ハーフオーガのアリシア59 ― 演習の終わり ―
アリシアがエルゴルさんから大剣を貰ったその翌日。
お嬢様が、担架に載せればお爺さんを動かしてもいい、と言ったので、ようやく大隊は行軍を再開した。
それでその日の昼前から、また一生懸命に歩いて、その日の晩。
食事を終えて風呂も入って、焚火を囲みながら皆でくつろいでいると、葡萄酒の瓶を片手に持った隊長さんのローテリゼさんと、お供のエルゴルさんが話をしにきた。
話の内容は、ちょっと行軍の進み具合が遅れているので、明日から少し行軍の速度を上げて、さらに長く歩くということだった。
隊長さんによると、ちょっと日程が押しているそうで、急がないといけないとのこと。
なんでも、この演習には、分かれて別々に行軍したそれぞれの大隊が、同じ場所に、同じ時間に集合するという練習でもあるらしくて、時間に遅れるとけっこう怒られるらしい。
「まあ天竜が三頭も襲ってくるという異常事態だったから、定刻に遅れても多少は事情を考慮してくれるとは思うが、遅れない方が望ましくはあるな」
と隊長さんは眉間を指で揉みながら言った。
エルゴルさんによれば
「アリスタ様が砦を造ってくださるので野営地を造成しなくてもいいし、食事は作らずとも、できあがったものを出してくださいます。
ですからそのぶんだけ行軍時間を伸ばせておりますので、実は二日分ほどは前倒しで行軍しておったのですが、それがこのたびのクリーガが大怪我をした件で三日半ほど行軍が停止しました。
あの大怪我が三日で治るというのですから、驚くべきことですが、それでもなお差し引き一日半の遅れではあります」
とのことだった。
「目的地には三日後の日没までに着かなければならん。
そういうわけで、明日から三日間はかなりの強行軍になる予定だから、よろしく頼む」
隊長さんはそう言って話を締めくくると、エルゴルさんと二人で帰っていった。
◆
次の日はだいぶん早くから朝食もそこそこに行軍が始まる。
歩きはじめるのが、いつもより三時間くらい早いのじゃないだろうか。
歩くペースそのものも少し速い気がするし、昼食の時間や休憩時間も短めになっている。
夜もだいぶん遅くまで歩くので、陽がすっかり落ちてしまっていて、暗いと危ないから、お嬢さまや他の人がどんどん光球を撃ち上げて、周りを照らしながらの行軍になった。
野営の場所までやっとこさ着くと、毎日の作業なので慣れてきたお嬢様が、猛烈なスピードで砦を造り、風呂場を造り、テーブルと椅子を造り、食事を出す。
そのうえ馬とかに水を飲ませに行くのはもう面倒だろうということで、お嬢様が土で大きな水盤を幾つも作って、そこに水を出して水場も造っておられた。
そうして見張りの人以外は泥のように眠った。
◆
翌日もまだ空が暗いうちから朝食をとり、砦を出て、それからお嬢様が砦を崩して始末してから行軍を始める。
目的地が魔獣の湧出地とのことだけれど、目的地に近づいているからなのか、だいぶん魔獣が現れる頻度が高くなってきた。
だいたいは飛竜部隊の人か、馬人族の皆さんが、見つけ次第に狩ってしまうのだけれど、今日はプップクプップクとラッパが吹き鳴らされる音が聞こえて、すると
「ちょっと行ってきます。後で追いつくので大隊は足を止めずに」
と言ってそばにいたエルゴルさんがひとり走っていってしまった。
そばにいた隊長さんに「ひとりで大丈夫ですかね?」と聞いてみたけれど、
「あの喇叭の吹き方だと、そんなに大した魔獣じゃなさそうだし、なんとかなるということだろう」
とのことだった。
なんでもラッパの吹き方の調子とかで、ある程度、どんな魔獣が何頭いるとかそういうのも分かるように吹いてくれているらしい。
いろいろとやり方があるものだ。
そばを歩いている隊長さんを見ていると、なんとかなるとは言ってはいるけれど、エルゴルさんの走っていった方をぼんやりと見つめていて、なんだか冴えない顔をしているように見える。
やっぱり心配なんだろうか。
エルゴルさんはあんまりどうでもいいけど、隊長さんのような女の子が心配そうな顔をしていると心が痛む。
馬人族のウィッカさんの曳く馬車に乗った、豚鬼族のアイシャさんに、抱っこされているお嬢様のほうをアリシアは眺める。
こっちはお嬢様がいれば天竜だろうとなんだろうと、たぶんなんとでもなる。
じゃあ、まあ自分はあっちを追いかけても問題はないわけだ。
それで「ちょっとエルゴルさんのほうの様子を見てきます」とお嬢様に言うと、きをつけてね、と小さなおててをふりふりしてくださった。
「あっ、おい……」
と隊長さんが声をかけてくるけれど、それ以上何を言うでもなくて、行かせてくれる。
やっぱり心配なんだろう。
エルゴルさんは靴を履いていなくて、大きな鉤爪が足にあるから、その足跡がしっかり地面についている。
だから後を追うのは簡単で、走るとすぐに追いつけた。
◆
追いついてみると、なんかやたらでっかい魔獣化した猪みたいなのがエルゴルさんの足もとに二頭ほどころがっていて、まだ立っている最後の一頭をエルゴルさんが大剣で切り倒そうとしているところだった。
猪は毛皮が薄青く微かに光っていて、なんか強そうに見える。
そうしてエルゴルさんがアリシアに気付いて、少し注意がそれた瞬間を見逃さず、猪の魔獣がエルゴルさんのほうに突進するけれど、エルゴルさんは巨体に似合わず、すばやく身を躱して、そのついでみたいに大剣をすっと差し出して、力の抜けた動きで猪の脚の付け根に刃を滑らせた。
そうすると脚の腱でも切れたのか、猪が転倒したから、そこへエルゴルさんが跳躍して後ろ脚の鉤爪で押さえつけるように圧し掛かって、猪の首筋に大剣の刃を入れると、猪はすぐに動かなくなる。
何の気なくするような自然な動きでやっていて、エルゴルさんってかなり強いんじゃないだろうか、とアリシアは思った。
猪の首筋から引き抜いた大剣をひと振りして血を飛ばすと、エルゴルさんはゆっくりと振り返る。
「ああ、追いかけてきてくださったんですか」
「もう終わっちゃったみたいですね」
とアリシアが少し悔しく感じながら言うと、エルゴルさんはニヤリと笑って
「いやいや、アリシアさんが来てくださったので、獲物が全部持って帰れますよ」と言った。
狩った猪は全部で三頭あって、それぞれ三百か三百五十キロほどもあるだろうか。
エルゴルさんは、獲物を大きい方から一頭ずつそれぞれ左右の肩に担ぐ。
それで残った一頭をアリシアが背負うように担いだ。
そうして大隊のほうへ後を追うように歩きはじめる。
エルゴルさんが大きな猪を二頭も担いでいるのを横目にぼんやりと眺めながら、アリシアはエルゴルさんなら自分だって持ち上げられるだろうな、と思ったのだった。
アリシアは大鬼族なもので体が大きいから、彼女が子供のころに抱っこをしてくれたことがあるのは同じく大鬼族の父親しかいない。
アリシアの母親ですらすぐにアリシアを抱き上げられなくなってしまった。
◆
そうやって獲物を担いで少し歩くと、なんだか音がするような気がして、アリシアはまわりを見回す。
するとエルゴルさんが空を見上げていて
「野生の飛竜がついてきてますね。私たちの獲物が気になるのかな」と言った。
変に後を付けられたまま大隊に連れて帰ってしまうと、怒られそうな気もする。
まあ天竜ではなくて、ただの飛竜だし、あれくらいなら連れて帰ってしまっても、なんとでもなるんじゃないかなとも思うけれども。
飛竜はアリシアがちょうど跳びあがっても届かないくらいの、付かず離れずの高さでアリシアたちの上空を飛んでいて、落とせそうにもない。
弓で射かけてもいいけれど、矢が刺さっても、たぶんそのまま矢を持っていかれるだろうし、それでは面白くない。
さてどうしたものか。
そうやって考えていると、エルゴルさんの姿が目に入る。
エルゴルさんは太い腕が三本も生えているせいなのか、背中がとても盛り上がって湾曲していて、前傾姿勢になっている。
これは……エルゴルさんに地面に手をついて前かがみになってもらって、そうすればエルゴルさんの背中がいい感じの坂になるから、私がそこを尻尾のほうから駆け上がるようにして踏み台にすれば、その場で垂直に飛ぶよりは高く飛べるんじゃないかな? とアリシアは思いついてしまった。
けれども背中を踏み台にするってのはどんなもんだろう、とかアリシアが考えているうちに、何も背中を踏み台にしなくても、エルゴルさんに投げ上げてもらえばいいのでは? とアリシアは閃く。
上を見上げるとアリシアたちの上空を円を描くようにゆっくり旋回していた飛竜が、今にもアリシアたちの真上を通り過ぎようとしているところだった。
それでアリシアはさっそく獲物の猪を放り出し、そのドサリという音でエルゴルさんがアリシアのほうを振り向く。
アリシアは自前の大剣を抜き放ち
「エルゴルさん、手を組んで私を上に投げ上げてください!」
と叫んで助走をとるためにいったんエルゴルさんから離れた。
エルゴルさんが慌てて自分の左右の肩に担いでいた獲物を放り投げ、アリシアに向かい合うように方向転換して、尻尾を伸ばし、下段と中段の手を地面につき、上段の腕を組んでくれる。
なんか見た目が蜘蛛っぽくて気持ち悪い体勢だけど安定感はある。
アリシアはタイミングをはかって、飛竜がアリシアたちの上をエルゴルさんの背中側のほうに飛んで抜けるくらいのところで走りはじめ、エルゴルさんが組んでくれた手のひらに足をかけて、エルゴルさんがアリシアの体をものすごい力で持ち上げてくれる瞬間に、渾身の力で足を踏みしめた。
するとすごい浮遊感があって、思いのほか高く高く跳びあがれて、ちょうど通り過ぎた飛竜の翼のすぐ真後ろに出たので、そのまま腕を伸ばして大剣で飛竜の翼を切り落とす。
翼が片方なくなった飛竜は悲鳴を上げて、錐もみしながら地面に激突した。
アリシアは着地するとすぐに飛竜に走り寄って首の後ろの頭の下、人間で言うとうなじのあたりに大剣の刃を入れてとどめをさす。
「うまくやりましたね! あれで落とせるとは思わなかった」
そう言いながらエルゴルさんが近寄ってくるけれど、アリシアはこの獲物を持って帰れないんじゃないかということに気が付いた。
すでに大きな猪を二頭エルゴルさんが左右の肩に担いでいて、アリシアも一頭担いでいる。
このうえさらに飛竜は厳しい。
そりゃ飛竜は天竜に比べたらずっと小さいけれど、それでも馬とかの何倍もある。
「術石だけ取って置いていきますかね」
とかエルゴルさんが言っているけれど、獲物を置いていくのは元狩人のアリシアとしてはしたくない。
仕方がないから腕輪の中に猪のほうを入れて運ぶことにする。
森族美男のスクッグさんからは、腕輪に物が入るってことは、本当に信用できる人にしか見せちゃダメみたいに言われたけれど、エルゴルさんはどうだろう……?
エルゴルさんとはただの知り合いでしかないから、信用できるかどうかはよく分からないけれど、でもまあ、エルゴルさんは親切だし感じの良さそうな人のようには見える。
それに、獲物を腕輪に入れられないと持って帰れないので困るし。
それで「内緒にしてくださいね」とエルゴルさんに断ってから、猪を三頭とも預かり、腕輪にしまう。
本当はいま落とした飛竜のほうをしまえれば良かったんだけれど、腕輪の中には、お嬢様から持っておいてと渡された保存食料やら、投げる用の石やら、学園にくる前に寄った街で買った鉄のインゴットやら、ガラスの食器やらがあって、それに服とかも入っているし、飛竜を入れるにはちょっとスペースが足りない。
それで、飛竜の後ろ脚をエルゴルさんと二人で一本ずつ持って、引きずって歩くことにした。
「いけますか、大丈夫ですか?」
とエルゴルさんが気遣ってくれるけれど、大隊に追いつかなきゃいけないから、スピードも出さないといけないし、けっこうキツい。
でも追いつきさえすればお嬢様が荷物袋の異能にしまってくれるだろうからなんとかなると自分に言い聞かせて、力を込めて一生懸命ひっぱる。
石とかが落ちてたら、引っかかって飛竜の皮が裂けないように、避けなきゃいけないし、石を避けていても、引きずっているものだから、そのうち飛竜の皮が地面で擦れて剥けちゃって、それで引っ張る体勢を変えたりしなきゃいけないからけっこう大変だ。
そうやって色々と苦労しいしい運んでいると、また何か羽根の音がして、見上げると向こうの空から、お嬢様が、人の乗った飛竜を左右に二頭ずつ引き連れて、あの例の金色の輪っかの中に入ってこっちに飛んできているのだった。
「おそいからしんぱいしたじゃない!」
とアリシアはお嬢様に怒られてしまう。
怒られているんだけれども、心配してくれているし、追いかけてきてくれたと思うと嬉しい。
それからお嬢様は獲物の飛竜を荷物袋の異能にしまってくださって、それでアリシアは身軽になった。
でもお嬢様がこっちにいるということは、大隊のほうにはいないわけで、そうすると大隊のほうこそ心配になってきたので、アリシアは「じゃあ急ぎましょう!」と提案して大隊の後を追って一生懸命走る。
お嬢様と、お嬢様の護衛の飛竜と乗り手の皆さんは空を飛んでいるから速いし、エルゴルさんも走るアリシアに遅れるでもなく、むしろわりと余裕をもってついてきてくれた。
そうして帰り道は、お嬢様がついていてくれたので当然だけれど、特に何事もなく大隊に帰り着き、大隊の皆も無事にいてくれたし、隊長さんのローテリゼさんの安心した顔も見られたのだった。
◆
そうして強行軍をはじめてから三日目の日の夕方。
はるか行く手に、ちょっとした丘のようなものがあって、その上に何か街の市壁ような砦のようなものが建っているのが見える。
「大隊にいる新入生の諸君! 目的地はあれだ!
あそこに着けばもうしばらく歩かなくていいから、あと少しがんばれ!」
そういって隊長さんのローテリゼさんが大隊の皆を励ます。
すると、おーう! というような掛け声や、指笛で大隊の皆がローテリゼさんに応える。
目的地に近づくにつれて、どんどんと魔獣に遭遇することが増える。
ちゃんと警戒していたのに、どこから湧いてくるんだという感じだった。
『魔獣の湧出』といって実際に魔獣が湧いているらしい。
元狩人のアリシアとしては、魔獣が増えて危ないことを憂えるべきか、お肉のもとが勝手に湧くことを喜ぶべきか。
そうしてまた偵察に出ている馬人族の人だか、飛竜乗りの人だかのラッパの音が聞こえてきて皆が警戒態勢をとる。
もう警戒のラッパの音は一昨日あたりからは、しょっちゅうで、そのたびにいちいち行軍が止まるから全然進まないし夜だって寝づらい。
段々と陽が傾いてきていて、今日中にあの丘の上の街だか砦だかに入らないといけないらしいのに、間に合うんだろうかとアリシアが思っていると、お嬢様がまたあの金色の輪っかを出して、その中に入り
「ちょっといってくるわね」
とおっしゃって隊長さんのローテリゼさんのほうに漂っていった。
やがてなんだかすごい地響きの音が聞こえはじめる。
なんだこれと思っていると、隊列の左手側からすごい大きな野牛の群れが突っ込んでくるのが見えた。
なんか群れが全体的に赤黒く光っているし、たぶん魔獣化もしているだろう。これは大変だ。
いちばん大きいアリシアの寝床用の馬車を盾にして、自分が前に出て、アイシャさんたちは馬人族のウィッカさんの曳く馬車で逃がして……とかアリシアが算段をしていると、隊長さんのローテリゼさんが、大隊の隊列の横を先頭から最後尾に向かって歩きながら
「足を止めるなー! 前へー! 前へー! 魔獣はファルブロール殿が対処してくれる!
進めー! 進めー!」
と大声で言っていた。
よく分からないけどお嬢様がなんとかしてくださるらしい。
でもあんな大きな野牛の群れが突っ込んできてるんだから、気にせず進めと言われてもなかなか恐ろしいんじゃないだろうか。
でも隊長さんの声に従って大隊の列が進み始める。
列の最後尾まで行ったらしい隊長さんが、剣を抜いて左手に持った状態で、列を今度は先頭に向かって歩いてきて、アリシアのところまできて立ち止まると「アリシア君は遊撃を頼む」と言ってきた。
それでアリシアは野牛の群れのいるほう、つまり列の左側に出る。
アリシアの他にもちらほらと武器を構えて列の左側に出る人がいて、エルゴルさんもそうだった。
やがて金色の輪っかの中に入ったお嬢様が、天竜に乗った人たちを左右に四騎くらい従えて、ふわりと大隊の列から飛び出す。
すると大隊の皆が指笛を吹いたり、足を踏み鳴らしたり、歓声をあげたりしてお嬢様を応援してくれる。
お嬢様が気づいたかは分からないけど、アリシアも腕を振っておいた。
そしたらお嬢様がこっちに向かって小さなおててをぶんぶんと振ってくださるのが見えた。
とてもうれしい。
それからお嬢様は野牛の群れのほうに向きなおると、飛竜騎士たちを引き連れて、遥か高く、駆けるように夕暮れの空を舞いあがる。
そこでお嬢様は空中に浮いたまま、いったん止まったので、何をしているんだろうとアリシアが見ていると、だしぬけにお嬢様の周囲の空に、青白く輝く大きな光球が二十かそれくらい出現した。
それがみていると、その光球が三十、四十、五十、もっと、とどんどん増えていく。
お嬢様が引き連れておられた飛竜乗りが不穏な空気を察したのか、お嬢様のそばを離れて、どんどん増えていく光球に追い立てられるように逃げ惑う。
そしてさらに増えた光球でびっしりとお嬢様のまわりが埋まったあたりで、夕暮れの空を裂いて、それらの光球が、野牛の群れに向かって滝のように殺到した。
あんぐりと口をあけてアリシアが見つめている間に、光球は野牛の群れに次々と着弾して、とんでもない爆発を引き起こす。
アリシアの全身が振動、爆風、爆音で殴りつけられる。
光球が飛んでいくのが見えたから、爆発する瞬間は分かったし、お腹に力を入れておいたけれど、そんな事前の身構えは、何の役にも立たずに打ち砕かれて、呆然自失になるような、そんな感じだった。
虚脱した頭がうまく働かずに立ち尽くしていると、馬たちが騒いだり、棹立ちになったりしているのを見て、ようやく頭がはっきりしてくる。
そうして気を取り直したところで
「馬たちをなだめろ! 進め進めー!」
と隊長さんが長剣を頭の上で振りながら大声で言っているのが見える。
そんな無茶なと思わなくもないけれど、もうそろそろ陽が暮れちゃうし急がないといけないんだろう。
そんなこんなでようやく大隊がまた動き出したところで、またお嬢様の周囲にぼつぼつぼつぼつと青白い光球が出現しはじめるのが見えた。とんでもないおかわりだ。
そこで誰が言ったか、逃げろーっ! という声が聞こえて、それが大隊の列に広がって、急に行軍の速度が上がる。
まだ怖がっていたり、機嫌をこわしていたりして、ぐずぐずとしていた馬もいたけれど、まわりが一斉に動き出したので、あわてたように一緒に動き始めた。
つまりは野牛の群れよりも、お嬢様の令術のほうが怖いから、それから逃げようとして大隊が一生懸命動き出したのだった。
そうしてアリシアたちは大隊の列の左側に付き添うように一緒に歩きながら、転んでいたり遅れていたりする人がいないか見ながら歩く。
野牛の群れはお嬢様に吹き飛ばされてしまったみたいだけれど、たまに生きているのがいて、爆発が怖かったのか、余計に狂乱しながら突っ込んでくるので、エルゴルさんから貰った大剣で切り倒す。
でも急いでいるので、切り倒した獲物を持っていけないのがつらい。
やがて魔獣の声のような、あるいは木魂のように長く長く反響する大きな音が聞こえて、見ると砦のある方向から天竜が二頭も飛んできているのだった。
隊長さんは今まで天竜を演習では見たことがなかったみたいに言っていたけど、なんだ、いるじゃないの、とアリシアは思って、また狩れるようなら狩ってやろうと、エルゴルさんから貰った大剣を構える。
するとそばにいた隊長さんが
「アリシア君、あれは味方だ。天竜の背中に人が乗っているだろう?」と言って止めてくれた。
よく見ると、確かに天竜の背中に人が乗っているのが見える。
飛竜もそうだけど、人が飼っているものもあるから気を付けなきゃいけないなとアリシアは心にとめた。
やがて空に浮かんでいたお嬢様が、お供の飛竜乗りさんたちとともに高度を下げて、アリシアのほうに降りてきて、金色の輪っかをしまい込んで消すと、アリシアの胸に飛び込んでくる。
アリシアは背が高いから、空からだとどこにいるか分かりやすいということだろうから、背が高いことにも役得があるらしい。
アリシアの腕の中のお嬢様に、お疲れさま、と声をかけると、お嬢様はにへらと笑って、アリシアにべったりともたれかかった。
なんて愛らしくっていとしいことか。
そうして砦にもう少し近づくと、砦の門が開いて、迎えらしき馬に乗った人が何人かでてきた。
なんて名前だったか忘れたけれど、入学式で話をしていたたぶん偉い銀縁眼鏡の人や、失礼な輸送の連隊のなんやらいう黒髪眼鏡の人とか、あと診療部のローラさんが迎えに出てきてくれる。
お嬢様は、もう迎えられるというよりは、捕獲されるくらいの勢いで砦の中にひっぱりこまれたし、大隊のほうも、落ちつつある陽が、遠くにある稜線の陰に隠れる少し前に、全員が無事に砦の中に入ったのだった。
◆
そこから先は、あまり大きな出来事はなかった。
ちょっとした出来事としては、三頭もの天竜にうちの大隊が襲われたことが分かると、輸送連隊の何やらいう黒髪眼鏡の人が、お嬢様を危険な目にあわせたといって、演習の旅団の偉い人たちに当たり散らしたり、それを聞いてお嬢様がご機嫌をこわしてむくれてしまったり、とかだろうか。
演習ということで毎日狩りには出るのだけれど、令術とかすごくて強い人がたくさんいるし、野生のじゃなくて、人が乗る味方の天竜も何頭もいるしで、危ないことは全然なかった。
あとアリシアは知らなかった(忘れていた)のだけれど、アリシアは治癒・後送小隊というものになっているらしくて、狩りに馬車をひっぱっていっては、そこで怪我人が出たという設定で、治せるものはアイシャさんとかコロネさんが治し、治せないものは馬車で砦まで運ぶという、そういう練習を何回かした。
そうして狩りを終えて砦に帰ると、アリシアは、お嬢様が全部漏れなく拾って荷物袋の異能につめて持って帰ってくださった獲物を解体して、精肉して、筋や脂を引いてきれいにして、そんな作業をずっとしていた。
この砦に入った日に襲ってきた野牛の群れも、お嬢様が令術でばらばらに吹っ飛ばしたわけだけれど、その翌日には飛竜の護衛を何騎か連れて、お嬢様は野牛の死骸を全部集めて回っていた。
魔獣がいくらでも湧くのに、そんな調子で、倒した魔獣を全部が全部、荷物袋の異能まかせに、すべてお嬢様が回収するから、処理ができていない獲物が日ごとに山のようにたまっていく。
それを元狩人の技能を生かして、毎日毎日暇つぶしみたいに精肉しては、その肉をおかずにもして、おかずで使う分以外はお嬢様の荷物袋の異能に戻して、そんなことをしてアリシアは演習を過ごした。
お嬢様が出してくださる美味しい食事に、魔獣の焼肉のおかずも追加して、毎日腹いっぱい食べて飲んでは、お嬢様が用意してくださるお風呂に入り、見張りの当番の日以外は天幕でスヤスヤ眠り、そうして楽しく演習を過ごして、それから帰途につく。
砦を出発した日と、それから数日は魔獣がいっぱい出て、少し危ない場面もあったけれど、魔獣の湧出地から遠ざかるにつれて、魔獣の湧きもまばらになり、だんだん平和になっていく。
ただ暦が十一月に入っているので、徐々に寒くなってくるのが辛いところだろうか。
とは言ってもアリシアは術石と温度調節の術式を埋め込んだヴルカーンさん特製の鎧を着ているので大したこともない。
それに大鬼族は体が大きいから、元から寒さに強いのもある。
そうしてアリシアの所属するローテリゼ大隊は、十一月の末日のその日に、予定通りに学園に帰り着き、アリシアの魔獣討伐演習は、こうして無事に終わったのだった。




