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ハーフオーガのアリシア57 ― 天竜殺しⅣ ―



 次の日に、朝の食事が終わって、アリシアが天幕に戻ると、体の下にクッションを幾つか入れて、少し体を起こしたお爺さんの枕元に、お嬢様が浮いていた。

 お嬢様は、お爺さんの顔の上に屈みこんでいて、お爺さんの口の中に細長い銀色の器具を突っ込んで、なにやらごそごそとやっている。

 お嬢様のすぐそばに豚鬼族のアイシャさんが控えていて、お嬢様の補助をしているようだった。

 そして、その周りには、大隊の治癒士とかいう豚鬼族のお姉さんが二人いて、お嬢様の手許を興味深そうに見つめている。



「なにやってるんです?」とアリシアが聞くと

「むしばをなおしているのよ。それとくちのなかのそうじね」とお嬢様が教えてくださった。


 見ていると、お嬢様は、金属でできた先が尖ったものを、お爺さんの歯と歯茎の間に入れたり、歯をガリガリやったりしている。

 なんだか歯がイーッとなりそうな、見ていたくないような、逆に見ていたいような、そんな光景だった。

 じっと見ていると、お嬢様が歯茎と歯の際をガリガリやると、なんか黒い小石のごく小さな破片のようなものが、歯と歯茎の隙間からもりっと出てくる。歯茎の中にあんな汚れが隠れているのか。

 汚いのに何か妙に爽快感がある光景なので目が離せない。


「じゃあおわりね、くちをゆすいで」

 しばらくガリガリやったお嬢様が、そう言ってお爺さんに水の入ったコップを渡す。

 お爺さんが口をゆすいでボウルに水を吐くと、小さな小石の破片みたいのが水の中に見える。


 これはすごいなあと思うと同時に、アリシアは自分の口の中はどうなっているのか、あんなふうな汚れがあるんじゃないか、とか心配になってくる。

 正直なところ自分もやってもらいたいが、お嬢様の仕事を増やしたくはない。どうしたものか。



 などとアリシアがのんびり考えていると、遠くから、微かに急調子の喇叭の音が聞こえてきた。

 耳が長いから耳が良いお嬢様も気づいたらしく、天幕の天井に向かって目を上げる。


 天幕の中にいる他の人たちは気づいていないようだったけれど、すぐに遠雷のような天竜らしき吼声が後からやってくる。

 緊張が走って、皆が身を固くしたのがのが分かる。


「すぐにたいじしてくるからね。だいじょうぶよ」

 お嬢様はそうおっしゃって、すぐ目の前にあったお爺さんの頭をきゅっと抱きしめ、それからふわりと浮かび上がって、天幕から出て行った。



 アリシアが後を追って天幕の外に出ると、遥か南東の空に天竜が二頭、飛んでいるのが見える。

 色は薄青いのと濃い緑色のが一頭ずつで、なんか見たような色だった。

 一昨日に殺した黒っぽい天竜と、一緒に出てきて、途中で逃げたやつらじゃないだろうか。


 なんとか狩りたいものだが、あんな高いところにいるのではアリシアには手の出しようもない。

 なにかうまい手はないか。


 そうアリシアが考えている間に、お嬢様は天幕から少し離れたところまで漂うと、短くて愛らしい両腕をいっぱいに広げる。

 すると、突然どこからともなく、大きな金色の輪っかのようなものがお嬢様を囲むように出現して、地面にドンと落ちた。

 これはいったいなんだろうか。


 輪っかの直径は差し渡しで二メェトルほどあって、輪っかの太さはだいたい人の脚ほどに見える。

 それで驚くことには、その輪っかの外側には、すももほどもある薄緑色にきらきら輝く術石らしきものが、等間隔でたくさん、たぶん十個以上も埋め込まれているのだった。これはすごい高価そうだ。

 

 お嬢様はそんなものを出してどうするんだろうと思ってアリシアが見ていると、いま出てきた天幕のほうからバタバタという音がして、振り向くと、天幕の入り口のあたりにさっきまで天幕の中で寝ていたお爺さんが立っていたのだった。

 足が小鹿のように震えているけれど、それでも確かに立っている。

 お爺さんの穿いているズボンの裾から覗く足は、真っ白で、石膏みたいで、今のお爺さんの脚は、確かにお嬢様が人形みたいなものの下半身で挿げ替えた脚だということが分かる。

 あんなもので本当に立ったり歩いたりできるんだ……とアリシアは驚く。


 天幕の中から、お爺さんを追いかけるように、豚鬼族(オーク)のアイシャさんと、同じく豚鬼族(オーク)の治癒士のお姉さんたちが飛び出してきて、お爺さんに寄り添って倒れないように支えた。


「あの! あの……」

 お爺さんは、お嬢様に何か言おうとしたけれど、言葉に詰まってしまう。


 お嬢様は、お爺さんが立っているのを見て、花が咲くような笑顔を浮かべて、でも口に出しては

「あるくれんしゅうをするのはいいことだけど、まだむりをしてはだめよ?

 すぐもどってくるから、おとなしくまっていてね」

とおっしゃった。


「お嬢様ーー!!」「天竜です!」「二頭です!」

と、口々に言う声が聞こえて、そちらを見ると馬人族(ケンタウロス)のウィッカさんの背に乗ったトラーチェさんがいて、その左右にコロネさんと、黒森族(エルフ)のコージャさんが一緒に走ってきている。

 どうも天竜に気がついて知らせに戻ってきてくれたみたいだった。


「こっちでもかくにんしたわ。じゃあ、はやいとこやっつけてくるわね」

 お嬢様はなんでもないことのようにそう言って、それから大きく腕を広げる。

 すると、さっき出して、地面に落ちたままになっていた金色の輪っかが、お嬢様が浮いているのと同じくらいの高さまで、音もなく浮き上がる。


 それからお嬢様は、次の瞬間に、投げられた石みたいなすごい速さで空に、真上に向かって飛んでいった。

 お嬢様はどんどん高度を上げて、お嬢様が自分で作った、今いる砦の壁の高さより高いところにまで飛び上がると、いったん空中で静止する。

 それから今度は飛ぶ向きを水平に変えて、一瞬で砦の壁を越えて、天竜がいる方向へ向かってすっ飛んでいった。


 それはもう速い速い。鳥でもここまで速く飛べないだろうというくらいのもので、放たれた矢というか、それよりもっと速いくらいに見える。

 アリシアは慌てて追いかけようとしたけれど、とても追いつけそうにもない。

 それでなるべくよく見えるところに行くことにして、砦の壁の上に登ることにした。


 砦の内側の壁際まで走ると、お嬢様が階段を作ってくださったところがあって、そこを駆け上がる。

 壁の上に登ってから、ふと後ろを見ると、アリシアたちを見てか知らないが、同じように壁の上に登ってくる人たちがいっぱいいた。



 ◆



 お嬢様は天竜たちが飛んでいる、その下あたりまで行くと、そのあたりの地面近くを、ぐるぐると飛びまわっておられた。

 天竜たちは、お嬢様と、お嬢様が入っている金色の輪っかが気になったのか、お嬢様のほうに頭を向けて、お嬢様のいるあたりの上空を旋回するように飛び回っていて、こちらの砦のほうにはやってこない。


 お嬢様は下を向いて、そのあたりの地面を、何かを探し回っているように見えるので、何をしているんだろうとアリシアが思っていると、ひと通り何かを探し終わったのか、お嬢様は、今度は上を向いて、突然高度を上げ始める。

 

 ものすごい速さで上昇して、あっという間に天竜たちを抜き去ると、天竜たちの遥か上空に位置を取る。

 上を取られた天竜たちが羽根を翻して、後を追おうとしたところで、お嬢様の周囲の空に突然に岩が、それもひとつじゃなくていっぱい出現した。

 岩はとても大きくて、近くに浮いているお嬢様と比べて見てみると、ひと抱えどころじゃないような、ちょっとした小屋くらいありそうな、そんな大きな岩塊が何十個も、大量に出現する。


 アリシアたちと一緒に、壁の上で見物している大隊の誰かが


「あっ……」


という何かを察したような、そんな声を出すのが聞こえたけれど、アリシアも何か先の展開が見えた気がした。


 天竜たちも悪い予感がしたのか、身をひねって羽根を翻して逃げようとしたけれど、もう遅くて、次の瞬間には大きな岩が、滝のように天竜たちに向けて殺到した。


 ものすごい轟音がして、もうもうと煙が立ち上る。


 煙が風で晴れると、そこには岩の山にほとんど埋まって、ずたずたの天竜らしきものの体が、岩の隙間から少し覗いているのが見えた。


 お嬢様はそうやって、たったいま突然できた岩山の上空で、じっと岩に埋まった天竜を見下ろしていたけれど、やがて岩山の一部が崩れて、天竜の頭が少しだけ持ち上がるのが見えて、細く弱々しい、天竜の悲鳴のような吼声が上がる。


 するとひと際大きな、差し渡しで十メェトルはあろうかというような大岩が、お嬢様の真横にまた唐突に出現し、そのまま天竜の頭の上に落ちて、ものすごい轟音と振動がしたかと思うと、その天竜の頭はぺちゃんこになってしまった。

 さらにお嬢様はもう一個、同じくらいの大岩を別の場所に出して落とす。

 天竜は二頭いたから、二回とどめをさしたんだろうか。



 お嬢様は、そうやってさらに大きくなった岩山の上空でしばらく静止し、下を睥睨するようにして待った。

 やがて煙が晴れると、お嬢様はひとつ、またひとつ、と岩を消していく。たぶん荷物袋の異能の中にしまい込んでいるんだろうと思う。

 岩が全部なくなると、ズタズタになって、頭がぺっちゃんこに平べったくなってしまった天竜の死骸が二頭分出てきた。

 お嬢様はこれも令術で持ち上げると、その場でくるりと回転させて検分してから、また荷物袋の異能にしまいこむ。



 そうして用事が済んだお嬢様は、砦のほうへ、アリシアたちのほうへゆっくりと飛んできた。

 あの赤ちゃんみたいな小さな体の中に、差し渡しが三十メェトルほどもある天竜の死骸が三頭ぶんと、大岩が山になるほどいっぱいと、そのほかもろもろが入っているとは、とても現実離れしていて不思議に感じる。


 飛んできたお嬢様は、アリシアのいるあたりの上で停まると、体のまわりに浮かせていた金色の輪っかをしまい込み、それからすとんと落ちるようにして、アリシアの胸に飛び込んできたから、アリシアはお嬢様をしっかりと捕まえて抱っこする。


 お嬢様はアリシアの顔を見て「おまたせ」とおっしゃると、その瞬間、アリシアたちのまわりで歓声が爆発する。



 ◆



 ひと通り皆で騒いだその後は、大隊の皆が暇そうにしていたから、お嬢様が退屈しのぎのおやつや飲み物を、皆に出しておられた。

 お爺さんが怪我をした関係で、行軍はもう一日だけ中止にするらしくて、ここのところ昼間はずっと行軍で歩いていたから、それが急になくなるとどうも暇になっていけない。


 お嬢様はというと、荷物袋の異能から、麦やら玉葱やら卵やらの材料を取り出して、お粥を作り始めたので、アリシアが横から手をだしてかわりに作る。

 お爺さんは腸をつないだばっかりだから、まだすこし用心して食べるものは消化のよいものにするんだとか。


 のんびりお粥を煮ていると、ちょうどできたころに昼ご飯の時間になったので、器によそって、お嬢様の後について天幕のほうに持っていった。


 天幕の中に入ると、お爺さんは寝床で横になっていて、そこへお嬢様が

「ちょうしはどう? ごはんよ、ごはん!」とか言いながら漂っていく。


 すると、お爺さんは自分で体を起こして寝床にちゃんと座った。

 ずいぶんと元気になったものだ。一昨日に体が半分になってしまった人とは思えない。


「おかげさまで調子はだいぶん良うございます」


「それはよかったわ」

 お嬢様はそう言って安心したようにため息をつく。

 それから「おかゆをつくってきたからたべられそうならたべて」

とおっしゃって、どこからともなく湿らせた布を取り出して、お爺さんに手を拭かせた。


 お爺さんが手を拭き終わると、お嬢様はその布を引き取ってどこへともなくしまい込み、それから、お粥の入ったお椀をアリシアから受け取って、どこからともなく銀色の匙を取り出すと、それをお椀に差し込んでから、お椀をお爺さんに渡した。

 それから銀色のトレーを出してきて

「これならたべられるかしら」

とか言いながら野菜を煮たスープの入ったお皿とか、お茶か何かの入ったポットとか、コップとか、色々と出してこられてトレーに置く。


 それからお嬢様は「ももをきりましょうね」とおっしゃって、小さなぷにぷにの右のおててにナイフを握り、左手に桃を持った。

 アリシアはかわりにやろうと手を出しかけたけれど、お嬢様が

「まあみてて」

と言うので手を出さずに見ていると、面白いことには、お嬢様はナイフを手に持って空中に固定しているだけで、空中に浮かんだ桃がひとりでに動いたり回転したりしてナイフの刃に食い込んでは、桃の皮が剥けていくのだった。

 そして剥かれた皮も、外された種も、どこへともなく消えていく。

「すごいでしょ」

とお嬢様が得意そうな顔でおっしゃる。


 確かにすごいけど桃の皮なんて生ごみじゃないか。

 お嬢様はそんなものまで荷物袋の異能にしまい込むのか。

 そんなことでは荷物袋の異能のなかがゴミだらけになるんじゃないんだろうか、とアリシアは心配になる。

 そうしてきれいに切られた桃が、どこからともなく出てきた皿に盛り付けられて、フォークとともにトレーに置かれた。

 それで

「たべられるだけたべたらいいからね」

とお嬢様が言ってトレーをお爺さんのほうに寄せると、急におじいさんはほとほとと涙をこぼし始めた。


「どうしたの? どこかいたいの?」

 お嬢様はどこからともなくハンカチを取り出して、お爺さんの涙を拭いてあげる。

 申しわけない、とお爺さんは言って、でも涙は止まらなかった。


「……あっ、てんりゅうはちゃんとやっつけたからね! もうだいじょうぶよ」

 お嬢様は、思い出したようにそう言って、お爺さんの頭を抱え込み、きゅっと抱きしめる。


 お爺さんは別に天竜が怖くて泣いてるんではないんじゃないかなー、とアリシアは思ったけれど、とりあえず何も言わずに、お嬢様に抱きしめられて視界を塞がれたお爺さんからお椀を引き取ってあげた。



 ◆



「こんなふうに誰かに面倒を色々とみていただいたのは久々でした。

 小さい頃には寄親が世話を焼いてくれましたけれども、もうずいぶん前に亡くなりましてな。

 それからは寄親も持たずにやってきましたから、暖かい世話をしていただきまして、ありがたく、つい涙がこぼれてしまいました。

 ありがたくって涙が出るというのを皮肉じゃなくて言うのは初めてです」


 ご飯を食べ終わって、また横になったお爺さんが、枕元に座ったお嬢様を相手に話をしている。


「おじいさんはエルゴルさんのところのひとじゃないの?」


「後見というか相談役みたいなところでセックヘンデ殿の兵団の世話にはなっておりますが、マントはいただいていませんから寄子ではありませんな」


「そうなんだ」


「もちろんセックヘンデ殿に不満があるわけではないのですが、前の寄親を亡くしてから、なんとなく新しく寄親を持つ気になれず、気が付いたらこんなお爺さんになってしまいました」


「わたしはまだよりおや(寄親)っていうのはいないからよくわかんない」


「さようでございますか。

 では、良き出会いのあることを、この爺も祈念しておりますぞ。

 まあアリスタ様ほどともなれば寄親は必要がない可能性もありますが」


「そうなの?」


「アリスタ様はとてもお強いですし、独立でやっていかれることも可能でしょうな」


「えー……そんなのつまんない。やさしいよりおや(寄親)のママがほしいわ!」


「アリスタ様の寄親ともなれば生半なものでは務まりませんでしょうから、なかなかに見つけるのも難しゅうございましょう」


よりこ(寄子)むすめ()はもうろくにん(六人)もいるのよ!

 みんなわたしよりおおきいの」


 私が一番デカいんですけどね、とアリシアは二人の話を聞きながら、意味もなく卑屈に思う。


 でもお爺さんが

「それは頼もしいことでようございました」

と言ってくれたので、アリシアもそう考えることにした。



 そこで豚鬼族(オーク)のアイシャさんが

「そろそろ皆さんにお昼ご飯を出さなくていいんですか?」と教えてくれる。


「……あっ! そうだったわ。じゃあおじいさんもおとなしくねていてね」

 お嬢様はそう言い残すと慌てたように天幕を飛びだしていってしまったので、アリシアも慌てて後を追った。


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