ハーフオーガのアリシア7 ― アリシアの失恋と旅立ちと就職Ⅶ ―
一夜明けて――
起きなさい、という声がしたので目を開けると、スクッグさんのきれいな顔が目の前にあって、アリシアはびっくりしてもう少しで叫ぶところだった。
「もう朝も遅いから、顔を洗って食事をしてきなさい」
と、ベッドの脇に立ってアリシアをのぞき込んでいたスクッグさんに言われたので、慌てて水をもらってきて顔を洗って、ご飯を食べに下の食堂に降りて行った。
スクッグさんの朝から常にきれいで完璧な様子はなんなんだろうとアリシアは思う。
朝ご飯はスクッグさんに見られながらではなくて、一人で食べられたので、好きなだけおかわりしてめいっぱい食べた。
食べて部屋に戻るとヴルカーンさんがアリシアの鎧を取り出して磨いていた。
瓶の中から蝋のようなものを取り出して、布で擦りこむと、鎧が鈍い銀色に輝く。
「奉公先に面会に行くからな、鎧を付けよう」
スクッグさんがそう言うので、窮屈だからあまり付けたくないけど、アリシアは鎧を付け始める。
全身を覆う綿入れを着て、胸甲を付けて、腕にも足にも腰にも鎧を付けて、手甲を付けると、
「今日は盛装しなきゃならんからな」
と言ってヴルカーンさんがいつの間に作ったのか、鎧の上から羽織る袖なしの白いコートを出してきてくれた。羽織ってから鏡で見てみると、貴族の戦士みたいな、それらしい高級な見た目になる。
それから左腰に片手剣、腰の後ろに段平がふた振り、右腰に柄頭の裏側がハンマーになっている戦斧を吊るして、それから太い革帯を左右にたすき掛けにして、片方に大剣を取り付けて、もう片方に大弓を取り付けて背負い、セットで矢がたくさん入った矢筒をぶら下げて、左手に、鎧通しが二つと円匙と手槍を一本ずつと投石紐を取り付けた大盾を持って、最後に右手に長柄の斧槍を持ち、無事に全身武器人間になったところで、街中だからということで、斧槍に鞘と覆いをして、やっと用意が整う。
「顔は出さなきゃならんから兜は持っておけ」
とヴルカーンさんが言ったので、兜は盾の裏に引っ掛ける。
廊下や階段で武器やらが引っかからないように慎重に宿のロビーまで降りて、スクッグさんが宿の支払いを済ませているのを待っていると、昨日アリシアの体を洗ってくれたおねえさんがいたので、鎧をカチャカチャいわせながら手を振る。
おねえさんが手を振り返してくれたので、アリシアは満足して、スクッグさんとヴルカーンさんと宿を出た。
宿を出たところで、スクッグさんが、そのへんをうろうろしている子供を捕まえて小銭を握らせて、これから向かう奉公先のお屋敷に、先触れの手紙を届けてもらっていた。
それから、足が短くて歩幅がかせげないヴルカーンさんを馬に載せて、あとはゆっくり歩いて奉公先に向かう。
昨日、街に入った時にもチラチラ見られたけれど、今はアリシアが全身鎧の武器人間なせいか、余計に視線が集まる。
目立ちすぎじゃないかとヴルカーンさんに聞くと
「それくらいハッタリきかせたほうがいいんじゃ。強そうに見えるほうが待遇も良くなる」
とのことで、アリシアは恥ずかしい思いをしながら馬の後をついて行くのだった。
街の外れに向かってしばらく歩いて、少し高台に登ったところに、奉公先のお屋敷はあった。
家の敷地に入ってから、屋敷の玄関に着くまで、しばらく歩かないといけないあたり、貴族というのは大変なものだなとアリシアは思う。
馬を預けてから、玄関までいくと初老の執事さんが出てきて出迎えてくれた。
ここもちゃんと座れる椅子があるのかとアリシアは心配したけれど、玄関を入ってすぐの玄関ホールの右側にある応接室みたいなところに通してくれて、そこにはソファーとは別にベンチにきれいな布を敷いた、アリシアでも座れそうな場所がちゃんと用意されてあった。
いちいち座れる場所の心配をしなきゃならないあたりが、山の中の小屋でずっと暮らしているのでは味わえない体験だなとアリシアは思う。
しばらくお待ちくださいと言って執事さんが、領主様を呼びに行ってくれたらしいので、立ったまま待っていると、ご領主様らしき方と、その後ろから赤ちゃんを抱いた奥様らしき女の人が入ってきた。
ご領主様は、頭がハゲてて、お腹がすこし出っ張った、ごく普通の中年男性みたいに見える。
だからご領主様はどうでもいいが、その後に入ってきた奥様らしき女の人が、なんと耳の形からしてエルフで、物凄くきれいだった。
子供みたいな華奢なあごに、新緑の緑を溶かし込んだみたいな大きな瞳、薄い金色に輝く髪。
もう死ぬほどきれいだ。
スクッグさんもきれいでかっこいいが、やっぱり男だしかわいくはない。
でもこの奥様らしき人は女だからすごいかわいらしい。
もう今すぐひれ伏したいとアリシアは思う。
そしてその奥様らしき人の腕に抱かれている赤ちゃんも、耳がピッと木の葉のように尖っていて、エルフのようだった。
奥様らしき女性とおそろいの瞳と髪の色をしていて、体が小さくて、只人の子供だったら二歳くらいに見えるような大きさだけれども、複雑に編み込まれている髪がかなり長そうだった。
髪が長いということは、産まれてから二年よりもっと年月がたっているということで、やっぱりエルフだから見た目通りの年齢じゃないのかなと思う。
滑らかな白い肌に、緑玉みたいな大きな瞳がふたつに、金の髪のきれいな赤ちゃんを、装飾がいっぱいのドレスで包めば本当に生きてる宝石そのものだなとアリシアは思った。
エルフはただでさえきれいなのに、このうえ赤ちゃんのかわいさが加わるともはや手が付けられない。
面談が始まって、ご領主様から今までどんなことをして暮らしてきたのかとか、そういうお尋ねがあって、面談が始まったけれども、もうきれいな奥様らしき人と、異常にかわいい赤ちゃんが気になって気もそぞろだった。
いちおう頑張って質問にはそれらしく答えて、たまにスクッグさんが補足を入れてくれる。
少し話してから、実技を見ようということになって、皆で庭の少し開けたところに出た。
アリシアは指示に従って全力疾走して庭を何周かしたり、跳躍したり、そのまま宙返りをしたりして見せる。
激しく動くものだから、鎧がガチャガチャいって、すごく高価なものなのにどこか壊れるかと思ってヒヤヒヤした。
最後に大剣を抜いて型通りにぶんぶん振り回したり、斧槍も父から教わった通りに大回転させて見せたりもする。
実技の披露が終わると、また応接間に戻って元のように座る。
「なかなかのものでしょう」
今までずっと黙っていたヴルカーンさんが口を開いてそう言ってくれたのでアリシアは安心した。
鎧を着て走り回ったり武器を振り回したりしたところで、アリシアには実戦経験なんてものはなくて、ただ父親と少しばかりの練習をしたことがあるだけのものだったからだ。
「うむ、軽々と走り回ったり飛び上がったりしていたな。凄いものだ」
と思ったら領主様に褒められたのは武器の扱いとかじゃなくて、ただの体力だった。
それはまあそうだよねとアリシアも思う。
「今はちょっと重めの鎧に、多少の令術の補助は入れてありますが、まだまだ普通の鎧です。
仮に貴家でもっと厚い鎧を与えて、令術石ももっと入れた、本式の令術鎧にすれば、もう立派な突撃兵だ。体格も良いしこれは化けますぞ」
ヴルカーンさんが何かよく分からないことを言っているけど、ただでさえ窮屈な鎧がさらに重くなる予定でもあるのかとアリシアはげんなりする。
そのあとはアリシアの給金とかそういうことをスクッグさんがご領主様と交渉してくれていた。
なんだかよく分からなかったし、それにきれいな奥様とかわいいお嬢様を眺めるのに必死で、話なんか聞いている場合じゃないので適当に聞き流していたけれど、
「この子はオーガだから食事はくれぐれも不足がないようにお願いいたしますよ」
とスクッグさんが言ったのが聞こえて、顔から火が出る思いがした。
けれどもこれでご飯の心配がなくなったと思うとホッとした気もする。
それからだいたい話が終わったところで、ご領主様が、アリシアのほうを見て、
「……君は娘のところに奉公にきてくれるということだが、そうすると扱いとしては私の娘の家門に入ることになるから、私からすると陪臣という扱いになるのだが、それでいいのかね。こう言ってはなんだが君はかなり強いし、娘もかなり素質は高いと思うが、陪臣では不満なら私のところに仕えてくれるということでも……」と言った。
アリシアは慌てて、
「お嬢様のところでお仕えするというお話でしたので、そのようにしていただければと思います」
とスクッグさんが何か言う前に自分で返事をした。
すごいかわいい女の子をご主人様にできるのに、それが中年おじさんに変更になるなんて絶対やだ!
変更になるなら奥様とかならきれいだからいいけどご領主様とか絶対いや!
というようなことを考えてアリシアは反射的に返事をしたので、自分の待遇とか立場の格とか、そういうことはなーんにも考えていなかったのだが、ご領主様は、
「そうか……君は義理堅いのだな。我が娘に仕えてくれるにふさわしい!」
と言って、ひどく感じ入った様子だった。
家を出て、何日も旅をしてきたアリシアは、こうしてひとまず働く先を確保できたのだった。