ハーフオーガのアリシア58 ― 新しい武器 ―
昼ご飯を食べて、食器の片付けやら何やらまで終わると、アリシアはまた暇になってしまった。
大隊の皆もそうらしくて、人によっては狩りで獲ってきた獲物をお肉にして、焚火で焼いて、昼過ぎからお酒を飲んでいる人だっているみたいだった。
まあ当番の人は見張りでもしていれば暇が潰せるけれど、それ以外の人は、家の中でもないし、街の中でもない、ただの原野にいるわけだから、何か食べるかおしゃべりするかくらいしか時間の潰しようもない。
他に何かすることあったっけと考えてみて、そういえばエルゴルさんから借りた大剣の手入れがまだだったとアリシアは思い出した。
それで、馬用の水桶を拝借して、砦からいったん出て下に降りて、すぐそばにある小川から水を汲んでくる。
天幕のそばに戻ったら、いったん馬車の陰に隠れて、腕輪の中から、借りた大剣を取り出した。
お嬢様が土で作ってくださった重い椅子を力任せに引っ張ってきて、そこに腰を据えると、水の入った桶を前に置いて、大剣の刃の部分に手で水をかけながら、自分の大剣の手入れをする用のボロ布で剣身の部分をこすって血や脂を落としていく。
注意深く眺めて、罅とかがないかも確認していく。
まあ罅があったとしてもアリシアに鍛冶はできないし、ここではどうしようもないのだけれど。
幸いなことに、見たかぎりでは特に罅などもなかったので、今度は腕輪から砥石を取り出して、剣身を刃をつけるようにして申し訳程度に擦っていく。
それが終わると、最後にオリーブ油を剣身にたっぷり塗り付けてから、布で拭き取って手入れが終わった。
また物陰に入り、大剣を腕輪にしまいこんで、これでエルゴルさんにいつでも返せるようになったのはいいけれど用事が済んでしまうとまたヒマになってしまう。
さて次は何をしようかと考えたところで、少し離れたところから、エルゴルさんと隊長さんのローテリゼさんが連れだってやってくるのが見えた。
エルゴルさんは今日も体が大きくて腕が六本もあるし、隊長さんは豊かな赤銅色の髪がきれいだ。
「やあ、どうもこんにちは」
とか言いながら、エルゴルさんは左側の三本の手を同時にあげて挨拶してくれる。
別に一本だけでもいいと思うんだけど癖なんだろうか。
「アリスタ様に少しお時間をいただきたいのだが、どうでしょうか?」
とのことなので、少しお待ちください、と言って天幕に入る。
お嬢様はすやすやとお昼寝をしておられたから、どうかと思ったけれど、豚鬼族のアイシャさんが
「もうそろそろ起こす時間だからいいわよ」
と言ってくれたので、お嬢様を起こすのはアイシャさんにお願いして、アリシアはトラーチェさんを探しに出た。
外の人と話をするのだったら、トラーチェさんがいてくれたほうがいいだろうと思ったからだった。
アリシアでは難しいことはあんまり分からないし。
幸いにも、トラーチェさんはアリシアがご領主様から貸してもらった、大きな馬車の中で昼寝をしているのがすぐに見つかる。
隊長さんとエルゴルさんが来てますよと言うと、トラーチェさんはあわてて飛び起きていた。
そんなあわてなくてもいいのにな、という気もするけれど、まあトラーチェさんは頭がいいから、何か見えてるものが違うんだろうとアリシアは思う。
トラーチェさんが髪とかをちょいちょいと整えたり顔を洗ったりするのを待ってから、天幕のほうに戻ると、お嬢様が土で造っただろうテーブルと椅子に皆が着いていた。
「まあまあ、お待たせいたしましたわ」
とトラーチェさんが頭のてっぺんから出るような、誰かと思うような声で挨拶をする。
「いやいや、私どもが急に参りましたから」
そうトラーチェさんに返事をしたエルゴルさんが、ちょっと面白そうな顔をしている気がしないでもない。
「おじいさんのおみまいにきたの?」とお嬢様がエルゴルさんに聞いた。
「はい、だいぶん元気になったと聞きましたので」
「そうね、ちょっとみていく?」
お嬢様はそう言って、椅子から浮かび上がって、天幕のほうに漂っていき、天幕の入り口の垂れ幕を引き上げたけれど、エルゴルさんの体が大きすぎて、とてもじゃないけど天幕の中に入れそうになかった。
それでエルゴルさんは天幕の入り口のところで跪いて
「おうい、クリーガさん調子はどうです?」と天幕の中に向かって大きな声で呼びかける。
「だいぶん良いですな、アリスタ様のおかげです!」
と天幕の中で寝ているお爺さんから、同じく大きな声で返事が返ってきた。
「元気な声だ! 命拾いしたなあ!」
「ははは、本当に拾っていただきました!」
「よかった、本当に良かった!」
「そう言ってくれることがありがたい、団長の方からもアリスタ様にくれぐれも御礼を」
「それはもう! では、今からアリスタ様とお話をさせていただくのでまた後で!」
「はい! また後で!」
そうしてエルゴルさんはお爺さんと話を終えると、跪いたまま、お嬢様のほうへ向き直って、そのまま頭を下げた。
「アリスタ様はうちのものの命をお救いくださいました。本当にありがとうございます」
お嬢様は、いえいえ、とか言いながら照れてクネクネしている。
それでまた皆がテーブルに戻ったところで、エルゴルさんが、これは些少ですが、と言って革の袋を差し出してきた。
金属の音がしたのでお金だろうか。
お嬢様はトラーチェさんのほうを向いて
「こういうのっておかねとるのがふつうなの?」と、お聞きになる。
「そうとも限りませんが……」と、トラーチェさんが少し困惑しながら答えると、お嬢様は、エルゴルさんに向かって、じゃあいらないわ、とおっしゃった。
「だいたいね、みんなでまじゅうとたたかっているさいちゅうにけがをしたら、ちりょうのおかねのことをかんがえながら、ちりょうしてもらうかどうかきめるの?
そんなのばかみたいじゃない」
「それはもちろん原則論はそうなのですが、ちょっとした怪我とかと違って、体が半分になって死んだと思ったものをお助けいただきましたので、少し感じ方が違うと申せましょうか」
そう言ってエルゴルさんは頭をかく。
いらないわよ、ともう一回エルゴルさんに言ってから、お嬢様はトラーチェさんに
「だいたいのみんなのごはんだっておかねとかもらってないわよね?」
とお聞きになった。
「それはそうですね。お嬢様から大隊の皆様へのお振舞いということになっております」
「じゃあこんかいのちりょうもそれにしましょう」
ありがとうございます、とエルゴルさんは頭を下げてさらに言葉をつなぐ。
「では続きまして、最初に狩った黒っぽい天竜の売却金の分配についてお話したいのですが……まずアリシアさんが三分の一、アリスタ様が三分の一、ローテリゼ様が六分の一、私が六分の一、くらいのところで考えておりますがいかがでしょうか? 他にはあの天竜に有効な攻撃をしたものはおりません」
「わたしにもくれるの? わたしはさいしょにでてきたやつとはほとんどたたかってないわ」
「最初に襲撃されたときに投射術で攻撃してくださいましたし、それにうちの者を治療しておられなければ、もっと簡単にアリスタ様があの天竜も狩ってしまわれた可能性が高いのではないかとも思います」
「でもそれって、そうかもしれないってだけのはなしでしょ」
「そういう言い方をすればそうですが……」
お嬢様はかわいらしい声でうーん、とうなって
「じゃあ、じゃあさ、わたしはいらないから、わたしのとりぶんをなしにするかわりに、アリシアのとりぶんをはんぶんにしてよ。
アリシアがてんりゅうのくびをおとしてとどめをさしたんでしょ?
そしたらかつやくしたんだからアリシアのとりぶんがおおくてもいいはずだわ。
あとののこりをたいちょうさんとエルゴルさんではんぶんずつにわければ、たいちょうさんとエルゴルさんのとりぶんもふえるでしょう?」
「いや、あの、私もエルゴルさんと隊長さんが戦ってる気を引いてる隙に横からこっそり入って頚を切っただけですから、そんな大したことは……」
なんか話が変なほうに行きそうになったので、アリシアはあわてて口を挟む。
「でもアリシアがとどめをさしたのはじじつだし、それにアリシアにはいるおかねがふえたらわたしのじょうのうきんもふえるからちょうどいいかんじになるわ」
「じょうのうきんってなんですか?」
「アリシアはえものをうったおかねをそのままぜんぶはもらえないってことよ。
わたしにはんぶんわたすの。それにぜいきんとかもあるし……」
そうよね? とお嬢様はトラーチェさんのほうに振り向いて聞いた。
アリシアは、お嬢様みたいな赤ちゃんの口から税金なんて言葉が出たことに衝撃を受けてしまう。
「左様でございますね。まずは国税が一割、それから在地の領主への税に三割かかりますね。
さらにアリシア様の場合は、残りの六割のうち半分がお嬢様への上納となります。
けれどもこれは、アリシア様の月ごとの給料や食事などの費用に充てられるものでもあります」
トラーチェさんはどこか宥めるような口調でそう教えてくれた。
「アリシアのきゅうりょうもあげなきゃね。
こんなふうにてんりゅうをかってしまうなんておもわなかったわ。
あのてんりゅうをうれば、そのおかねからアリシアがわたしにはらうじょうのうきんで、アリシアのきゅうりょうぶんなんてあっというまにかせげちゃうとおもうわ」
給料を上げてくださるということで、はあ、ありがとうございます、とアリシアは言ったものの、ちょっと引っかかることを思いついたので聞いてみる。
「私は実家では狩人をやってたんですが、いつでも獲物が獲れるわけじゃなかったですよ。
いっぱい獲れたかと思えば、ぜんぜん獲物がいない日もあったりします。
それに麓の村で宴会とかあれば肉もよく売れましたが、そうでない日もありました。
あんまり安定した仕事ではなかったです。
天竜って今回みたいな演習に来年も来たらだいたい狩れるんですか?」
すると今までずっと黙っていた隊長さんのローテリゼさんが
「いや、天竜はそれほど頻繁に出る魔獣じゃない。
私は学園に入学してから演習はこれで四回目だが、野生の天竜と戦ったのも、見たのも今回が初めてだ」
と教えてくれた。
「じゃあ給料上げちゃって、でも来年は天竜が狩れなかったらお嬢様が損しちゃうのでは?
私ってご領主様のお屋敷に居たときはちょっと街の見回りするくらいしか仕事なかったですし、高く売れる魔獣が出てこないと、私ってぜんぜん稼げないと思うんです」
「それは……そうかも?」
と言ってお嬢様が考え込んでしまう。
お嬢様が悩んでいると
「今回みたいな場合は、たぶん一時金をお嬢様からアリシア様に出すとかいうような形がいいと思いますよ。
お嬢様が貰い過ぎたと思ったぶんを、アリシア様に一時金を出して戻せばいいんです。
一時金は月給じゃないので、毎月決まった額は出さなくていいですし。
……でもこれはお嬢様から見たらそうだというだけで、アリシア様としては月給が上がったほうが、毎月貰える額が増えるので有利なんですよね。
まあ難しいことは、年末に帰省したらご領主様と奥様に相談されるのがいいでしょう」
トラーチェさんがそう言って助け舟をだしてくれたので、アリシアも
「そうですね! また年末に奥様に相談しましょう」
と強引に話を流してしまった。
それでお嬢様も眉根を開いて、そうね、と頷き
「じゃあくろっぽいてんりゅうのとりぶんは、アリシアがはんぶん、たいちょうさんがよんぶんのいち、エルゴルさんがよんぶんのいち、でいいわよね?」
と聞くと、二人ともそれでいいと同意してくれる。
「あれっていくらくらいで売れるんですか?」
と、元狩人のアリシアとしては気になったので聞いてみると
「そうですな、天竜ともなれば術石も特大ですし、金貨でいうと一万枚から、もう少し高いくらいでしょうか」
とエルゴルさんが教えてくれた。
その半分の、その三分の一が自分の取り分だから……千六百枚ちょっと!!
思ったよりとんでもない値段だった。
そんなにお金があってどうするんだろう……と考えたところで、アリシアは、お嬢様が自分だけで天竜を別に二頭も狩っていることを思い出す。
お嬢様は上納する相手がいないから税金が引かれるだけで、つまり、いくらだっけ?
お嬢様が、大隊の皆にいっぱい、ご飯やアイスクリームやお菓子やお酒やらお酒のアテやら何やらを食べさせても、お金のことを気にするでもなくて、涼しい顔をしている訳がわかった。
なんだかもう意味不明なくらい稼ぎがあるからどうとでもなるんだろう。
◆
ともかくそれで話が終わったようで、しばらく雑談をして、それから隊長さんとエルゴルさんが帰ろうと席を立つ。
そこで、アリシアはエルゴルさんから借りた大剣を返さないといけないのを思い出した。
ちょっと待ってくださいと声をかけて、いったんアリシア用の大きな馬車のほうに走る。
馬車の中で腕輪から大剣を取り出して、それを持って馬車から出て、エルゴルさんたちが待っているテーブルのほうに戻る。
「剣を貸していただいてありがとうございました。おかげさまで天竜の頭を落とせました。
いちおう掃除をして油を塗ってあります」
そう言ってアリシアがエルゴルさんに大剣を差し出すと、エルゴルさんは束の間、黙ってアリシアをじっと見つめた。
そうして「それは差し上げますよ。鞘も必要でしょうからこれも……」
と言って、自分の背中に背負っていた鞘を外し、鞘についていた太い鎖のところを持って、アリシアに差し出してくる。
でも、アリシアは自分の武器や鎧を作ってもらったときに、父親がすごい支払いをしていたのを覚えていて、だからアリシアは剣とかそういうものがとても高価なことは知っていた。
それで「そんな高いものはいただけません」と断る。
「確かにこれは安いものではない。でもアリシアさんはうちの人間を助けてくださいました。
偉大な治療を施してくださったのはアリスタ様ですが、アリシアさんも踏まれれば死ぬかもしれないのに、天竜の脚のすぐ真横まで突っ込んで、クリーガを取り返してくださいました。
この剣が少しばかり高価であろうとも、そのように彼の命を救ってもらったことへの返礼とすれば全く高いものではない。
ですからどうか遠慮などせず受け取っていただきたい」
アリシアは、そんなふうに全然思ってもみなかったことを褒められてびっくりしてしまう。
地面に降りている天竜がいるなら、逃げられる前に狩らないとと思って、あわてて走ってきたら、なんかお爺さんが踏みつぶされていたので、流れで特に何も考えずに助けたというだけだけれど、それが命を助けたと言われればそう……なのかもしれない?
分かったような、よく分からないような気分で、はあ、とかアリシアが生返事をしているうちに、エルゴルさんはアリシアの方をちらちらとみながら、大剣の鞘を吊っている鎖にくっついている滑車を!ガラガラと操作して、鎖の長さや革でできた肩当てらしきものの位置を調整する。
そうしてからアリシアのほうに寄ってくると、アリシアの体に鎖をかけるようにして、鞘を背負えるようにしてくれた。
鞘の位置を調整してから、アリシアの持っている大剣をそっと受け取ると、鞘に差してくれる。
貰った大剣は、剣身の長さだけでもアリシアの身長より長くて、柄頭から鞘のお尻のところまでだと、アリシアの身長を大幅に超えてくるから、剣を背負うといっても、ほとんど横倒しにするしかなくて、だから背中にくっつけるというより、大剣をまるで鞄のように肩から斜めに掛けるような感じになる。
剣が長すぎて大きすぎてかなり邪魔ではあるけれど、でも肩当て越しに、肩に食い込む鎖の感覚が、確かな重さを感じて心地よい。
大事なのはこれがあれば、天竜の頚でも落とせるということだ。
これがあれば、羽根をうまいこと壊しさえすれば、天竜がもう一度だって狩れるということだ。
アリシアは体のうちから深い興奮が湧き上がってきて、顔がにやけていくのを自覚する。
ほとんど有頂天になって、エルゴルさんに顔を向けると、エルゴルさんは満足そうな笑みを浮かべて
「喜んでもらえて良かった」
と言った。
■tips
物品の種類によっても相場観は変わるのでざっくりした話になるが、
この世界での金貨1枚はおおむね10万円ほどの価値がある。
よってアリシアは、税金と上納金を除いて手取りで金貨1600枚と少しを稼いだのであるから、つまり1億6000万円と少しほども稼いだことになる。
そして同額を上納金としてお嬢様に納める形になる。
ちなみにアリシアの年俸は金貨420枚と部屋と食事と衣服が支給であり、
すなわち4200万円と部屋と食事と衣服ということになる。
また、お嬢様はというと金貨1万枚かそれ以上で売れる天竜を2頭単独で狩っており、その6割が手取りになるので、12億円以上稼いでいる計算になる。
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