ハーフオーガのアリシア56 ― 天竜殺しⅢ ―
夜の食事が終わって、また光の柱の方を眺めてみるけれど、お嬢様はまだ何か色々と作業をしている様子で、治療が終わる気配がない。
大隊の皆も、横になったり座ったり立ったりしながら、光の柱のまわりに集まって、治療が終わるのを待っている。
けれども夜はどんどん更けて、それでも終わらない。
そうしてそのうち真夜中になってしまう。
でもお嬢様を放っておいて、自分たちだけ天幕に入って寝てしまうわけにもいかないし、ずっと待っているしか仕様がない。
というか、お嬢様みたいな赤ちゃんをこんな夜中まで働かせていいんだろうか。虐待じゃないか。
そうして、手持無沙汰なので、食べたり飲んだりしながら、さらに待ち続けて、やがて東の空が白み、朝の光が差しめたころに、やっと光の柱が消えた。
お嬢様が怪我人のそばを離れて浮かびあがり、こちらへふらふらと漂ってくる。
アリシアがあわてて駆け寄ると、アリシアの少し手前でお嬢様が、ぼたっ、と唐突に地面に落ちた。
お嬢様の後ろから歩いてきていたアイシャさんが悲鳴をあげ、アリシアも駆け寄って、お嬢様を抱き上げる。
「大丈夫ですか!?」とアリシアが呼びかけると、お嬢様はうっすら目を開いて
「いしきがとんで、ねちゃってたわ」とおっしゃった。
お嬢様を一刻も早く寝かそうと「じゃあ早く天幕へ……」と、アリシアが言いかけると
「てんりゅうはどうなったの?」
とお嬢様が聞いてこられた。
「もう殺しましたから大丈夫です。さっさと寝ましょう。それとも少し何か食べますか?」
そう簡単に答えて、天幕へと急ごうとすると
「ねるまえに、てんりゅうのしがいをにもつぶくろのいのうにいれておかないと」
と、お嬢様はおっしゃる。
「そんなことはどうでもいいから早く寝ましょう」
そうアリシアが言っても
「だめよ、てんりゅうはこうかなえものだからくさったらもったいないわ」
アリシアとしてはとにかく、お嬢様に寝るか食べるかしてほしいので、やきもきするけど、お嬢様がひとりで飛んでいったら困る。
仕方がないから、お嬢様を抱っこして小走りで、天竜を殺したところまで急いだ。
天竜の死骸のところに着いてみると、大隊の人たちが十何人か番をしてくれていて、天竜を少しだけ解体もしてくれていた。
「このままじゃくさっちゃうから、いったんあずかるわね」
お嬢様は、そこにいた皆にそう言ってから、全長が三十メェトルばかりもある、巨大な天竜の死骸を、荷物袋の異能の中に一気に飲み込む。
天竜の死骸が煙みたいに一瞬で消え失せたので、皆も驚いて、どよめきがあがった。
「じゃあもどって」
というお嬢様の言葉に、アリシアは喜んでしたがって、お嬢様を抱っこしたまま、来た道を急いで戻る。
天幕のところまで駆け戻ると、天幕の入り口のところで、エルゴルさんがお粥の入った器を、隊長さんが切った桃が入ったお皿を捧げ持って待っていてくれた。
「うちの者を治療していただいて本当にありがとうございました。
お休みになる前に少しだけでも召し上がってください」
とエルゴルさんが言ってくれる。
ありがとうございます、とお嬢様はアリシアに抱っこされたまま、食事を受け取って食べながら
「ところで、きょうはだいたいのちゆしのみなさんにおてつだいをおねがいしたいです」
と言った。
「分かった。何をすればいい?」
と言ってくれる隊長さんに
「けがをしたかたのかはんしんがつぶれていたので、じゅうてんにんぎょうのかはんしんで、すげかえました。
しんけいやきんにくやほねやけんをつないで、それにけっかんやリンパかんもつなぎましたけど、つなぎのこしとか、どこかがさけるとか、よくないしんじゅんがあったらすぐにたいおうしないといけません。
それできゅうへんにそなえてみはりをしてほしいです。わたしもアイシャも、もうげんかいです」
「分かった。すぐ手配しよう」
「わたしはけがにんとくだをつないでねます。なんにんかでこうたいでねながらじゅんばんでみまもって、けがにんのみゃくをひんぱんにとりつづけてください。そしてこきゅうがはやすぎるとかおそすぎるとかくるしそうとか、ひふのいろがしろくなっているとか、すこしでもようすがおかしかったらすぐにわたしをおこしてください」
◆
そういうわけで、アリシアたちの天幕の中に怪我人のお爺さんが運び込まれ、その隣にお嬢様が寝床をとる。
眠っているお嬢様の、少しはだけたお腹から管が十本以上も伸びて、お爺さんの首や胸やお腹に刺さっていて、それを左右から挟み込むようにして、隊長さんが寄越してくれた治癒士だとかいう豚鬼族の女の人が二人座った。
天幕の中に知らない人が入ったので、アリシアもそばに座って警戒する。
疲れた顔をして、眉間にしわを寄せて眠っているお嬢様も、管だらけになっているお爺さんも、どちらも痛々しい。
◆
幸いなことには、夕方まで起こされることなくお嬢様は眠り、その間は怪我人に何事もなかった。
豚鬼族のアイシャさんが先に起きてきて、おはよう、と言ってくれる。
「おはようございます」
とアリシアが挨拶を返すと、アイシャさんはアリシアをじっと見て
「アリシアさんはちゃんと寝たの?」と言ってくれた。
「寝てないですが大丈夫です」と答えると
「ちゃんと寝なきゃダメじゃない」と怒ってくれる。ちょっとうれしい。
実際のところ寝てなくてもあんまり疲れたようには感じない。
狩りに出かけるとその間はだいたい深くは寝ないのが普通だし、それでも狩りに出ている間は、それでずっと動いている。
というか見張りをしてたのだから、起きてないと意味がないのもある。
「アリシアさんは馬車に乗れないから、昨日もずっと歩いてたのに、疲れてるでしょう」
「実家で狩りに行ってたときは、寝ずに歩き回るくらいのことはありましたから大丈夫ですよ」
「そうは言っても……」
とか話していると、お嬢様がぱっちりと目を開け、その瞬間にばっ、と何かに弾かれたように跳び起きた。
お嬢様は、ご自分のお腹に刺さっている管を何本か、引き抜いては確認して、また自分のお腹に刺し、引き抜いては確認して刺すことを繰り返す。
そんなことをしても、お嬢様のお腹からは血もでないのだから不思議なものだ。
そうして確認が終わると大きく息をついて
「はいえきはもんだいなし、しゅっけつもないわ。とりあえずだいじょうぶね」
お嬢様がそう言うと、お嬢様と怪我人のお爺さんが寝ているその両脇で座って、お爺さんを看ていた治癒士のおねえさんたちが、それは素晴らしいです、とかさすがです! とか言ってお嬢様を褒め称える。
「……お嬢様とお爺さんに刺さってるあの管ってなんなんですか?」
と好奇心からアリシアはアイシャさんに聞いてみる。
「まあ色々ね。大怪我をした後だから、体の中に変なふうに体液がでちゃってるから、それを取り除いたりするのもあるわ。
それに筋肉が大きく壊れると血の中に毒がでるから、代用血液を入れて、元の血液を押しだして捨てたりとか、あとは体の中の色々な場所に管を入れておいたら、体の中で裂けて血が出てるところがあったら、管から血が出てくるから分かるとか色々ね。
首に何本か刺さってるのはもし心臓が止まっても代用血液を流して、とりあえず頭だけでも生かすための管よ」
思った以上に恐ろしげなことを言われて、アリシアはちょっとたじろいでしまう。
生き物を狩って解体するのは簡単なのに、治そうとするとえらい手間だ。
お嬢様は、お爺さんの体をあっちこっち触って確かめてから、だいたいいいわね、と呟くと、ふわりと浮かび上がって
「じゃあごはんのよういとかしてくるわ」とおっしゃった。
「それじゃ疲れてしまいますよ。自分たちで用意していただくようにしたらいいんじゃないですか?」
とアイシャさんが言って、お爺さんを看ててくれていた豚鬼族のお姉さんたちも
「そうですよ!」とか「自分たちでも食糧は持ってきておりますから」と口々に言う。
けれどもお嬢様は
「ごはんがまいにちちゃんとでてこないのはいけないわ。
さいしょからごはんをださないのならそれでいいけど、ごはんをだすことにしたんだったら、ちゃんとまいかいだすのよ。
きのうのばんからきょうのひるまでとんじゃったけど……またおじいさんのちょうしがおかしくなったらすぐよんでね」
そう言ってお嬢様は、びゅーんと飛んでいき、やがてだいぶん向こうの地面から轟音がして、土が吹き上がったかと思うと、そこから壁が立ちあがってきて、いつものお嬢様の砦づくりが始まったのだった。
大隊の皆をぐるりと囲む壁と堀が終われば、次は風呂場にテーブルにベンチと順序良く土で作っていく。
そうすると大隊の皆も物音と振動で気づいて、ぞろぞろと集まってくる。
お嬢様は、集まってきた大隊の皆の方を向き「さあ、ごはんとおふろにするわよ!」と言った。
皆の歓声がはじける。
◆
皆に食事を出し終わって、最後の組の人が食事を始めたあたりで、大隊の治癒士のお姉さんがやってきて、お爺さんが(名前はクリーガさんというらしい)目を覚ましたと言った。
それでお嬢様は天幕に戻る。
天幕に入ると、お嬢様は、お爺さんが寝ているところまで漂っていき、お爺さんの額に熱でも測るようにぷにぷにの手のひらを当てて
「ちょうしはどう?」と聞いた。
お爺さんが何か話そうとするけれど、うまく言葉が出ないみたいで、そうしたらお嬢様が
「アリシア、ちょっとおこすのてつだって」とおっしゃった。
アリシアがお爺さんの体を少しだけ起こすと、お嬢様がどこからともなくクッションを幾つも取り出して、お爺さんの背中の下にいくつも入れる。
それからお爺さんの顔のそばに浮いて、またどこからともなく、水の入ったガラスのコップを出して、お爺さんの口元にもっていって、ゆっくりのんでね、とおっしゃった。
お爺さんはコップ一杯の水を時間をかけて飲むと、大きく息をついて、それから
「……私はまだ死んでいないようですな」と言った。
「いきてるわよ。おみずのんでおなかのちょうしはだいじょうぶ?」
お爺さんはお腹に手を当てて
「今のところは大丈夫なようです」と言った。
「ちょうをあっちこっちつないであるからね、うまくうごかないようだと、おなかをあけてつなぎなおしよ。
おなかがいたいとか、はきけがするとかあったらちゃんとおしえてね」
「それは恐ろしい。無理やりでも動かさないといけませんな」
お爺さんがそう言うと、お嬢様はお爺さんのほうをじろりと睨んで
「おなかをきるのがいやだからって、ちょうしがわるいのにかくしたりしたらだめよ?」
とおっしゃった。
「じゃあおかゆからね」
とお嬢様は言うと、お椀に入った麦粥と銀のスプーンを、またどこからともなく取り出して、お粥をひと匙ずつ掬っては、お爺さんに食べさせる。
お爺さんが、わずかばかりのお粥を食べ終わると、お嬢様は拭き布でお爺さんの口元を拭いてあげていた。
「……貴女様が私を治療してくださったので?」
「そういうことになるわね」
お爺さんはそれを聞くと、体にかけていた毛布を少しはぐって、下半身を覗きこむ。
「まだしたぎもはかせてないから、みるならひとりのときにじっくりみてね。
いまはまだ、いろがしろいけれど、そのうちじぶんのさいぼうにおきかわって、じぶんのからだとおなじはだいろになるわ。
まだうまくうごかせないとおもうけど、がんばってれんしゅうしたらもとのからだとおなじだけうごくようになるわよ」
そう言われてお爺さんは、仰向けになったままの姿勢で、少し脚を上げてみたり、膝を少し曲げてみたりする。
それから、毛布を少しずり上げて、足先を毛布から出して、足の指先をちょいちょいと動かしてみる。
「……ちゃんと動いていますね」
お爺さんはどこか信じ難いような表情でそう呟いたけれど、アリシアも同じような気分だった。
毛布の下の端から覗いている足の指先は真っ白で、あの石膏像みたいな、あんなものが生身の体みたいに動くとは信じられなかった。
でも実際にアリシアの目の前で動いているわけだけれども。
「ちゃんとつながってるみたいでよかったわ」
お嬢様はそう言ってため息をひとつつく。その仕草はちょっと大人みたいで、でもお嬢様の見た目は赤ちゃんみたいだから、ちょっと違和感があった。
「じゃあわたしはみんながたべおわったおさらとかをしまってくるから、すこしおとなしくしていてね」
お嬢様はそうお爺さんに言い渡すと、ふわふわと漂って天幕から出ていこうとしたので、アリシアは手を出してお嬢様を捕まえると抱っこして、お嬢様と一緒に天幕を出たのだった。




