ハーフオーガのアリシア55 ― 天竜殺しⅡ ―
アリシアは天竜の吼え声のする方に向かって走る。
天竜を狩ろうとするなんて、ひょっとしたら死ぬかもしれないのに、それでもアリシアは心のうちからふつふつと興奮と喜びが湧き上がってくるのを感じた。
大型の魔獣は実家にいたときにいくらでも狩ったことがあるけれど、体長が見た感じでだいたい、三十メェトルほどもあるような天竜を相手にするのは初めての経験になる。
三十メェトルというと、いくらなんでも狩りの獲物としては大きすぎるし、そもそも天竜はだいたい空を飛んでいるから、アリシアが空を飛べるわけでなし、手が届かないからそうそう狩れるものでもない。
でもくだんの天竜が咆哮する声や、戦闘する音が聞こえてくるのだから、天竜はもう空へ逃げちゃったというわけではなくて、まだそこにいるらしいのだった。
つまり地面に降りている天竜がいるわけで、そう思うともう、逃げられる前に狩らないと! と焦るような気がして、アリシアは必死で駆ける。
横転した馬車を避け、木立を回り込み、小川を飛び越え、ついに天竜の小山のような巨体を視界に捉える。
少し離れたところからとっくりと観察したかぎりでは、天竜は右目が潰れていて、右前脚にも大きな傷があって、右の翼が半ばからへし折れていた。それで天竜がまだ逃げていないんだろう。
傷は全部天竜の右側に集中しているから、右側に攻撃を集中しているらしい。
天竜から見て正面やや右側に、エルゴルさんが大剣を三本構えて、天竜と向かい合っていて、その少し後ろに、大隊の隊長さんのローテリゼさんがいる。
その他には、天竜のまわりに遠巻きに武器を構えた人が三人ばかり人が散らばっているだけで、他の人たちは避難できたらしかった。
さてどうするか。
見ていると、エルゴルさんが天竜の右前脚の側面に回り込んでは切りつけて、天竜はエルゴルさんを踏みつぶそうとして、傷ついた右足を右側に向かって振り上げては踏みつける。
それで天竜はその場で右へ右へとくるくる回るように誘導されているらしい。
そして頃合いを見ては隊長さんから光球が飛んで、天竜にぶつかって爆発する。
だいたいそんな感じで攻めているようだった。
そうして、右前脚の傷が深いのか、段々と天竜の脚が止まりはじめる。
さらに右目の視界がないせいか頚を大きく右に曲げてエルゴルさんを見ようとしている。
それで天竜の左側が隙だらけだったので、アリシアは左側から攻めることにした。
とりあえず天竜に逃げられてしまわないように左側の翼も壊そうと決める。天竜の体表は固そうな鱗に覆われているけれど、翼の被膜はそうじゃなくて傷をつけやすそうなのもいい。
アリシアは大剣を抜くと、天竜の視界に入らないように、大回りして天竜の左斜め後ろに回ってから、一気に跳躍して、天竜の左の翼の上あたりに跳びあがると、落ちざまに、天竜の翼の被膜に大剣を深々と、留め杭のように突き立てて貫通させる。
すると痛かったのか、天竜が翼をバタつかせ、その勢いで大剣を突き立てた所から、びーっと一直線に翼が下の端まで裂けて、そのままアリシアは地面に落ちて、勢いのままゴロゴロと転がった。
翼を裂かれて怒った天竜が、大暴れしはじめて、アリシアは踏みつぶされないようにバタバタと慌てて起き上がり距離をとる。
そこへたぶん隊長さんが撃ってくれた、大きな黄色い光球が天竜の頬をはたくようにぶち当たって爆発し、天竜の気が逸れたので、その隙にアリシアは走っていったん離脱した。
少し離れたところから、エルゴルさんと隊長さんが戦ってくれている間に、天竜の長い頚を観察する。
そうしてアリシアは、手に持った自分の大剣と、天竜の頚を見比べて、天竜の頚が太すぎるから、頚を落とすには刃渡りが足りないなという結論になった。
それで何かいい方法はないかとアリシアが周りを見回すと、エルゴルさんが戦っている姿が目に入る。
エルゴルさんは、上段の両腕で一振り、中段の両腕で一振り、下段でも一振りというふうに三振りの大剣を持って戦っていたけれど、よく考えればエルゴルさんは大剣を腕の数だけ、つまり六振りも背中に背負って持っていたはずだとアリシアは思い出した。つまり三振りほど余っているはずだ。
エルゴルさんはアリシアよりだいぶん背が高くて体が大きいから、得物の大剣も、アリシアの大剣より身幅が太くて長さもだいぶん長い。
あれだ。天竜の頚を落とすにはあれが要る。
アリシアはそう結論すると、エルゴルさんの大剣を貸してもらおうとして、天竜と対峙しているエルゴルさんのほうに向かって走り出した。
アリシアはエルゴルさんの方へ突進しながら
「その剣! 貸してくださーーーい!!!」と叫ぶ。
エルゴルさんは突進してくるアリシアの方を横目でちらりと見て一瞬驚いたような顔をしたけれど、アリシアがエルゴルさんとすれ違う拍子で、ひょいと大剣をアリシアの方に放ってくれた。
そうしてエルゴルさんは、剣を手放して空いた手で、腰に吊るしてあった戦斧を取り、近寄ってきた天竜の鼻先に斧の刃を叩き込む。
ギャッ! というような大きな吼声を上げて天竜の頭が上に逃げる。
そうやって天竜の視界から外れた隙に、大剣を受け取ったアリシアは、時計方向に大回りして天竜の体を半周してから、天竜の左手後方に出て、いったん離れた。
それからエルゴルさんがまた天竜の右脚に大剣を叩き込む作業を再開する。
それに気を取られた天竜が右側に大きく頚を曲げた瞬間に、アリシアはその天竜の頚の左手側に忍び寄って、それから音もなく大きく跳躍して、空中で、エルゴルさんから借りた大剣を振りかぶった。
大剣の刃を立てることだけ意識して、空中で膝を曲げて、お辞儀をするように体を丸めつつ、湾曲した天竜の頚に大剣を叩き込む。
程よく重い大剣の刃が、天竜の頚に吸い込まれるようにうまく立つ。
そのまま前転するように大剣を振り切ると、思っていたよりも軽い手ごたえで、アリシアは驚いた。
頚を全部切り落とせたらよかったのだけれど、ほんの少しだけ切り残しができてしまい、切れ目から頚が折れて、そこから天竜の頭がぶら下がる。
切り口から血がいっぱい噴き出して、それでも天竜は、屠殺で首を落とされた鶏や豚が体だけで少し走るのと同じように、頚が折れて頭がぶら下がった状態で、体だけじたばたと少し暴れた。
踏みつぶされないよう、アリシアが少し距離をとって見ていると やがて天竜の体がくずおれて横倒しになる。
本当に死んだかどうか確認したくて、アリシアは天竜の頚の切れ目のところまで走って回り込むと、天竜は確かに死んでいて、頚の切れたところから沢水みたいに血を吹き出させていた。
獲った! 獲った!! やったやった! 獲った!!!
本当に天竜を狩れたんだ、ということを確認するとアリシアは、背筋から震えがきて、ほとんど心臓が止まりそうなほどの興奮で、気がついたら天に向かって轟々と咆哮していたのだった。
そこでアリシアはふと我に返って周りをきょろきょろと見回す。
「やったな! すごいぞ!」と言いながら隊長さんのローテリゼさんが
「天竜の頚を落とすとかなかなかできるもんじゃないですよ。これはすごいです!」
そう言ってエルゴルさんもこっちに寄ってくる。
けれどもアリシアは、いやどうもその、ありがとうございます、とかなんとかもにょもにょと答え、それから
「ちょっとお嬢様のほうを見てきます」
と言って踵を返し、二人を残して、お嬢様が立てた光の柱のほうに向かって走った。
アリシアはあんまり人に褒められるのに慣れてなくて、だから褒められるとちょっと恥ずかしかったし、それに、また大声で魔獣みたいに咆哮してしまって、それも恥ずかしかったからだった。
獲物の処理も何もせず放ってしまったようになったのは申し訳ないけれども。
走りながらアリシアは、大剣を手に持ちっぱなしで、エルゴルさんに借りたまま返してないのに気が付く。
天竜の頚を切ったすぐその場で、大剣をパッと返せば、エルゴルさんがすでに使ってた武器を途中から借りたので、天竜の血とかで最初から汚れていたから、それでよかっただろうけれど、こうやっていったん持ってきてしまって、後から返すなら多少は掃除というか手入れをしてから返さないといけない。
ちょっと失敗したかな、でも武器を貸してもらえたから天竜を狩れたんだし……掃除くらいはしたらいいよね、などとアリシアは色々考えながら、大剣を無くさないようとりあえず腕輪の中にしまい込んだ。
◆
アリシアはやがて、お嬢様が立てた光の柱のところまで戻る。
光の柱は陽が落ちてくるといっそうきれいに映えて、その周りだけは夕闇を裂くようにして、青白い光で満たされて、真昼のように明るいのだった。
光の中で、お嬢様が浮かび、小さな刃物や何やらの、怪我の治療につかうのだろう銀色に輝く器具を、体のまわりに無数に乱舞させ、怪我をした人の上に浮かんで、怪我人を覗きこみながら何やら作業をしておられる。
アリシアは、近くまで行ったけれど、地面を転げまわったり、天竜の血を浴びたりして、とんでもなく汚れているので、あまり近寄るわけにもいかない。
あの光の柱の中では、お嬢様が怪我人を治しておられるのだろうけれど、怪我に汚れがつくと化膿したりしてよくないので、アリシアは光の柱の外で待っておくことにした。
光の柱を取り囲んでいる大隊の皆に混じって、アリシアもそのへんに立ち、少し待ってみるけれど、治療は終わらない。
まあ下半身を丸ごと無くすような大怪我を治療するということだから、それはたぶん大変なことで、もちろん時間はかかって当たり前だろう。
しばらくすると、エルゴルさんと隊長さんが連れだってアリシアのほうにやってきた。
やあ、どうもなどと言って挨拶しつつ、光の柱のほうを眺める。
「どんな状態でしょうか?」
とエルゴルさんが聞いてくるけど、アリシアは治療のことは分からないので、よく分かりませんと答えるしかない。
「治療が続いてるんだから希望はあるんだと思うよ」と隊長さんがエルゴルさんを慰めるように言う。
それから皆で、光の柱の中でお嬢様たちが作業しているのを、しばらく眺めていると、馬人族のウィッカさんと、黒森族のコージャさんが怪我人やお嬢様のそばを離れて、光の柱から出て、アリシアのほうに歩いてくる。
こんにちは! とか隊長さんとエルゴルさんに二人が挨拶したところで
「お疲れさま。もう終わったの?」とアリシアが声をかけると、コージャさんが
「いえ、まだだいぶんかかるから、先にご飯を食べてなさいってお嬢様とアイシャさんがおっしゃってました」
と、アリシアだけでなくて、どこかまわりにいる大隊の皆さんに聞かせるような感じで言った。
それを聞くと、光の柱のまわりでじっと待っていた大隊の皆が、バタバタと動き始める。
アリシアたちも、食事や寝床の用意を始めようとしたところで
「天竜のモツは適当に分配してよろしいか?」
と、エルゴルさんが聞いてくる。
内臓は腐りやすいから、先に食べてしまおうということだろう。
そこでアリシアは獲物の天竜を放りっぱなしでこっちに来てしまったことを思い出す。
「私はかまいません。後始末もせずにほったらかしですみません」
アリシアが謝ると、エルゴルさんはいやいやと手を振って
「そんなのはいいんですよ。
貴女の御主人様のアリスタ様にも戦っていただきましたから、本当はアリスタ様の了解も取らないといけないのですが、今はうちのものを治療していただいているのでお忙しいですからな。
アリシアさんの方からよろしくお伝えいただければと思います。
じゃあこちらにもいくらかお届けしますよ」と言って隊長さんと一緒に去っていった。
三台の馬車をそれぞれ奥と左右に並べて壁を作り、そこに天幕を張って、ロープを張ってタープをかけてと寝床の用意を整える。
それから、そのへんの石を拾ったり、土を掘ったりしてアリシアがかまどを作っている間に、ウィッカさんとコージャさんで枯れ枝を拾ってきてくれたので、食材を馬車から引っぱり出して、火を熾し、鍋に水を入れて火にかける。
そこまでできたところで、エルゴルさんが天竜のモツを鍋に入れて持ってきてくれた。
「洗ってから少し茹でてありますからね」
とのことで、切り分けてもあるし、これは楽で嬉しい。
乾燥野菜と天竜のモツと、あとエルゴルさんがオマケに持ってきてくれた大蒜と玉葱と、麦も鍋に一緒に入れて煮て、塩と香草と、最後に少しだけ香辛料を入れたらできあがり。
そうやって、アリシアたちの鍋ができあがるのを見届けてから、でも一緒に食べるでもなく、エルゴルさんは自分の天幕のほうに帰っていった。
できあがった鍋を、取り皿につぎ分けて、ひと口食べる。
不味くはないし、これはこれで美味しいけれど、でもお嬢様が荷物袋の異能から出してくれる食事には比べるべくもなくて、顔を上げると、一緒に食べていた黒森族のコージャさんや、馬人族のウィッカさんと目が合う。
お互いに同じようなことを考えていたのが何となく分かって、アリシアたちは顔を見合わせて苦笑いをしたのだった。