、金色に輝く美しい金具でマントを留めてくれた。
「それからこれを……」
と言って、お嬢様はまたワゴンのほうに漂っていき、食べ物と葡萄酒が入った藤の籠を抱えてから、またアリシアのほうに漂ってきたところで籠が重かったのかバランスを崩しそうになって、アリシアがマントに包むようにして危うく抱きとめる。
お嬢様は大きな目をパチクリとさせると、アリシアの顔のほうに頬を寄せて
「これからよろしくね」
とささやいたのだった。
「はい、よろしくお願いいたします」
とそういってアリシアが微笑むと、御領主様が口上を述べ始めた。
「ここに我が娘アリスタが、アリシア・ゴルサリーズ殿をマントのうちに迎え入れた。
私はこれを言祝ぎ、我が娘の誓いが果たされるように後援もしよう。
如何にしても然るべし!
見届け人たる同盟者達よ、異存ないか」
するとテーブルについていたおじさんの一人が答えて言う。
「異存ございません。
我らも今日の良き日を言祝ぎ、お慶びを申し上げる。
御両人の前途が報いと幸の大きいものとなり、ますます栄えますように!
ファルブロールの御家もまた栄えますように!」
そうして皆がアリシアとお嬢様に拍手をしてくれた。
アリシアはお嬢様を抱っこしたまま頭を下げる。
こうして今日のこの日に、オーガのアリシアはエルフのアリスタお嬢様の臣下となったのだった。
■tips
この話でやっと出てきたが、主人公のフルネームは、アリシア・ゴルサリーズである。